<形だけEUをまねたアフリカ連合(AU)は大失敗で、設立以来15年、何一つ達成していない。ならず者国家も破綻国家も加盟し放題、加盟国で戦争犯罪や不正選挙があっても内政「不干渉」、そして「1マイルの道路も作らなった」という非効率。イギリスの離脱でEUが再出発を求められている今、AUも作り直す必要がある> (写真右は、2010年、リビアのトリポリで第3回EU・アフリカ首脳会議を主催したカダフィ)
イギリスのEU離脱は、EUとイギリスばかりでなく、アフリカにとっても新しい始まりだ。
アフリカ大陸の国々は大半が1960~1970年代に独立したばかりなので、これれまでひたすら西欧の政治制度をまねてきた。バチカンにサンピエトロ大聖堂があれば、コートジボワールの首都ヤムスクロにはそれより大きいバシリカ大聖堂が建つ。フランスに皇帝がいたと聞けば、ジャン・ベデル・ボカサのように2500万ドルをかけて即位式を行い中央アフリカ帝国皇帝になった者もいる。アメリカに宇宙センターがあるなら、ナイジェリアにも作る。人口の半分以上が1日1.25ドルで生活している国が、宇宙センターに8900万ドルを費やした。アフリカ大陸を覆う「輸入品」の残骸のなかでも、いちばんひどい悪臭を放っているのがEUをまねたAU(アフリカ連合)だ。
【参考記事】「幽霊国家」が崩壊? 中央アフリカの異常事態
少なくとも世界経済危機の頃から、そしてイギリスがEU離脱を決めた国民投票の後はとくに、EUはヨーロッパのために機能し得ないことがはっきりした。アフリカの指導者も、EUをまねただけの虚飾の塊がアフリカのためにならないことを認めるべきだ。
アフリカ大統領になろうとしたカダフィ
AUは2001年に設立された。植民地時代以来の初の汎アフリカ機関だったOAU(アフリカ統一機構)の後を継いだ。AUを構想したのはリビアのムアマル・カダフィ将軍(当時)だ。自らを「王の中の王」と称していたぐらいだから、アフリカ合衆国の最初の大統領になろうという妄想を抱いていたとしてもおかしくはない。新組織の目標は、国際社会に対してアフリカが統一戦線を張ることと、大陸の開発をスピードアップすることだ。だがAUは組織設計のまずさから最初から躓いた。権力が集中しているのに求心力は弱く、組織として機能しなかったのだ。
【参考記事】カダフィ退場でほっとするアフリカ
AUの意思決定権はAU委員会に集中している。AU委員会は、EU委員会に相当する行政組織で、政策を提案し、AU議会などの決定を執行する。AU委員会は予算も管理し、加盟国はその政策提案に対して何の影響力もない。54カ国と2000以上の民族が集まる大組織のなかでは、中央に権力が集まり過ぎていた。AU委員会の力はほとんど疑惑や陰謀を生み出すだけで、最後は加盟国の抵抗に合った。
誰にでも加盟を許したのも勘違いだった。EUに加盟するためには厳しい政治的経済的条件を満たさなければならないが、AUには、どんな「ならず者国家」も破綻国家も入ることができた。実際、出資金の滞納で前身のOAUを追放されるべきだった18カ国も、カダフィが滞納分を立て替えて加盟させていた。AUはまた加盟国の内政には不干渉を貫いている。戦争犯罪や人権侵害を犯した政府を怖がらせないようにするためだ。その結果今では、モロッコを除くすべてのアフリカ諸国がAUのメンバーになっている。
当然ながら、AUは設立来の15年間でほとんど何も達成していない。年1回の首脳会議では荒唐無稽なコミュニケを発表するだけで、あとは恥知らずの独裁者同士でシャンペンを酌み交わし、互いの長寿を讃え合うのが恒例だ。2011年にリビアが内戦状態に陥ると、AUは首脳会議議長を務めるギニアのテオドロ・オビアン・ンゲマ・ンバゾゴ大統領を派遣した。アフリカでも最長記録を誇る独裁者オビアン・ンゲマを、紛争収拾と「民主化への移行」を助けるために送ったのだ。
AUはこれまでに1度も外交的に紛争を解決したことがないし、AUが平和維持軍を送った先では、スーダンのダルフールにしろソマリアにしろマリにしろ、一向に和平はこない。
