<片手に指が1本でもあれば就労可能──イギリスにおける障害の認定基準はそう皮肉られるぐらい厳しくなった。財政赤字削減を公約に掲げて2010年に首相になった英保守党デービッド・キャメロン首相の「改革」の結果だ。イギリスが初めて福祉国家の体制を作った1945年以来、これほど弱者に苛酷だったことはないという。巨額の財政赤字とバラまきをやめない政治家を抱える国すべてへの警鐘> 写真はロンドンで集会をする障害者(2012年)
イギリスの障害者にとって、現在は大いなる試練のときだ。5年以上におよぶ緊縮財政と福祉保障制度改革の結果、何十万人にも及ぶ障害者は困窮し、病状を悪化させてきた。責任は、幾つかの政策にある。
【参考記事】イギリス、今さら暴動のなぜ
イギリスにおける障害者の権利がこれほど長期にわたって危機にさらされたのは、福祉国家の形が整った1945年以来初めてのことだ。当時のクレメント・アトリー首相は同年の総選挙時に、戦争で疲弊した人々に向けて「1930年代には戻らない」というスローガンを掲げ、国民は「ゆりかごから墓場まで」最低限の生活が保障されるようになった。
それから71年後のいま、気がつけば英国は、福祉制度も社会保障制度もない1930年代に急速に戻りつつある。社会ダーウィン主義さながら、泳げず、競争できず、ペースについていけない者は沈んでゆくしかない。そして、それは誰のせいでもなく、自分自身のせいなのだ。
英国福祉改革センターのサイモン・ダフィー博士によると、世界金融危機後の2010年に保守党が政権を握って以降の6年間、障害者は健常者と比べて9倍、重度の障害を抱える人々にいたっては19倍も厳しい生活を強いられてきたという。こうした状態に陥ったのは、福祉と住宅手当、社会保障の削減が重なった結果だ。
頭蓋骨半分でも「就労可能」
英デイリーミラー紙は5月12日、頭蓋骨の半分を失って重度の記憶障害と半身麻痺を抱える男性に対し、英労働年金省(DWP)が「就労可能」と裁定したことを報じた。理不尽きわまりない話に聞こえるが、活動家たちはこのような決定を耳にしてもショックを受けない。もはや当たり前になっているからだ。
イギリスでは、公的支援を受けるための「障害」の認定は、政府の労働能力評価(WCA)によって再定義された。事実上、片方の手に脈と指が1本があって電話がかけられれば、何らかの仕事に就く能力はあるというような厳しい基準だ。
民間の医療保険に何年も保険料を払い込んだあとに病気になり、障害を抱えたため、保険金を請求したら却下されてしまった被保険者たちの例も枚挙にいとまがない。アメリカの読者にはお馴染みの話だろう。
公的ケアも削減されている。高齢者や重度の障害を抱える人々に対する地域のサービスは、2015年までに33パーセント削減された。その結果、現在までに43万3000人の成人がサービスを受け損なっている。NHS(国民保険サービス)病院に患者が殺到して危機に陥っているのもそのためだ。
【参考記事】「移民受け入れという慈善」はやめた
障害者の支援を目的に設立された「インディペンデント・リビング・ファンド」は廃止された。重い障害を抱えた1万9373人が、自立した生活を送るための給付金を直接受給する資格を失ったのだ。
「ベッドルーム税」と呼ばれる住宅補助の削減も、障害者をさらなる貧困に追い込んだ。削減の影響を受ける約42万人の障害者は平均で年728ポンド(約11万5000円)を失うことになり、多くのケースでは、家を出ざるを得ない状況になっている。
ステファニー・ボットリルは、もはや生きていけないという結論に達し、幹線道路を走るトラックの前に身を投げた。家族に宛てた遺書のなかで、自分を絶望させたのはデービッド・キャメロン首相と保守党政権であると非難している。
【参考記事】「鉄の男」キャメロンの超緊縮改革
障害生活手当(DLA)は、深刻な病気や障害を抱える人々が自立した生活を送れるよう支援するものであり、その対象者は、関節炎や学習障害、精神病、末期疾患、認知症などを持つ人々が含まれる。そのDLAはいま、個人自立手当(PIP)という新制度に移行されつつある。PIPではより厳しい基準が定められており、50万人が個人受給資格を失い、平均で年間3000ポンド(約48万円)の手当が受けられなくなる。
