<アサド大統領率いるシリア軍は、反体制派を追い詰め、せん滅するためには民間人の巻き添えも厭わない。援助物資の搬入も許されない包囲網のなかに取り残されている多くの住民は目いっぱい知恵を使って生きている> (写真は昨年、シリア政府軍の爆撃を受けた首都ダマスカス郊外のドゥマ。援助団体シリア・アラブ赤新月社の本部がある)
内戦が続くシリアでは、数十万人の住民がシリア政府軍の包囲網のなかでの暮らしを余儀なくされている。いったいどうやって暮らしているのか?
【参考記事】死者47万人、殺された医師705人......シリア内戦5年を数字で振り返る
暮らし向きは場所によって違う。食料や医療品が底を突き、人命が危機にさらされている地域もあるが、必死のやり繰りで何とか生き延びている地域もある。追いつめられて、ささやかな「イノベーション」をやってのけることもある。
シリア中部の都市ホムス北部(住民数10万人)とホムス郊外のワエル地区(同7万5000人)は、地理的には近いが暮らし向きはかなり違う。いずれも政府軍に包囲され、自由な人や物資の往来ができなくなっている。ホムス北部はこの3年で小麦を生産、備蓄し、住民に配達する取り組みを始めている。だが耕作に適した土地が足りないワエル地区では、国連の人道支援に依存している。支援が届かなくなれば、たちまち飢えてしまうだろう。]
パンの値段が半額以下に
ホムス北部は、比較的土地に恵まれていただけでなく、工夫もあった。2年前に始まった「地元のパン」プロジェクトは、政府軍が長期間、すべての援助物資の輸送を封じた冬の間、住民が食いつなぐ唯一の生命線になった。プロジェクトの趣旨は、自治体がシーズン初めに小麦の栽培に必要な物資を農家に供給する代わりに、農家が収穫した小麦を地元政府に優先的に売るというもの。包囲地域以外では販売せず、便乗値上げを行わないと誓約すれば、農家は人道支援団体や国外に避難した家族を保証人にして生産拡大のためのローンを組むことができる。
【参考記事】アサドを利する「シリア停戦」という虚構
ホムスを拠点に現地の状況を発信するメディア活動家のヤアブ・アルダリによると、ホムス北部では過去1年間で、自治体が収穫した小麦を住民に公平に分配し、取引の独占による価格上昇も阻止することができた。公営のパン屋が開店してから、パン1袋の値段がそれまでの半額以下になった。アルダリは、人道支援団体が参画する他のプロジェクトとの相乗効果で、包囲地域の住民の暮らしが少しでも楽になればと期待している。包囲地域に安定して水を供給するために水道施設を修復するプロジェクトや、チーズやヨーグルトの製造工場の設立を支援する動きもある。
首都ダマスカス郊外にあるダラヤ地区の取り組みは、どんな過酷な状況にも適応しようとする人間の底力を象徴していると言えるかもしれない。
【参考記事】地獄と化すアレッポで政府軍に抵抗する子供たち
ダラヤには2012年末の時点で25万人の住民が生活していたが、政府軍による包囲作戦や虐殺によって、住民の大部分が町を去り避難民となった。町に残された1万人は、政府軍の容赦ない包囲網によって生存の危機に追い込まれていた。政府軍が国連による支援物資の搬入を初めて許可したのは、包囲網を敷いてから3年半後。あと数日で物資が尽きるという寸前のタイミングだった。
ダラヤの住民は包囲下に置かれた当初から、たとえ土地は限られていても、自分たちで栽培できる作物はなんでも育てる覚悟を決めていた。地元の議員によると、ダラヤではどの家庭でも、作物を栽培できそうなスペースがあれば隈なく耕し、小麦やホウレンソウを育てている。
政府軍からの度重なる砲撃に見舞われた住民は、燃料を確保するため、ありあわせの資源で作れる燃料の開発にも取りかかった。ジャーナリストのアブドゥル・ハミト・アルダラニによると、ダラヤでは石油の供給が遮断されて以来、住民がプラスチック製品を溶かして抽出した自家製の油(通称「ミクスチャー」)を、機械や電化製品の燃料として使用する動きが広がっている。
生産にはプラスチックを燃やすだけ。ディーゼルや石油、産業用の潤滑油などが抽出できる。品質は悪くないが、一つ間違えば爆発しかねない。
現地を取材したジャーナリストのアイハム・アルオマンは、そうした小さなプロジェクトを通じて人々が仕事に戻り、地域経済が動き出せば、包囲下の厳しい生活のなかでも活気を取り戻せると強調した。政府軍から兵糧攻めを受け、爆弾も落ちてくるという理不尽な状況下でも、人は努力する。だがそれにも、限度がある。
This article first appeared on the Atlantic Council website.
