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いとうせいこう、ハイチの『国境なき医師団』で非医療スタッフの重要さを知る(7)

ニューズウィーク日本版 2016年7月14日 16時45分

<「国境なき医師団」の取材で、ハイチを訪れることになった いとうせいこう さん。取材を始めると、そこがいかに修羅場かということ、そして、医療は医療スタッフのみならず、様々なスタッフによって成り立っていることを知る。そして、夕方、人生最高のパーティを経験する...>

これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く 1、2、3、4、5、6」

昼の宴

 2016年3月27日、日曜日早朝。
 山の宿舎のダイニングテーブルでは、いつもの半ズボン姿のポールが前日から仕込んでいたパン生地を全身の力をこめてこねていた。

 レーズンを入れたシナモンロールになるという話は聞いていたが、大きな白い小麦粉の塊をポールはまるで柔術の演武のように腰を低くして集中しながら練り、ぺたりと音を立てて裏返しては休むと、首を何度もくるくるひねってふうっと息を吐いた。太ったブルース・リーのようにも見えた。やっぱり独特な人物だ。

(修行中のポール校長)

 卵やバターを使った菓子パンは、絵を描いたゆで卵同様、イースターの定番であり、つまりポールはモン・ラカイで行われる特別なブランチの用意をしているのだった。

参照記事:『国境なき医師団』を見に行く3 (ポール校長の授業)

 参加者が全員集まったのは午後一時を過ぎていたと思う。それまでに三々五々姿を見せたMSFの派遣メンバーは、例えばモハマドが豆の粉で作る揚げ物、ダーンたちがチカイヌの宿舎でボウルいっぱいに作ってきた生地で薄いパンケーキ、紘子さんがボール紙を工夫して巻いた寿司などを次々にこしらえた。

 フェリーもカールも来た。他に前日の「史上最高のパーティ」にいたメンバーも駆けつけていた。マタンもいた。コレラ緊急対策センターのスチュアートも、性暴力被害者専門クリニックのアンジーも、インドネシア人の夫と二人の幼い子供と共に一階に住んでいるマリーンも、みな玄関前のポーチにテーブルを並べ、持ち寄ったごちそうを楽しみに眺めた。

 ポールのひと言で始まった聖なる昼餐は、とてもカジュアルで親しげなものだった。翌日から激しい任務が再開されるのだろう。ほんのつかの間、彼らはイースターを祝い、一緒に物を食べることで絆を強めた。

 二人のヒロコさんはやがて、屋敷の外側に付いている大きなベランダのような場所へ移動した。MSFジャパンのために、紘子さんのインタビュー映像を撮る話がついているらしかった。

 強い日差しの中、向こうの山並みがくっきりと見えた。緑は萌えていた。鳥の鳴き声が聞こえた。ベランダの椅子に座った紘子さんは急に緊張し始め、用意してきた答えを言おうとして何度もNGを出した。真面目な人だった。その紘子さんの様子を遠くからフェリーとカールがビールの小瓶を持って見守っていた。それから例のムク犬も、そのあとで別な犬も見に来た。

(犬は増えた)

 リラックスしてもらおうと途中でなにげない話を聞いているうち、彼女の勤める場所CRUOがフランス語で産科救急センターを示す言葉の略称だということがわかった。忙しい日々の中、今でも毎日、医療英単語のスピードラーニングをしているのもわかった。

参照記事:いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く2(イースターのハイチ)

 同じく南スーダンにいたことのある谷口さんが「アフリカのミッションはきつくありませんでしたか?」と問うと、きりっとした目になって「いえ、使命感に燃えたぎっていてまったく何も感じませんでした」と答えたのも印象的だった。

 アフリカで「静かなる娘」と命名されていたというエピソードは、彼女を表現するのにぴったりだった。控えめにしていながら、少しでも質問してみると心の内側にマグマのような熱いものがあるのがわかるのだ。

 ちなみに、もうじき発売されるレキシというバンドの5枚目のアルバムの中に、俺が作詞・朗読した『旧石器ベイベ』という曲があるのだが、そこで俺は「静かなる一族の娘」という単語を使っている。それはいわば彼女へのちょっとしたオマージュだ。



夜の音楽

 その日は休息した。片づけを手伝ったり仮眠したり、マタンと話したりして夜になった。

 19時過ぎにダイニングで昼のごちそうの残りを食べていると、二人の白人壮年女性が大きな荷物を持ってがやがやと入ってきた。翌日から現地の医療スタッフ向けに新生児ケアの研修を行うというオランダ人の二人組だった。どちらもがたいのいい、パワフルな女性で、プントとヘンリエッタと言った。