【参考記事】「失敗国家」に軍事介入するな
AUでは民主主義の定義も一致しない。AUの判定では、どんな選挙も「自由で公平」になる(最近、反政府の指導者を投獄したルワンダやウガンダ、コンゴなどを非民主的と非難することも、AUの高邁な「不干渉主義」に違反することになるのだから)。
AUは経済政策でも無能だった。AUは自らの本部ビルを建てるお金もなかったので、エチオピアのアジスアベバに建設されたピカピカのビルの建設費2億ドルは中国に払ってもらった。
【参考記事】習主席、アフリカをつかむ――ジブチの軍事拠点は一帯一路の一環
もちろん、腐敗した独裁者なら支払えただろう。たとえばスーダンのオマル・ハッサン・アフメド・アル・バシル大統領の資産は推定90億ドル。アンゴラ大統領の長女、イザベル・ドス・サントスでさえ個人資産は32億ドル。
だが、本当に恥辱なのは本部の中で行われていること、あるいは行われていないことだ。AUは市場統合と道路、線路、通信などのインフラ建設を進めることで工業化を促進する役割を担っていた。そして、どちらにも見事に失敗した。
アフリカ版マーシャル・プランも失敗
AUの惨憺たる「実績」のなかで唯一明るい部分があるとすれば、2001年に発表した「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」だろう。IMF(国際通貨基金)や世界銀行などの指図を受けずにアフリカがアフリカのために作った経済政策だ。主としてインフラ開発のために、西側から640億ドルの資本を呼び込むことに成功した。
だが「アフリカ独自」を打ち出しながらも、NEPADは実は、第2次大戦後にヨーロッパを復興したアメリカのマーシャル・プラン(欧州復興計画)を下敷きにしていた。言うまでもなく、戦後のヨーロッパとアフリカは似ても似つかない。アフリカでは壊れたものを修復するのではなく、制度やインフラを一から作らなければならない。ナイジェリアの政治家で元国連アフリカ経済委員会事務局長のアデバヨ・アデデジが2002年に言ったように、「マーシャル・プランはアフリカのような低開発市場ではうまくいかない。アフリカに必要なのは新しいビルで、ビルの復旧でも再建でもない」
道路1マイルも作らず
2003年、当時AU議長だった南アフリカのターボ・ムベキ大統領は、NEPADは失敗の危険に直面していると認めた。大半のアフリカ諸国には、大規模の投資を効率的に活用する能力がなかったからだ。3年後、NEPADは死の床にあった。投資はほとんど実行されなかった。当時セネガルの大統領でNEPADの生みの親の一人であるアブドゥライ・ワッドは2006年の記者会見で言った。「NEPADはわずか1マイルの道路も作らなかった」
アフリカは盲目的に西側をまねするのをやめ、自らの伝統や遺産をモデルにするべきだ。アフリカは優れた統治の歴史がある。緩やかな連合、長の下での合意に基づいた参加型民主主義、自由な市場......。すべてのアフリカ帝国は、マリ、ガーナ、ジンバブエ、かつてのゾンガイ帝国(今の西サハラ)などもそうだが、権限の移譲と権力分散による連合体になっていた。同様に市場も植民地時代以前のアフリカではどこにでもあったし、価格も管制ではなく取引によって決まった。
中央集権化して誰も言うことをきかないAUのような組織の代わりに、上から選択肢を押しつけるのではなく各国が互いに利害を調整する緩やかな連合体が必要だ。こうした連合体は、厳しい加盟条件を課さなければならない。政治経済の決定や将来のビジョンを共有するには、共通の基盤が必要だ。最低でも、各メンバーは民主主義国でアフリカの遺産でもある自由市場、自由企業、自由貿易を旨としなければならない。
イギリスのEU離脱はEUの終わりを早めたかもしれないが、アフリカはこれを新たな始まりと見るべきだ。AUは、外国製の制度がアフリカには合わないことを証明した。幸い、よりよいモデルはアフリカ自身の裏庭に見つけることができる。
