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「民主主義ってこれだ!」を香港で叫ぶ――「七一游行」体験記

ニューズウィーク日本版 2016年7月8日 6時12分

<香港返還記念日の7月1日、香港最大の抗議活動「七一游行」が開催された。行政長官批判が主たるスローガンだが、それだけでなく、さまざまな団体がさまざまな主張を掲げてデモ行進をしていた。一緒に4キロの道のりを歩きながら、ふと思った。これこそ民主主義じゃないか?> (写真:デモに参加していた私立大学・珠海学院の女子学生のTシャツには中華民国国歌の一節が記されていた)

 ともかく楽しい、美しき"香港式民主主義"の現場を取材した。

 2016年7月1日午後、香港で「七一游行」(7月1日デモ)が開催された。毎年の香港返還記念日に開催される香港最大の抗議活動だ。民主化や普通選挙の導入、生活改善などテーマは毎年異なるが、今年は「決戦689、一致団結、香港を守れ」がスローガンとなった。

「689」とは梁振英(りょう・しんえい、CY Leung)香港特区行政長官を指す隠語。香港市民の一般投票で選ばれたのではなく、選挙委員の689 票だけで選ばれた存在という批判が込められている。主催者発表で11万人、警察発表で1万9300人が参加したデモでは「689 やめろ!」の横断幕が掲げられた......。

 とまあ教科書的に書けばこんな話になるのだが、この説明では「七一游行」の楽しさを取り逃してしまう。マジメな説明は他のメディアに任せて、ここでは"香港式民主主義"のカオスと楽しさについて解説したい。



ペットから尖閣諸島まで、社会運動のショーウィンドウ

「人はパンのみで生きるにあらず」というが、七一游行を表現するには「市民運動はビッグイシューのみにあらず」だろうか。メインテーマは「決戦689」だが、それとはまったく関係ない団体が山のように参加しているのだ。

 デモは、香港島のヴィクトリアパークから中区政府合署まで繁華街を約4キロにわたり練り歩く。さまざまな参加団体がプラカードを持って歩きながらアピールするとともに、経路には団体がブースをかまえ、参加者に支持と活動経費の支援を訴えるという内容だ。

 詳しくは後述するが、香港に普通選挙はないものの、親中派から民主派までさまざまな政党が存在し、9月4日には次の選挙が控えている。そのためデモに参加して歩いているだけで民主派の各政党の主張や候補者を一覧できるのが便利だが、それだけでなく、まったく知らなかった社会問題についても触れることができる。さまざまなブースをのぞいて話を聞きつつ、途中でデモを抜け出してマンゴープリンを食べて一休み。4キロの道のりをたっぷり3時間かけて歩いた。

 途中で見かけた政党以外の団体について紹介したい。





 まず話を聞いたのはGDAH(Give Dogs A Home、犬に家を与えよう)という団体。香港の公共マンションでは犬を飼うことが禁止されているが、この規制を廃止して欲しいとの要求を掲げている。関係者は「ペットを飼う権利は保障されるべき」と熱く語っていた。

 無数の小団体が参加する七一游行だが、GDAH の参加人数は大規模な部類に属する。数十人がビッグフラッグを持って行進していた。



 次に話を聞いたのは私立大学・珠海学院の学生会だ。日本アニメ、とりわけ『ハイキュー!!』(高校バレーボールが題材)が大好きで日本語が話せるようになってしまったという女子学生に話を聞いた。学生会の要求は、大学管理条例を改定し学校理事会に教員または学生の代表を入れろ、というもの。現在の理事会には中国本土関係者が多く、教育の「赤化」を恐れたために運動を始めたという。中国への警戒感を持っていることは確かだが、要求はあくまで条例改定。「決戦689」などの大きな政治問題にはノータッチだ。

 こうした団体は無数にある。気になった団体をさらにいくつか紹介しよう。



 ランタウ島水牛愛護協会。空港やディズニーランドがあるランタウ島では開発が進み、生息地域である湿地帯が減少している。「湿地の天使」と呼ばれる水牛を守れという主張だ。



 馬宝宝コミュニティ農場。農地を住宅用地に転換しようとする政府に反対している。メンバーは現地農民ではなく、都市住民が多いという。日帰りで遊びに行けるオープンな農場なのだとか。スローガンは「農地は農業に使おう」。ブースではキュウリなど農作物を配っていた。



 同性愛者の権利擁護を訴える大愛同盟。人気歌手のデニス・ホーさん(写真中央)が登壇し注目を集めていた。デニス・ホーさんは2014年の民主化運動「雨傘運動」を支持したため、中国政府に圧力をかけられ、大手化粧品ブランド「ランコム」がスポンサードしたコンサートが中止に追い込まれる事件があったばかりだが、現場では言論問題よりも同性愛者の権利問題に中心をおいて発言していた。



 香港中心部の公共住宅が、立て替えによって一般市民が住めない高級住宅に変わっている。一般住民が住めるお値段の公共住宅を作れ、という運動。不動産価格高騰は香港市民にとって最大の関心事だ。



 香港婦女労働者協会。女性パートタイム労働者の権利擁護や主婦による家事労働の評価などを主張していた。



 日本でもおなじみ、尖閣諸島奪還を目指す保釣行動委員会のブース。活動費のカンパを募っている。



ショッピングも楽しい!(デモですが...)

