<ダッカのテロ事件に関して、複数のバングラデシュ政府上層部がパキスタン情報機関の関与の疑いに言及している。確実な証拠は示されていないが、パキスタンにはバングラデシュ現ハシナ政権に揺さぶりをかけたい十分な理由はある>(写真はダッカテロの発生当時、現場の警備あたるバングラデシュ警察)
今月1日、バングラデシュの首都ダッカで、若者の武装集団による大規模なテロ事件が発生した。日本人7人を含む外国人ら20人の人質が殺害されたことで、日本でも大きく報道された。
その動揺も収まらない3日、在パキスタンのバングラデシュ高等弁務官事務所がこんな発表をした。パキスタン政府に対し、バングラデシュのシェイク・ハシナ首相の顧問を務めるゴウェル・リズビ氏が「インドメディアによる報道は完全な『ナンセンス』である」と強調したという書面を送付したというのだ。
このインドメディアの報道とは、インドのテレビ局がリズビの発言を引用した記事のことだ。その内容は、「リズビが、カフェへの攻撃の背後にパキスタンのISIが存在すると非難した」というもの。つまり、首相の側近がパキスタンのISI(軍統合情報局=パキスタンで政府以上に権力をもつと言われる諜報機関)がテロに関与していると述べたというのだ。
だがリズビはそんなコメントはしていないと主張し、「大至急」パキスタンに弁明の書面を渡すようバングラデシュ高等弁務官に指示した。メディアとリズビの間にどんな齟齬があったのかは明らかにされていないが、いずれにせよ穏やかではない。
【参考記事】バングラデシュ人質事件、日本はこれから何ができるのか?
このエピソードは、バングラデシュ、インド、パキスタンの密接な関係性を如実に示している。ダッカ人質テロによって、この3カ国の間に緊張が走った。というのも、この3カ国には複雑な思惑が絡み合っているからだ。そしてその思惑の深層を知れば、報道とは違った事件の背景が浮かんでくる。
そもそも、インドメディアが報じられたように、パキスタンがバングラデシュのテロに関与するようなことがあり得るのだろうか。
実はバングラデシュでは、パキスタンの関与を指摘する政府高官がリズビ以外にもいる。リズビとは別の首相顧問であるホセイン・トウフィク・イマム氏だ。イマムはメディアの取材に、「人質を山刀などで殺していることから見ても、地元の違法なイスラム過激派組織ジャマートゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)が関与したと考えられる」と語っている。その上で、「ジャマートゥル(JMB)とパキスタンのISIのつながりはよく知られている。ISIはバングラデシュの現政権を転覆させたがっている」という爆弾発言もした。
パキスタンの諜報機関を名指しで非難しているのは、イマムだけではない。バングラデシュのハサヌル・ハック・イヌ情報大臣も、ISIがJMBと関連のあるイスラム系武装集団とつながっていたと述べ、ISIは「バングラデシュ人にトレーニングを行ってテロリストに仕立て、今回ダッカを攻撃したのだ」と発言している。そしてこの大物2人は共に、冒頭のリズビとは違い、発言を撤回する気配はない。
こうした発言に対して、パキスタン外務省は、「まったく根拠がなく、事実無根である。パキスタンはこうした疑惑を強く否定する」と主張している。
バングラデシュにパキスタンが介入する理由
今のところ、今回のテロにパキスタンが関与している確たる証拠は示されていない。だが少なくとも、パキスタンのISIがこれまで、長年のライバルである隣国インドを混乱させるためにイスラム過激派組織を囲い、テロ攻撃を実施させてきたのは周知の事実だ。インドとパキスタンが今も領有権を争うカシミール地方に対インドのテロ組織を動員させている他、2008年11月に少なくとも166人の死者(日本人1人を含む)を出したムンバイ同時多発テロ事件も、インド撹乱を狙ったISIの関与が指摘されている。その動きから考えると、パキスタンがバングラデシュでテロ工作に絡んでいたとしても何ら不思議ではない。
ではなぜパキスタンはバングラデシュを混乱させたいのか。その背景には、もともと英領だったバングラデシュとパキスタン、そしてインドの成り立ちが関係している。
【参考記事】ダッカ事件「私は日本人だ」の訴えを無にするな
インドとパキスタンは1947年、英領インドから独立した。独立に際しては、基本的にイスラム教徒の多い地域がパキスタンになり、ヒンズー教徒の多い地域がインドとなったが、バングラデシュにはイスラム教徒が多く暮らしていたため、インドを挟んだ飛び地としてパキスタン領の東パキスタンになった。後に東パキスタンは、インドの後押しでパキスタンと戦い、1971年にバングラデシュとして独立を勝ち取った。インドとパキスタンのライバル関係はよく知られているが、バングラデシュも両国の争いに巻き込まれてきた。
