<「記憶の風化が深刻」と言われ、天安門事件の追悼運動が下火になってきている。かつてはこの追悼運動が、そしてネットの普及と住民運動の広がりが、中国を変えていく原動力になると期待されていた。中国社会は今どこに向かおうとしているのか> (天安門広場で写真撮影、2016年3月)
「天安門事件の記憶の風化は深刻です。今、追悼運動は正念場を迎えています」
天安門事件27周年を迎えた6月4日、日本のテレビニュースで流れていた言葉だ。思えばここ数年、6月4日を迎えるたびに同じフレーズを聞いているようだ。今や中国で天安門事件を知らない若者も珍しくはない。天安門事件の追悼運動は一体どうなってしまったのか。
5日、東京の四谷区民ホールで「六四天安門事件27周年記念集会」が開催された。天安門事件の学生リーダーである王丹氏が講演したこともあってか、400人の聴衆を集め、会場はほぼ満員となった。
【参考記事】天安門事件から27年、品性なき国民性は変わらない
講演は天安門事件からその後の王丹氏の歩みまでを語る内容だったが、正直に言うと、やや退屈に感じた。というのも、王丹氏は2012年にも日本で講演会を開いている。私はその時も参加したが、この4年間で話の内容にほとんど変化がなかったからだ。ただ、この退屈さは王丹氏の責任ではないだろう。
「天安門事件の記念集会は、たんなる昔話ではなく中国を変えていく原動力となる」――この思いがあったからこそ天安門事件とその追悼運動はビビッドな政治問題となりえた。特に2000年代からは、インターネットの普及や市民意識の高まりによって中国社会が変化するという期待が高まるなかで、追悼運動が熱を帯びたという側面もあった。しかし今、その期待は次第に薄れつつある。
【参考記事】天安門事件、25周年
海外留学した中国人学生ですら天安門事件を知らない
香港メディア・端伝媒が4日、興味深い動画を掲載している。「自由世界の中国人留学生たちは天安門事件をどのように見ているのか?」とのタイトルで、ロンドン、ニューヨーク、台北、香港に留学した中国人留学生30人あまりのインタビューをまとめたものだ。
厳しい検閲下にある中国本土を離れた若者たちが事件をどう捉えているかを聞いたものだが、なんと3分の2が天安門事件について知らないか、ほとんど知識を持っていなかったという。「こどもの日(中国では6月1日)の3日後?」「端午の節句でしょ?」「うーん、政治と関係がありそう」などと無邪気に話す若者たちの姿はなかなか衝撃的だ。
何が衝撃的かといえば、海外に留学した人間までもが知らないという点である。海外に出れば関連する報道を目にしたり、おしゃべりの話題に上がったりしても不思議ではないはずだろうに、という驚きだ(一方、中国国内の大学生が知らないという話だともはや衝撃ですらない)。
2000年代後半は、状況はまったく違っていた。というのも、当時のインターネットは「とんがったツール」であり、体制批判や政府が禁止している情報がネットユーザーの人気コンテンツ。天安門事件関連の情報や映像も興味をひく題材だったからだ。当時、中国の大学に留学していた私は中国人学生にこうしたコンテンツをこっそり見せてもらうこともしばしばだった。
このままネットの普及率が上がっていけば中国社会の雰囲気が変わるのではないかと期待されていたわけだが、普及率とともに変わったのは"社会"ではなかった。"ネット"が変化し、政治とは無関係の娯楽コンテンツがヒットコンテンツの座を奪ったのだ。とんがったツールからマスのツールへと変化する中で、ネットコンテンツの主流が変わっていく。
【参考記事】4.3億回、中国人に再生された日本人クリエイター
この変化は中国だけでなく日本でも同じだ。日本にもかつてあったネットへの過剰な期待を覚えている方は、中国の変化も腑に落ちるのではないだろうか。
住民運動への期待感もしぼみ、地域エゴの発露に
ネットと並んで、中国社会の変化をもたらすと期待されたのが住民運動だった。大気汚染や食品安全など身近な問題に関する住民運動が多発すれば、それはやがて市民意識の芽生えにつながっていく。最初は自分たちの身近な問題から始まるが、やがて国単位の問題へと意識が向かい、天安門事件に対する謝罪や遺族への賠償を政府に求めていくような力になっていくのではないか。中国を民主化へと向かわせる原動力になるのではないか。こうした期待が高まっていた。
王丹氏も例外ではない。2012年の講演では、直前に四川省什邡市で環境デモがあった。銅モリブデン精製工場の建設に反対し、まず若者がデモを起こしたが警察が暴力的に鎮圧。それに怒った市民数千人が大規模な抗議行動を起こしたという事件で、最終的に工場建設は撤回された。中国が変わるきざしかもしれないと王丹氏は高く評価していたことを記憶している。
