モノからコトへ。消費の対象は変わっていく
「モノが売れない時代」とよく言われます。背景には景気の低迷で所得が減り、消費に回すだけの経済的な余裕がなくなったということもあるでしょうし、あるいは消費者嗜好の多様化でほしい商品になかなか巡り合えないということもあるかもしれません。
しかし、重要な要素としてもう1つ、僕ら消費者の物欲がなくなってきているということも事実としてあるのではないかと思います。
2013年2月に上梓した『中身化する社会』では、ソーシャルメディアの普及によって商品も人間も中身が可視化され、見かけではなく本質が追求されるようになること、広告に踊らされて見栄を張る必要もなくなりつつあることを書きました。この原稿を書き終えようとするとき、さらに深掘りしていきたいテーマが見えてきたんです。それが"消費"でした。
世界各地に足を運んで消費者や生産者に話を聞いたり、街の変化を見聞きする中で、特に先進国、先進都市でモノに対する消費欲が落ちているという流れが見えてきた。それを中心にまとめたのが『物欲なき世界』という本なんです。
【参考記事】個人の身の丈に合った「ナリワイ」で仕事と生活を充実させる
モノ以外のものを買う経済が拡大
編集者という仕事柄、出版やファッション、音楽、映画といった業界の方と交流する機会が多いのですが、よく話に上るのは「今の若い人たちはモノを買わない」ということです。実際、ファストファッションに人気が集まる一方でラグジュアリー・ブランドが低迷するなど、消費者の服への投資は減っています。*
この現象は服だけに留まりません。クルマや大型家電にしても昔ほど執着しない傾向が見られます。オーディオなんて顕著ですよね。若い世代ではiPodなどのメディアプレーヤーを使ってイヤホンで聴くのが主流なので、スピーカーを持たない人は多い。かつてステータスシンボルとされたクルマや大型家電への消費欲も薄れているということで、消費欲全体が落ちていると分かります。**
GDPの構成比の変化からも経済の脱物質化が読み取れます。内閣府の調査*** で産業別のシェアを見ると、第1次産業は1.2パーセント、第2次産業は23.9パーセント、第3次産業は74.9パーセントとなっています。モノの経済は4分の1に過ぎず、モノ以外の経済が4分の3を占めている。そして第3次産業のシェアは2年連続で上昇していることを合わせれば、お金でモノ以外のものを買うという経済が拡大傾向にあることは明らかだと思います。
資本主義の基本原理が揺らいでいる
さらにいえば、この物欲レスの傾向は日本だけでなく世界の先進都市で見られます。
例えば家。ニューヨークでは分譲マンションでは中古の狭い部屋でも数億円しますし、賃貸住宅にしてもマンハッタンやサンフランシスコ、ロンドンといった都市では平均家賃が40~50万円に上ります。これだけ不動産価格が高騰すると若い世代は持ち家をあきらめざるを得ず、結果として家に対する購入意欲は低下しています。そうなると増えるのがシェアハウスです。ロンドンではシェアハウス率は60%以上に上り、若者だけでなく幅広い年代に利用されています。先進都市ではカーシェアも人気ですね。
こうした現象からは、単にモノへの欲望がなくなったというだけでなく、人々の幸福感も変わってきていることが感じられます。今まで何のためにモノを買うかといえば、それは幸せであることを自他ともに認識するためでした。大きな家に住んでいる、高級車に乗っている、ブランドものの服を着ているといったことが幸せの物的証拠だったし、その幸せを経済の最大のモチベーションにして僕らは生きていたわけです。
しかし、ソーシャルメディアの普及で個々の人格や生活の中身が可視化され、浪費的な消費が意味をなさなくなった。それはつまり資本主義の基本原理が揺らぎ、問い直されているということです。
ライフスタイルを重視する全米No.1の人気の街・ポートランド
いま全米の住みたい街ナンバーワンはポートランドです。保護された大自然が周囲にある一方で洗練された都市文化も享受できる、非常に快適で暮らしやすい街ですが、ここに全米、さらに世界中から人が流入していることは物欲レス現象の一端を示していると思います。
