<都知事選に立候補した小池百合子氏が「冒頭で都議会を解散する」と訴えて話題になった。都知事は総理大臣以上に強い権限を持つが、解散については、法律上その権限がない。では、総理大臣の「伝家の宝刀」である衆議院の解散権はどうかというと、実はこちらも法的根拠があるわけではないのだ>
去る14日、東京都知事選が告示された。いち早く立候補を表明した小池百合子氏は、知事に当選したならば「冒頭で都議会を解散する」ことを事実上の公約に掲げて、話題になった。
都議会の解散とは、議会に所属する議員を全員いっせいに辞めさせ、選挙を実施することで、議員を総入れ替えすることを意味する。
既に新聞やテレビ、ネット上でさんざん報じられているとおり、都知事に都議会を解散する権限はない。
◆地方自治法 第178条1 普通地方公共団体(東京都を含む。※筆者注)の議会において、当該普通地方公共団体の長の不信任の議決をしたときは、直ちに議長からその旨を当該普通地方公共団体の長に通知しなければならない。この場合においては、普通地方公共団体の長は、その通知を受けた日から10日以内に議会を解散することができる。〔中略〕3 前2項の規定による不信任の議決については、議員数の3分の2以上の者が出席し、第1項の場合においてはその4分の3以上の者の〔中略〕同意がなければならない。
「お前は知事にふさわしくない」との不信任決議が、議会から示されたときに初めて、知事はそれに対抗するかたちで議会を解散することができる。要は「リアクション」としての解散しかできないのである。
仮に当選した暁には、小池氏は、どのようにして「冒頭解散」に打って出るつもりなのだろうか。まだ都知事として何もしていない段階で、自らへの不信任を決議するよう、さっそく都議会に頼みこむのだろうか。それとも、何らかのメッセージを送って、自主的に解散するよう、都議会を説得するのだろうか。
もしかすると、小池氏は自民党の正式な推薦を得ずに立候補したので、都議会でも多数を占める自民党議員から煙たがられているに違いないと考え、先手を打って「冒頭解散」を明言することで、自らへの不信任決議を出さないよう釘を刺しておく作戦なのかもしれない。
【参考記事】都知事選に都政の選択肢はないのか?
いずれにせよ、都知事の「解散権」によって行われる解散とはいえない。
総理大臣、アメリカ大統領以上(?)の権限を持つ知事
もっとも、国政に携わってきた期間が長い小池氏である。内閣総理大臣には衆議院を解散する権限があるにもかかわらず、都知事に都議会の解散権がないのはなぜだろうかと、摩訶不思議に、そして歯がゆく感じてらっしゃるのではないか。
都道府県の知事は、ある面で、内閣総理大臣を上回る強力な権限を持っている。なぜなら、地元の住民による直接選挙で選ばれるからだ。
多くの住民からダイレクトな支持を集めて選ばれた知事は、強い権限を与えられ、その権限を積極的に振るうことも民主的に正当化されうる。日本の地方自治制度は、アメリカなどの大統領制に近いとされる。
総理大臣は、国会議員の多数決のみで選ばれる。そのため、重要な政治決断をする局面では、国会における多数派工作の鍵を握る与党幹部の顔色さえ窺っておけば十分だろう。たまに国民の意思も気にするが、それは「内閣支持率」という間接的かつ抽象的な指標のアップダウンを気にしているにすぎない。
一方で知事は、その都道府県に住む国民のことを気にしないわけにはいかない。ヘタなことをすれば、次の選挙で直接クビにされる生々しい関係性があるからだ。
では、知事になると具体的に、どのような権限を握ることができるのか。
まず、知事単独での「議案提出権」(地方自治法149条)が与えられる。新しい独自ルールのアイデア(条例案)や、次年度の税金等の使い道プラン(予算案)を、知事は自分の考えでとりまとめて議会に提出できるのである。
ちなみに、議案提出権は、アメリカ大統領にはない権限らしい。日本の内閣総理大臣も単独での議案提出は許されず、内閣の閣議を経る必要がある。
東京都を仮に、都民を乗せる「乗り物」だとしたら、都の職員がエンジンであり、都知事は運転席でハンドルを握っているドライバーの役割だろう。しかし、それだけで乗り物は前へ進まない。行き先を決める地図やカーナビのような「条例」を用意し、乗り物の燃料になる「予算」を、年に1度補給できなければ止まったままなのである。
知事が提出する条例案や予算案も、「案」のままでは機能しない。議案の提出を受けた議会が、議論と多数決を経て、正式な条例や予算として成立させることにより、ようやく乗り物が動き出す。これが基本的な地方自治の流れである。
ただ、知事には「専決処分」という、さらに強い権限がある(地方自治法179条、180条)。知事の出した議案をめぐって激しい対立が巻き起こるなど、様々な理由で議会がストップした場合や、緊急を要する場合などには、議会の議決を待たなくても、知事はとりあえず実行してしまえるのである。
ある意味で無茶ともいえる権限ではあるが、知事が住民の多数から直接選ばれ、信任されているからこそ、このような専決処分も許される。
ただ、それほど民主的正統度の高い知事にもかかわらず、議会を一方的、積極的に解散させる権限は持たされていない。一方で、総理大臣は、衆議院の解散権を「伝家の宝刀」として、常にその手に握っているとされる。なぜだろうか。
総理大臣の衆議院解散権に、法的根拠はない?