しかし、住民運動に対する期待感もしぼみつつあるのが現状だ。什邡市の後にも、ゴミ焼却場、火葬場、発電所などの建設に反対する抗議デモは多発しているが、市民意識の芽生えというよりも地域エゴの発露という傾向が強い。
例えば、2015年6月には四川省広安市隣水県で数万人が参加する大暴動が起きたが、高速鉄道建設計画の改定により同県が路線から外されるとの噂が発端だった。高速鉄道開通による不動産価格上昇を見込んでいたのに、大損をこいてしまうという怒りが暴動を引き起こしたのだ。
また、今年春には浙江省や湖北省の複数都市で数千人規模の抗議デモが起きているが、これは貧困地域の支援策として「大学入学枠」を東部から中西部に譲渡するという中国政府の計画に反発したものだ。
もともと中国の大学入試制度はいびつで、大学がたくさんある東部地域は入学枠が多く、中西部地域は入学枠が少ない。結果として、同じ学力ならば裕福な東部地域の学生のほうがいい大学に入学できる仕組みとなっている。このいびつな仕組みを是正しようとしたところ、「うちの子が大学に入れなくなるかもしれない」と反発を受けたというわけだ。身近な問題から次第に大きな公共の問題へと関心が向かうどころか、逆に地域エゴが強化されている印象すら受ける。
天安門事件の追悼運動はどこへ向かうのか
2000年代に高まった期待は空振りに終わり、天安門事件の"記憶の風化"は今や一線を越えたかのように思える。知識として天安門事件について知っていても、今の豊かな社会が実現したのだから中国共産党のやり方は正しかったと考える若者すらいる。八方ふさがりに見える状況で天安門事件の追悼運動はどこへ向かうのだろうか。
あるいは、この状況に一番自覚的なのは王丹氏かもしれない。5日の集会では「これは過去の話」「私の前半生を紹介してきたが、後半生はより素晴らしいものにしたい」と話していた。台湾で教鞭をとる王丹氏は、学生たちに市民運動の重要性を説き続けているという。学生たちの目的や認識がたとえ間違っていようとも、社会に参与しようと試みる行為そのものは称賛するべきだと訴えていた。
記憶を伝えるのではなく、社会と向き合う態度やその重要性を伝えることに情熱を燃やす王丹氏に今後の可能性を感じた。
[筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。
高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)
「天安門事件の記憶の風化は深刻です。今、追悼運動は正念場を迎えています」
天安門事件27周年を迎えた6月4日、日本のテレビニュースで流れていた言葉だ。思えばここ数年、6月4日を迎えるたびに同じフレーズを聞いているようだ。今や中国で天安門事件を知らない若者も珍しくはない。天安門事件の追悼運動は一体どうなってしまったのか。
5日、東京の四谷区民ホールで「六四天安門事件27周年記念集会」が開催された。天安門事件の学生リーダーである王丹氏が講演したこともあってか、400人の聴衆を集め、会場はほぼ満員となった。
【参考記事】天安門事件から27年、品性なき国民性は変わらない
講演は天安門事件からその後の王丹氏の歩みまでを語る内容だったが、正直に言うと、やや退屈に感じた。というのも、王丹氏は2012年にも日本で講演会を開いている。私はその時も参加したが、この4年間で話の内容にほとんど変化がなかったからだ。ただ、この退屈さは王丹氏の責任ではないだろう。
「天安門事件の記念集会は、たんなる昔話ではなく中国を変えていく原動力となる」――この思いがあったからこそ天安門事件とその追悼運動はビビッドな政治問題となりえた。特に2000年代からは、インターネットの普及や市民意識の高まりによって中国社会が変化するという期待が高まるなかで、追悼運動が熱を帯びたという側面もあった。しかし今、その期待は次第に薄れつつある。
【参考記事】天安門事件、25周年
海外留学した中国人学生ですら天安門事件を知らない
香港メディア・端伝媒が4日、興味深い動画を掲載している。「自由世界の中国人留学生たちは天安門事件をどのように見ているのか?」とのタイトルで、ロンドン、ニューヨーク、台北、香港に留学した中国人留学生30人あまりのインタビューをまとめたものだ。
厳しい検閲下にある中国本土を離れた若者たちが事件をどう捉えているかを聞いたものだが、なんと3分の2が天安門事件について知らないか、ほとんど知識を持っていなかったという。「こどもの日(中国では6月1日)の3日後?」「端午の節句でしょ?」「うーん、政治と関係がありそう」などと無邪気に話す若者たちの姿はなかなか衝撃的だ。