パキスタンとバングラデシュに挟まれるインドは、バングラデシュがパキスタン寄りになることを望んでいない。東西の両サイドから敵に挟まれることになるからだ。一方で、最大のライバルであるインドが地域で影響力を高めるのを阻止したいパキスタンは、インドの東に隣接するバングラデシュを不安定化してインドから遠ざけ、結局はパキスタン寄りにしたいとも考えている。そういう動機から、パキスタンはバングラデシュの動向を注視している。
さらにバングラデシュとパキスタンをめぐっては、こんな問題もある。
現在バングラデシュは、インド寄りの与党アワミ同盟が国を治めている。バングラデシュでは1971年の独立に際して起きた戦争犯罪を裁く特別法廷が行なわれているが、バングラデシュ警察は2015年11月、野党バングラデシュ民族主義党(BNP)の幹部で独立時にパキスタン側に加わっていたサラウッディン・チョードリーと、イスラム政党であるイスラム協会(JI)の幹部で独立時にパキスタン側として多くのヒンズー教徒を殺害したとされるアリ・ムジャヒドを、大量虐殺の罪で「一緒に絞殺刑」に処したと発表した。また今年5月にも、独立戦争時にパキスタン側の残虐行為に加担したとして死刑判決を受けていたJIの党首モティウル・ラーマン・ニザミの絞首刑が執行され、相次ぐ大物の処刑に国内外で緊張が走った。
この特別法廷はハシナ首相が主導して行なっているもので、反パキスタンという政治的な動機が背後にあると批判されている。またパキスタン政府は処刑に対して「深く困惑している」と嫌悪感を隠していない。
【参考記事】ISISの「血塗られたラマダン」から世界は抜け出せるか
こうした情勢の中で、今回のダッカテロは起きた。バングラデシュのイヌ情報大臣が今回のテロの後に、「パキスタンのISIは(バングラデシュがパキスタンから独立した)1971年の出来事をいまだに引きずっており、報復したがっている」と語っているが、決して荒唐無稽な話ではない。しかも1971年を引きずっているのはバングラデシュも同じだ。
事件前に起きていた「予兆」
イヌ大臣は、今回のテロの3カ月前に、外国人記者団を前にこんな興味深い発言をしていた。「私たちの調べでは、少なくとも8000人のバングラデシュ人の若者がアフガニスタンやパキスタンのテロ訓練キャンプで(国際テロ組織の)アルカイダから訓練を受けて帰国している。私たちは強く脅威を感じている」。またダッカ人質テロ直後には、「最近、武装勢力と関わっていたパキスタン人外交官数名を国外追放にした。彼らは正体を隠してパキスタン大使館に勤務していた」とも発言し、彼らがISIの工作員だったことを示唆した。
今回のテロでは、事件発生直後にアルカイダとIS(いわゆる「イスラム国」)が揃って犯行声明を出した。欧米や日本のメディアでは、犯人らが「イスラム国」の旗の前で撮影された写真が公開されたことから、今回のテロは「イスラム国」が関与した犯行ということになっている。だが「イスラム国」犯行説を否定するイヌ大臣による一連のコメントを見ると、真相はそれ程単純ではない可能性がある。
事件の背景は、可能性としてこんな見方もできる。パキスタンのISIが、パキスタンにいるアルカイダまたは別のイスラム過激派組織を利用し、今回のテロを「イスラム国」の犯行に仕立てあげたのかもしれない。というのも、ダッカテロ直後に筆者が取材したあるパキスタン人政治評論家は、ダッカ人質テロの犯人らがパキスタン国内で2カ月ほど戦闘訓練を受けていたという話が出ていると語っていた。ISIやアルカイダなどがからんでいるとすると、その話も辻褄があう。「イスラム国」の旗の前でポーズをとって、テロを「イスラム国」の仕業にするのは簡単なことだ。最近バングラデシュをテロの重要拠点と位置付けている「イスラム国」が否定する理由はないし、バングラデシュを混乱させたいパキスタンも「イスラム国」の責任にしておくほうが好都合だ。
ダッカ人質テロを、短絡的に「イスラム国」の犯行としてしまうと、事態の本質を見失う可能性がある。今後も、南西アジアの情勢を把握するうえで、この3カ国の動きには注意を払う必要がある。
【筆者】
山田敏弘
ジャーナリスト。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版などで勤務後、米マサチューセッツ工科大学(MIT)で国際情勢の研究・取材活動に従事。訳書に『黒いワールドカップ』(講談社)など、著書に『モンスター 暗躍する次のアルカイダ』(中央公論新社)、『ハリウッド検視ファイル トーマス野口の遺言』(新潮社)。
