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欧州ホームグロウンテロの背景(3) 現代イスラム政治研究者ジル・ケペルに聞く

ニューズウィーク日本版 2016年6月17日 16時20分

 論壇誌「アステイオン」84号(公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会編、CCCメディアハウス、5月19日発行)は、「帝国の崩壊と呪縛」特集。同特集から、朝日新聞論説委員である国末憲人氏による現代イスラム政治研究者ジル・ケペルのインタビュー「欧州ホームグロウンテロの背景」を4回に分けて転載する。 6月12日に米フロリダ州オーランドで悲惨なテロが起こったばかりだが、このところ注目を集めていたのはむしろ欧州で相次ぐテロだった。イスラム過激派による「ジハード」を3つの世代に分け、その思想や手法の違いを分析するケペル教授は、現状をどう見ているのか。

(写真:移民排斥を掲げてマルセイユで開かれたフランスの右翼「国民戦線」の集会)

※第1回:欧州ホームグロウンテロの背景(1)
※第2回:欧州ホームグロウンテロの背景(2)

◇ ◇ ◇

シリアまで車に乗って

 第三世代ジハードのテロリストには、未熟さ、不器用さ、経験の浅さが目立つ。失敗する率も高い。例えば二〇一五年八月、アムステルダムからパリに向かう国際特急タリスの車内で、過激派組織に出入りしていたモロッコ人アユーブ・エル・ハッザーニーが乗客に向けて銃を発砲しようとする事件があった。情けないことに、彼は居合わせた乗客に取り押さえられ、拘束後は当局に計画を洗いざらいしゃべってしまった。テロへの準備も心構えもできていなかったのである。

『シャルリー』襲撃などは、ごく一部の成功例に過ぎない。任務をきっちりと遂行するアル・カーイダのプロ意識とは大違いである。

【参考記事】イスラムへの憎悪を煽るパリ週刊誌銃撃事件

 一方で、テロリストを取り巻く環境はアル・カーイダ時代から大きく変化した。彼らは、動画共有サービス「ユーチューブ」やツイッター、フェイスブック、ワッツアップといった新技術を駆使して情報を交換し、捜査機関が把握できないほど動きの速いネットワークを築いた。

「第三世代のジハードがどのような形を持つか、まだ模索の途上にあるのかも知れません。ただ、そのモデルは近いうちに完成されるでしょう」

 ケペルは新著『本土に広がる恐怖 フランス・ジハードの誕生』(Terreur dans l'Hexagone: Genèse du djihad français)で、こうした過激派側の変化に気づかないでいたフランス当局の対応の立ち遅れぶりを指摘している。当局は相変わらず、モスクの動向ばかり監視していたのである。

 第三世代の台頭を間接的に支えたのが、米国の迷走だった。アフガン攻撃でアル・カーイダを壊滅に追い込んだ米ブッシュ政権は、勢いに乗ってイラクに攻め込み、フセイン独裁政権を崩壊させた。跡地には権力の空白地帯が生まれ、過激派組織「イスラム国」が根を張り、ジハードにとってまたとない空間を提供した。欧州でイスラム過激思想に関心を持つ若者たちを呼び込み、訓練する場所としてである。しかも、アル・カーイダ時代のアフガニスタンより、そこは欧州にずっと近い。

「フランスからシリアには、車でも行けますからね」

 ケペルによると、南フランスのトゥールーズで過激派の二家族が所得証明を偽造し、偽名のクレジットカードを入手した。それを使って彼らは大手レンタカー会社からキャンピングカーを借り、そのままシリアまで乗っていってしまったという。冷房付きで、購入すると三万五〇〇〇ユーロほどの車だが、実際に彼らが払ったのはレンタル代一〇〇〇ユーロと保証金三〇〇〇ユーロ程度だった。最初から返却するつもりなどないのである。

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予言は的中した

 フランスでは九〇年代半ば、アルジェリアの「武装イスラム集団」によるテロが相次いだ。しかし、パリの高速地下鉄で九五年十月、座席に仕掛けられた爆弾が爆発して約三〇人がけがをした事件を最後に、イスラム過激派によるテロは十六年あまりにわたって途絶えた。この間、マドリードやロンドンでは大規模テロが起きたことから、フランスの治安対策や移民統合政策を評価する声が少なくなかった。