市内にはサードウェイブ・コーヒーの店やビールの蒸留所がひしめき、近郊に多くのワイナリーがあってビオワイン・ブームでも主導的役割を果たすなど、オーガニックやエコロジーでは先を行く街です。また、最近のメイカームーブメントのメッカの1つでもあります。自分たちが本当に欲しいもの、身の丈に合ったものに囲まれて暮らしたい。それこそが幸せだというライフスタイルが浸透しているんですね。
経済規模はそう大きくありません。人口は60万人で、大企業もナイキの本社がある程度。でも全米を始め世界中から人が移住してくる。ということは、彼らは別にお金持ちになりたいわけじゃないんです。お金持ちになりたいならニューヨークやロサンゼルスに行くはずですから。ポートランドに来る人はお金やモノとは違う価値を求めているわけです。
【参考記事】ウェルビーイングでワークスタイルの質を高める
それはすなわち、これまで大量生産、大量消費を続けてきた人々がモノよりもライフスタイルを上位に置き始めたということでしょう。ウォールストリートで大金を稼ぐとか、ロサンゼルスでエンタテインメントビジネスで名声を得ようといったこととは違うことを上位に置き出したということです。
資本主義の閾値を超えつつあるニューヨーク
行き過ぎた資本主義の反転ともいえるこの動きはニューヨークでも見られます。ニューヨークは、金融だけでなくメディアやアートも含めたあらゆる分野で、とんでもない額のお金が動いている。例えば広告業界で活躍するカメラマンのトップ20人くらいだと、撮影料が1億円を超えることもざらです。彼らは年収10~20億円を稼ぐけれども、ニューヨークのカメラマンの平均年収は370万円くらいなので、極端な二極化が進んでいる。
二極化はニューヨークの産業全体に起きていることで、金融でも広告業界でも全ての領域でトップに異常なまでに仕事が集中してギャラがすごく上がって、あとは逆に下がっている。でもこのまま続くわけがない、どこかで激しくはじけるはずだとみんなが思っている。リーマンショックで一度はじけたけれども、まだニューヨークは危険水域にあると思いますね。
業界内の競争も人材流動も激しいです。一生懸命働いていても、ある日突然自分より年下の人間がボスとしてやってきてクビを言い渡されるといった過酷な現実がある。そういう環境では、お金以外の価値観を持っていないと生きていけません。そういうことも人々の脱物質化を促す要素になっていると感じます。
実際、ニューヨークの金融業界で稼いでいたけれども会社を辞めて、貧困家庭の食事のケアをするNPOを立ち上げた人もいます。資本主義の閾値を超えている場所だからこそ、お金以外のところに目を向けざるを得ず、結果として自分の新たな生きがいを見出すきっかけにつながるのでしょう。
人や集団は多様で、評価軸はさまざま。経済の尺度が絶対視される時代は終わる
経済的な豊かさの象徴としてのモノの価値が下がっていく、それが物欲なき世界で起きることです。ということはつまり、目に見えるものや金銭的な尺度がこれまでほど絶対でなくなることを意味します。
今まではいろんなことをお金に換算して評価していました。その人がどれくらい仕事ができるかということは年収で評価され、その人の幸福度も持っている家やクルマ、服といった資産で評価される。数字に換算できるので分かりやすかったけれども、そういう意味ではこれからは複数の視点で幸せ感を定義していくことになるでしょう。
もちろん経済の尺度がなくなることはありません。経済の尺度はそれはそれとしてあり、そうでない価値観、評価軸がこれから生きてくるということで、例えばその人に対するリスペクトや友だちの人数も含めた複数軸のマトリクスで、個々人の人格や幸福感が認識されていくのではないでしょうか。