 「空港からここに来る途中、街中に音楽が鳴っていて凄かったわよ。人が踊ってて」
 特に強そうなヘンリエッタさんがポールに説明した。

「ああ、イースターだからね」

 そう答えたポールだったが、彼自身はさして興味がなさそうだった。

 むしろ興奮したのは俺で、山の上にさえいなければブードゥー的な儀礼の様子が見られたのにと思った。すると、確かに山の遠くから歓声のようなものがうっすら聴こえるのがわかった。

 俺はスマホを持って屋敷を飛び出した。打楽器の音が響いていた。男たちが声を合わせて何か歌っていて、時にそれが高まって怒号のようになった。近くの村でも儀式は行われていた。暗い庭の中で、俺は壁へ壁へと近づいていき、夜の闇にスマホを高くかざした。録音したいのだった。

 警備の面々は何だと思っていたことだろう。闇に舞う蝶でも捕まえるような仕草と集中力で、俺は右手を空にかざし続けていたのだ。

 耳にはっきり聴こえていた音は、スマホにはまったく録れていなかった。
 そのハイチのイースターの、日本の祭りの最高潮にも似た歓声は。

「空港倉庫」

 翌28日、6時15分の定期便(四駆)でコーディネーション・オフィスへ行き、そこで車を乗り換えてポルトー・プランスの北部にあるMSFの倉庫へ行った。「空港倉庫」と言うのがおそらく正式名だが、例のコードネームのシステムでは小粋な名が付いていた。だが、それが書けない。悔しい。

 「ようこそ、○○○へ」
 俺たちを招いてくれたマタン(コンゴ民主共和国出身)が、巨大な倉庫の入り口でそう言った。物資調達の担当をしているのが彼だった。

 中に入ると天井までの高い棚が、びっしりと並んでいた。そこにありとあらゆる物資が積み込まれていた。例えば、コレラ対策用のマスクがダンボールいっぱいになり、テントがたたまれており、清潔な飲み水、消毒液、緊急時の食料、注射器、手術用手袋、乾電池、毛布、ベッドカバーなどなどが、それぞれプロジェクト名と共に整理されている。

 通常はサプライチームが全面的に管理する物資なのだそうだが、ハイチではプロジェクトが各々、必要な物を出し入れ、管理しているらしかった。それだけ事態が複雑なのかもしれない。

 薬剤に関しては、インドから運ばれたものが多いことも聞いた。現在インドは公衆衛生保護のため、特許の付与について他国よりも厳しい条件を設けている。これがジェネリック薬の健全な市場競争を実現していて、「途上国の薬局」とも言われているのだそうだ。

 なぜこの情報が書かれるべきかと言えば、MSFは常に品質が安定し、かつ適正な価格の薬やワクチンを必要としているからだ。途上国にとって、また全資金の約 90%を寄付で運営しているMSFにとって、先進国向けの先発薬は極めて高価なのだ。

一人でも多くの命を救うため、ジェネリック薬の供給は欠かせないのである。

<インドの重要性についてはこちら>

(倉庫の中、リフトが走り回る)

 簡素な鉄階段で二階へ行くと、ベニヤで仕切られた部屋にオフィスがあり、各病院の古いカルテがしまわれた場所などがあった。様々な部屋を見せてもらっていた俺だが、覚えているのはむしろ倉庫のどこかで小猫の声がしたことばかりだ。

 結局ウミネコらしいことがあとでわかるが、その時の俺は迷い猫をなんとかしてやりたい気持ちでいっぱいになった。衛生の観点からも、動物愛護の観点からも、俺はそのへんをゆるがせに出来なかった。

 やがて倉庫の入り口で始まった朝礼で、マタンから十数人の職員に紹介してもらうと、すぐに俺は中へ取って返した。小猫はどこだ、どこに入り込んでしまっているのだ、もっと言えばどんな柄の、どんなかわいいやつなのだ、ハイチの猫ってやつは。

 朝礼のおかげで広い倉庫には誰もいなかった。
 おまけに鳴き声も急にやんでいた。

 こうして見つかることのない猫を探して倉庫の中を一人で歩き回る俺は、大きな目的を忘れてすっかり別世界に入り込んでいた。

 つまり、迷っているのは猫でなく俺なのだった。



産科救急センター(CRUO)

 八時半、猫探しをあきらめた俺は産科救急センターへ行く四駆に乗った。そここそが紘子さんの働いている病院だった。

 崩れかけた壁の道側にゴミが山となっていて、そこに牛が放たれて生ゴミをあさっていた。ガレキだらけの敷地に鉄骨がぐにゃりと曲がって立っていた。

 その向こうに青空があった。
 東北で見たことのある景色だった。

 震災の跡と、自然の無情。
 谷口さんが話してくれたところによると、ハイチの富裕層は先進国のそれに負けない財産を持っているのだそうだった。ひと握りの彼らはしかし、国民を守ることがない。