衆議院の解散については、日本国憲法の第69条に定められている。
◆日本国憲法 第69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
これは、不信任決議に対するリアクションとしての解散を定めており、冒頭に挙げた地方自治法178条1項と同様の規定にすぎない。よって、この条文を、常時行使可能な「解散権」の根拠とするわけにはいかない。
衆議院が解散されるとき、議場に衆議院議員が集まり、皆でいっせいに万歳三唱をするシーンは、ニュース報道などでもおなじみで、壮観な光景である。じつは、総理大臣が解散権を行使して衆議院を解散する場合、万歳三唱の直前に、衆議院議長は次のような一文を読み上げている。
「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する!」
では、そこに何があるのか、改めて日本国憲法第7条をチェックしてみたい。
◆日本国憲法 第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。〔中略〕3 衆議院を解散すること。〔後略〕
ご覧のとおり、衆議院を解散する事実を公にお示しになる、天皇陛下の国事行為――そのことしか書かれていない。
しかも、「内閣」の「助言と承認」である。とても、権限を定めた条文には見えないし、内閣に属するのが、総理大臣だけでないことは言うまでもない。
また、天皇陛下の国事行為には、衆議院解散の他に「憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること」「国会を召集すること」「儀式を行うこと」などもある。では、これらもすべて、「公布権」「召集権」「儀式権」などとして、総理大臣の独断で実行できるのだろうか。そんな馬鹿な話はない。
もし、憲法第7条から、総理大臣の独断で衆議院を解散する権限の存在を読み解ける人がいるとしたら、なかなか思い込みの激しいひねくれ者であろう。
だが、戦後まもない1952年の夏、当時の吉田茂総理大臣は、内閣不信任決議の「な」の字も出ていない局面で、いきなり超法規的に衆議院の解散を宣言した。そして、実際に解散総選挙も行われてしまった。
もちろん、この解散は憲法違反だとして大きな裁判にもなった。しかし、一国の総理大臣による高度に政治性のある判断に対し、むやみに司法が首を突っ込むべきではないとして、当時の最高裁判所は憲法判断を避けた。
こうした出来事が既成事実となり、60年以上が経過した今でも、「衆議院解散権」という政治的駆け引きの武器が、歴代の総理大臣に連綿と引き継がれているのである。
もっとも、内閣総理大臣は通常、衆議院議員でもある。衆議院の解散権は、自らの立場をなげうって、また候補者の立場から選挙をやりなおさねばならない「諸刃の剣」となっている。そのため、たとえ強力な権限だとしても、軽々しく行使できない歯止めがかかっており、何の法的根拠もないくせに、妙なバランスで保たれている。
小池候補もこれを見習って、都知事に当選した暁には、地方自治法のいろんな条文をテクニカルに解釈しながら、「都議会の解散権」なるものを導き出してみてはいかがだろうか。その結果、どうなっても関知しませんけど。
[筆者]
長嶺超輝(ながみね・まさき)
ライター。法律や裁判などについてわかりやすく書くことを得意とする。1975年、長崎生まれ。3歳から熊本で育つ。九州大学法学部卒業後、弁護士を目指すも、司法試験に7年連続で不合格を喫した。2007年に刊行し、30万部超のベストセラーとなった『裁判官の爆笑お言葉集』(幻冬舎新書)の他、著書11冊。最新刊に『東京ガールズ選挙(エレクション)――こじらせ系女子高生が生徒会長を目指したら』(ユーキャン・自由国民社)。ブログ「Theみねラル!」
長嶺超輝(ライター)
去る14日、東京都知事選が告示された。いち早く立候補を表明した小池百合子氏は、知事に当選したならば「冒頭で都議会を解散する」ことを事実上の公約に掲げて、話題になった。
都議会の解散とは、議会に所属する議員を全員いっせいに辞めさせ、選挙を実施することで、議員を総入れ替えすることを意味する。
既に新聞やテレビ、ネット上でさんざん報じられているとおり、都知事に都議会を解散する権限はない。
