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歩行者とドライバー、自動運転車はどちらを守る?

ニューズウィーク日本版 2016年7月22日 16時30分

<自動運転は交通事故死を減らせる「夢の車」かもしれないが、歩行者と搭乗者のどちらの人命を守るべきかという究極のジレンマも突きつけている>

 道路を走る自動運転車の前に突然、数人の歩行者が現れた。ここでの選択肢は2つ。歩行者の間に突っ込むか、それとも進路を変えて木に激突し、車に乗っている人を死なせるか。

 これは先月末、科学誌サイエンスに発表された「自動運転車の社会的ジレンマ」と題する研究論文の質問だ。この調査に協力した人々は、車に歩行者を守る選択をしてほしいと答えた。

 でも、車に乗っているのが自分だったら......。この自己防衛本能が社会的ジレンマを生み、さらに新たな輸送技術の導入を遅らせ、防げるはずの何十万もの交通事故死につながる可能性があると、論文は指摘する。

「多くの人は、事故の犠牲者数を最小限に抑える車のほうがいいと考えている」と、論文の共著者であるマサチューセッツ工科大学(MIT)のイーヤド・ラーワン准教授は述べる。「しかし誰もが自分の車には、どんな犠牲を払っても自分を守ってほしいと考えている」

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 調査では1928人のインターネット利用者に、自動運転車がさまざまな事故を起こした場合の倫理的評価をしてもらった。すると、回答者は助かる歩行者の数が多いほど、自動運転車が搭乗者を犠牲にするのは倫理的だと答えた(犠牲者が自分の家族の場合でも同様)。

 だが、「搭乗者を犠牲にして歩行者の死を最小限に抑えることを、政府が自動運転車に義務付けるべきか」「そのようにプログラムされた車を購入するか」という質問に対する答えは、より複雑なものだった。

 回答者は、自動運転車が10人を救うために1人を犠牲にすることにも、歩行者を守るために搭乗者を犠牲にする自動運転車を「自分以外」が所有することにも肯定的だった。

死亡リスクは低下するが

 だが自分がその車を所有することや、政府のプログラミングへの関与については、否定的な声が目立った。「歩行者を守るために搭乗者を死なせるようにプログラムされた車を買う」と答えた人は、「そうした設定のない車を買う」と答えた人の3分の1にとどまった。




 自動運転の推進派は、この技術が広く普及すれば、多くの人命が救われると主張する。13年の自動車事故による死者は、世界全体で125万人。原因はほぼ例外なく人間の過失だ。

 一方、自動運転車はほかの自動運転車と直接コミュニケーションを取ることが可能で、居眠りや不注意、飲酒とは無縁だ。自動運転技術が宣伝どおり安全なら、車に乗っていて事故死するリスクは確実に低下する。より多くの人命を救うために、搭乗者を犠牲にする車に乗っていたとしてもだ。

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 それでも衝突事故は起こり、命を落とす人は出る。問題は搭乗者と歩行者のどちらの命を優先すべきか、社会が事前に決めなければならないことだ。

 そうなると、誰も「歩行者を守るために木に激突して死ぬ側」にはなりたくない。この道徳的ジレンマが政府の政策を停滞させ、ひいては自動運転車の実用化を遅らせる可能性がある。

「自動車メーカーも規制当局も同様に考えるべき課題だ」と、論文は指摘する。規制当局の決定が遅れれば、「安全な技術の導入が先送りされ、交通事故の犠牲者を増やしかねない」のだから。

[2016.7.26号掲載]
エリック・スミリー

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