価値を測るものさしが多様化するというのは分かりにくいかもしれませんが、例えば「日本で最も優れた作家は誰か」と問われれば、さまざまな評価軸がありますよね。本の発行部数、作品の点数、文学賞などの受賞歴、ネット上のコミュニティのファン数、広告出演も含めた年収など、いろいろな評価の軸があるわけです。そういう数字的な評価の他にも、自分が心を打たれた作品を書いた、だからこの作家が一番だという発想だってある。そんなふうに個人のみならず、あらゆる商品やサービスの評価の軸が複雑化していくと思います。
これは変化といえば確かに変化なんですが、でも高度資本主義が席巻する前の社会はこういうものだったんです。20世紀後半が異常なまでに経済的な尺度で物事を測りすぎていただけ。交換能力の高いお金で効率よく物事の価値を判断していたわけです。それは先進国、先進都市での強力な価値の単一化をもたらしました。
でも実際のところ、人間の価値観や幸福感は単純に図れるわけがないんです。人や集団は多種多様で、いろいろな側面があって、いろいろな評価軸がある。もう一度それを賢くとらえ直そうという動きが、この物欲レスの状態につながっていると僕は思っています。
消費の対象がモノからコトへ移行する
物欲のない社会で重視されるのは見かけより実質、見えるものより見えないもの、そしてデジタル環境では得られないリアルな体験です。
例えば、先進国、先進都市では食費、中でも人と一緒に外食する際にかけるお金への出費が増えています。特にニューヨークは顕著で、友人や知人との外食にかける時間もお金も増えています。
ニューヨークは一人暮らしが多いし、シェアハウスを含めても単身者が多いので、誰かと一緒にご飯を食べたいという欲求が強いのだと思いますが、着ている服や乗っているクルマ、住んでいる場所といったモノではなく、相手の人間性や本質を重視するからこそ、食事の時間を共有することを重視しているともいえるでしょう。
また、イベントやアウトドアといったリアルな体験ができる場も世界的に盛り上がりを見せています。****
消費の対象がモノからコトへ、消費欲からコミュニケーション欲あるいは体験欲へと変化しつつある。言い換えれば、モノに代わってライフスタイルを消費する時代がやってきたということです。
物欲レスな社会は穏やかで日本人に馴染む
長期的に見て日本も同じ変化をたどっていくでしょう。東京の外食産業も以前より活性化していると思いますが、それはコミュニケーションの場となり得るような店に限っての話です。1人で入っても淋しくない飲食店が増えています。都市部で増加するバルもそういう造りですよね。
「外食=コミュニケーションコスト」という時代の変化をつかんでいる店は成り立つでしょうけれども、単に料理や飲み物を出すだけという古臭い発想のお店は立ち行かなくなると思います。
また、お金以外の評価の尺度が増える社会になるということでいえば、聖職者や教員のような人間性や志がより深く問われる職業の人は社会的地位が上がる、あるいは志願者が増えるのではないかと思います。収入はそれほど多くなくてもやりがいが感じられるし、地域のコミュニティでの評価が高ければ慕ってくれる人や世話を焼いてくれる人が出てきて、現状よりも幸福度は上がるでしょう。
ソーシャルメディアを通じて中身が丸裸になる社会では、コミュニティ内での信用も可視化されます。そこでの信用が高い、もしくは友達が多い人にはすごく生きやすい社会になるはず。そしてそれは日本人に馴染む生き方ではないでしょうか。
ガツガツした物欲がなく、人々の振る舞いや言動が謙虚になり、調和と共有を重んじる穏やかな世界。それは大量消費社会より前に古くから日本にあった、どこか懐かしく親しみのある世界ではないかと思います。
WEB限定コンテンツ
(2016.1.7 中央区のグーテンベルクオーケストラ オフィスにて取材)
text: Yoshie Kaneko
photo: Kei Katagiri
※インタビュー後編:歴史感を伴った根拠なき自信を持て
株式会社グーテンベルクオーケストラは菅付氏が率いるクリエイティヴ・カンパニー。さまざまな分野で編集、ディレクション、また企業のコンサルティングなどを手掛けている。