◆地方自治法 第178条1 普通地方公共団体(東京都を含む。※筆者注)の議会において、当該普通地方公共団体の長の不信任の議決をしたときは、直ちに議長からその旨を当該普通地方公共団体の長に通知しなければならない。この場合においては、普通地方公共団体の長は、その通知を受けた日から10日以内に議会を解散することができる。〔中略〕3 前2項の規定による不信任の議決については、議員数の3分の2以上の者が出席し、第1項の場合においてはその4分の3以上の者の〔中略〕同意がなければならない。
「お前は知事にふさわしくない」との不信任決議が、議会から示されたときに初めて、知事はそれに対抗するかたちで議会を解散することができる。要は「リアクション」としての解散しかできないのである。
仮に当選した暁には、小池氏は、どのようにして「冒頭解散」に打って出るつもりなのだろうか。まだ都知事として何もしていない段階で、自らへの不信任を決議するよう、さっそく都議会に頼みこむのだろうか。それとも、何らかのメッセージを送って、自主的に解散するよう、都議会を説得するのだろうか。
もしかすると、小池氏は自民党の正式な推薦を得ずに立候補したので、都議会でも多数を占める自民党議員から煙たがられているに違いないと考え、先手を打って「冒頭解散」を明言することで、自らへの不信任決議を出さないよう釘を刺しておく作戦なのかもしれない。
【参考記事】都知事選に都政の選択肢はないのか?
いずれにせよ、都知事の「解散権」によって行われる解散とはいえない。
総理大臣、アメリカ大統領以上(?)の権限を持つ知事
もっとも、国政に携わってきた期間が長い小池氏である。内閣総理大臣には衆議院を解散する権限があるにもかかわらず、都知事に都議会の解散権がないのはなぜだろうかと、摩訶不思議に、そして歯がゆく感じてらっしゃるのではないか。
都道府県の知事は、ある面で、内閣総理大臣を上回る強力な権限を持っている。なぜなら、地元の住民による直接選挙で選ばれるからだ。
多くの住民からダイレクトな支持を集めて選ばれた知事は、強い権限を与えられ、その権限を積極的に振るうことも民主的に正当化されうる。日本の地方自治制度は、アメリカなどの大統領制に近いとされる。
総理大臣は、国会議員の多数決のみで選ばれる。そのため、重要な政治決断をする局面では、国会における多数派工作の鍵を握る与党幹部の顔色さえ窺っておけば十分だろう。たまに国民の意思も気にするが、それは「内閣支持率」という間接的かつ抽象的な指標のアップダウンを気にしているにすぎない。
一方で知事は、その都道府県に住む国民のことを気にしないわけにはいかない。ヘタなことをすれば、次の選挙で直接クビにされる生々しい関係性があるからだ。
では、知事になると具体的に、どのような権限を握ることができるのか。
まず、知事単独での「議案提出権」(地方自治法149条)が与えられる。新しい独自ルールのアイデア(条例案)や、次年度の税金等の使い道プラン(予算案)を、知事は自分の考えでとりまとめて議会に提出できるのである。
ちなみに、議案提出権は、アメリカ大統領にはない権限らしい。日本の内閣総理大臣も単独での議案提出は許されず、内閣の閣議を経る必要がある。
東京都を仮に、都民を乗せる「乗り物」だとしたら、都の職員がエンジンであり、都知事は運転席でハンドルを握っているドライバーの役割だろう。しかし、それだけで乗り物は前へ進まない。行き先を決める地図やカーナビのような「条例」を用意し、乗り物の燃料になる「予算」を、年に1度補給できなければ止まったままなのである。
知事が提出する条例案や予算案も、「案」のままでは機能しない。議案の提出を受けた議会が、議論と多数決を経て、正式な条例や予算として成立させることにより、ようやく乗り物が動き出す。これが基本的な地方自治の流れである。
ただ、知事には「専決処分」という、さらに強い権限がある(地方自治法179条、180条)。知事の出した議案をめぐって激しい対立が巻き起こるなど、様々な理由で議会がストップした場合や、緊急を要する場合などには、議会の議決を待たなくても、知事はとりあえず実行してしまえるのである。
ある意味で無茶ともいえる権限ではあるが、知事が住民の多数から直接選ばれ、信任されているからこそ、このような専決処分も許される。
ただ、それほど民主的正統度の高い知事にもかかわらず、議会を一方的、積極的に解散させる権限は持たされていない。一方で、総理大臣は、衆議院の解散権を「伝家の宝刀」として、常にその手に握っているとされる。なぜだろうか。
総理大臣の衆議院解散権に、法的根拠はない?
