Infoseek 楽天

いとうせいこう、ハイチの産科救急センターで集中治療室の回診に同行する(9)

ニューズウィーク日本版 2016年7月26日 16時40分

<「国境なき医師団」の取材で、ハイチを訪れることになった いとうせいこう さん。取材を始めると、そこがいかに修羅場かということ、そして、医療は医療スタッフのみならず、様々なスタッフによって成り立っていることを知る。そして、産科救急センターを取材する>

これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く」
前回の記事:「いとうせいこう、ハイチの産科救急センターで小さな命と対面する」

『母親たちの村』

 俺たちは同じ日の午前中、CRUO(産科救急センター)の本館とは別の大きなテント病棟のような場所にも寄った。窓のない長四角のテント内にはベッドが幾つも並べられており、紙飾りなどが下げられたその薄暗がりに、ハイチ女性たちが腰かけたり寝たりしていた。

 『母親たちの村』と呼ばれているエリアだった。案内のロドニー病院長が満面の笑みで入り口から「ボンジュール」と声を掛けると、女性たちもまた元気よく「ボンジュール」と挨拶を返す。実に打ち解けたムードがそこには漂っていた。

 出産後、新生児がまだ退院できる状況にない母親が、そこで共同生活をしていた。だから『母親たちの村』なのだった。

 あとで午後にもう一度そこに寄ってみた時には、たくさんいたママたちが出かけていて、残った五人ほどが臨床心理士らしき女性のアドバイスのもとでクレヨンを使って絵を描いているのを見た。危険な状態にある新生児をただ黙って何日も待っていなければならない母親に、アクティビティを提供して心の支えを作っているのだ。色を塗るのに熱心な母親もいれば、絵というもの自体描くのが初めてらしき母親もいて、恥ずかしがったりしていた。

 コレラに罹った母親を隔離するテントも別区域にあるというので、強い日差しの中を歩いていった。途中、外来患者たちが日陰の木椅子に座っている場所があって、病院長に向かって率先して「ボンジュール」と言った。ニュアンスでは「こんちわー」というカジュアルな感じに聞こえた。

 椅子には空きがなく、患者はびっしりいた。たいていは女性で小さな子供を抱いている。奥の診療室にも入ってみたが、狭い室内には診療中の母子と待っている母子の二組がいた。待っているお母さんに軽く挨拶すると、にっこりと笑顔になって小声で「こんちわー」と言ってくれた。

 敷地内を歩いて移動して、濃い灰色のテントにたどり着いた。コレラ病棟だから、以前と同じく入り口で靴の底を消毒した。簡易ベッドが土の上に並んでいたが、寝ている者はたった一人だった。体の大きな女性で熟睡していた。

 二日前に出産があったのだそうだった。子供はあの集中治療室にいたのかもしれなかった。テントの天井に下げられた扇風機が規則的な音を立てて回っていた。しばらく俺たちは無言で立っていた。誰にとっても安息の短い時間であるように感じられた。

 やがてあらわれた男性助産士ベンジャマン・ドシーから俺は、妊婦がコレラに罹患している場合の医療はきわめて高く専門化されてるという話を聞いた。しかも、妊婦から赤ん坊をとり出す時に細心の注意を払うのみならず、彼女らが住んでいた家も消毒してから帰すのだということだった。

ダーン先生の回診

 そろそろダーン先生の回診が始まるそうだった。俺は是非ともそれが見たかった。

 俺たちは産科救急センターの敷地をぐるりと回り込んで、集中治療室の方へ行った。その途中で、屋根の下に男も女もぎっしり集まっているのを見た。お見舞いの人のためのエリアだそうで、市外から来た人が二、三日宿泊することもあるそうだった。壁はなく柱が何本か立っていて、床はおそらくタイル貼りだった。

 声の調子も高く、そこで貼り紙を使って何か力強く語りかけている女性がいた。性暴力被害者専門クリニックから現地看護士が来て、被害の実情やクリニックの存在を説明しているのだそうだった。やるべきことはメンバー各自に幾らでもあるのだ、と思った。

 十一時半、再び専用の上着をはおり、手をよく洗ってマスクをした俺たちの前に、あのダーンがあらわれた。緑色で半袖の看護服、首には聴診器を掛けており、二人の現地医師と一人の女性看護士を連れて、入り口手前左にある保育器からダーン先生は様子を見始めた。

 現地医師たちは細かく記録を採ったカルテを広げ、ダーン先生にその子供の状態を報告する。紘子さんと谷口さんの同時通訳によるとこうだ。

 「28週、過呼吸症候群。880グラムで生まれ、昨日入院しました。低血糖で安定しません。1000グラム以下なので人工呼吸補助器を使うのは無理です」

 冷静沈着で穏やかなダーン先生は聞きながら何度もうなずき、弱々しく寝ている乳児のお腹を数本の指で軽く押したりした。そしてカルテと子供を集中して見比べ、治療方針を発表する。