Hosam al-Jablawi is a Syrian citizen journalist.
ホサム・アル・ジャブラウィ(シリア人市民ジャーナリスト)
内戦が続くシリアでは、数十万人の住民がシリア政府軍の包囲網のなかでの暮らしを余儀なくされている。いったいどうやって暮らしているのか?
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暮らし向きは場所によって違う。食料や医療品が底を突き、人命が危機にさらされている地域もあるが、必死のやり繰りで何とか生き延びている地域もある。追いつめられて、ささやかな「イノベーション」をやってのけることもある。
シリア中部の都市ホムス北部(住民数10万人)とホムス郊外のワエル地区(同7万5000人)は、地理的には近いが暮らし向きはかなり違う。いずれも政府軍に包囲され、自由な人や物資の往来ができなくなっている。ホムス北部はこの3年で小麦を生産、備蓄し、住民に配達する取り組みを始めている。だが耕作に適した土地が足りないワエル地区では、国連の人道支援に依存している。支援が届かなくなれば、たちまち飢えてしまうだろう。]
パンの値段が半額以下に
ホムス北部は、比較的土地に恵まれていただけでなく、工夫もあった。2年前に始まった「地元のパン」プロジェクトは、政府軍が長期間、すべての援助物資の輸送を封じた冬の間、住民が食いつなぐ唯一の生命線になった。プロジェクトの趣旨は、自治体がシーズン初めに小麦の栽培に必要な物資を農家に供給する代わりに、農家が収穫した小麦を地元政府に優先的に売るというもの。包囲地域以外では販売せず、便乗値上げを行わないと誓約すれば、農家は人道支援団体や国外に避難した家族を保証人にして生産拡大のためのローンを組むことができる。
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ホムスを拠点に現地の状況を発信するメディア活動家のヤアブ・アルダリによると、ホムス北部では過去1年間で、自治体が収穫した小麦を住民に公平に分配し、取引の独占による価格上昇も阻止することができた。公営のパン屋が開店してから、パン1袋の値段がそれまでの半額以下になった。アルダリは、人道支援団体が参画する他のプロジェクトとの相乗効果で、包囲地域の住民の暮らしが少しでも楽になればと期待している。包囲地域に安定して水を供給するために水道施設を修復するプロジェクトや、チーズやヨーグルトの製造工場の設立を支援する動きもある。
首都ダマスカス郊外にあるダラヤ地区の取り組みは、どんな過酷な状況にも適応しようとする人間の底力を象徴していると言えるかもしれない。
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ダラヤには2012年末の時点で25万人の住民が生活していたが、政府軍による包囲作戦や虐殺によって、住民の大部分が町を去り避難民となった。町に残された1万人は、政府軍の容赦ない包囲網によって生存の危機に追い込まれていた。政府軍が国連による支援物資の搬入を初めて許可したのは、包囲網を敷いてから3年半後。あと数日で物資が尽きるという寸前のタイミングだった。
ダラヤの住民は包囲下に置かれた当初から、たとえ土地は限られていても、自分たちで栽培できる作物はなんでも育てる覚悟を決めていた。地元の議員によると、ダラヤではどの家庭でも、作物を栽培できそうなスペースがあれば隈なく耕し、小麦やホウレンソウを育てている。
政府軍からの度重なる砲撃に見舞われた住民は、燃料を確保するため、ありあわせの資源で作れる燃料の開発にも取りかかった。ジャーナリストのアブドゥル・ハミト・アルダラニによると、ダラヤでは石油の供給が遮断されて以来、住民がプラスチック製品を溶かして抽出した自家製の油(通称「ミクスチャー」)を、機械や電化製品の燃料として使用する動きが広がっている。
生産にはプラスチックを燃やすだけ。ディーゼルや石油、産業用の潤滑油などが抽出できる。品質は悪くないが、一つ間違えば爆発しかねない。
現地を取材したジャーナリストのアイハム・アルオマンは、そうした小さなプロジェクトを通じて人々が仕事に戻り、地域経済が動き出せば、包囲下の厳しい生活のなかでも活気を取り戻せると強調した。政府軍から兵糧攻めを受け、爆弾も落ちてくるという理不尽な状況下でも、人は努力する。だがそれにも、限度がある。
This article first appeared on the Atlantic Council website.
Hosam al-Jablawi is a Syrian citizen journalist.
ホサム・アル・ジャブラウィ(シリア人市民ジャーナリスト)