山田敏弘(ジャーナリスト)
今月1日、バングラデシュの首都ダッカで、若者の武装集団による大規模なテロ事件が発生した。日本人7人を含む外国人ら20人の人質が殺害されたことで、日本でも大きく報道された。
その動揺も収まらない3日、在パキスタンのバングラデシュ高等弁務官事務所がこんな発表をした。パキスタン政府に対し、バングラデシュのシェイク・ハシナ首相の顧問を務めるゴウェル・リズビ氏が「インドメディアによる報道は完全な『ナンセンス』である」と強調したという書面を送付したというのだ。
このインドメディアの報道とは、インドのテレビ局がリズビの発言を引用した記事のことだ。その内容は、「リズビが、カフェへの攻撃の背後にパキスタンのISIが存在すると非難した」というもの。つまり、首相の側近がパキスタンのISI(軍統合情報局=パキスタンで政府以上に権力をもつと言われる諜報機関)がテロに関与していると述べたというのだ。
だがリズビはそんなコメントはしていないと主張し、「大至急」パキスタンに弁明の書面を渡すようバングラデシュ高等弁務官に指示した。メディアとリズビの間にどんな齟齬があったのかは明らかにされていないが、いずれにせよ穏やかではない。
【参考記事】バングラデシュ人質事件、日本はこれから何ができるのか?
このエピソードは、バングラデシュ、インド、パキスタンの密接な関係性を如実に示している。ダッカ人質テロによって、この3カ国の間に緊張が走った。というのも、この3カ国には複雑な思惑が絡み合っているからだ。そしてその思惑の深層を知れば、報道とは違った事件の背景が浮かんでくる。
そもそも、インドメディアが報じられたように、パキスタンがバングラデシュのテロに関与するようなことがあり得るのだろうか。
実はバングラデシュでは、パキスタンの関与を指摘する政府高官がリズビ以外にもいる。リズビとは別の首相顧問であるホセイン・トウフィク・イマム氏だ。イマムはメディアの取材に、「人質を山刀などで殺していることから見ても、地元の違法なイスラム過激派組織ジャマートゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)が関与したと考えられる」と語っている。その上で、「ジャマートゥル(JMB)とパキスタンのISIのつながりはよく知られている。ISIはバングラデシュの現政権を転覆させたがっている」という爆弾発言もした。
パキスタンの諜報機関を名指しで非難しているのは、イマムだけではない。バングラデシュのハサヌル・ハック・イヌ情報大臣も、ISIがJMBと関連のあるイスラム系武装集団とつながっていたと述べ、ISIは「バングラデシュ人にトレーニングを行ってテロリストに仕立て、今回ダッカを攻撃したのだ」と発言している。そしてこの大物2人は共に、冒頭のリズビとは違い、発言を撤回する気配はない。
こうした発言に対して、パキスタン外務省は、「まったく根拠がなく、事実無根である。パキスタンはこうした疑惑を強く否定する」と主張している。
バングラデシュにパキスタンが介入する理由
今のところ、今回のテロにパキスタンが関与している確たる証拠は示されていない。だが少なくとも、パキスタンのISIがこれまで、長年のライバルである隣国インドを混乱させるためにイスラム過激派組織を囲い、テロ攻撃を実施させてきたのは周知の事実だ。インドとパキスタンが今も領有権を争うカシミール地方に対インドのテロ組織を動員させている他、2008年11月に少なくとも166人の死者(日本人1人を含む)を出したムンバイ同時多発テロ事件も、インド撹乱を狙ったISIの関与が指摘されている。その動きから考えると、パキスタンがバングラデシュでテロ工作に絡んでいたとしても何ら不思議ではない。
ではなぜパキスタンはバングラデシュを混乱させたいのか。その背景には、もともと英領だったバングラデシュとパキスタン、そしてインドの成り立ちが関係している。
【参考記事】ダッカ事件「私は日本人だ」の訴えを無にするな
インドとパキスタンは1947年、英領インドから独立した。独立に際しては、基本的にイスラム教徒の多い地域がパキスタンになり、ヒンズー教徒の多い地域がインドとなったが、バングラデシュにはイスラム教徒が多く暮らしていたため、インドを挟んだ飛び地としてパキスタン領の東パキスタンになった。後に東パキスタンは、インドの後押しでパキスタンと戦い、1971年にバングラデシュとして独立を勝ち取った。インドとパキスタンのライバル関係はよく知られているが、バングラデシュも両国の争いに巻き込まれてきた。
