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「どこかおかしい」世の中を分析する2つのキーワード

ニューズウィーク日本版 2016年7月12日 17時41分

<「ものさしの不在」と「処方箋を焦る社会」の2つに注目し、デモから差別、平和、沖縄問題、震災まで、浅はかな正義感が絡みつくさまざまな物事の本質を紐解いていく『違和感の正体』>

『違和感の正体』(先崎彰容著、新潮新書)の根底にあるものは、テレビからインターネットまでのさまざまなメディア、あるいは各界の知識人が口にする"正義"のあり方が「どこかおかしい」という著者の気持ちだ。その収まりの悪さを、「違和感」という言葉に置き換えているわけである。

「違和感」の対象は、デモ、差別、教育、時代の閉塞感、近代化、平和、沖縄問題、震災と多岐にわたる。程度の差こそあれ、それらのすべてに、浅はかな正義感が絡みついていると分析するのだ。

 注目すべきは、著者が現代社会を理解するためのキーワードとして「ものさしの不在」と「処方箋を焦る社会」の2点に注目していることである。まず「ものさしの不在」の例として挙げられているのは、東日本大震災と福島第一原発事故のこと。

 たとえば震災当時、「千葉県のコスモ石油千葉製油所が爆発した際、有害物質が拡散された」というような誤情報が流された。また原発の水蒸気爆発後、政府の発表を信じていいのかと多くの人が混乱したことも記憶に新しい。

 思想を専門とする筆者からみて、これらの事実から言えるのは「絶対に正しい基準がなくなった」ということです。言い換えれば、社会の善悪判断を最終的に担保する基準が壊れたということです。(7ページ「はじめに――ものさし不在の時代に」より)

【参考記事】写真特集:震災と「核」をダゲレオタイプで撮り続けて

 そしてもうひとつの「処方箋を焦る社会」。この根底にあるのは、思想家に対する著者の解釈だ。すなわち思想家は「時代を診る医者」であり、思いつきの意見との最大の違いは、専門的な知識の有無だというのである。ところがさまざまな常識が崩壊し、すべての価値判断を自己決定しなければならない現在の状況においては、きわめて短い時間軸で物事を決定しなければならず、また結果を求めたがる。

 長期的な観点から時代状況を判断する余裕のない〈私〉たちは、しばしば政治・経済・外交問題について、場当たり的なスローガンに飛びつきます。自分自身がヤブ医者になってしまう場合があるのです。事件事故についてほとんど知識もないままに、善悪の判断を下し思いつきを大層な「意見」だと勘違いする。(10ページ「はじめに――ものさし不在の時代に」より)

 たしかにそう考えていけば、世の中のあらゆる物事の本質を紐解いていくことができそうだ。だから、網野善彦、福澤諭吉、吉本隆明、高坂正堯、江藤淳―らの思想家たちが遺した考察を交えながら展開される話は、ひとつひとつが興味深い。が、タイミング的な意味も含め、なかでも特に響いたのが「平和論」だった。



 2015年、イスラム国による日本人殺害事件、そしてパリでの大規模なテロ事件を知らされた私たちは、とても生々しい現実と直面せざるを得なかった(最近の出来事なのでもちろん掲載されてはいないが、先ごろバングラデシュの首都ダッカで起きた人質事件もここに収められることになるだろう)。そのことを出発点として、平和のあり方を考察しているのである。しかしそれは、恐ろしい未来へと続く緩やかな階段のようにも見えるのだ。

【参考記事】イスラム過激派に誘拐された女性ジャーナリストの壮絶な話

 人は誰でも殺しあうべきではないし、紛争は起きない方がよいと思っています。しかしこの「当然の正義」が、場合によってはつうじないときがある。なぜでしょうか。なぜ誰でも頷くはずの簡単なことが実現しないのか。 答えはきわめて簡単です。こちら側とあちら側で考える「正義」や「平和」の意味が全く違うからです。(120ページより)

 この問題については、歯ブラシを置く場所をめぐる夫婦喧嘩をイメージすればわかりやすいと著者はいう。違う生活環境で育ち、違う生き方を身につけた者同士が、共有できる正義を粘り強くつくりあげるのが家庭生活。国際関係にもまた、同じことがいえるという解釈である。

 だとすれば、みずからの善意だけを信じて平和を、防衛を、国際秩序を語るわけにはいかない。国際関係もまた二百近い他国と、その間を縫うようにうごめく原理主義集団が集う安らぎなき世界です。秩序はつねに動揺し、流動と停滞をくり返しています。壁を叩いてむこう側の意志を確認しあうように、理解困難な他者と、交渉を続けねばならない。(120~121ページより)

 こののち、話題は2014年の「アベノミクス解散」、そして翌年の集団的自衛権の閣議決定へと進んでいく。ちなみに閣議決定により集団的自衛権の行使容認が大騒ぎになっていたころ、著者は新聞には目を通さず、有識者会議が提出した報告書「『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』報告書」を読み込んでいたのだという。

 読んでいて最重要だと思われたのは、報告書が、憲法前文と第九条を関連づけて解釈していることでした。憲法前文で謳われた「平和主義」が、第九条を想起させることは言うまでもありません。驚いたのは、憲法前文が続けて「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と述べていることでした。この文章を報告書は「国際協調主義」と名づけ、平和を維持し、専制や圧迫を除去しようと努める国際社会で名誉ある地位をしめるためには、他国の苦痛を無視してはならないと解釈したのです。 つまり、平和主義と国際協調主義の二つの精神を柱に、日本国憲法は成り立っていると報告書は主張しているのです。(123~124ページより)



 すなわち集団的自衛権の行使容認は、「自国のことのみに専念」することをやめ、世界秩序の構築に積極的に打って出ようとするものだということになる。著者自身も「驚いた」と記しているが、このような逸脱した解釈がいつの間にか広がり、ふと気がつけばあたかも、それが"正義"であるかのように語られていたという現実。それこそまさに「ものさしの不在」と「処方箋を焦る社会」の典型例だといえるのではないか。

 もちろんここで話が終わるわけではないのだが、参議院選挙で自公維が圧勝し、改憲勢力の存在感が圧倒的なものになってしまったいま、この部分だけが私の心のなかから離れなくなってしまった。思想の描く輪郭と現実のそれがぴったりと重なってしまったかのような"違和感"が離れないからだ。

 しかしそれは、緻密に重ねられた本書のロジックが、現実の恐ろしさを生々しいほどに際立たせてしまっているということの証明なのかもしれない。


『違和感の正体』
 先崎彰容 著
 新潮新書


[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。2月26日に新刊『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)を上梓。


印南敦史(作家、書評家)

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