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バングラデシュ人質事件、日本はこれから何ができるのか? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2016年7月5日 18時20分

<事件の背景には、野党勢力BNPへの弾圧を強化する現政権への反発がある。日本は長らく援助を続けてきた経緯があり、今後は在留邦人との治安情報の共有体制を見直すことが必要>(写真は、事件の犠牲者を悼むバングラデシュの人々)

 今月1日にバングラデシュの首都ダッカで発生した人質事件では、日本人7人を含む人質20人が殺害されました。無念と慟哭を禁じえません。

 アメリカのメディアでは、その2日前の6月28日に起きたトルコのイスタンブール空港の爆弾テロの際に、事件直後の現場に急行して生中継をしたNBCのリチャード・エンゲル記者が「ISISはこのラマダン期間中に連続テロを予告しています。ですから、7月5日のラマダン明けまで、まだ事件が起きる可能性が濃厚です」というレポートをしていました。

 そのような報道がある中ですから、余計にダッカでの事件が「ISISによる世界規模のテロのターゲット」になったと理解されるのは、仕方がないかもしれません。その後イラクのバグダッド、そしてサウジアラビアのメディナでもテロが起こり、特にバグダッドでは悲惨な事件が続いています。

 日本でも同様の論調があるようですが、実際には違うと思います。

【参考記事】バングラデシュ内相「武装集団から要求なかった」、ISIS無関係との見解

 2つの要素を考えるべきだと思います。

 1つは、バングラデシュ国内の政争です。この国は、かつては現在のパキスタンの一部でした。ですが、1970年に巨大サイクロンによる洪水で壊滅的な被害を受けた際に、西のパキスタン政府から受けた冷酷な対応をキッカケにして独立運動が起こり、最終的にはインドの援助を受けて「印パ戦争」に勝利することで独立しています。

 その独立の指導者がムジブル・ラーマン初代首相で、その政党が「アワミ連盟」です。ですが、建国後も人々の貧困が解消しない中、軍のクーデターでラーマン氏は家族もろとも殺されてしまいます。その後は軍政だったのですが、その軍政が民政に移行する中でBNP(バングラデシュ民族主義党)という保守政党が生まれています。

 BNPはやがてジア首相という女性リーダーによる穏健路線で政権を担う一方で、アワミ連盟のハシナ政権と、何度か政権交代を繰り返しています。現在は、ハシナ首相が選挙で大勝して権力を掌握しています。ハシナ首相も女性で、建国の父であるムジブル・ラーマン氏の娘です。一族を軍に殺された中で、留学中のために命拾いした女性です。



 実際のバングラの政局は大中小の政党が乱立する複雑なものですが、それを単純化してお話するならば、この二大政党が「世俗政党」である一方で、「ジャマティ・イスラミ」というイスラム主義政党が存在しています。このジャマティ・イスラミは、潜在的に10%前後の支持率があるため、現時点では下野したBNPと一緒になって与党のアワミ連盟に対抗する格好となっています。

 これに対して、アワミ連盟は弾圧を強化しています。

 バングラが独立運動をしていた70~72年にかけて、パキスタン側は暴力的に警官隊と軍隊で独立派を鎮圧しようとしました。ジャマティ・イスラミにはその際に「イスラム国家を防衛する」ために「パキスタン側につく」という選択をした人々も残っているというのです。

 ハシナ現政権は、この「独立戦争当時の殺傷行為関与」に関して、ジャマティ・イスラミの幹部に死刑判決を出しました。これは2013年のことで、それ以降、現政権とジャマティ・イスラミの関係は悪化しています。結果として、昨年には治安情勢のかなりの悪化を示す事件が散発的に起きています。

 ジャマティ・イスラミの周辺で「ハシナ政権の弾圧に対する不満」が鬱積しており、それが一部の若者がISISの「ジハード主義」に共感する異常な状況の背景にあると見るべきでしょう。

【参考記事】バングラデシュ人質事件、一部容疑者は裕福な家出身のエリート

 2つ目の要素は、日本とバングラの極めて緊密な関係です。日本は、国策としてバングラを支援する活動を、長いスパンで進めてきています。例えば、独立運動が始まる前の70年のサイクロン被災の際にも官民挙げて大きな支援をして、その歴史は46年にもなります。バングラの人々が極めて親日であるのは、そのためです。

 例えば、今回の事件の犠牲者の中に鉄道技師の方がおられますが、これは激しい交通渋滞がある現状下、大気汚染などの健康被害も出ているダッカの状況を何とか救おうと「地下鉄整備」を進めるプロジェクトです。これと並行して、今でも懸念されているサイクロン水害に対して、防潮体制をレベルアップするというプロジェクトも進んでいます。

 実は、事件の2日前の先月29日にJICAはバングラ政府との間で、この「地下鉄」と「防災」という2大プロジェクトを含めた6件の案件を対象にした総額1735億円(貸付限度額)に上る円借款供与の調印をしています。



 問題はこの2つの要素が結びつく可能性があるということです。ハシナ政権は、極めて親日的で、今回の円借款事業にも大変な期待感を持っていると思います。過去の様々な政権が、結局は「国民を貧困から救えなかった」ために潰されてきたことを深く認識している現政権は、政権を安定化させるには経済成長を確実にするしかなく、そのためには日本の援助と技術協力は不可欠だからです。

 ですが、今回の事件に対するリアクションによっては、国内の過激なグループが、日本の円借款事業や、日本人そのものをターゲットにする可能性があります。この点に関しては、では危険だからということで必要な援助ができなければ、国全体が貧困から抜け出すことができず、ハシナ政権は苦境に立ってしまうでしょう。

【参考記事】バングラデシュ人質事件の余波、繊維産業へ大打撃か

 そこで3つ提案したいと思います。

 一つ目には、安倍政権は「今回の事件はISISの仕業で、欧米と共にテロと戦う」というメッセージを出すのは控えるべきです。バングラの国内問題を、ファンタジーともいうべき聖戦イデオロギーとリンクさせようとする連中の思うツボだからです。

 二つ目には、ハシナ政権に対しても、何らかのルートを使って「今回の事件を材料にしてジャマティ・イスラミ、あるいは間接的に関連があるとしてBNPに政治攻勢をかける」のは控えてもらわなければなりません。国家の分断は、治安を悪化させるだけで、改善はしないからです。野党陣営への弾圧が始まっている気配もありますが、何としても引き返してもらわなくてはなりません。

 3つ目には、とにかくプロジェクトに関わっている日本人に、ピンポイントの精緻な治安情報を伝える仕組みを作らなくてはいけないということです。殺害された方々は、コンサルという立場で「縁の下」の苦労をしていたことが拝察されます。そうした方々に、大使館やJICA事務所が持っていたのと同レベルの安全情報が届いていたか。そこは徹底的な連絡体制の見直しが必要だと思います。

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