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イラク・ファッルージャ奪回の背景にあるもの - 酒井啓子 中東徒然日記

ニューズウィーク日本版 2016年5月27日 19時30分

<イラク政府はISに支配されていた主要都市ファッルージャの奪還作成を開始。しかしその目的は、統治能力を失ったアバーディ政権が国内外からの信用を取り戻すことにあった>

 5月23日、イラクのアバーディ首相は、ISに制圧されているファッルージャの奪還作戦を開始する、と発表した。25日にはイラク軍が同市の東部地域をほぼ確保したとし、政府は「ファッルージャ奪回成功、ISに大打撃!」と、作戦の成功を宣伝している。

 しかし、一方でそのやり方に懐疑的な声は、少なくない。作戦開始前に政府は、市民に「街から退避せよ」と呼び掛けてその安全に配慮したというが、ISの監視下にあって簡単に逃げられるものではないし、何よりも数カ月前から続いていた政府軍によるファッルージャ包囲のせいで、市民は飢餓に悩まされて逃げ出すどころじゃなかったじゃないか、との批判もある。

 何よりも、何故この時期に?という問題がある。ファッルージャからISを追い出すためにイラク軍が動き始めたのは、2月だ。昨年末にISから奪回したラマーディは、ファッルージャから西方40km足らず。ラマーディを攻略した勢いでファッルージャにもすぐにでも、という様子だったが、2月初めにファッルージャへの補給を断つ包囲戦を始めたあともなかなか手をこまねいていた。

 それがなぜ5月に一気に攻勢に出たのか? 国民や国際社会の目をIS叩きに向けなければならないような状況が、イラク内政にあったからだ。

【参考記事】イラク:前門のIS、後門の洪水

 そう、アバーディ政権の足元は、グラグラというより、蟻地獄さながらに崩れ落ちていっている。そのことを如実に示すのが、5月に入って繰り返し行われているサドル潮流による旧グリーンゾーン(現在はインターナショナル・ゾーンと呼ばれる、旧米軍管理地域)への乱入事件だ。その嚆矢となったのは4月30日の、サドル潮流が組織する大衆デモの暴徒化と、そのグリーンゾーンとそこにある議会庁舎への乱入である。ちょうどバイデン米副大統領がイラク訪問中だったこともあって、アバーディ首相の統治能力のなさを露呈する事件となった。

 だが、アバーディ内閣の混迷は、その前、4月から深刻化していた。もともとマーリキー政権の権力集中、党派政治を脱却して改革を進める、として1年10か月前に発足したアバーディ政権だったが、改革の成果はいつまでたっても目に見えない。シーア派宗教界からも、「改革をしっかり実施せよ」と厳しいお叱りを受けて、3月末に内閣改造を発表したのである。

 その内容は、彼なりの「派閥脱却人事」だった。当然、主要派閥はいっせいに総スカンの態度をとる。たとえば、あるクルド人を閣僚登用したところ、クルディスタン地方政府を仕切るクルディスタン民主党が、反発。いわく、「クルド人を起用するのはいいけど、うちらを通してもらわないとね」。



 アバーディの問題は、ここで「派閥をぶっこわす」と言い切れるほど、リーダーシップを発揮できないことだった。大御所たちににらまれて、つっぱれるほど周りに知恵者もいない。結局4月半ばには大派閥の意向を組んだ、派閥割振りの人事に妥協せざるを得なくなった。

 と、その途端にアバーディの足元を見た各派が、独自の行動に出る。アバーディに引きずりおろされたと怨み骨髄のマーリキー前首相派や、アバーディの「派閥脱却」路線を利用して発言力の拡大を図るサドル潮流。紛糾する議会の議論は、ペットボトルの投げ合いから取っ組み合いに発展、さらにはアバーディと彼の右腕のジュブーリ国会議長に反発する議員が、議会内で座り込みを始めた。サドル潮流が4月末に、支持者を率いて議会内になだれ込んだのは、「改革を阻み派閥政治に拘泥する座り込み議員に鉄槌を下す!」との名目だったのである。

 この混乱に手をつけられないアバーディが取ったのが、「国民と国際社会の目をISに向ける」という逃げ道だった。みんなの敵ISをやっつけてファッルージャを解放した、という手柄を喧伝して、弱い首相のイメージを払拭しようとした。

 しかし、払拭できたといえる状況では、到底ない。ファッルージャ攻撃自体が、新たな対立の火種を抱えている。それが、さらなる宗派対立ムードの蔓延だ。

 その根幹にあるのが、ファッルージャ作戦を始めとしてIS対策に登用されている「人民動員機構」がシーア派義勇兵を中心に組織されている、という認識であり、さらにはその背景にはイランの革命防衛隊などシーア派の武装組織がある、との認識である。

【参考記事】ISIS処刑部隊「ビートルズ」最後の1人、特定される

 それは、イラク国内のスンナ派の間でというより、湾岸諸国やヨルダンなど、スンナ派のアラブ諸国の間で、強い。イラク国営放送や政府高官は「人民動員機構はシーア派民兵だけじゃない、スンナ派の、現地の部族集団も参加して中心になって戦っている」と、主張するのだが、アルジャジーラ衛星放送は「ファッルージャ攻撃に際してシーア派兵士たちが宗派蔑視的なスローガンを声高に叫んでいた」とか、「革命防衛隊やヒズブッラーなど、露骨なシーア派勢力が攻撃を先導していた」などと、作戦の宗派偏向性を批判する報道を繰り返している。

 メディアだけではない。ツイッターなどのSNSでも、ファッルージャ作戦について、宗派意識をあからさまにした意見が交わされている。「ファッルージャの人々は人民動員機構に街を解放してもらって、歓迎しているはずだ」とシーア派支持派がツイートする一方で、「政府軍の攻撃によって、スンナ派の家族へのジェノサイドが進行中だ」とスンナ派支持者がつぶやく。「裏切りと陰謀のファッルージャ」に報復するのだと、シーア派がツイートしたかと思えば、作戦を「ミナレットの街とまで言われた信仰熱心なファッルージャの街」が、「憎むべきサファヴィー朝(=イラン)による襲撃」を受けた、とスンナ派が嘆く。

 政権をどう立て直すかも手の施しようがないが、自制もなく宗派意識をむき出しに他宗派を罵る、宗派意識の深化はさらに深刻だ。ISがいなくなったとしても、その残した遺恨は、図りなく大きい。

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