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ヒラリーを「歴史的」勝利に導いた叩かれ強さ

ニューズウィーク日本版 2016年6月10日 19時10分

<二大政党では初の女性候補となったヒラリー。7日の勝利演説では、本選を意識してトランプに辟易する共和党支持層にラブコールを送った>

 6月7日のヒラリー・クリントンの勝利宣言は、アメリカの歴史に残る瞬間だった。

 ニュージャージー、サウスダコタ、ニューメキシコ、カリフォルニア各州の予備選で勝利したヒラリーが特別代議員を含むマジックナンバー(過半数)と、特別代議員を含まない過半数のどちらも達成し、民主党の候補指名を確実にした。アメリカで女性が初めて選挙権を得てから95年、二大政党では初めての女性候補が誕生した。

 ヒラリーの勝利宣言スピーチも、その点を重視した。「今夜の勝利は、1人のものではありません。この瞬間を可能にするために戦い、犠牲になった何世代にもわたる女性と男性が勝ち取ったものです。」と、1848年にニューヨークで始まった女性人権運動に言及し、歴史的な達成を分かち合った。

 しかし、ヒラリーがこの勝利を心から喜べない出来事もいくつかあった。

 一つは、予備選前夜のことだ。

【参考記事】トランプ正念場、共和党の巨大スポンサー・コーク兄弟のご機嫌伺いへ

 今回の予備選では、サンダース陣営は「選挙が始まる前からヒラリーが有利になるようなシステムだ」と、民主党の既存の政治家が占める特別代議員のシステムを強く批判してきた。

 ゆえにヒラリー陣営は、特別代議員を含めた獲得数で勝つのは避けたいと考えていた。サンダース陣営からの批判の余地がなくなるよう、7日の予備選で特別代議員を除いた代議員数全体の過半数を獲得して、それから勝利宣言をする計画を立てていた。

 4日のバージン諸島と5日のプエルトリコの予備選で勝利したヒラリーの代議員数は、特別代議員を含めた過半数達成まで約20と迫っていた。ところが大事な予備選前日に、特別代議員の何人かがヒラリー支持を明らかにし、過半数を獲得してしまった。

 AP通信がそれを報じたため、あっという間に大騒ぎになった。

 サンダース支持者はSNSで「明日の選挙に影響させようというヒラリー陣営の仕業」と怒ったが、このニュースを苦々しく思っていたのはむしろヒラリー陣営の方だ。

 前日に「勝利」を宣言されてしまったら、安心して投票しない有権者がいるかもしれない。このニュースを受けたヒラリー陣営の公式ツイートが「APへ。光栄だけれど、予備選に勝たなくてはならないので。カリフォルニア、モンタナ、ニューメキシコ、ノースダコタ、ニュージャージー、サウスダコタ、明日は投票を!」という生ぬるい反応だったのは、そんな理由からだ。

 選挙を予測するプロたちも、このニュースには困惑した。ヒラリー支持者が安心して投票しなくなるか、サンダース支持者が諦めて投票しないか、まったく予測できないので数字に反映しようがない。

 結果的には、人口動態統計を使った予測の数字に近い結果が出たので、ニュースはあまり影響しなかった。だが、ヒラリーにとっては頭を抱える出来事だった。



 2つ目は、ライバルのサンダースの行動だ。

 ヒラリーは、特別代議員を含めた数、含めない数、得票数、勝利した州の数、それらすべてでサンダースに勝っている。2008年にオバマがヒラリーに勝った時はもっと接戦だった 。つまり、通常なら文句の付けようのない勝利だ。

 通常は、勝利宣言の後で勝者が敗者に電話をし、敗者は「concession speech(敗北宣言)」をする。ヒラリーが勝利宣言でサンダースの健闘とメッセージを讃えたように、サンダースもヒラリーを祝福し、トランプという共通の敵を倒すために民主党を結束させる意思表明が期待された。

 ところが、その夜のサンダースのスピーチは「敗北宣言」ではなかった。前半でトランプを攻撃したものの、後半は7月の党大会までは撤退の意思がないことを明らかにした。(編集部注:サンダースは9日、オバマと会談後に、本選に向けてヒラリーと協力する意思を表明)

 ヒラリーにとって民主党の候補指名を受けるのは、長年夢見た歴史的瞬間だ。アメリカで女性が初めて参政権を得た憲法修正第19条が可決した日に生まれたというヒラリーの母親は、生きていたらこの3日前に97歳の誕生日を迎えていたはずだった。「母がここにいたら......」というヒラリーの言葉に、つい涙ぐんだ人は少なくないだろう。ヒラリーや彼女の支持者だけでなく、アメリカにとっても重要な出来事だった。だがサンダースは、祝福の言葉をかけるどころか、「まだ勝敗は決まったわけではない」という態度で答えた 。

