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グーグルでヨガを広め、マインドフルネスの導き手となった男

ニューズウィーク日本版 2016年7月23日 6時47分

<世界各地のグーグルオフィスで人気の社員向けプログラム「ヨグラー」。それを立ち上げたのが、インド出身のチーフ・エバンジェリスト、ゴーピ・カライルだ。カライルが執筆した『リセット』は、マインドフルネスとヨガの実践のヒントを与えてくれるノンフィクション。先進企業グーグルの創造力の源泉とも言えるかもしれない>

 2013年、グーグルの社内カンファレンスの会場となったロサンゼルスのコンベンションセンターで、CEOのラリー・ペイジが見守る中、1万人を超えるグーグラーたちが参加する全米最大のヨガクラスが開かれた。

 日本でも、仏教の禅やヨガを源流とする「マインドフルネス」と「瞑想」に対する関心がにわかに高まっている。その火付け役といえるのが、アップルやフェイスブック、グーグルといったシリコンバレーの大手IT企業だ。一見、テクノロジーとは無縁に思える古来のエクササイズを、こうした企業がまじめに取り入れるようになったのはなぜか。その背景には、瞑想がストレスを軽減し、免疫力を高め、集中力や創造力の向上につながることが最新の脳科学で明らかになったことがある。

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 冒頭のイベントで壇上からヨガと瞑想を指導したのは、グーグルのチーフ・エバンジェリストとして活躍するゴーピ・カライル氏だ。南インドの出身で、幼い頃からヨガや瞑想に馴れ親しんできた。渡米し、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、その後、グーグルに参画。2006年に彼が立ち上げた社員向けプログラム「ヨグラー」は、今やグーグル本社だけでなく、世界各地のグーグルオフィスが取り入れる人気プログラムに成長した。

 7月末刊行の新刊『リセット――Google流 最高の自分を引き出す5つの方法』(筆者訳、あさ出版)は、著者であるカライル氏がどのようにマインドフルネス(今この瞬間に意識を集中し、ありのままを感じ取ること)を実践し、成果を上げてきたのか、自身の過去のトークやエッセイを元に書き下ろした一冊だ。

最も大切なテクノロジーは「インナーネット」の中に

 今やインターネットにつながることは当たり前。私たちはスマートフォンやソーシャルネットワーク(SNS)に気を取られるあまり、ますます注意力が散漫になり、生活の質も仕事のパフォーマンスも低下しがちだ。

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 実は、最も重要な"テクノロジー"は私たち自身の中にあるとカライル氏は言う。それが、脳と心、体、呼吸、意識の集合体であり、それを彼は「インナーネット(inner-net)」と呼ぶ。IT機器から定期的に離れ、その「インナーネット」とつながり直すことの大切さを説いているのだ。

 内的なテクノロジーを最適化するのに有効なのがヨガだ。本書によれば、体と呼吸に意識を集中することで、必然的に自分自身と向かい合うことができる。ほんのわずかな時間でも毎日エクササイズを続けることで、意識の高い状態が維持でき、より困難な状況でも最適な判断を下せるようになる。さらに、相手に対する思いやりの心が生まれ、人との会話の質も向上するという。

 カライル氏のアドバイスは、とにかくまず、「一度にひとつのことに集中する」こと。マルチタスクは注意力を分散させ、作業効率の低下につながる。次に、「意義と目的を見つける」。例えば、自分にとって大切だと思えることを紙に書き出し、その中から本当に重要な項目を5個以下に絞り込む。優先項目に意識を集中させることで物事が効率よく片付き、心にゆとりが生まれる。

 また、自分のための時間を確保するために、オンライン秘書などのアウトソーシング・ツールを活用する手もある。実際に、カライル氏もそうやってヨガを教える時間を作っているという。メッセンジャーアプリの「Googleハングアウト」を使って、遠いアフガニスタンにいる友人と「感謝のリスト」を交換するのも、マインドフルネスの実践のひとつだ。



