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ドイツの積極的外交政策と難民問題

ニューズウィーク日本版 2016年7月1日 15時42分

 論壇誌「アステイオン」84号(公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会編、CCCメディアハウス、5月19日発行)は、「帝国の崩壊と呪縛」特集。同特集の森井裕一・東京大学大学院総合文化研究科教授による論考「国民国家(ネイションステイト)の試練――難民問題に苦悩するドイツ」から、一部を抜粋・転載する。 イギリスのEU(欧州連合)離脱問題が世界を騒がせているが、離脱票が上回った理由のひとつが、EU域内移民、そして難民の流入だった。2015年秋から先鋭化したEU構成国への多数の難民流入。とりわけドイツは2015年の1年間で約110万人もの難民を入国させているが、「なぜドイツはこれほどまでに大量の難民を入国させ、メルケル首相は頑なに人道的観点を強調し続けるのか」と森井教授。難民受け入れの背景から社会の変容、外交政策まで、本論考では、ドイツにおける難民問題の意味とEUの難民政策におけるドイツの役割を考察している。以下の抜粋は、ドイツの外交政策に関する節から。

(写真は5月下旬、イスタンブールで開かれた世界人道サミットで会話を交わすメルケル独首相とトルコのエルドアン大統領)

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ドイツの積極的外交政策と難民問題

 メルケル首相が言うように憲法の理念を頑なに守る限りにおいて難民庇護申請の数それ自体を制限するようなことができないのであるとすれば、ドイツが難民問題に対処するためには、そもそも難民の発生源のところで問題に対処しなければならない。二〇一五年からの難民問題の主要課題はシリア内戦であるから、シリアとその周辺国の問題に対処することが焦眉の急ということになる。

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 トルコ、ヨルダン、レバノンなどのシリア隣接国には多くの難民が流入しており、周辺国の環境悪化とヨーロッパで生きる希望がEUへの難民の大量流出をもたらしてきた。問題解決のためには周辺国に対して難民対応の支援を行うことが不可欠である。

 とりわけ最大のシリア難民を抱え、地域に大きな影響を与えるトルコとの関係は重要である。難民対応のための資金援助などは実施されているが、EUとトルコ、ドイツとトルコの関係もさまざまな問題を抱えており、容易ではない。メルケル首相が政権の座につく前にトルコのEU加盟交渉開始が決定されていたが、メルケル首相はトルコのEU加盟は加盟交渉の当然の帰結とはならず、EUはトルコを完全なメンバーとして迎え入れるべきではなく、特別なパートナーシップ関係を構築すべきと主張していた。その後トルコのEU加盟交渉はさまざまな理由から今日に至るまでほとんど進展せず、トルコ側でもEU加盟の機運が失われていったことから、加盟交渉は停滞したままとなっている。

 トルコのエルドアン大統領の権威主義的な政策展開にはドイツでは批判の声も大きい。とりわけトルコ内クルド人に対する抑圧的な政策は常に批判の対象となっている。しかし、難民危機への対応はトルコとの緊密な協調をメルケル政権にとっても不可欠なものとした。地域大国であり、NATOのメンバーであり、シリアと長い国境を接するトルコの協力なしに難民問題を解決の方向に向かわせることはできない。シリア難民の多くはトルコに入国し、そこでの生活状況の悪化からドイツを目指すのである。そのためメルケル首相とシュタインマイヤー外相はトルコをEUへの難民流入抑制のキープレイヤーとして認識し、EUが協調して対トルコ政策を展開することを求めているのである。

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 トルコとの関わり方のみならず、対中東政策全般を考えてみても、ドイツ外交は厳しい試練にさらされている。二〇一五年一一月にパリで発生した同時多発テロは、独仏協調とEUの連帯という点からもドイツをより強く中東に関与させることとなった。

 フランスはシリア国内のテロを実行したIS(イスラム国)への報復のために空爆を強化したが、ドイツはフランスを支援するために、自らは空爆は行わないとしても、空爆のための偵察・情報収集飛行を実施したり、地中海に配備されたフランス艦船の警護を実施している。



 これはフランスがEU条約第四二条七項の発動をもとめ、EU理事会において承認されたためである。このいわゆる連帯条項は、あるEUの構成国が軍事的な攻撃を受けた場合に他のEU構成国が相互に可能な限りの手段を用いて支援する義務を規定している。このような条項が規定された背景にはアメリカに対する同時多発テロがあったが、二〇〇九年にこの規定がリスボン条約に規定されたときには実際に発動されるとは想定されておらず、注目されることはなかった。

 EUではもう一つの連帯条項がEUの活動の詳細を規定している機能条約(TFEU)の第二二二条にも規定されており、テロや自然災害の場合に軍事的な手段も含めた支援を行うことを規定している。TFEU第二二二条はEU機関と制度の利用を規定していることがEU条約第四二条七項とは異なる。第四二条は構成国による自発的な協力義務を規定している。

 ドイツにとって独仏関係はEU内における最も重要な二国間関係であり、フランスから支援を要請されれば、戦後ヨーロッパの統合と和解の中軸となってきた独仏関係のためには最大限の協力を行わざるを得ないのである。ドイツは既に二〇一四年からイラクのクルド勢力に対してISと戦うために軍需品の供与を行い、紛争当事者に軍需品の供与を行わないという政策を転換し、中東地域への関与の度合いを強めていた。フランスの要請に基づきドイツ連邦議会は短期間のうちにドイツ連邦軍を派遣することを決定し、さらにシリア問題に深く関わるようになった。

