Infoseek 楽天

スヌーピーとデザインと村上春樹――ブックデザイン界の巨匠チップ・キッドに聞く

ニューズウィーク日本版 2016年6月20日 16時30分

<村上春樹作品のアメリカ版の装丁などで知られる「世界で最も有名なブックデザイナー」のチップ・キッド。スヌーピーミュージアム(東京・六本木)の開館を機に来日したキッドに、『ピーナッツ』からグラフィックデザインまで、話を聞いた>

 東京・六本木に今春オープンしたスヌーピーミュージアムは、米カリフォルニア州にあるチャールズ・M・シュルツ美術館の世界初のオフィシャルサテライト。故チャールズ・シュルツが1950年に生み出した新聞コミック『ピーナッツ』は、連載開始から65年以上経った今も世界中で人気が高く、子供から大人まで、日本にもファンが多い。

さまざまな表情、年代のスヌーピーが出迎えてくれるスヌーピーミュージアム外観 ©Peanuts Worldwide LLC

ミュージアムに入ってすぐのホールにはチャールズ・M・シュルツの写真などが飾られている ©Peanuts Worldwide LLC

 スヌーピーミュージアムで現在開催中のオープン記念展「愛しのピーナッツ。」は、詩人の谷川俊太郎から作家の吉本ばなな、映画監督のスティーブ・マーティノまで、日米の文化人ら12人――全員、大人のピーナッツ・ファンだ――が、お気に入りのピーナッツについて、映像や秘蔵のアイテムを披露する展覧会。その1人が、世界的なグラフィックデザイナーのチップ・キッドである。

 アメリカの老舗文芸出版社クノップフに所属し、約30年間、ブックデザインを手がけてきたデザインの第一人者だ。マイケル・クライトンの『ジュラシック・パーク』や、村上春樹作品のアメリカ版の装丁などで知られる。「世界で最も有名なブックデザイナー」と称されることもあるが、その理由のひとつは、150万回以上も視聴されているこのTEDトークかもしれない。ブックデザインの魅力をユーモアたっぷりに伝えたプレゼンテーションだ。



 スヌーピーミュージアム開館を機に来日したチップ・キッドに、ピーナッツやグラフィックデザイン、米出版界の現状などについて話を聞いた。まずは、デザイナーとしてチャールズ・シュルツからどのような影響を受けたのだろうか。

「概念的なことだが、シュルツの"減らすセンス"に影響を受けた。人間の感情を取り上げるにも、根源的なところまで絞り込む。象徴的で独特で、絵はとてもフラット。最小限の線と色で、力強くひとつのことを伝える。彼は技巧的には少ないもので、多くを伝えることに長けていた」

 キッドは生前のシュルツに会っていないが、シュルツ死去の1年後、ピーナッツのビジュアルブック『Peanuts: The Art of Charles M. Schulz』(2001年、邦訳未完)を未亡人らの協力を得て完成させた。さらに最近も、『スヌーピーとチャールズ・M・シュルツの芸術――必要なものだけを(Only What's Necessary)』(邦訳は今年4月、奥田祐士訳、DU BOOKS)を刊行。他にも、コミック『バットマン』に関する本などを著している。



オープン記念展「愛しのピーナッツ。」で、チップ・キッドは1951年3月9日のコミックをお気に入りのエピソードとして紹介 ©Peanuts Worldwide LLC

 著名なデザイナーであるだけでなく、コミックやデザインに関する自著も多いキッド。2013年には、グラフィックデザインの入門書も刊行している。昨年邦訳の出た『GO チップ・キッドのグラフィックデザイン・ガイド』(中村有以訳、CCCメディアハウス)だ。

ジョブズ後の時代のグラフィックデザイン入門書

 キッドは『GO』で、自分の手掛けた作品などを例に使って、グラフィックデザインの基本をわかりやすく丁寧に解説している。形から色、タイポグラフィ、内容をどうデザインに落とし込むかというコンセプトの立て方まで、デザインの細かなテクニックというよりは、根本的な考え方を扱った入門書だ。

 ほんの一部だが、『GO』から引用しよう。

「形」のアイデアの一例として、ビジュアルを上下逆さまにしたらどんな効果を生むか、反転させることで人の注意をどう引きつけられるかを、自分の作品を例に使って説明(42~43ページより)

「色」の解説のページでは、自ら手掛けた映画のポスターを題材に。「ときには色数が少ないほうが......いい」の効果が一目瞭然で、これぞまさにデザインの力だとわかる(74~75ページより)

 故スティーブ・ジョブズの登場をひとつのきっかけに、デザインというものの重要性が広く認知されるようになった。アップルの最高デザイン責任者であるジョナサン・アイブを始め、以前であれば裏方であったデザイナーが、世間一般にも名を知られるようになった。一方で、世界的なデザインコンサルティング会社IDEOのティム・ブラウンが言ったように、「デザインはデザイナーだけに任せるには重要すぎる」という考えも、共有されるようになってきたと言えるだろう。

 そうした意味で、キッドの『GO』は、デザイナーでない人がデザインの素養を身につけるのに役立つ1冊かもしれない。実際、どんな意図でこの本を作ったのかとキッドに尋ねると、早くからグラフィックデザインについて知ってもらいたいと、10歳の子供を読者に想定して作ったものだという。



「色や絵、文字について教える本はたくさんあるのに、グラフィックデザインを子供たちに教える本はどこにもない、と編集者に制作を打診された。確かに、私がグラフィックデザインについて学んだのも大学に入ってからだった。ずっと身の回りにあるのに、誰もグラフィックデザインのことを知らないまま大人になる」

 キッドによれば、創造性あふれる子供たちは(広義の)「グラフィックデザインをいずれにせよ作っている」のだから、教える本があったほうがいい。それに、現代の子供たちは昔に比べ、書体(タイプフェイス)や色などの"材料"を簡単に手に入れられるという。コンピューターのなかった時代とは違うのだ。

「所有したくなる本を作れば、紙の本は生き残る」

 そう考えれば、時代の変化は、次の世代の優れたデザイナーを生む一助となるのかもしれない。だが一方で、デジタル化の波は当然、アメリカの出版界も直撃している。先に紹介したTEDトークでは、「Kindleでこれ(ブックデザイン上の工夫)ができるか?」などと皮肉っていたキッドだが、書籍業界の未来をどう考えているのだろうか。

「この先どうなるかを予測することはできないが、私はブックデザイナーとして常に、モノとして所有したくなる本を作ろうと心掛けてきた。所有したくなる本を作ることができれば、紙の本は生き残るだろう」

 シンプルだが多くの人が同意するであろう、重みのある言葉だ。

 キッドは今、自身の新たな作品集を準備しており、来春には刊行される予定だ。「物静かで紳士的。素晴らしい人物......おまけに、実年齢より20歳は若く見える」と彼が称賛する村上春樹が、序文を書くという。『ピーナッツ』に影響を受けたというチップ・キッドの作品を、村上春樹がどう形容するか、今から楽しみだ。

【参考記事】チェコ語翻訳者が語る、村上春樹のグローバルな魅力


『GO チップ・キッドのグラフィックデザイン・ガイド』
 チップ・キッド 著
 中村有以 訳
 CCCメディアハウス


スヌーピーミュージアム
オープン記念展「愛しのピーナッツ。」
東京都港区六本木5-6-20
9月25日まで(会期中無休) 10:00~20:00
入館料:一般1800円(前売券) ※日時指定の予約制。
http://www.snoopymuseum.tokyo/


ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

この記事の関連ニュース