 ヴィクトリアパークから色とりどりのブースを眺めながら約4キロの散歩はそれだけでも楽しいが、私にはもう一つお目当てがあった。それはショッピングだ。

 七一游行は参加団体にとっては資金集めのチャンスだ。たんにカンパを募るだけではなく、「**香港ドル以上寄付してくれた方にはグッズをプレゼント」という方式で、実質的なグッズ販売を行っている団体が多い。私は雨傘運動を取材したが、その時から香港政治グッズのデザイン性の高さにドはまりし、コレクターの道を邁進している。

 今回の戦利品の一部を自慢させていただきたい。



 雨傘運動のリーダー、ジョシュア・ウォン(黄之鋒)が参加する新政党「デモシスト」のトートバッグ。「ABCD」というスローガンは「梁振英長官下ろしだけではダメ。民主主義と自決を求めよう」の意。



 各国語で「資源配分に関する正義」と書かれているTシャツ。どの団体ブースで入手したかを忘れてしまった。



 パソコン用インナーケース。民主派政党の一つ、公民党のグッズだが、党名は書かれていない。公民党に限らず、ほとんどのグッズは組織名を書かずスローガンだけを書いているため、デザイン性が損なわれていない(ような気がする)。



 民主派の中でも急進的で、中国からの自立、独立を主張する「本土派」団体の一つ、本土力量のTシャツ。象棋(中国の将棋)をモチーフにした図案で、中国と香港の間には深い川があり、英語で「私を中国人と呼ぶな」、中国語で「私は香港人だ」とのメッセージが。象棋の中国サイド(左側)には「蝗」(イナゴ)の文字。とても外では着られないが、去年の売れ残りらしく激安だったために資料として購入した。

【参考記事】香港で起こった「革命」はなぜ市民の支持を失ったか



得票よりも世論の"香港式民主主義"

 そぞろ歩きしているだけで社会問題について知識を得られる。ついでに気になるグッズの買い物もできる。デモのルートは繁華街なので、疲れたら喫茶店やら甘味処に駆け込める。七一游行は政治空間であると同時にエンターテインメントの場としても高いクオリティを誇っている。

 もちろん楽しいだけではない。日本の参議院選挙がまさにそうだが、選挙というと論点は改憲や経済対策というビッグイシューに集中してしまうのが常だ。民主主義の本義は多数決ではなく少数意見の尊重である。香港最大の社会運動イベントである七一游行が少数意見のショーウィンドウとなっていることこそ、民主主義を体現しているのではないか。日本とは違う"香港式民主主義"がそこにはあった。

 デモの人混みをかきわけながら、私は独りごちた。「民主主義ってなんだ? これだ!」と。

 とはいえ、"香港式民主主義"に感銘を受けたという話では終わらない。デモ翌日に取材した香港の政党関係者からは「そんなに素晴らしいものではない」とたしなめられた。

 香港の最高議会にあたる立法会は、70議席中35議席は飲食、旅行、医療などの各種業界から選出される。一般投票で選出されるのは35議席だけだ。業界団体選出議員は往々にして親中派であり、さらには一般投票で議席を得る親中派もいるので、民主派は常に得票数で多数を占めてきたのに立法会全体では少数に立たされている。

 つまり選挙で勝って自分たちの要求を実現することは難しい。残る道は世論を盛り上げて、政権に「なんかこの要求が盛り上がっているから実施してみるか」と思わせるしかない。多数派を形成して選挙の勝利を目指すことよりも、ひたすら目立って声を上げ、世論を作ろうとすること。そこに注力してきたがゆえに生まれたのが、美しき"香港式民主主義"だった。

 人々の注目を集め世論を高めても、要求を受け入れるかどうかは政府の胸一つ。運動が成功する保証はどこにもない。それゆえに"香港式民主主義"に無力感を感じる人は増えているようだ。

【参考記事】反政府デモの「正しい負け方」とは何か?

 主催者発表では七一游行の参加者は前年の4万8000人から11万人に増えているが、警察発表ではほぼ横ばいの1万9300人。香港大学民意研究プロジェクトは前年比2000人減の2万3000~2万9000人と推算している。雨傘運動直前、2014年の七一游行は主催者発表51万人、警察発表9万8600人、香港大学民意研究プロジェクト推算9万2000~10万3000人だった。参加人数は2年前のわずか2割にまで減ってしまった。

 また無力感は「武力闘争もいとわず」と主張する過激な「港独派」(香港独立派)が台頭する背景ともなっている。港独派の一つ、香港民族党の陳浩天代表に話を聞いたが、雨傘運動の失敗を見れば平和的運動は力を持たないのは明らかだと断言。香港の自主性と文化を守るという目的を達成するためならば、あらゆる手段を否定しないと語った。なお「(独立を主張しない民主派が主導しているため)七一游行には参加しなかった」という。

 香港民族党をはじめとする港独派は、7月1日夜にまったく別の無申請デモを企画した。「中国政府の出先機関である中央政府駐香港連絡弁公室前に黒覆面をした上で集合せよ!」とネットで呼びかけたが、数千人とも言われる警官隊による厳重警備によって未遂に終わった。

 昼間の平和的デモと未遂に終わった夜の抗議活動は、香港の政治が今、岐路に立たされていることを示している。今までどおりの"香港式民主主義"が続くのか、それとも実効性を求めて実力行使が横行するのだろうか。

[筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。


高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)

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