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中国「黒人差別」の背景に約50年間のアフリカ蜜月あり

ニューズウィーク日本版 2016年6月16日 17時51分

<丸洗いしてまっさらな中国人に変身? 物議を醸した中国洗剤メーカーの「人種差別」CMに見る、長年の外交的蜜月でも拭えない「黒鬼」蔑視の現実> (写真:上海の洗剤メーカー「俏比」のCMは黒人差別と非難された)

 体にペンキの付いた黒人男性が中国人女性にキスをしようと迫る。彼女は男性の口に洗剤のカプセルを投げ込み、頭から洗濯機に押し入れてふたをする。しばらくすると、真っ白なシャツを着た中国人美男子が洗濯機から現れ、美女は大喜び──。

 こんなCMを流した上海の洗剤メーカーが人種差別と非難された。メーカー側は当初、「過剰反応」として真摯な対応を怠ったが、ついに放送中止に追い込まれ、謝罪で幕を閉じた。

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 実は、物議を醸したこのCMは中国とアフリカとの複雑な関係を物語っている。

 中国は58年末から積極的にアフリカに進出。戦略的にアメリカとソ連の影響が薄い地域に潜入し、欧米宗主国の「裏庭」獲得に成功していった。当時、植民地解放で独立したばかりのアフリカ各国も、共産主義国家の中国と熱心に国交を結んだ。中国は人民公社の公有化運動で自国民が3000万人以上餓死していたが、気前よく援助を続けた。64年に周恩来首相がエジプト、モロッコ、マリなどアフリカ10カ国を歴訪し、「対外経済技術援助の8原則」を発表する。

 そこでは「援助は平等互恵の原則に基づく」建前の下、「被援助国の主権を尊重し、いかなる条件も課さない」「被援助国の負担を減らすため、必要なら償還期間を延長する」「被援助国が自力更生で独立発展できるよう支援する」とうたわれた。

 また、「援助プロジェクトはできるだけ少ない投資で効果の上がるものとする」ため、「中国は自国で生産できる最高水準の品質の設備と資材を被援助国に提供」「被援助国の要員が技術を十分習得することを保証」する。その代わり、「中国人専門家は被援助国の専門家と同じ待遇を受ける」と定められた。

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 中国は最初、中小規模のプロジェクトで病院を建設し、井戸を掘り、水道と電気を整備する援助に徹した。60年代の中国では「タンザニアを行くチャイナの医療チーム」という歌がはやった。やがて非同盟国のエジプトでもソ連と共にアスワンハイダム建設に着手。タンザニアとザンビアを結ぶ全長1860キロのタンザン鉄道を敷設し、軍事協力に踏み切った。

 あるアフリカ人の専門家によると、中国は55年から77年までに、アフリカ諸国に軍事機器類142万ドル相当を売却したという。



 中国は国家戦略上アフリカ外交を重視し、「非洲(アフリカ)の兄弟」も中国を応援した。孤立状態だった毛沢東政権に71年に国連の中国代表権が承認されたのも、大票田アフリカからの政治的支援が得られたからだ。

差別で嫌中化する留学生

 中国は政治的利益から外交を重視するが、相手国の文化や歴史を研究する姿勢に欠ける。半世紀以上アフリカ諸国と交流を重ねても、一般の中国人は常に黒人に差別的な目を向ける。

 私が80年代に北京で大学生活を送っていた頃、中国語を学ぶ外国人留学生を受け入れる北京語言学院(現・北京語言大学)の学生はほとんどがアフリカ人留学生だった。「アフリカのために人材を育成する」とのスローガンの下で受け入れた学生に対して、「あいつらは黒鬼(ヘイクイ)だ」と公言してはばからない中国人が多かった。21世紀に入るまでに中国は約1万5000人ものアフリカ人留学生を迎えたが、中国で差別を受けた彼らの大半は嫌中意識を抱いて帰国する。

 近年もアフリカ人の中国在住者は増える一方だ。最も多い広東省では30万人以上が暮らす。ナイジェリアやアンゴラなどの人々が独自にコミュニティーを形成してビジネスを展開する。

 国際結婚を生活改善と立身出世の手段の1つと考える中国人女性も多いが、今でもアフリカ人と中国人との子供は「二黒鬼」と差別されている。在住者の9割以上を占めるといわれる不法滞在者の増加で治安は悪化し、差別も助長されている。

 黒人を洗濯して中国人に改造するという心理も、こうした背景から生まれたのだろう。

[筆者]
楊海英(Yang Haiying)
本誌コラムニスト
静岡大学教授。モンゴル名オーノス・チョクト(日本名は大野旭)。南モンゴル(中国内モンゴル自治区)出身。司馬遼太郎賞を受賞。著書に『日本陸軍とモンゴル』など。

[2016.6.21号掲載]
楊海英(本誌コラムニスト)

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