 沈黙を破ったのは二〇一二年三月、南フランスのトゥールーズ周辺で起きた連続射殺事件である。ユダヤ系学校の教師や子どもら七人が至近距離から銃殺され、容疑者のモアメド・メラは警官隊との銃撃戦の末に死亡した。メラは「アル・カーイダ」を標榜し、アフガニスタンや中東各国への渡航歴があった。

 この事件は当時、孤立した出来事として扱われた。しかし、ケペルはこれを、フランスでの第三世代ジハードの始まりと位置づける。

「メラの事件は、スーリーの理論がフランスで実行に移された最初の例です。これを機に、テロのビジネスモデルが変わった。でも、当時誰も、それに気づきませんでした」

 続いて二〇一四年五月、アルジェリア系フランス人の過激派メディ・ネムシュが、ブリュッセルのユダヤ博物館で旅行者ら四人を射殺した。これらの事件と同じ流れの上にあるのが、クアシ兄弟による『シャルリー』襲撃とアメディ・クリバリによるユダヤ人スーパー立てこもりである。

 メラ、ネムシュ、クリバリの三容疑者はいずれも、ユダヤ人やユダヤ系施設を標的とした点で共通している。これは、スーリーが立てた明確な戦略の一環に基づいている。ケペルによると、スーリーは次の三つをジハードの具体的な標的として挙げている。

一 リベラルな知識人
二 イスラム教徒の裏切り者
三 ユダヤ人

 第一の「リベラルな知識人」の典型例が『シャルリー』であるのは言うまでもない。『シャルリー・エブド』自体はアナーキストらを中心に設立され、大統領、右翼、ローマ法王庁といったあらゆる権威権力を批判してきた。預言者ムハンマドの風刺画騒動が持ち上がって以降は、イスラム過激派も風刺の対象とした。

「テロリストが定めたのは、明らかに『柔らかい標的』です。厳重な警護を受けている国家元首を狙うのはややこしいし、金もかかる。それに比べ、例えば私のような警備対象外を襲うのは簡単だ。『シャルリー』も、狙いやすい割には効果が大きい。フランス社会そのものに打撃を与えることができます」

 第二の「裏切り者」とは、イスラム教徒でありながら世俗国家フランスの軍隊や警察に奉職する人物である。トゥールーズの事件で、容疑者のモアメド・メラはユダヤ系学校を襲撃する前、軍人を相次いで襲い二人を殺害した。『シャルリー』事件でも警察官が犠牲になった。

「一月七日に研究室に出勤した私は、妻から連絡を受けました。その朝『シャルリー・エブド』が襲撃を受けたというのです。私はすぐに『次に警察官とユダヤ人が殺されるだろう』と予想を告げました。実際、その直後にクアシ兄弟はアラブ系の警察官を殺害し、その翌日以降クリバリが黒人の警察官を殺したうえでユダヤ人スーパーに立てこもったのです。私の予言が当たった理由は簡単です。スーリー氏の本にそう書かれていますから」

 もちろん、クアシ兄弟やアメディ・クリバリは、スーリーの論文など読んではいない。ただ、そこに書かれた発想はサイバー空間を通じて広がり、現代の若者を感化するのである。

未来に待つ黙示録

 第三の「ユダヤ人」を含めたこれらの標的を狙うことによって、スーリーは何を目指すのか。

「欧州には社会に統合されていない何百万ものイスラム教徒がいる。彼らを動員して宗教的な反乱を起こすことができる。スーリーはそう考えました」



 欧州には、サイバー空間を通じて過激派に親近感を抱く人々が点在している。それなりの教育を受けている彼らは、中央の指令を待つことなく自発的に準備を進め、独自の判断で戦いに乗り出す能力を持ち合わせている。アル・カーイダのような派手な作戦ではなく、こうして小集団によるテロや殺人を地道に続けることによって、ジハード主義は勢力を回復するに違いない――。スーリーはこう説いているという。

 欧州で、この戦いに参集する人材が絶える気配はない。

「フランスで第二世代の活動家は何十人かの規模でしたが、第三世代は何千人といます」。しかも、それは移民家庭出身者に限らない。「かなりの数の改宗者がいるのも、最近の傾向です」とケペルは説明する。