パキスタンとバングラデシュに挟まれるインドは、バングラデシュがパキスタン寄りになることを望んでいない。東西の両サイドから敵に挟まれることになるからだ。一方で、最大のライバルであるインドが地域で影響力を高めるのを阻止したいパキスタンは、インドの東に隣接するバングラデシュを不安定化してインドから遠ざけ、結局はパキスタン寄りにしたいとも考えている。そういう動機から、パキスタンはバングラデシュの動向を注視している。
さらにバングラデシュとパキスタンをめぐっては、こんな問題もある。
現在バングラデシュは、インド寄りの与党アワミ同盟が国を治めている。バングラデシュでは1971年の独立に際して起きた戦争犯罪を裁く特別法廷が行なわれているが、バングラデシュ警察は2015年11月、野党バングラデシュ民族主義党(BNP)の幹部で独立時にパキスタン側に加わっていたサラウッディン・チョードリーと、イスラム政党であるイスラム協会(JI)の幹部で独立時にパキスタン側として多くのヒンズー教徒を殺害したとされるアリ・ムジャヒドを、大量虐殺の罪で「一緒に絞殺刑」に処したと発表した。また今年5月にも、独立戦争時にパキスタン側の残虐行為に加担したとして死刑判決を受けていたJIの党首モティウル・ラーマン・ニザミの絞首刑が執行され、相次ぐ大物の処刑に国内外で緊張が走った。
この特別法廷はハシナ首相が主導して行なっているもので、反パキスタンという政治的な動機が背後にあると批判されている。またパキスタン政府は処刑に対して「深く困惑している」と嫌悪感を隠していない。
【参考記事】ISISの「血塗られたラマダン」から世界は抜け出せるか
こうした情勢の中で、今回のダッカテロは起きた。バングラデシュのイヌ情報大臣が今回のテロの後に、「パキスタンのISIは(バングラデシュがパキスタンから独立した)1971年の出来事をいまだに引きずっており、報復したがっている」と語っているが、決して荒唐無稽な話ではない。しかも1971年を引きずっているのはバングラデシュも同じだ。
事件前に起きていた「予兆」
イヌ大臣は、今回のテロの3カ月前に、外国人記者団を前にこんな興味深い発言をしていた。「私たちの調べでは、少なくとも8000人のバングラデシュ人の若者がアフガニスタンやパキスタンのテロ訓練キャンプで(国際テロ組織の)アルカイダから訓練を受けて帰国している。私たちは強く脅威を感じている」。またダッカ人質テロ直後には、「最近、武装勢力と関わっていたパキスタン人外交官数名を国外追放にした。彼らは正体を隠してパキスタン大使館に勤務していた」とも発言し、彼らがISIの工作員だったことを示唆した。
今回のテロでは、事件発生直後にアルカイダとIS(いわゆる「イスラム国」)が揃って犯行声明を出した。欧米や日本のメディアでは、犯人らが「イスラム国」の旗の前で撮影された写真が公開されたことから、今回のテロは「イスラム国」が関与した犯行ということになっている。だが「イスラム国」犯行説を否定するイヌ大臣による一連のコメントを見ると、真相はそれ程単純ではない可能性がある。
事件の背景は、可能性としてこんな見方もできる。パキスタンのISIが、パキスタンにいるアルカイダまたは別のイスラム過激派組織を利用し、今回のテロを「イスラム国」の犯行に仕立てあげたのかもしれない。というのも、ダッカテロ直後に筆者が取材したあるパキスタン人政治評論家は、ダッカ人質テロの犯人らがパキスタン国内で2カ月ほど戦闘訓練を受けていたという話が出ていると語っていた。ISIやアルカイダなどがからんでいるとすると、その話も辻褄があう。「イスラム国」の旗の前でポーズをとって、テロを「イスラム国」の仕業にするのは簡単なことだ。最近バングラデシュをテロの重要拠点と位置付けている「イスラム国」が否定する理由はないし、バングラデシュを混乱させたいパキスタンも「イスラム国」の責任にしておくほうが好都合だ。
ダッカ人質テロを、短絡的に「イスラム国」の犯行としてしまうと、事態の本質を見失う可能性がある。今後も、南西アジアの情勢を把握するうえで、この3カ国の動きには注意を払う必要がある。
【筆者】
山田敏弘
ジャーナリスト。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版などで勤務後、米マサチューセッツ工科大学(MIT)で国際情勢の研究・取材活動に従事。訳書に『黒いワールドカップ』(講談社)など、著書に『モンスター 暗躍する次のアルカイダ』(中央公論新社)、『ハリウッド検視ファイル トーマス野口の遺言』(新潮社)。
山田敏弘(ジャーナリスト)