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欧州ホームグロウンテロの背景(1) 現代イスラム政治研究者ジル・ケペルに聞く

ニューズウィーク日本版 2016年6月15日 15時48分

 論壇誌「アステイオン」84号(公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会編、CCCメディアハウス、5月19日発行)は、「帝国の崩壊と呪縛」特集。同特集から、朝日新聞論説委員である国末憲人氏による現代イスラム政治研究者ジル・ケペルのインタビュー「欧州ホームグロウンテロの背景」を4回に分けて転載する。 6月12日に米フロリダ州オーランドで悲惨なテロが起こったばかりだが、このところ注目を集めていたのはむしろ欧州で相次ぐテロだった。イスラム過激派による「ジハード」を3つの世代に分け、その思想や手法の違いを分析するケペル教授は、現状をどう見ているのか。

(写真は、研究室で語るジル・ケペル教授)

◇ ◇ ◇

 欧州でテロが止まらない。

 表現の自由を巡る論議を呼んだ風刺週刊紙『シャルリー・エブド』編集部襲撃事件、一三〇人の犠牲者を出したパリ同時多発テロ、ブリュッセルでの連続爆破テロといった大事件に限らない。銃や刃物による殺傷、警察やユダヤ教施設への襲撃など、イスラム過激派による攻撃が各国で相次いでいる。未遂に至っては、二〇一五年の一年間にフランスだけで十一件に達した。

 まるでテロが林立し、森となって市民社会を覆いかけているかのようだ。森はどこまで続いているか。出口に到達するまでにどれほどの犠牲が必要なのか。

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 個々の樹木しか目に入らない私たちに、森の地図を示してくれる人物として、ジル・ケペルに思い当たった。パリ政治学院で教授を務めるフランス人の現代イスラム政治研究者である。彼を研究室に訪ね、その言葉に耳を傾けつつ、テロを前に文明社会が歩むべき道を考えた。

ジハードの三つの波

 フランスで政治家やエリート官僚、企業経営者への登竜門となっているパリ政治学院の施設は、実存主義の拠点となったセーヌ左岸サンジェルマンデプレ界隈に点在する。ジル・ケペルの研究室も、その一角の閑静なアパルトマンに入居していた。

 ケペルは一九五五年パリに生まれ、ダマスカス留学、カイロ経法社会資料研究センター(CEDEJ)研究員、米コロンビア大学客員教授などを経て、二〇〇一年からここの教授を務める。『ジハード』『テロと殉教』『中東戦記』など多数の邦訳著書があり、『ニューヨーク・タイムズ』紙など英語メディアへの寄稿も多い。

 その手法は、徹底的な現場主義である。中東各国を頻繁に訪れ、欧州の移民街に足を運び、市民の声を記録する。二〇一〇年からの「アラブの春」以降は、その実像を追い求めて各国を回った。

「チュニジアに八回、エジプトに六回、リビアとイエメンには四回行きました。でも今はもう、大部分の場所に行けなくなってしまった。今行ったら、真っ先に処刑されますよ」

 イスラム過激派の主張を丹念に追い、その中に含まれる誇張や欺瞞を容赦なく指摘してきた彼を、過激派側も見逃しはしないだろう。

 彼のイスラム過激派研究は一九八〇年代初め、エジプトのサダト大統領を暗殺したジハード団への調査から始まった。「当時は『時間の無駄だ、そんな連中に将来なんかない』などと言われたものです」と、ケペルは苦笑する。中東を中心とするイスラム組織研究の傍ら、地元フランスの移民社会の実態調査にも取り組み、八七年に『イスラムの郊外』(未邦訳)を出版した。いったんは世俗化してパリ近郊に暮らす移民たちの間に再びイスラム教が浸透している実態を明らかにして、国内に衝撃を与えた。



 以後も彼は、中東とフランス国内とを並行して見つめ、両者のつながりを確認しつつ、研究を続けてきた。その過程で、世界二〇カ国の言語に訳されて注目を集めたのが、二〇〇〇年に出版された『ジハード』(邦訳・産業図書)である。フランスではその前の九〇年代半ば、アルジェリアの過激派組織「武装イスラム集団」(GIA)によるテロが相次いでいた。それまでの三〇年にわたるイスラム主義の軌跡を振り返った同書で、ケペルはこれらのテロを、過激派の「勃興の象徴」ではなく、逆に「衰退の現れ」と読み解いた。

「その時、確かにイスラム過激派の一つの波は去りました。でも、私はまだ、事態を理解していなかった。別の波が待っていたとわかったのは、後になってのことでした」

 米同時多発テロが起きたのは、その翌年である。勢いを失ったはずの過激派が、なぜこのように派手な動きに転じたのか。それは、イスラム過激派の第一波とは異なる波が起きたからだと、ケペルは考えた。この時期を「ジハード」(聖戦)の大きな転換点と認識する見方は過激派内部にもあることもわかってきた。

 こうした分析をもとに、ケペルは二〇〇八年『テロと殉教』(邦訳・産業図書)を発表し、「ジハード」を三つの世代に分類する見方をまとめた。アフガニスタンでの対ソ闘争からアルジェリアでの過激派の衰退に至る波を「第一世代」、その後台頭した「アル・カーイダ」を中心とする動きを「第二世代」とし、その後現在まで続く「イスラム国」などの活動を第三世代と位置づけたのである。