病気や障害で失業中の人々を対象とした給付金制度である「雇用支援手当」(ESA)もカットされた。ESAに家計収入調査を導入し、20億ポンドの出費削減を目指したのだ。そのせいで人々は、障害者になっても受給まで12カ月以上待たなければならなくなった。税金で賄われている制度にも関わらず、だ。
人々は貯金を切り崩して生活するしかなくなり、貧困に追い込まれている。ESAを受給していても、WCAの評価によって「作業」の能力があると判断されれば、週109.30ポンドというわずかな収入を30ポンド削減される。仕事に復帰できるのにしないというタダ乗りが将来増えることを防ぐため、というのが政府の言い分だ。
自殺に追い込まれる人も
WCAによって不当に「就労可能」と判断された障害者たちの死も多発している。なかでも最も顕著なのが、スティーブン・カレとマイケル・オサリバンのケースだ。カレのケースでは、検死官は「死亡の再発を防止するための報告書」のなかで、WCA制度に内在する欠陥が彼の死に直接つながったと判断した。しかし、当時労働年金省の大臣を務めていたイアン・ダンカン・スミスらは、この報告書に対処する法的義務を怠った。それに続く3年間で起きたオサリバンのケース、ならびにスコットランドで起きた3つのケースは、調査が行われた結果、同じく制度の欠陥が原因であるとされている。
保守党のこうした方策の結果、イギリスはついに、国連(UN)障害者権利条約が定めるところにより、障害者の基本的人権に対して「重大かつ組織的な侵害」があったとして、国連の調査を受ける世界初の政府という不名誉な立場になった。委員会は来年、調査結果を発表する見込みだ。
イギリスにおける障害者の生活はいま、危機にさらされている。だが人権擁護団体「ブラック・トライアングル」は、政府が心を入れ替えるなどとは期待していない。人類にとって、そしてイギリスにとって、本当に悲しい時代が到来した。
*ブラックトライアングルは障害者の権利を守るための支援団体
ジョン・マカードル(ブラックトライアングル共同設立者)
イギリスの障害者にとって、現在は大いなる試練のときだ。5年以上におよぶ緊縮財政と福祉保障制度改革の結果、何十万人にも及ぶ障害者は困窮し、病状を悪化させてきた。責任は、幾つかの政策にある。
【参考記事】イギリス、今さら暴動のなぜ
イギリスにおける障害者の権利がこれほど長期にわたって危機にさらされたのは、福祉国家の形が整った1945年以来初めてのことだ。当時のクレメント・アトリー首相は同年の総選挙時に、戦争で疲弊した人々に向けて「1930年代には戻らない」というスローガンを掲げ、国民は「ゆりかごから墓場まで」最低限の生活が保障されるようになった。
それから71年後のいま、気がつけば英国は、福祉制度も社会保障制度もない1930年代に急速に戻りつつある。社会ダーウィン主義さながら、泳げず、競争できず、ペースについていけない者は沈んでゆくしかない。そして、それは誰のせいでもなく、自分自身のせいなのだ。
英国福祉改革センターのサイモン・ダフィー博士によると、世界金融危機後の2010年に保守党が政権を握って以降の6年間、障害者は健常者と比べて9倍、重度の障害を抱える人々にいたっては19倍も厳しい生活を強いられてきたという。こうした状態に陥ったのは、福祉と住宅手当、社会保障の削減が重なった結果だ。
頭蓋骨半分でも「就労可能」
英デイリーミラー紙は5月12日、頭蓋骨の半分を失って重度の記憶障害と半身麻痺を抱える男性に対し、英労働年金省(DWP)が「就労可能」と裁定したことを報じた。理不尽きわまりない話に聞こえるが、活動家たちはこのような決定を耳にしてもショックを受けない。もはや当たり前になっているからだ。