http://gutenbergorchestra.com
* 総務省の家計調査報告(2015年平均)では、二人以上の世帯の消費支出で「被服及び履物」は前年比で実質7.2%の減少となっている。
** 上記と同じく総務省の家計調査報告では、「家具・家事用品」の支出は実質3.1%の減少となっている。
*** 「国民経済計算確報」(平成24年度)
**** ノースフェースやパタゴニアなど、世界のアウトドアブランドは成長していると菅付氏は指摘する。また、日本でもアウトドア用品市場は4年連続で拡大を続けている(矢野経済研究所「スポーツ用品市場に関する調査結果 2015」より)。
『中身化する社会』(星海社新書/講談社)ではソーシャルメディアの普及によって商品やサービス、人間までも「中身」が丸裸になる社会の到来を示し、『物欲なき世界』(平凡社)では物欲が低下する先進国のトレンドから資本主義の先にある世界を描いている。
菅付雅信(すがつけ・まさのぶ)1964年生宮崎県生まれ。株式会社グーテンベルクオーケストラ 代表取締役、編集者。角川書店『月刊カドカワ』編集部、ロッキグンオン『カット』編集部、UPU『エスクァイア日本版』編集部を経て、『コンポジット』『インビテーション』『エココロ』の編集長を務めた後、有限会社菅付事務所を設立。出版からウェブ、広告、展覧会までを編集する。書籍では朝日出版社「アイデアインク」シリーズ(共編)、電通「電通デザイントーク」シリーズ(発売:朝日新聞出版)、平凡社のアートブック「ヴァガボンズ・スタンダート」を編集。著書に『東京の編集』『はじめての編集』『中身化する社会』など。2014年1月にアートブック出版社「ユナイテッドヴァガボンズ」を設立。2015年に株式会社グーテンベルクオーケストラに社名変更。下北沢B&Bにて「編集スパルタ塾」を開講中。多摩美術大学で「コミュニケーション・デザイン論」の教鞭をとる。
※当記事はWORKSIGHTの提供記事です
WORKSIGHT
「モノが売れない時代」とよく言われます。背景には景気の低迷で所得が減り、消費に回すだけの経済的な余裕がなくなったということもあるでしょうし、あるいは消費者嗜好の多様化でほしい商品になかなか巡り合えないということもあるかもしれません。
しかし、重要な要素としてもう1つ、僕ら消費者の物欲がなくなってきているということも事実としてあるのではないかと思います。
2013年2月に上梓した『中身化する社会』では、ソーシャルメディアの普及によって商品も人間も中身が可視化され、見かけではなく本質が追求されるようになること、広告に踊らされて見栄を張る必要もなくなりつつあることを書きました。この原稿を書き終えようとするとき、さらに深掘りしていきたいテーマが見えてきたんです。それが"消費"でした。
世界各地に足を運んで消費者や生産者に話を聞いたり、街の変化を見聞きする中で、特に先進国、先進都市でモノに対する消費欲が落ちているという流れが見えてきた。それを中心にまとめたのが『物欲なき世界』という本なんです。
【参考記事】個人の身の丈に合った「ナリワイ」で仕事と生活を充実させる
モノ以外のものを買う経済が拡大
編集者という仕事柄、出版やファッション、音楽、映画といった業界の方と交流する機会が多いのですが、よく話に上るのは「今の若い人たちはモノを買わない」ということです。実際、ファストファッションに人気が集まる一方でラグジュアリー・ブランドが低迷するなど、消費者の服への投資は減っています。*
この現象は服だけに留まりません。クルマや大型家電にしても昔ほど執着しない傾向が見られます。オーディオなんて顕著ですよね。若い世代ではiPodなどのメディアプレーヤーを使ってイヤホンで聴くのが主流なので、スピーカーを持たない人は多い。かつてステータスシンボルとされたクルマや大型家電への消費欲も薄れているということで、消費欲全体が落ちていると分かります。**
