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銃乱射事件を政治問題化するトランプの苦境 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2016年6月14日 15時0分

<トランプ大学をめぐる詐欺訴訟で担当判事への差別発言を繰り返し、共和党内からも批判を浴びて追い込まれていたトランプ。今回の銃乱射事件を反撃のチャンスと見たのか、「イスラム系移民の停止」「銃規制反対」といったオバマ、ヒラリーへの対決姿勢を盛んにアピールしている>

 フロリダ州オーランドにあるゲイ向けナイトクラブ「パルス」で、週末12日の現地時間午前2時すぎに発生した銃撃事件では、49人の死亡者に加えて53人の負傷者が出ています。銃を使った乱射事件としては米国史上最悪の事件となりました。

 ナイトクラブでは当時、「ラティーノ・ナイト」というイベントを開催中で、ヒスパニック系の人々が多く集まっていました。犠牲者にはプエルトリコ系の人が目立っているそうです。一夜明けた全米のLGBT(性的少数派)コミュニティには、衝撃と悲しみが走っています。

 事件から一夜明けた13日には、ちょうどアップル社が「開発者会議(WWDC)」を開催していましたが、会議の冒頭でティム・クックCEOは、「多様性への祝福」を訴えながら、今回の事件で犠牲になった人々に対する黙祷を呼びかけていました。普段は感情を表に出さないキャラクターで有名なクック氏ですが、この黙祷に際してはメガネの奥の涙を拭っており、その姿が共感を呼びました。

【参考記事】銃乱射はテロか憎悪か、思い当たり過ぎるフロリダの闇

 狙撃犯はオマル・マティーン容疑者(29歳)で、現場での警察との銃撃戦の結果、射殺されています。アメリカ生まれのアメリカ市民で、警備会社に勤務する民間のガードマンでした。業務上、銃器の扱いには慣れており、相当な訓練もしていたようです。

 既に父親がテレビでのインタビューに応じていますが、この父親セディーク・マティーンはアフガニスタン出身。過去には母国の大統領選に出馬するという話もあったような大物だそうです。また、タリバンに人脈があり、フロリダ在住ですがワシントンの政治家や国務省などと頻繁に接触していた人物だという報道もあります。

 その父親の証言によれば、マティーンは数年前に「自分の目の前で男同士がキスをしているのを見て激昂した」ことがあり、それが凶行の遠因になったのかもしれないと父親は話しています。また、DVや同僚への暴言の履歴があるなど、異常性を抱えた人物でもあったようです。

 事件現場周辺では負傷者への治療が続き、同時にまだ犠牲者の特定も完了していません。49人の犠牲者という悲劇の重みを考えると、アップルのクック氏のように黙祷するしかない、それが常識と思います。そんな状況下、この13日の月曜は一日中、この事件が「大統領選の争点」であるかのように扱われました。



 というのは、他でもないドナルド・トランプ候補が激しい勢いで、事件を政治問題化しているからです。トランプは、事件当日の12日からツイートで攻勢を開始し、13日の午前中にはテレビ各局の電話インタビューを受けると共に、午後にはニューハンプシャー州で支持者を集めたスピーチを行って全米に中継させています。

 その内容ですが、かねてから言っていた「イスラム教徒の移民受け入れ停止」という政策を「即時実施する」という主張が一つ、そしてオバマ大統領とヒラリー・クリントン候補が示唆している「銃規制」を完全に否定するというものです。とにかく、事件をチャンスと捉えて「一気に政治的な攻勢をかけよう」という姿勢は明らかです。

 トランプは、ここ数週間苦境にありました。自分の詐欺まがいのビジネス(トランプ大学)が多くの被害者から告訴され、その訴訟を担当する連邦判事を「ヒスパニック系」だと露骨に差別する暴言を繰り返した結果、共和党の政治家たちから激しい批判を浴びていたからです。

 トランプにとって、この事件は形勢をひっくり返す「チャンス」なのは間違いないでしょう。まず移民問題に関しては、今回の狙撃犯が「アメリカ生まれ」であることはまったくのお構いなしで、「父親も怪しい。とにかくイスラム系の移民は即時停止。シリアからの難民を受け入れるというオバマとヒラリーはアメリカを危険に陥れる存在だ」と徹底的にまくし立てています。

【参考記事】史上最悪の銃乱射、トランプが「イスラム入国禁止」正当化

 また銃規制に対しても激しく反発しており、「事件現場に銃があったら、こんなに死なずに済んだ」という、乱射事件が起きるたびにNRA(全米ライフル協会)が口にする主張を繰り返すばかりか、「銃規制とは善人から銃を取り上げることだ。そうなれば銃を保有するのは悪人ばかりになる」とまで言っています。

 これに対してヒラリーは、「今日という日に問題を政治化したくない」としながらも、トランプの攻勢に対しては反撃しないわけにはいきません。ヒラリーは、オハイオ州のクリーブランドで演説して「銃規制」と「イスラム差別レトリックを許さない」という点を強調し、徹底的に対決する姿勢を見せています。

 この問題は今後どのように展開するのでしょうか? まず民主党ですが、大統領選で銃規制を争点にするのは困難が伴います。というのは、中西部の山岳地帯や大平原を中心に民主党支持者の中にも銃保有者は多数存在するからです。そのためにこの8年間、オバマ政権は決して銃規制に積極的にはなれなかった経緯があります。またヒラリーの場合、特に8年前の「ヒラリー対オバマ」の熾烈な予備選の際に「銃はアメリカの心」だと主張して銃保有者の支持を獲得しようとしたことがあるのです。



 また、今回の予備選に関して言えば、バーニー・サンダース候補は左派の理想主義者というイメージが強いですが、バーモント州という山間部を地盤とするサンダースは、実は「NRAの穏健な支持者」でもあります。とにかく一筋縄では行かない問題なのです。

 例えば今回の事件を契機として、「アサルトライフルと多弾装マガジンの規制」という一点に絞ってでも、民主党サイドとしての「意見統一」ができるかどうかが一つのポイントになると思います。

 一方でトランプ陣営は、当面は共和党内の批判を「かわした」格好になる可能性が出てきました。というのは、「移民排斥」はともかく「銃規制反対」というのは、共和党保守派の共感を得やすいテーマだからです。実はここ数週間、共和党の主流派には、あらためて「トランプ外し」の可能性が模索されていたのですが、それは難しくなったと見るべきでしょう。

 今回の事件は、犠牲者を悼んで喪に服すどころか、即座に政治問題化されてしまいました。そのこと自体に強い違和感を覚えざるを得ません。

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