 「はやめに母乳に切り替えて胃腸を強くしよう」

 そして、次の保育器へと移る。



 またくわしい報告がある。
 今朝帝王切開のオペで生まれ、ついさっき集中治療室に入ってきた乳児だという。危険な状態だったので5分間新生児蘇生を受けて現在に至るが、幸いケイレン等はない。
 「OK、トレビアン。このまま様子を見よう」

 3人目は他の病院から転院してきた乳児で、母親が妊娠中に痙攣を起こしてしまったのだということだった。
 「羊水混濁もあったかもしれないね。人工呼吸補助器は使わずに様子を見ましょう」

 やがて奥の超未熟児へと回診は及んだ。
 妊娠から30週、生まれてから7日。胃に残ったものはない。体重が増えず、730グラムまで減ってきており、難しい。

 ダーン先生は水分量を何度か記録でチェックし、水と栄養の微妙な加減を指示した。

 さらにその右の青い光を浴びている乳児には、ダーン先生は見るなり眉根を寄せ、
 「小さいね」
 と言った。生まれて4日目、感染症の疑いのある子供だそうだった。黄疸が強く出ているので光線が欠かせないらしかった。

 他にも、エイズとB型肝炎の疑いで今朝入院してきた、32週の乳児もいた。

 さっきまではただ小さいだけのように思っていた壊れやすそうな子供たちが、実はそれぞれハードルの高い困難を持って生まれてきていたのだということが、俺にもよくわかった。壊れそうな体の内部に、さらに自己を攻撃する何かを抱えているのだ。

 その困難をどうにかして切り抜けさせようとするダーンたちの日々の努力が、俺には身にしみた。毎日毎日、集中治療室の回診は続くのだ。

 ちなみに、女性看護士が報告を担当する子供も中にはいて、それは病院としての方針なのだそうだった。通常医師が行うタイプの点滴を看護士が打つこともあって、それは現地の医療の技術を高め、また看護士のモチベーションを高めるのに役立っていると聞いた。

チカイヌ問答

 正午を過ぎて、いったんチカイヌの宿泊地について行った。そこでランチをともにしようと言ってもらったからだった。

 激しいでこぼこ道から鉄扉を抜けて涼しい建物の中に入ると、キッチンの横の調理専用の部屋で現地女性が準備を終えていた。サラダ、野菜の炒め物、鶏肉とパイナップルの煮込み、炊きたての米などがあり、中にはベジタリアン用のメニューもあったのを聞いたが、俺は腹が減っていて覚えていない。



 次から次へとスタッフは帰って来た。とはいっても、すでに前夜のパーティでみんなと会っているから気が楽だった。おまけに産科救急センターの廊下でも何度も顔を合わせた。俺は遠慮なくテーブルの端に座って彼らのランチをもらった。実にうまかった。食べ終えた他のスタッフがコーヒーを淹れてくれたので、俺はそれも飲んだ。



 それぞれがランチを食べ終えてもテーブルのそばにいた。よく見てみると、麻酔科医のウルリケが隣のダーンに、あるいはイタリア人で水・衛生担当のルカに熱心に話をしていた。聞いた側ははかばかしい返事をしない。フランス語で進んでいる会話なので中身がわからなかったが、ウルリケが悩んでいるのは伝わった。確か、昨夜もそんな風じゃなかったかと記憶をたどった。

 しばらく俺も動けずにそこにいると、やがてダイニングへの外からの入り口あたりにフェリーが立っていて、英語でこう言った。

「それについては私が答えよう」

 思わず振り向くようにすると、フェリーは目の前の椅子の背に両手をつき、ウルリケを見ていた。厳しい顔つきをしていた。
「我々は医療とは何か、その倫理を曲げずにいるしかない。いかなる困難があっても、相手を説得し続けるしかないんだ」

 フェリーはまるでアメリカの医療ドラマのチームリーダーのようにそう言い、ほんの少しだけ微笑んだ。ウルリケが何かフランス語で言い、フェリーはそこからフランス語になってしまった。



 あとから聞くと、どうやらウルリケは初ミッションで、現地スタッフとどう折り合っていくかに問題を感じていた。これは紘子さんからも再三聞いていたことなのだが、奴隷革命をなし遂げたハイチの人々のプライドは大変高く、これがいいと思い込んだら新しい手法を受け入れてくれにくくなることもあるそうだった。どう自ら変えようと思ってもらうか、そこが難しい。