GDPの構成比の変化からも経済の脱物質化が読み取れます。内閣府の調査*** で産業別のシェアを見ると、第1次産業は1.2パーセント、第2次産業は23.9パーセント、第3次産業は74.9パーセントとなっています。モノの経済は4分の1に過ぎず、モノ以外の経済が4分の3を占めている。そして第3次産業のシェアは2年連続で上昇していることを合わせれば、お金でモノ以外のものを買うという経済が拡大傾向にあることは明らかだと思います。
資本主義の基本原理が揺らいでいる
さらにいえば、この物欲レスの傾向は日本だけでなく世界の先進都市で見られます。
例えば家。ニューヨークでは分譲マンションでは中古の狭い部屋でも数億円しますし、賃貸住宅にしてもマンハッタンやサンフランシスコ、ロンドンといった都市では平均家賃が40~50万円に上ります。これだけ不動産価格が高騰すると若い世代は持ち家をあきらめざるを得ず、結果として家に対する購入意欲は低下しています。そうなると増えるのがシェアハウスです。ロンドンではシェアハウス率は60%以上に上り、若者だけでなく幅広い年代に利用されています。先進都市ではカーシェアも人気ですね。
こうした現象からは、単にモノへの欲望がなくなったというだけでなく、人々の幸福感も変わってきていることが感じられます。今まで何のためにモノを買うかといえば、それは幸せであることを自他ともに認識するためでした。大きな家に住んでいる、高級車に乗っている、ブランドものの服を着ているといったことが幸せの物的証拠だったし、その幸せを経済の最大のモチベーションにして僕らは生きていたわけです。
しかし、ソーシャルメディアの普及で個々の人格や生活の中身が可視化され、浪費的な消費が意味をなさなくなった。それはつまり資本主義の基本原理が揺らぎ、問い直されているということです。
ライフスタイルを重視する全米No.1の人気の街・ポートランド
いま全米の住みたい街ナンバーワンはポートランドです。保護された大自然が周囲にある一方で洗練された都市文化も享受できる、非常に快適で暮らしやすい街ですが、ここに全米、さらに世界中から人が流入していることは物欲レス現象の一端を示していると思います。
市内にはサードウェイブ・コーヒーの店やビールの蒸留所がひしめき、近郊に多くのワイナリーがあってビオワイン・ブームでも主導的役割を果たすなど、オーガニックやエコロジーでは先を行く街です。また、最近のメイカームーブメントのメッカの1つでもあります。自分たちが本当に欲しいもの、身の丈に合ったものに囲まれて暮らしたい。それこそが幸せだというライフスタイルが浸透しているんですね。
経済規模はそう大きくありません。人口は60万人で、大企業もナイキの本社がある程度。でも全米を始め世界中から人が移住してくる。ということは、彼らは別にお金持ちになりたいわけじゃないんです。お金持ちになりたいならニューヨークやロサンゼルスに行くはずですから。ポートランドに来る人はお金やモノとは違う価値を求めているわけです。
【参考記事】ウェルビーイングでワークスタイルの質を高める
それはすなわち、これまで大量生産、大量消費を続けてきた人々がモノよりもライフスタイルを上位に置き始めたということでしょう。ウォールストリートで大金を稼ぐとか、ロサンゼルスでエンタテインメントビジネスで名声を得ようといったこととは違うことを上位に置き出したということです。
資本主義の閾値を超えつつあるニューヨーク
行き過ぎた資本主義の反転ともいえるこの動きはニューヨークでも見られます。ニューヨークは、金融だけでなくメディアやアートも含めたあらゆる分野で、とんでもない額のお金が動いている。例えば広告業界で活躍するカメラマンのトップ20人くらいだと、撮影料が1億円を超えることもざらです。彼らは年収10~20億円を稼ぐけれども、ニューヨークのカメラマンの平均年収は370万円くらいなので、極端な二極化が進んでいる。
二極化はニューヨークの産業全体に起きていることで、金融でも広告業界でも全ての領域でトップに異常なまでに仕事が集中してギャラがすごく上がって、あとは逆に下がっている。でもこのまま続くわけがない、どこかで激しくはじけるはずだとみんなが思っている。リーマンショックで一度はじけたけれども、まだニューヨークは危険水域にあると思いますね。