イギリスでは、公的支援を受けるための「障害」の認定は、政府の労働能力評価(WCA)によって再定義された。事実上、片方の手に脈と指が1本があって電話がかけられれば、何らかの仕事に就く能力はあるというような厳しい基準だ。
民間の医療保険に何年も保険料を払い込んだあとに病気になり、障害を抱えたため、保険金を請求したら却下されてしまった被保険者たちの例も枚挙にいとまがない。アメリカの読者にはお馴染みの話だろう。
公的ケアも削減されている。高齢者や重度の障害を抱える人々に対する地域のサービスは、2015年までに33パーセント削減された。その結果、現在までに43万3000人の成人がサービスを受け損なっている。NHS(国民保険サービス)病院に患者が殺到して危機に陥っているのもそのためだ。
【参考記事】「移民受け入れという慈善」はやめた
障害者の支援を目的に設立された「インディペンデント・リビング・ファンド」は廃止された。重い障害を抱えた1万9373人が、自立した生活を送るための給付金を直接受給する資格を失ったのだ。
「ベッドルーム税」と呼ばれる住宅補助の削減も、障害者をさらなる貧困に追い込んだ。削減の影響を受ける約42万人の障害者は平均で年728ポンド(約11万5000円)を失うことになり、多くのケースでは、家を出ざるを得ない状況になっている。
ステファニー・ボットリルは、もはや生きていけないという結論に達し、幹線道路を走るトラックの前に身を投げた。家族に宛てた遺書のなかで、自分を絶望させたのはデービッド・キャメロン首相と保守党政権であると非難している。
【参考記事】「鉄の男」キャメロンの超緊縮改革
障害生活手当(DLA)は、深刻な病気や障害を抱える人々が自立した生活を送れるよう支援するものであり、その対象者は、関節炎や学習障害、精神病、末期疾患、認知症などを持つ人々が含まれる。そのDLAはいま、個人自立手当(PIP)という新制度に移行されつつある。PIPではより厳しい基準が定められており、50万人が個人受給資格を失い、平均で年間3000ポンド(約48万円)の手当が受けられなくなる。
病気や障害で失業中の人々を対象とした給付金制度である「雇用支援手当」(ESA)もカットされた。ESAに家計収入調査を導入し、20億ポンドの出費削減を目指したのだ。そのせいで人々は、障害者になっても受給まで12カ月以上待たなければならなくなった。税金で賄われている制度にも関わらず、だ。
人々は貯金を切り崩して生活するしかなくなり、貧困に追い込まれている。ESAを受給していても、WCAの評価によって「作業」の能力があると判断されれば、週109.30ポンドというわずかな収入を30ポンド削減される。仕事に復帰できるのにしないというタダ乗りが将来増えることを防ぐため、というのが政府の言い分だ。
自殺に追い込まれる人も
WCAによって不当に「就労可能」と判断された障害者たちの死も多発している。なかでも最も顕著なのが、スティーブン・カレとマイケル・オサリバンのケースだ。カレのケースでは、検死官は「死亡の再発を防止するための報告書」のなかで、WCA制度に内在する欠陥が彼の死に直接つながったと判断した。しかし、当時労働年金省の大臣を務めていたイアン・ダンカン・スミスらは、この報告書に対処する法的義務を怠った。それに続く3年間で起きたオサリバンのケース、ならびにスコットランドで起きた3つのケースは、調査が行われた結果、同じく制度の欠陥が原因であるとされている。
保守党のこうした方策の結果、イギリスはついに、国連(UN)障害者権利条約が定めるところにより、障害者の基本的人権に対して「重大かつ組織的な侵害」があったとして、国連の調査を受ける世界初の政府という不名誉な立場になった。委員会は来年、調査結果を発表する見込みだ。
イギリスにおける障害者の生活はいま、危機にさらされている。だが人権擁護団体「ブラック・トライアングル」は、政府が心を入れ替えるなどとは期待していない。人類にとって、そしてイギリスにとって、本当に悲しい時代が到来した。
*ブラックトライアングルは障害者の権利を守るための支援団体
ジョン・マカードル(ブラックトライアングル共同設立者)