「また、かつての右翼や左翼からイスラム過激派に転じる人も少なくありません。農村社会にサラフィスト(イスラム復古主義)の集団が生まれたりもします。イスラム過激派は、かつての反基地闘争などに代わる存在となりました」

 マルクス主義の夢破れた左翼の中に、イスラム主義を新たなイデオロギーと見なして支持する人がいるといわれる。反米や反グローバル化の主張に重なる面があるからだ。中東でも、イスラム主義の勃興は、社会主義的傾向が強かったかつてのアラブ・ナショナリズムの退潮と結びついている。

 ケペルが懸念を抱くのは、イスラム過激派やテロリストに対し、移民排斥を訴える右翼が過剰な反応を示すことだ。

「一方にフランスの『国民戦線』のような右翼が存在し、もう一方にイスラム教徒の強硬派が存在する状況で、もし『国民戦線』が自治体の政権を握ると何が起きるか。その地域に暮らすイスラム教徒たちが一斉に反発し、国家への拒否感を示すようになるかも知れません。それこそスーリーの狙い通りです。フランス社会に亀裂を生じさせ、内戦状態に持ち込むことこそ、彼が望んでいることなのですから」

【参考記事】テロ後のフランスで最も危険な極右党首ルペン

 テロは、社会の分断を狙うイスラム過激派の挑発である。それに乗って攻撃をし返すと、過激派の罠にはまる。しかし、右翼は自らも、社会の分断を通じて地位を固めようとする。つまり、欧州社会はテロリストと右翼双方から分断の危機にさらされているのである。

 現在のフランスを見る限り、イスラム教徒の大衆がテロリストたちに同調する気配はうかがえない。フランスのムスリム(イスラム教徒)社会は一枚岩だと言い難く、そもそも、世俗化した家庭やブラックアフリカ出身のキリスト教徒の家庭、単なるフランスの低所得者も混在する移民街に、「ムスリム社会」と呼ぶべき集団が本当に存在するかどうかも怪しい。イスラム教徒が最も集中して暮らすパリ北郊の県番号九三「セーヌ・サンドニ県」を舞台とするケペルの二〇一二年の著書『九十三』(Quatrevingt-treize)は、過激派を含む各団体が暗躍する近年のムスリム系移民の世界を活写している。ヴィクトル・ユーゴーの名作『九十三年』に恐らく引っかけただろう題名を持つこの本によると、八〇年代末から二〇〇〇年代にかけてフランスを揺るがした学校での女生徒のスカーフ着用運動も、自らの権利を求めるイスラム教徒らの総意によって進められたというより、ムスリムたちの間でヘゲモニーを握ろうとする団体間の争いの道具とされて広がった面があるという。

 若者の一部から過激派に参加する動きが出ているのは確かだが、それは数々の現象の一つに過ぎない。総体的に眺めると、ムスリムたちが過激派やテロを受け入れる状況には到底ない。ただ、右翼による強硬な反イスラム政策が現実のものとなる場合、予期せぬ動きが社会に現れる恐れも拭えない。

※第4回:欧州ホームグロウンテロの背景(4)

※第1回:欧州ホームグロウンテロの背景(1)
※第2回:欧州ホームグロウンテロの背景(2)


*本稿は二〇一五年一〇月二〇日に朝日新聞に掲載されたインタビューを元に大幅に加筆している。

[インタビュイー]
ジル・ケペル Gilles Kepel
1955年生まれ。パリ政治学院卒業。フランスの政治学者、専門はイスラム・アラブ世界。1994~96年米コロンビア大学などで客員教授。パリ政治学院教授としてイスラム・アラブ世界研究を率いる。著書に『イスラムの郊外――フランスにおける一宗教の誕生』(1987年)、『ジハード』(2000年)、『中東戦記――ポスト9.11時代への政治的ガイド』(2002年)、『テロと殉教』(2008年)など多数。

[執筆者]
国末憲人(朝日新聞論説委員) Norito Kunisue
1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局員、パリ支局長、GLOBE副編集長を経て論説委員(国際社説担当)、青山学院大学仏文科非常勤講師。著書に『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『イラク戦争の深淵』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)など。

※当記事は「アステイオン84」からの転載記事です。






『アステイオン84』
 特集「帝国の崩壊と呪縛」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス


国末憲人(朝日新聞論説委員)※アステイオン84より転載

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