業界内の競争も人材流動も激しいです。一生懸命働いていても、ある日突然自分より年下の人間がボスとしてやってきてクビを言い渡されるといった過酷な現実がある。そういう環境では、お金以外の価値観を持っていないと生きていけません。そういうことも人々の脱物質化を促す要素になっていると感じます。
実際、ニューヨークの金融業界で稼いでいたけれども会社を辞めて、貧困家庭の食事のケアをするNPOを立ち上げた人もいます。資本主義の閾値を超えている場所だからこそ、お金以外のところに目を向けざるを得ず、結果として自分の新たな生きがいを見出すきっかけにつながるのでしょう。
人や集団は多様で、評価軸はさまざま。経済の尺度が絶対視される時代は終わる
経済的な豊かさの象徴としてのモノの価値が下がっていく、それが物欲なき世界で起きることです。ということはつまり、目に見えるものや金銭的な尺度がこれまでほど絶対でなくなることを意味します。
今まではいろんなことをお金に換算して評価していました。その人がどれくらい仕事ができるかということは年収で評価され、その人の幸福度も持っている家やクルマ、服といった資産で評価される。数字に換算できるので分かりやすかったけれども、そういう意味ではこれからは複数の視点で幸せ感を定義していくことになるでしょう。
もちろん経済の尺度がなくなることはありません。経済の尺度はそれはそれとしてあり、そうでない価値観、評価軸がこれから生きてくるということで、例えばその人に対するリスペクトや友だちの人数も含めた複数軸のマトリクスで、個々人の人格や幸福感が認識されていくのではないでしょうか。
価値を測るものさしが多様化するというのは分かりにくいかもしれませんが、例えば「日本で最も優れた作家は誰か」と問われれば、さまざまな評価軸がありますよね。本の発行部数、作品の点数、文学賞などの受賞歴、ネット上のコミュニティのファン数、広告出演も含めた年収など、いろいろな評価の軸があるわけです。そういう数字的な評価の他にも、自分が心を打たれた作品を書いた、だからこの作家が一番だという発想だってある。そんなふうに個人のみならず、あらゆる商品やサービスの評価の軸が複雑化していくと思います。
これは変化といえば確かに変化なんですが、でも高度資本主義が席巻する前の社会はこういうものだったんです。20世紀後半が異常なまでに経済的な尺度で物事を測りすぎていただけ。交換能力の高いお金で効率よく物事の価値を判断していたわけです。それは先進国、先進都市での強力な価値の単一化をもたらしました。
でも実際のところ、人間の価値観や幸福感は単純に図れるわけがないんです。人や集団は多種多様で、いろいろな側面があって、いろいろな評価軸がある。もう一度それを賢くとらえ直そうという動きが、この物欲レスの状態につながっていると僕は思っています。
消費の対象がモノからコトへ移行する
物欲のない社会で重視されるのは見かけより実質、見えるものより見えないもの、そしてデジタル環境では得られないリアルな体験です。
例えば、先進国、先進都市では食費、中でも人と一緒に外食する際にかけるお金への出費が増えています。特にニューヨークは顕著で、友人や知人との外食にかける時間もお金も増えています。
ニューヨークは一人暮らしが多いし、シェアハウスを含めても単身者が多いので、誰かと一緒にご飯を食べたいという欲求が強いのだと思いますが、着ている服や乗っているクルマ、住んでいる場所といったモノではなく、相手の人間性や本質を重視するからこそ、食事の時間を共有することを重視しているともいえるでしょう。
また、イベントやアウトドアといったリアルな体験ができる場も世界的に盛り上がりを見せています。****
消費の対象がモノからコトへ、消費欲からコミュニケーション欲あるいは体験欲へと変化しつつある。言い換えれば、モノに代わってライフスタイルを消費する時代がやってきたということです。