 第二次世界大戦後のドイツは過去の軍事的行動により大きな惨禍をもたらした反省から、軍事力の行使には非常に慎重で、同盟の防衛のみを軍事力行使の対象としていた。

 しかし冷戦終焉後の国際環境の変化とドイツ統一によって、ドイツに期待される役割も変化した。一九九四年の連邦憲法裁判所判決によって連邦議会の同意があれば、世界のどこでも、どのような軍事行動でも可能となっていたが、従来の軍事力の行使には抑制的で、国連、NATO、EUなどの多角的な国際的枠組みの中でのみ軍事的な行動を行うという基本姿勢は大きく変わらなかった。

 またメルケル首相の下でも、二〇〇九年から二〇一三年末までの自由民主党(FDP)との連立期にはヴェスターヴェレ外相の下で紛争地域への関与には抑制的な政策がとられており、二〇一一年のNATOによるリビア空爆にドイツは参加しなかった。二〇一三年一二月に第三次メルケル政権が大連立政権として発足すると、第一次メルケル大連立政権でも外相を務めたシュタインマイヤーの下でドイツ外交は積極的な関与の方向に舵を切ることとなった。

 シュタインマイヤー外相による「積極的外交政策」は、EUにさまざまな危機が襲いかかる時期と符合した。ロシアによるクリミア半島の併合とウクライナ東部での行動は冷戦後のヨーロッパに再び地政学的な要素が戻ってきたことを象徴するものであった。またギリシャ債務危機は欧州統合のあり方に疑念を抱かせ、戦後の統合コンセンサスを脅かすものでもあった。いずれのケースも、冷戦後のヨーロッパには周囲に仮想敵国がなくなり、同時にEUの統合は逆戻りすることなく維持されるという長年続いた認識を揺るがすものであった。



 シュタインマイヤー外相は、ドイツはヨーロッパのなかで大きく重要な存在となっているのであるから国際的な問題にこれまでより積極的に関わるべきであり、その際には外交のみならず、軍事的な関与も排除されないとの姿勢を示してきた。自らの影響力に鑑みて、国際的な責任に背を向けることはできないのであるから、より積極的に責務を引き受けようとする外交姿勢を明確にしたのである。

 ウクライナ・クリミア危機に際してドイツはロシアやウクライナ、フランスやポーランドなどのEU諸国と非常に緊密な協議を行い調整に努めたことは積極的外交政策の象徴であった。もっとも、問題はドイツの仲介や調整がどの程度結果を変えたかということでもあり、その点で疑問は残る。軍事的な超大国でもないドイツが、軍事力の行使をいとわない大国に対して持つ外交的な影響力にはおのずと限界があるといえよう。

 戦後ドイツは自らの行動を憲法に規定された普遍的な人権と自由を中心とした諸価値の遵守におき、国連、EUなど多角的な枠組みの中で共に行動することを重視してきた。決して自らが戦争の原因とならず、過去の過ちを繰り返さないための行動原則であった。

 しかしポスト冷戦の時代も四半世紀が経過し、国際環境は大きく変容した。ISとテロの猛威は、国家のみが国際政治の重要な主体であり、国家間の合意で政治秩序が維持できた時代とは全く異なる時代にあることを象徴している。テロにより生命・人権を蹂躙する暴力は、普遍的な人権規範の唱道だけではこれまでの社会の安全が保てないこともはっきりとさせた。アメリカの軍事力の傘と自由な国際経済システムのなかで、規範をとりわけ重視するドイツ外交は、現実世界の変容により変化を迫られている。そうであるからこそシュタインマイヤー外相は積極的外交への転換をめざしたのである。

 しかし、現実の世界は急速に不安定化している。ドイツは好況を謳歌しているとはいえ、財政規律を守らなければならないこともあり、安全保障政策分野への予算支出も強く制約を受けている。このため、ドイツ連邦軍は二〇一一年に徴兵制を停止し、地域紛争・危機に対応できる軍への転換を進めてきたが、装備の充実などは遅々として進んでいない。外交的な積極的関与を超えた行動は困難なのが実情である。難民問題も、難民を発生させる要因を除去することが重要であるとは論じられるが、そのための政策手段と能力は限定されているのである。

 既に論じたように、難民問題はドイツではとりわけ人権・人道という規範の問題であるが、その現実的な解決には巨額の予算と社会的なコンセンサス、人道支援、開発支援を通じた地域的な危機の克服から秩序の回復までもが求められる。規範と現実の政策展開の乖離が、問題解決の難しさを鮮明にし、際限なくやってくる難民を身近で見る市民からすると、不安を抱かざるを得ないのが今のドイツの問題である。

[執筆者]
森井裕一(東京大学大学院総合文化研究科教授) Yuichi Morii
1965年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程中途退学。琉球大学講師、筑波大学講師を経て現職。専門はEU研究。著書に『現代ドイツの外交と政治』(信山社)、『ヨーロッパの政治経済・入門』(編著、有斐閣)など。

※当記事は「アステイオン84」からの転載記事です。






『アステイオン84』
 特集「帝国の崩壊と呪縛」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス


森井裕一(東京大学大学院総合文化研究科教授)※アステイオン84より転載

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