何が衝撃的かといえば、海外に留学した人間までもが知らないという点である。海外に出れば関連する報道を目にしたり、おしゃべりの話題に上がったりしても不思議ではないはずだろうに、という驚きだ(一方、中国国内の大学生が知らないという話だともはや衝撃ですらない)。
2000年代後半は、状況はまったく違っていた。というのも、当時のインターネットは「とんがったツール」であり、体制批判や政府が禁止している情報がネットユーザーの人気コンテンツ。天安門事件関連の情報や映像も興味をひく題材だったからだ。当時、中国の大学に留学していた私は中国人学生にこうしたコンテンツをこっそり見せてもらうこともしばしばだった。
このままネットの普及率が上がっていけば中国社会の雰囲気が変わるのではないかと期待されていたわけだが、普及率とともに変わったのは"社会"ではなかった。"ネット"が変化し、政治とは無関係の娯楽コンテンツがヒットコンテンツの座を奪ったのだ。とんがったツールからマスのツールへと変化する中で、ネットコンテンツの主流が変わっていく。
【参考記事】4.3億回、中国人に再生された日本人クリエイター
この変化は中国だけでなく日本でも同じだ。日本にもかつてあったネットへの過剰な期待を覚えている方は、中国の変化も腑に落ちるのではないだろうか。
住民運動への期待感もしぼみ、地域エゴの発露に
ネットと並んで、中国社会の変化をもたらすと期待されたのが住民運動だった。大気汚染や食品安全など身近な問題に関する住民運動が多発すれば、それはやがて市民意識の芽生えにつながっていく。最初は自分たちの身近な問題から始まるが、やがて国単位の問題へと意識が向かい、天安門事件に対する謝罪や遺族への賠償を政府に求めていくような力になっていくのではないか。中国を民主化へと向かわせる原動力になるのではないか。こうした期待が高まっていた。
王丹氏も例外ではない。2012年の講演では、直前に四川省什邡市で環境デモがあった。銅モリブデン精製工場の建設に反対し、まず若者がデモを起こしたが警察が暴力的に鎮圧。それに怒った市民数千人が大規模な抗議行動を起こしたという事件で、最終的に工場建設は撤回された。中国が変わるきざしかもしれないと王丹氏は高く評価していたことを記憶している。
しかし、住民運動に対する期待感もしぼみつつあるのが現状だ。什邡市の後にも、ゴミ焼却場、火葬場、発電所などの建設に反対する抗議デモは多発しているが、市民意識の芽生えというよりも地域エゴの発露という傾向が強い。
例えば、2015年6月には四川省広安市隣水県で数万人が参加する大暴動が起きたが、高速鉄道建設計画の改定により同県が路線から外されるとの噂が発端だった。高速鉄道開通による不動産価格上昇を見込んでいたのに、大損をこいてしまうという怒りが暴動を引き起こしたのだ。
また、今年春には浙江省や湖北省の複数都市で数千人規模の抗議デモが起きているが、これは貧困地域の支援策として「大学入学枠」を東部から中西部に譲渡するという中国政府の計画に反発したものだ。
もともと中国の大学入試制度はいびつで、大学がたくさんある東部地域は入学枠が多く、中西部地域は入学枠が少ない。結果として、同じ学力ならば裕福な東部地域の学生のほうがいい大学に入学できる仕組みとなっている。このいびつな仕組みを是正しようとしたところ、「うちの子が大学に入れなくなるかもしれない」と反発を受けたというわけだ。身近な問題から次第に大きな公共の問題へと関心が向かうどころか、逆に地域エゴが強化されている印象すら受ける。
天安門事件の追悼運動はどこへ向かうのか
2000年代に高まった期待は空振りに終わり、天安門事件の"記憶の風化"は今や一線を越えたかのように思える。知識として天安門事件について知っていても、今の豊かな社会が実現したのだから中国共産党のやり方は正しかったと考える若者すらいる。八方ふさがりに見える状況で天安門事件の追悼運動はどこへ向かうのだろうか。
あるいは、この状況に一番自覚的なのは王丹氏かもしれない。5日の集会では「これは過去の話」「私の前半生を紹介してきたが、後半生はより素晴らしいものにしたい」と話していた。台湾で教鞭をとる王丹氏は、学生たちに市民運動の重要性を説き続けているという。学生たちの目的や認識がたとえ間違っていようとも、社会に参与しようと試みる行為そのものは称賛するべきだと訴えていた。
記憶を伝えるのではなく、社会と向き合う態度やその重要性を伝えることに情熱を燃やす王丹氏に今後の可能性を感じた。
[筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。
高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)