物欲レスな社会は穏やかで日本人に馴染む
長期的に見て日本も同じ変化をたどっていくでしょう。東京の外食産業も以前より活性化していると思いますが、それはコミュニケーションの場となり得るような店に限っての話です。1人で入っても淋しくない飲食店が増えています。都市部で増加するバルもそういう造りですよね。
「外食=コミュニケーションコスト」という時代の変化をつかんでいる店は成り立つでしょうけれども、単に料理や飲み物を出すだけという古臭い発想のお店は立ち行かなくなると思います。
また、お金以外の評価の尺度が増える社会になるということでいえば、聖職者や教員のような人間性や志がより深く問われる職業の人は社会的地位が上がる、あるいは志願者が増えるのではないかと思います。収入はそれほど多くなくてもやりがいが感じられるし、地域のコミュニティでの評価が高ければ慕ってくれる人や世話を焼いてくれる人が出てきて、現状よりも幸福度は上がるでしょう。
ソーシャルメディアを通じて中身が丸裸になる社会では、コミュニティ内での信用も可視化されます。そこでの信用が高い、もしくは友達が多い人にはすごく生きやすい社会になるはず。そしてそれは日本人に馴染む生き方ではないでしょうか。
ガツガツした物欲がなく、人々の振る舞いや言動が謙虚になり、調和と共有を重んじる穏やかな世界。それは大量消費社会より前に古くから日本にあった、どこか懐かしく親しみのある世界ではないかと思います。
WEB限定コンテンツ
(2016.1.7 中央区のグーテンベルクオーケストラ オフィスにて取材)
text: Yoshie Kaneko
photo: Kei Katagiri
※インタビュー後編:歴史感を伴った根拠なき自信を持て
株式会社グーテンベルクオーケストラは菅付氏が率いるクリエイティヴ・カンパニー。さまざまな分野で編集、ディレクション、また企業のコンサルティングなどを手掛けている。
http://gutenbergorchestra.com
* 総務省の家計調査報告(2015年平均)では、二人以上の世帯の消費支出で「被服及び履物」は前年比で実質7.2%の減少となっている。
** 上記と同じく総務省の家計調査報告では、「家具・家事用品」の支出は実質3.1%の減少となっている。
*** 「国民経済計算確報」(平成24年度)
**** ノースフェースやパタゴニアなど、世界のアウトドアブランドは成長していると菅付氏は指摘する。また、日本でもアウトドア用品市場は4年連続で拡大を続けている(矢野経済研究所「スポーツ用品市場に関する調査結果 2015」より)。
『中身化する社会』(星海社新書/講談社)ではソーシャルメディアの普及によって商品やサービス、人間までも「中身」が丸裸になる社会の到来を示し、『物欲なき世界』(平凡社)では物欲が低下する先進国のトレンドから資本主義の先にある世界を描いている。
菅付雅信(すがつけ・まさのぶ)1964年生宮崎県生まれ。株式会社グーテンベルクオーケストラ 代表取締役、編集者。角川書店『月刊カドカワ』編集部、ロッキグンオン『カット』編集部、UPU『エスクァイア日本版』編集部を経て、『コンポジット』『インビテーション』『エココロ』の編集長を務めた後、有限会社菅付事務所を設立。出版からウェブ、広告、展覧会までを編集する。書籍では朝日出版社「アイデアインク」シリーズ(共編)、電通「電通デザイントーク」シリーズ(発売:朝日新聞出版)、平凡社のアートブック「ヴァガボンズ・スタンダート」を編集。著書に『東京の編集』『はじめての編集』『中身化する社会』など。2014年1月にアートブック出版社「ユナイテッドヴァガボンズ」を設立。2015年に株式会社グーテンベルクオーケストラに社名変更。下北沢B&Bにて「編集スパルタ塾」を開講中。多摩美術大学で「コミュニケーション・デザイン論」の教鞭をとる。
※当記事はWORKSIGHTの提供記事です
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