 ヒラリーの支持者たちはネットでサンダースやサンダースの支持者への憤りを書き連ねたが、ヒラリーとヒラリー陣営は静かなものだ。

【参考記事】ヒラリー・クリントン、トランプに利用されかねない6つのスキャンダル

 これは、何十年も共和党やメディアから叩かれ続けたヒラリーが編み出した「戦略」でもある。

 08年のオバマとヒラリーの戦いは泥沼化し、候補者と支援者が憎みあい、予備選が終わった後も心の傷が残った。ヒラリーが敗北宣言をしたとき、彼女の支持者の22%は「(本選では)投票そのものをしない」と答え、17%は「(共和党候補の)マケインに投票する」と答えた 。ヒラリーは、今年の予備選でも同じことが起きることを予期していた。4月26日のペンシルバニア州予備選での出口調査では、ヒラリーが候補になった場合に「投票しない」と答えたサンダース支持者は14%だったが、その頃よりもソーシャルメディアの攻撃は悪化しているので、「ヒラリーには絶対に投票しない(#NeverHillary)」と宣言するサンダース支持者は現時点ではもっと多いかもしれない。

 ニューヨークで圧勝し、翌週にペンシルバニア、メリーランド、デラウェア、コネティカットを押さえて勝利をほぼ確実にした時点で、ヒラリーは政策の違いを含むサンダースへの攻撃をやめた。そして、ソーシャルメディアや選挙集会でサンダース支持者が妨害しても、非難したり反撃したりすることはなかった。

 それはサンダースの支持者を敵に回したくないからだ。本選では、彼らの支援が必要になる。2008年予備選の失敗から学んだヒラリーは、2016年にはどんなに叩かれても過剰に叩き返さないという戦略を立てた。

 08年に「オバマには投票しない」と答えた39%のヒラリー支持者を説得するのに尽力したのは、当時DNC(民主党全国委員会)の会長だったハワード・ディーンだ。彼は「熱狂的な10%のサンダース支持者以外は、最終的にはヒラリーに投票するだろう」と楽観視している 。だが、ヒラリーは決して楽観視しないだろう。特別代議員の動向を伝えたAPの報道のように、綿密な計画を台無しにする出来事は起こり得るからだ。



 今年の予備選では、不満、怒り、憎しみを原動力にしたトランプとサンダースの支持者の暴力行為が目立ったが、ヒラリーは勝利宣言でこう語った。

「私たちは、対立よりも協力のほうが良いと信じています。分裂より団結、憤りより勇気づけること、壁よりも橋のほうがいいと信じているのです。」

「偉大であるためには、卑小であってはなりません。アメリカを定義する価値観と同じくらい私たち国民も寛容でなくてはならないのです。アメリカは、心が広く、公正な国です。私たちは子供たちに『神のもとに統一され、全ての人々に自由と正義が約束された不可分の国(学校や公式行事で使われる「忠誠の誓い」の一部)』と教えます。けれども、今回の選挙は、これまでのような共和党対民主党というお決まりのものではありません。この選挙は異なります。アメリカとはどんな国なのかを決めるものであり、何百万ものアメリカ人が一体になるものです。私たちは(メキシコ人やイスラム教徒を差別するトランプより)まさっているはずです」

 このヒラリーの演説は、人種、宗教、社会経済的背景、性別、性的指向などにかかわらず、アメリカがすべてのアメリカ人にとっての国であることを呼びかけるものであり、トランプやサンダースより大統領としての威厳と説得力があった。

 ここでも明らかなのは、トランプに辟易している共和党員へのラブコールだ。トランプが共和党野候補指名を確実にした日、ツイッターで #RepublicanForHillary というハッシュタグがトレンドになった。そこには「女性蔑視の人種差別者に投票なんかできない」という意見が目立った。ヒラリー陣営は、そういった人々にも「アメリカを誇れる国に保とう」と呼び掛けている。

 また、「The View」というテレビ番組でヒラリーが冗談まじりに語っていたが、彼女の強みは「面の皮が厚いこと」である。

 トランプもサンダースも、他人からの批判に過敏だ。トランプは、批判されたら倍返しをする。相手がローマ法王であっても。また、サンダースは、レポーターの質問が気に入らないときに、短気になったり 、その場を立ち去った りすることがある。

 女性のヒラリーが同じことをしたら、トランプやサンダースのように簡単に見逃してはもらえない。長年の経験でそれがわかっているヒラリーは、「女性差別だ!」と文句を言うかわりに面の皮を厚くするトレーングをしたのだ。

 トランプ人気を懸念する人は多いが、ヒラリー自身はトランプが対戦相手になったのを喜んでいるという見方もある。これまでは対戦相手のサンダースを腫れ物のように扱ってきたが、トランプが相手なら遠慮なく攻撃できる。

 暴言を繰り返しているが、実はプライドが高く傷つきやすいトランプは、何十年もあちこちからバッシングを受け、倒れ、起き上がってきたヒラリーより精神的に弱い。本選の討論では、トランプが冷静さを失って暴言や揶揄で反論するだろう。共和党のディベートではそれが有効だったが、予備選と本選はまったく異なるゲームだ。

 本選では、国民は候補に「大統領らしさ」を求めるものだ。ヒラリーとの一騎打ちとなったトランプは、予想以上に早く崩れ始めるかもしれない。

<ニューストピックス:【2016米大統領選】最新現地リポート>

≪筆者・渡辺由佳里氏の連載コラム「ベストセラーからアメリカを読む」≫

渡辺由佳里(エッセイスト)

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