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第一、第二世代の興亡

 ケペルが「第一世代」と呼ぶジハードは、ソ連による一九七九年のアフガニスタン侵攻に抵抗した武力闘争を始まりとする。アフガン紛争には、アラブ各国から義勇兵「ムジャーヒディーン」が集まり、ソ連を相手に戦った。

 ゲリラ戦を指揮したのが、パレスチナ人の宗教指導者アブドッラー・アッザーム(一九四一 ‐ 八九)である。ヨルダン川西岸ジェニーン近郊に生まれ、ダマスカス、カイロ、アンマンでイスラム法の研究を重ねた後、パキスタンを拠点に対ソ闘争に携わった。敵との一切の交渉を拒否し、民間の犠牲も厭わない強硬姿勢で知られた。

 彼は、第一世代ジハードのイデオローグと見なされる。指導者としての立場から、第二世代を率いるオサーマ・ビン・ラーディン、第三世代の理論家アブー・ムスアブ・スーリーらとも親交を結んだ。最終的にパキスタンで暗殺された。

 第一世代ジハードは、対ソ戦略を念頭に置く米国や、地域大国イランの影響力拡大を恐れるサウジアラビアから、金銭面や技術面で援助を受けた。



「ソ連がアフガンから撤退し、さらに一九九一年にソ連が崩壊した時、ムジャーヒディーンたちは自分たちの戦いこそがソ連を倒したと思い込みました。米国やサウジから支援されたことなどすっかり忘れたのです。その後彼らは、新たな戦場を求めてエジプトやアルジェリア、ボスニア、チェチェンといった場所に転進し、地元の親欧米政権や元親ソ政権を相手に武装闘争を繰り広げました。自分たちの行為がイスラム教徒一般の支持を得られると信じてのことですが、大衆は付いて来ませんでした」

 ケペルによると、エジプトの「イスラム集団」が九七年にルクソールで起こした観光客襲撃事件などを最後に、第一世代のジハードは終わりを遂げた。

 第一世代の失敗を教訓として方針を見直したのが、第二世代ジハードの中心となった国際テロ組織「アル・カーイダ」である。指導者はオサーマ・ビン・ラーディンだが、その副官として理論を固めたのがエジプト人のアイマン・ザワーヒリー(一九五一 ‐ )だった。

 第一世代が領土の奪還を目的とし、目前の敵と戦ったのに対し、第二世代は遠くの敵、すなわち米国を標的に定めた。まず米国を攻撃することで、最終的に中東各地の親米政権を倒せると考えた。

「それは、ビリヤードと同じ発想です。一つの玉を突いて、他の玉を連鎖させる。驚くべきスペクタクルを演出して米国を突くことによって、その弱さを世界に知らしめ、各国の大衆をそれぞれの政府への攻撃に駆り立てようとしたのです」

 構想を実現させるには、自らの命を差し出す自爆テロリスト、彼らが言うところの「殉教者」を必要とする。自爆はもともと、殉教を信奉するイスラム教シーア派に息づいた攻撃手法で、アル・カーイダを構成するスンニ派には見られない発想だった。一九九三年にスンニ派で初めてこの手法を取り入れたのは、パレスチナ・ガザのイスラム組織「ハマース」である。ケペルによると、ザワーヒリーはシーア派やハマースのお株を奪い、「殉教」に基づく壮大なストーリーを描いた。自爆攻撃がイスラム世界の意識を喚起し、欧米を崩壊させ、世界を征服する、というのである。

 ただ、構想を実現させるために、アル・カーイダは情報機関に似た強固なピラミッド型組織を構築せざるを得なかった。これが逆に命取りとなったと、ケペルは考える。

「アル・カーイダの内部構造は、米中央情報局(CIA)やソ連国家保安委員会(KGB)と、基本的に同じです。トップのオサーマ・ビン・ラーディンが指令を発し、テロ実行者を現地に派遣する。米同時多発テロにあたっては、実行者が現地まで行くための航空券も、彼らが米国で入学した飛行機操縦学校の授業料も、組織が工面した。この手法は、全般的にお金がかかりすぎます。組織が大きいので、スパイにも潜入されやすい。第二世代ジハードは、確かに大きなインパクトを与えはしたものの、イスラム教徒の大衆を動員できないまま終わったのです」

【参考記事】アルカイダからISに「鞍替え」する世界のテロ組織

※第2回:欧州ホームグロウンテロの背景(2)


*本稿は二〇一五年一〇月二〇日に朝日新聞に掲載されたインタビューを元に大幅に加筆している。

[インタビュイー]
ジル・ケペル Gilles Kepel
1955年生まれ。パリ政治学院卒業。フランスの政治学者、専門はイスラム・アラブ世界。1994~96年米コロンビア大学などで客員教授。パリ政治学院教授としてイスラム・アラブ世界研究を率いる。著書に『イスラムの郊外――フランスにおける一宗教の誕生』(1987年)、『ジハード』(2000年)、『中東戦記――ポスト9.11時代への政治的ガイド』(2002年)、『テロと殉教』(2008年)など多数。

[執筆者]
国末憲人(朝日新聞論説委員) Norito Kunisue
1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局員、パリ支局長、GLOBE副編集長を経て論説委員(国際社説担当)、青山学院大学仏文科非常勤講師。著書に『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『イラク戦争の深淵』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)など。

※当記事は「アステイオン84」からの転載記事です。






『アステイオン84』
 特集「帝国の崩壊と呪縛」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス


国末憲人(朝日新聞論説委員)※アステイオン84より転載

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