From Foreign Policy Magazine
ジョージ・アイッティー(米自由アフリカ財団理事長)
イギリスのEU離脱は、EUとイギリスばかりでなく、アフリカにとっても新しい始まりだ。
アフリカ大陸の国々は大半が1960~1970年代に独立したばかりなので、これれまでひたすら西欧の政治制度をまねてきた。バチカンにサンピエトロ大聖堂があれば、コートジボワールの首都ヤムスクロにはそれより大きいバシリカ大聖堂が建つ。フランスに皇帝がいたと聞けば、ジャン・ベデル・ボカサのように2500万ドルをかけて即位式を行い中央アフリカ帝国皇帝になった者もいる。アメリカに宇宙センターがあるなら、ナイジェリアにも作る。人口の半分以上が1日1.25ドルで生活している国が、宇宙センターに8900万ドルを費やした。アフリカ大陸を覆う「輸入品」の残骸のなかでも、いちばんひどい悪臭を放っているのがEUをまねたAU(アフリカ連合)だ。
【参考記事】「幽霊国家」が崩壊? 中央アフリカの異常事態
少なくとも世界経済危機の頃から、そしてイギリスがEU離脱を決めた国民投票の後はとくに、EUはヨーロッパのために機能し得ないことがはっきりした。アフリカの指導者も、EUをまねただけの虚飾の塊がアフリカのためにならないことを認めるべきだ。
アフリカ大統領になろうとしたカダフィ
AUは2001年に設立された。植民地時代以来の初の汎アフリカ機関だったOAU(アフリカ統一機構)の後を継いだ。AUを構想したのはリビアのムアマル・カダフィ将軍(当時)だ。自らを「王の中の王」と称していたぐらいだから、アフリカ合衆国の最初の大統領になろうという妄想を抱いていたとしてもおかしくはない。新組織の目標は、国際社会に対してアフリカが統一戦線を張ることと、大陸の開発をスピードアップすることだ。だがAUは組織設計のまずさから最初から躓いた。権力が集中しているのに求心力は弱く、組織として機能しなかったのだ。
【参考記事】カダフィ退場でほっとするアフリカ
AUの意思決定権はAU委員会に集中している。AU委員会は、EU委員会に相当する行政組織で、政策を提案し、AU議会などの決定を執行する。AU委員会は予算も管理し、加盟国はその政策提案に対して何の影響力もない。54カ国と2000以上の民族が集まる大組織のなかでは、中央に権力が集まり過ぎていた。AU委員会の力はほとんど疑惑や陰謀を生み出すだけで、最後は加盟国の抵抗に合った。
誰にでも加盟を許したのも勘違いだった。EUに加盟するためには厳しい政治的経済的条件を満たさなければならないが、AUには、どんな「ならず者国家」も破綻国家も入ることができた。実際、出資金の滞納で前身のOAUを追放されるべきだった18カ国も、カダフィが滞納分を立て替えて加盟させていた。AUはまた加盟国の内政には不干渉を貫いている。戦争犯罪や人権侵害を犯した政府を怖がらせないようにするためだ。その結果今では、モロッコを除くすべてのアフリカ諸国がAUのメンバーになっている。
当然ながら、AUは設立来の15年間でほとんど何も達成していない。年1回の首脳会議では荒唐無稽なコミュニケを発表するだけで、あとは恥知らずの独裁者同士でシャンペンを酌み交わし、互いの長寿を讃え合うのが恒例だ。2011年にリビアが内戦状態に陥ると、AUは首脳会議議長を務めるギニアのテオドロ・オビアン・ンゲマ・ンバゾゴ大統領を派遣した。アフリカでも最長記録を誇る独裁者オビアン・ンゲマを、紛争収拾と「民主化への移行」を助けるために送ったのだ。
AUはこれまでに1度も外交的に紛争を解決したことがないし、AUが平和維持軍を送った先では、スーダンのダルフールにしろソマリアにしろマリにしろ、一向に和平はこない。
【参考記事】「失敗国家」に軍事介入するな
