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守ってもらいたい人々の反乱──Brexitからトランプへ

ニューズウィーク日本版 2016年6月28日 16時0分

<イギリスでEU離脱を支持したのは、移民の負担やEUへの拠出金で自分たちの社会保障が削られかねないと恐れた人々、アメリカでトランプを支持しているのは自分たちの医療保険や年金を守ろうとしている人々──守られたい人々の衝動が、先進国の政治を揺るがしている>

 EU離脱の決断を下したイギリスの大統領選挙。アメリカのトランプ旋風と共通するのは、国に守ってもらいたい人々の反乱であることだ。

EU離脱で医療充実に期待

 移民問題が最大の論点といわれたイギリスの国民投票だが、EU離脱派はイギリスの国営医療制度(NHS)の充実にも期待を寄せている。イギリスのNHSは、多くの場合に無料で医療サービスを提供している。世論調査によれば、離脱支持者の7割近くが離脱がNHSに良い影響を与えると答えている。移民の減少を期待する割合(8割強)ほど高くはないが、かなり高い水準なのは間違いない。残留支持者は5割程度が離脱によるNHSへの悪影響を懸念しており、両陣営の見解が大きく分かれた(図表1)。



 NHSの充実は、離脱キャンペーンの大きな論拠の一つだった。「EUのために移民の増加が制御できず、NHSの財政破たんににつながりかねない」。「離脱によってEU予算への拠出が浮けば、それでNHSを充実できる」。ボリス・ジョンソン前ロンドン市長らは、そんな主張を繰り広げた。

【参考記事】英EU離脱に憤る若者たち: でも実は若年層は投票しなかった世代
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 自らが受ける医療サービスを守り、できれば充実させたい。なけなしの社会保障予算を、移民やEUの官僚と分け合いたくない。国に守ってもらいたい人々の衝動が、イギリスをEU離脱に押しやる一因になったように見受けられる。

トランプは年金を守る

 大西洋をはさんだアメリカでは、国に守ってもらいたい人々が、ドナルド・トランプを支持している。

 いうまでもなくトランプは、共和党の大統領候補である。共和党は小さな政府が持論であり、年金や医療保険の縮小を主張してきた。

 ところがトランプの主張は違う。「年金や医療保険を守る」というのだ。背後には、支持者の声がある。トランプ支持者の7割強は、年金の縮小に反対である。大きな政府を好む民主党の支持者と、ほとんど変わらない水準である。

 トランプ支持者に限らず、共和党支持者全体でも、7割弱が年金の縮小に反対している。公的年金に関しては、「共和党支持者=小さな政府支持者」という単純な構図は当てはまらない。



 守ってもらいたいという意味では、保護主義に関する世論も興味深い。トランプ支持者は、FTA(自由貿易協定)に反対する割合が高い。保護主義的な傾向は共和党支持者全体に広がっており、FTAに反対する割合は民主党支持者の方が低い。「共和党=自由貿易支持」という構図についても、少なくとも各党の支持者のレベルでは通用しなくなっている(図表2)。



小さな政府ではなく「自分のためだけの政府」

 トランプ支持者は、高齢者と白人のワーキング・クラスに多い。このうち、とくにアメリカの高齢者に関しては、EU離脱派と似たような発想、すなわち、「他者と分け合いたくない」という発想が観察されている。

 アメリカの高齢者のあいだでは、社会保障制度の拡大に対する支持が低下してきた。背景にあるといわれるのが、アメリカ特有の医療保険制度だ。アメリカの高齢者が社会保障制度の拡大に懐疑的になってきた度合いのうち、その約半分は医療保険拡大への懐疑的な意識の高まりで説明できるという。

 高齢者が恐れるのは、医療保険制度の拡大によって、自らの特権が侵害されることである。アメリカの公的な医療保険制度は、高齢者向けのメディケアと低所得者向けのメディケイドに限られる。メディケアという特権を持つ高齢者にとって、さらなる医療保険制度の拡大は、自らと異なる人々の利益となるに過ぎない。それどころか、拡大の財源としてメディケアが使われようものなら、自らの利益が損なわれる。

 言い換えれば、高齢者が求めているのは、小さな政府というよりも、自分のためだけの政府である。大きな政府として忌み嫌われるのは、自分以外に奉仕する政府だといって良いだろう。



 小さな政府論の急先鋒とみられてきたティーパーティー運動も、背後にある衝動は同じである。ティーパーティー運動は、「政府は私のメディケアに手を出すな(Keep Your Government Hands Off My Medicare)」という標語を使ってきた。「そもそもメディケアは政府の制度じゃないか」とあざ笑うのは簡単だが、そこには特権喪失に対する高齢者の危機感が見事に映し出されている。

政府に頼らざるを得ないワーキングクラス

 ワーキングクラスは、政府に頼らざるを得なくなっている。ワーキングクラスとは、製造業の労働者など、所得階層でいえば「中の下」に属し、それほど学歴が高くない人々を指す。グローバリゼーションや技術革新に脅かされ、貧困への転落を恐れている人々だ。

【参考記事】英国EU離脱。しかし、問題は、移民からロボティックスへ

 ワーキングクラスにとって、収入源としての社会保障の重要性は高まる一方である。所得階層が「中の下(下から20~40%)」に該当する家計の場合、政府からの移転所得が収入に占める割合は、1980年の20%から、2013年には35%にまで上昇している。

 ワーキングクラスは、社会保障制度を通じた政府への依存を恥じているといわれる。それでも、同じ共和党支持者で世論調査結果を比較すれば、学歴が低い支持者(ワーキングクラスに代用)の方が、高学歴の支持者よりも社会保障制度に好意的である。

 高齢者とワーキングクラスは、イギリスではEU離脱派に多く、アメリカではトランプ支持者に多い(図表3)。守られたい人々の衝動が、先進国の政治を揺るがしている。



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安井明彦1991年富士総合研究所(現みずほ総合研究所)入社、在米日本大使館専門調査員、みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長、同政策調査部長等を経て、2014年より現職。政策・政治を中心に、一貫して米国を担当。著書に『アメリカ選択肢なき選択』などがある。



安井明彦(みずほ総合研究所欧米調査部長)

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