 俺は自分がどこにいるのか、ますますよくわからなくなった。

 産科救急センターの裏口から中に入ってぼんやりしていると懐かしい声が後ろからした。
 フェリーが目を細めて微笑んでいた。

 すぐに紘子さんも緑衣にエプロンという、勤務中の格好で現れて、二人で俺たちを案内し始める。

 食堂があり、広い洗い場があって、現地の女性たちが働いていた。コンクリートの上に洗濯物を置いてごしごし洗い、水で流し、木の間にわたした紐に吊るすのだ。

 奥にコンテナで出来た事務所があって、まずそこに入った。フェリーの部屋があった。少し冷房がかかっていて、小さくクラシック音楽が鳴っていた。横にカールの机もあった。

 「2011年の3月8日に出来たんで、あちこち補修が必要だ。だが、予算がなくてね」
 フェリーは大きな体をより大きく動かし、片目をつぶった。

 俺たちがソファに座ると、彼はコーヒーを淹れ、様々な話を始めた。

 ロジスティックがなければ医療もないのだ、とフェリーは言った。ジェネレーターもあのコーヒーマシンの洗浄も、緊急治療室の電気も、トイレも、検査室や手術室に必要な冷房も、すべてロジスティックとサプライチームが用意して、医療従事者がベストを尽くせるようにする。となれば、その医療と非医療の連携を束ねる責任者も当然必要になるだろうと俺は納得した。

 つまりフェリーの話は、なぜ彼ら非医療スタッフがそこにいるのかの重要な説明になっていたのだった。

 また、ハイチの出産ピークが10月から1月で、カーニバルの9ヶ月後になっていることも、フェリーは例のハリウッドっぽい笑顔で教えてくれた。ただし、それはジョークでもありながら、ピークに合わせて医療チームも非医療チーム(電気技師も、衛生係も、車輌スタッフも)も人員を増やすという管理の話につながっていた。

 コーヒーを飲み終えると、フェリーは外へ出ようと俺たちを誘った。

 例えば焼却炉があり、そこでは医療廃棄物が適正に処理できる温度での焼却が行われていた。あるいは、昔馬小屋だった部屋を使っているために、蹄鉄をかける場所がそのまま衣料かけになっていたりした。最先端と旧式がないまぜになって使われているのだ。



 歩く間に陽光の中でフェリーはこんなことも言った。

 「今、我々は周囲の病院の能力をつぶさに調べている。我々は土地の医師たちに任せて去れるようにしなければならないからだ。だからこそ、ここクリュオのカバー率も徐々に減らすように心がけているんだよ」

 まぶしそうな顔で彼は続けた。
 「これから三年はかかるだろう。この施設もそれに備えて変えていかねばならない。いつまでも駐留しているのでは目的が違う」 
 そして、最後にこう付け加えた。

「難しいことだが、長い道も一歩からだ」

 フェリーはつまり、千里の道も一歩からを引用していた。ことわざをサービスしてくれたのだ。口の端がにやりと上がっていたから間違いなかろう。

 それから俺たちは 産科救急センターの病院内に足を踏み入れた。

 廊下でカールに会った。ダーンも緑衣姿で通りかかった。その時に疫学のエキスパートだとわかったオルモデもいた。

 そして看護師のリーダーであるベルギー人ステファニーにも会った。
 彼女はほんの一週間ほど前、帰還していたベルギー空港で爆弾テロに遭い、多くのニュース映像に出た人だった。携帯電話を耳にあて、右手を血で真っ赤にしながら何かしゃべっている写真だ。当時世界中の人が見たし、今も検索するとすぐにわかる。

 それが数日後にはもうハイチに戻って仕事を始めていたのだった。なんと勇敢な女性だろうか。

 となると、写真の意味もまるで変わってくる。
 悲嘆に暮れて家族に電話している女性、といういわゆるマスコミ向きの一枚ではない。

 おそらくあれは、状況を医療関係者に伝え、適切な処置を要請していた姿に違いないのだ。
 そうでなければ、怪我が治るのもそこそこにMSFに復帰するはずがないのだから。

参照記事:【写真リポート】ブリュッセルで連続自爆テロ

 そんな猛者たちが黙々と妊産婦たち、新生児たちを守る産科救急センターの内部については次回さらにくわしくレポートする。

続く


<補足>
・菊地紘子さんのカチンコチンになったインタビュー映像ダイジェストを、谷口さんが緊急にまとめてくれた。
その緊張ぶりと真面目さをどうぞご覧下さい。
<紘子さんメッセージ>

・また、第一回で紹介したビデオの日本語版も作られたようだ。
<MSFのTシャツへの思い>


いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

いとうせいこう

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