 ウルリケはウルリケで、他のスタッフとどうチームを組んでいくか迷っているのかもしれなかった。妥協はしたくないだろうが、それなしではチームワークも働かないのだとしたら。いや、問題が他の何事であったにせよ、フェリーは各活動地で出来る最善の医療を提供するという根幹を頑固に貫けと、あえて非医療従事者として言ったのだった。

 その医の倫理をもって、彼らは職種が違っていてもひとつにつながっているのだから。

 英語でフェリーが話し出したことには、その意味をダイニングにいた全員がもれなく確認するべきだという判断があったに違いない。

(鉄条網で守られている宿舎にて)

 たいして休む間もなく、CRUO(産科救急センター)のメンバーはまた病院に行くことになった。しかも、近いから歩くのだという。そこは滞在初日に唯一、昼間なら歩いてもいい道だった。

 体格のいいフェリー隊長を先頭に、アナ、オルモデ、空飛ぶ電気技師インゴが外に出た。ウルリケたちはあとから来ることになっていた。いざ歩き出すと、いかに両側がガレキだらけかわかった。たまに現地の子供や青年が日陰に座っていたりして、それはどこかのんびりした光景でもあり、またいつ彼らが石などを投げてきても仕方がないようにも思った。

 戦地のつかの間の安定の中を行く気がした。実際、イタリア人のルカはノートパソコンを持っているからという理由で一団に加われず(その命令もフェリーのジョークだったのだろうか)、鉄扉の中で待たされ、ウルリケらと一緒に四駆に乗って俺たちを追い越していった。決して手放しで安全なわけではないのだった。

(緊張の中を歩く)

 歩いている集団にもどこか緊張があるように感じると、すたすた先を歩いていってしまうフェリーへの依存心が増した。隊長と共にいればより安全なのだと確信した。しかし谷口さんを後方に置き去りというのもはばかられた。女性の足だとどうしても遅れる。

 俺は自分の命を自分で守るべきか、仲間と共にあるべきか究極の選択に迫られていた。額から汗がじわじわ出た。なぜフェリー隊長の足はあんなに早いのか、一方なぜ谷口さんは遅いんだ......。谷口さんは他のスタッフに話しかけられ、答えながら移動していた。

 結果わずか5分くらいの歩行で終わってよかったと思う。わりと中途半端で臆病な位置取りのままで、俺は産科救急センターに着いた。

穏やかな時間

 女性院長ロドニーがまた俺たちを案内してくれた。リシャーもぴったりついてクレオール語を英語に訳してくれた。フェリーも折々、様子を見に来てくれた。

 おかげで俺たちはあらゆる部屋に入ることが出来た。薬品の仕分けをするための少しだけ冷房の効いた部屋や、廊下に貼られた3月8日『女性の日』のポスターに出ている"ハイチ女性の権利向上に尽力した元女性大統領"、薬剤を運んできている職員のTシャツの背中に印刷された日本語「オレ最強」など、しまいには特に見ないでいいものまで見た。

(これを撮ったら振り向いて思い切りにらまれた。今回の取材で最も危険な瞬間だった)

 やがて、産後室に俺たちは戻り、写真を撮った母親たちに同意書へのサインをしてもらうのを待った。もちろんMSFでの公式の使用に同意してくれるかどうかを聞くのはリシャーだった。

 部屋には何人も母親がいて、赤ん坊がいた。壁にはかわいい動物の飾りなどが貼られていた。保育器の中にいる乳児もいた。その一人は生まれて四ヶ月経っても親があらわれないあいつだった。

 例の、ふくれあがる筋肉を申し訳なさそうに縮める姿勢で、リシャーは母親たちに用紙を差し出した。きわめて小さな声でリシャーは何かしゃべった。俺はそれを遠くの丸椅子に座って眺めていた。部屋に女性看護士は二人いた。さらに助手らしき女性も一人いた。みな静かだった。

 窓の外から日は強く差し、木の葉と一緒に揺れていた。その木漏れ日の中に一人の若い母親がいて、ワンピース姿で右を下にして寝ていた。子供はその腹のあたりにいて動かなかった。小さな子供だった。母も子も眠りが深いようだった。彼らが幸せかどうかは俺などが決められることではないが、少なくともそうして眠っている間は穏やかだと思った。

 やがて母親の髪に木漏れ日が移動した。俺の視線はそこからしばらく動かなくなった。

 リシャーが仕事を終えたので、俺たちも帰ろうとして立ち上がり、部屋を出て中庭に面した廊下を歩いた。途中のベンチにあのウルリケが座り、横の現地女性スタッフと熱心に何かを話しているのを見つけた。

 中身は知りようもなかったが、彼女が懸命な努力を続けていることがわかった。

続く

いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

いとうせいこう

この記事の関連ニュース