AUでは民主主義の定義も一致しない。AUの判定では、どんな選挙も「自由で公平」になる(最近、反政府の指導者を投獄したルワンダやウガンダ、コンゴなどを非民主的と非難することも、AUの高邁な「不干渉主義」に違反することになるのだから)。
AUは経済政策でも無能だった。AUは自らの本部ビルを建てるお金もなかったので、エチオピアのアジスアベバに建設されたピカピカのビルの建設費2億ドルは中国に払ってもらった。
【参考記事】習主席、アフリカをつかむ――ジブチの軍事拠点は一帯一路の一環
もちろん、腐敗した独裁者なら支払えただろう。たとえばスーダンのオマル・ハッサン・アフメド・アル・バシル大統領の資産は推定90億ドル。アンゴラ大統領の長女、イザベル・ドス・サントスでさえ個人資産は32億ドル。
だが、本当に恥辱なのは本部の中で行われていること、あるいは行われていないことだ。AUは市場統合と道路、線路、通信などのインフラ建設を進めることで工業化を促進する役割を担っていた。そして、どちらにも見事に失敗した。
アフリカ版マーシャル・プランも失敗
AUの惨憺たる「実績」のなかで唯一明るい部分があるとすれば、2001年に発表した「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」だろう。IMF(国際通貨基金)や世界銀行などの指図を受けずにアフリカがアフリカのために作った経済政策だ。主としてインフラ開発のために、西側から640億ドルの資本を呼び込むことに成功した。
だが「アフリカ独自」を打ち出しながらも、NEPADは実は、第2次大戦後にヨーロッパを復興したアメリカのマーシャル・プラン(欧州復興計画)を下敷きにしていた。言うまでもなく、戦後のヨーロッパとアフリカは似ても似つかない。アフリカでは壊れたものを修復するのではなく、制度やインフラを一から作らなければならない。ナイジェリアの政治家で元国連アフリカ経済委員会事務局長のアデバヨ・アデデジが2002年に言ったように、「マーシャル・プランはアフリカのような低開発市場ではうまくいかない。アフリカに必要なのは新しいビルで、ビルの復旧でも再建でもない」
道路1マイルも作らず
2003年、当時AU議長だった南アフリカのターボ・ムベキ大統領は、NEPADは失敗の危険に直面していると認めた。大半のアフリカ諸国には、大規模の投資を効率的に活用する能力がなかったからだ。3年後、NEPADは死の床にあった。投資はほとんど実行されなかった。当時セネガルの大統領でNEPADの生みの親の一人であるアブドゥライ・ワッドは2006年の記者会見で言った。「NEPADはわずか1マイルの道路も作らなかった」
アフリカは盲目的に西側をまねするのをやめ、自らの伝統や遺産をモデルにするべきだ。アフリカは優れた統治の歴史がある。緩やかな連合、長の下での合意に基づいた参加型民主主義、自由な市場......。すべてのアフリカ帝国は、マリ、ガーナ、ジンバブエ、かつてのゾンガイ帝国(今の西サハラ)などもそうだが、権限の移譲と権力分散による連合体になっていた。同様に市場も植民地時代以前のアフリカではどこにでもあったし、価格も管制ではなく取引によって決まった。
中央集権化して誰も言うことをきかないAUのような組織の代わりに、上から選択肢を押しつけるのではなく各国が互いに利害を調整する緩やかな連合体が必要だ。こうした連合体は、厳しい加盟条件を課さなければならない。政治経済の決定や将来のビジョンを共有するには、共通の基盤が必要だ。最低でも、各メンバーは民主主義国でアフリカの遺産でもある自由市場、自由企業、自由貿易を旨としなければならない。
イギリスのEU離脱はEUの終わりを早めたかもしれないが、アフリカはこれを新たな始まりと見るべきだ。AUは、外国製の制度がアフリカには合わないことを証明した。幸い、よりよいモデルはアフリカ自身の裏庭に見つけることができる。
From Foreign Policy Magazine
ジョージ・アイッティー(米自由アフリカ財団理事長)