衆議院の解散については、日本国憲法の第69条に定められている。
◆日本国憲法 第69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
これは、不信任決議に対するリアクションとしての解散を定めており、冒頭に挙げた地方自治法178条1項と同様の規定にすぎない。よって、この条文を、常時行使可能な「解散権」の根拠とするわけにはいかない。
衆議院が解散されるとき、議場に衆議院議員が集まり、皆でいっせいに万歳三唱をするシーンは、ニュース報道などでもおなじみで、壮観な光景である。じつは、総理大臣が解散権を行使して衆議院を解散する場合、万歳三唱の直前に、衆議院議長は次のような一文を読み上げている。
「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する!」
では、そこに何があるのか、改めて日本国憲法第7条をチェックしてみたい。
◆日本国憲法 第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。〔中略〕3 衆議院を解散すること。〔後略〕
ご覧のとおり、衆議院を解散する事実を公にお示しになる、天皇陛下の国事行為――そのことしか書かれていない。
しかも、「内閣」の「助言と承認」である。とても、権限を定めた条文には見えないし、内閣に属するのが、総理大臣だけでないことは言うまでもない。
また、天皇陛下の国事行為には、衆議院解散の他に「憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること」「国会を召集すること」「儀式を行うこと」などもある。では、これらもすべて、「公布権」「召集権」「儀式権」などとして、総理大臣の独断で実行できるのだろうか。そんな馬鹿な話はない。
もし、憲法第7条から、総理大臣の独断で衆議院を解散する権限の存在を読み解ける人がいるとしたら、なかなか思い込みの激しいひねくれ者であろう。
だが、戦後まもない1952年の夏、当時の吉田茂総理大臣は、内閣不信任決議の「な」の字も出ていない局面で、いきなり超法規的に衆議院の解散を宣言した。そして、実際に解散総選挙も行われてしまった。
もちろん、この解散は憲法違反だとして大きな裁判にもなった。しかし、一国の総理大臣による高度に政治性のある判断に対し、むやみに司法が首を突っ込むべきではないとして、当時の最高裁判所は憲法判断を避けた。
こうした出来事が既成事実となり、60年以上が経過した今でも、「衆議院解散権」という政治的駆け引きの武器が、歴代の総理大臣に連綿と引き継がれているのである。
もっとも、内閣総理大臣は通常、衆議院議員でもある。衆議院の解散権は、自らの立場をなげうって、また候補者の立場から選挙をやりなおさねばならない「諸刃の剣」となっている。そのため、たとえ強力な権限だとしても、軽々しく行使できない歯止めがかかっており、何の法的根拠もないくせに、妙なバランスで保たれている。
小池候補もこれを見習って、都知事に当選した暁には、地方自治法のいろんな条文をテクニカルに解釈しながら、「都議会の解散権」なるものを導き出してみてはいかがだろうか。その結果、どうなっても関知しませんけど。
[筆者]
長嶺超輝(ながみね・まさき)
ライター。法律や裁判などについてわかりやすく書くことを得意とする。1975年、長崎生まれ。3歳から熊本で育つ。九州大学法学部卒業後、弁護士を目指すも、司法試験に7年連続で不合格を喫した。2007年に刊行し、30万部超のベストセラーとなった『裁判官の爆笑お言葉集』(幻冬舎新書)の他、著書11冊。最新刊に『東京ガールズ選挙(エレクション)――こじらせ系女子高生が生徒会長を目指したら』(ユーキャン・自由国民社)。ブログ「Theみねラル!」
長嶺超輝(ライター)