マインドフルネスのノンフィクションでもある

 興味深いのは、本書『リセット』が、カライル氏の実体験に基づくノンフィクションとしても読めることだ。

 2013年、南アフリカのネルソン・マンデラ死去の報を受けると、カライル氏はいち早く「Google+(グーグルプラス)」で追悼イベントを立ち上げ、世界の人々と共有する企画に着手する。志を同じくする仲間たちとともに、コミュニケーションツールを駆使して一大プロジェクトを実現するまでの軌跡が語られていく。

 デズモンド・ツツ元大主教、ダライ・ラマ14世をはじめ、実業家のリチャード・ブランソン氏など、マンデラ氏と交流のあった著名人たちに参加を呼びかけ、見事に成功させる。まさに、マインドフルネスのなせるわざなのだ。追悼イベントの最後にダライ・ラマ14世は、人類が困難に直面したとき、「力(武力)ではなく、思いやりの心をもち、憎しみを捨てることだ」と語り掛ける。

 これはあくまで一例だが、他にも世界各地を旅した経験や、トライアスロンに挑戦したエピソードなどを交えながら、生活の中にヨガと瞑想を取り入れ、マインドフルネスを実践するための、さまざまなアイデアを伝授する。

印象的なセンテンスを対訳で読む

 最後に、本書から印象的なセンテンスを。以下は、『リセット』の原書と邦訳からそれぞれ抜粋した。

●The one-inch cube of ice that was limited in its physical presence is now this entire oceanic system.
(物理的に限られた存在にすぎなかった、1インチ大のアイスキューブ。それが巨大な海洋系そのものになる)

――サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジから投げ入れたアイスキューブは溶けて太平洋の一部となる。氷としてのアイデンティティは失われるが、偽りの「自分」が生み出す苦悩から解放され、より大きな可能性と融合するというヨガの真理を分かりやすく説明している。

●Imagine you're trying to work through a complex mental task and you're in the middle of Times Square, with all its noise and commotion and confusion, with so much to see, so many distractions coming at you from all directions.
(ちょっと想像してほしい。あなたは今、ニューヨークのタイムズ・スクエアのど真ん中にいる。たくさんの人、車、バス、カラフルな動画広告。喧噪やざわめきとともに、いろいろなものが次々に視界に入ることだろう)

――瞑想は、タイムズ・スクエアの喧噪をのがれて、ウェスティンホテルやダブルツリーの部屋にこもるのと似ている。心を落ち着けて、意識をクリアにすることで、明晰な思考と集中力が得られる。結果的に、複雑な作業も効率よく終わらせることができるという。

●"Gopi," he said, "why don't you start with one breath? Because an hour of meditation is about six hundred breaths strung together, and you have to get past the first breath and the second before you get to the six hundredth."
(「ゴーピ、ヨガの呼吸を1回だけやってみるのはどうだろう? というのも、1時間の瞑想は呼吸を約600回繰り返す。だけど最初の呼吸を終えてからでないと、2回目の呼吸に入ることはできない。結局600回に達するまでそれの繰り返しなんだ」)

――ヨガと瞑想を毎日続けるために、何か工夫できることはないだろうか。そう考えた著者が、同僚で友人のチャディー・メン・タン氏(『サーチ・インサイド・ユアセルフ』著者、邦訳・英治出版)に相談してみたところ、返ってきたのがこの思いがけないアイデアだった。たとえ1分という短い時間でも、習慣にすることで効果があるという。

◇ ◇ ◇

 ヨガと呼吸ひとつで世界を変えることができるかもしれない――そんな期待を抱かせてくれる一冊だ。


『リセット――
Google流 最高の自分を引き出す5つの方法』
 ゴーピ・カライル 著
 白川部君江 訳
 あさ出版



本書をテーマにグーグルでゴーピ・カライル氏が行ったスピーチ(2016年2月)


©トランネット



トランネット
出版翻訳専門の翻訳会社。2000年設立。年間150~200タイトルの書籍を翻訳する。多くの国内出版社の協力のもと、翻訳者に広く出版翻訳のチャンスを提供するための出版翻訳オーディションを開催。出版社・編集者には、海外出版社・エージェントとのネットワークを活かした翻訳出版企画、および実力ある翻訳者を紹介する。近年は日本の書籍を海外で出版するためのサポートサービスにも力を入れている。
http://www.trannet.co.jp/


白川部君江 ※編集・企画:トランネット

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