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【ルポ】南シナ海の島に上陸したフィリピンの愛国青年たち

ニューズウィーク日本版 2016年8月8日 17時0分

<昨年末、中国と領有権を争うパガサ島にフィリピンの青年団体のメンバー50人が船で上陸する一件があった。国内外の世論にアピールする狙いがあったが、彼らはいったい何者なのか。その"大冒険"で実際に何を行ったのか。マニラの本拠を訪れて話を聞くと、領有権紛争の奥にひそむ現実が見えてきた>

 中国がフィリピンやベトナム、そして日米と火花を散らす南シナ海領有権問題について、私たちがニュースで聞かない日はない。ただ、ここ数年、外相会議や国防大臣らが参加するシャングリラ・ダイアローグを覗き、政策責任者の話に耳を傾けてみても、どうも空虚な言葉遊びとしか思えなかった。フィリピンの首都マニラで、ある青年団体を訪ねたのは、そんな南シナ海のリアルな感覚を掴みたかったからだ。

 昨年末、この団体のメンバー50人が中国と領有権を争うパガサ島(英語名「ティトゥ島」、中国名「中業島」)に上陸した。「希望」を意味するこの島は、フィリピンが実効支配する南沙諸島の島としては最大の面積を誇る。

 マニラ郊外にある彼らのオフィスへ車で向かった。住所を頼りにして、なんとか小高い丘の上にある集落に到着した。周りには果物や野菜を冠した小道があり、なんとものどかな雰囲気が漂っている。

 支持者が提供しているというある民家が彼らの本部兼宿泊所である。呼びかけても反応がなかったので、中へ入るとぐっすりと寝ている男性がいた。もう正午だというのにだ。その後、眠気まなこの少年、少女たち10数名が次々と1階へ降りてきた。おととい投票のフィリピン大統領選に際して、開票作業監視の長旅から帰ってきたところだという。

 メンバーの多くがドゥテルテ候補(当時、その後大統領に就任)を支持している。スカボロー礁にジェットスキーで乗り付けて国旗を立てる、という彼の選挙中の約束が「私たちにとって特別な意味をもつ」とグループのある中心メンバーは語る。他のメンバーも、南シナ海問題についていつも言及するのはドゥテルテだけだと推していた。

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 フィリピンのルソン島の西およそ200キロに位置するスカボロー礁では、2012年に中比公船が対峙する事件が発生し、結果として中国が実効支配を固めるようになった。この一件で、「運命を変えなければならない」(古参メンバー)との思いが強くなり、当該団体の前身である「カラヤン・キャラバン」の発足に至った。フィリピン各地の大学などを回り、若者に愛国的なメッセージを発しつつ、運動への支援や参加を呼びかけた。

 昨年の5月に「カラヤン・アティン・イト」と改名した。カラヤンはタガログ語で「自由」を、アティン・イトは「それは我々のもの」を意味する。なお、フィリピンが実効支配する南シナ海の島々は、マルコス時代にカラヤン諸島と名付けられた。

クリスマスイブに出航した2泊3日の船旅

 昨年末の上陸について話を聞く。メンバーによると、もともとは船でスカロボー礁へ行く予定だった。だが、すでに中国が同礁への支配を強めていたため、12月に実施された初の航行の目的地はパガサ島となった。南シナ海の領有権をめぐってフィリピンが中国を提訴した裁判で判決発表が近づいていたことを考慮し、世論にアピールする意図もあった。

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写真提供:Kalayaan Atin Ito

 15歳の最年少メンバーを含む50人の若者は、まず西フィリピン海(2012年にフィリピンが公式名称とした南シナ海に当たる海域)を臨むパラワン島へ向かい、出発の機会をうかがった。12月24日、パガサ島へ上陸するための2泊3日の船旅がようやく始まった。メンバーの誰もが、中国からの攻撃を覚悟していた。だが意外にも、周辺海域で船を止めようとしたのは中国軍艦ではなく、フィリピン海軍だった。

 荒波対策に苦労した。メンバーの中には泳げない人がいたため、万一に備え、泳げる人と泳げない人のペアが事前に組まれていた。波があまりに大きく、航行のあいだ、船の上でまともに立つことはできなかった。できることといえば、床に横になっておくことくらい。食料倉庫へ行くことすらままならならず、メンバーの中には酔って嘔吐する人もでてきた。それでも、木製の船なので転覆しても沈むことはないと信じていた。

南シナ海の領有権紛争 | Graphiq
地図中、Thitu Islandがパガサ島、Subi Reefがスビ礁、Fiery Cross Reefがフィエリークロス礁、Mischief Reefがミスチーフ礁(この地図にスカボロー礁は表示されていない。係争中の島が多く点在する海域の東側にある南西から北東に伸びた細長い島がパラワン島)


 その当時、船に乗っていた大学2年生のジェスパーに印象的だったことをたずねると、彼は未だ興奮冷めやらぬ様子で声を大きくして語った。「流星が見えた。すっごく大きなのが。すぐそこに。最初は中国がロケット弾を打ち込んできたのかと思った」

 マニラのビジネス街・マカティ出身のジェスパーは、高校時代から生徒会で活躍するなど社会問題に興味があった。昨年、友達に誘われてこのグループの活動に参加した。その時にボランティアが言っていた「国家統一と愛郷心は、国を前進させるために避けては通れないジャンプ台だ」という一言に心を揺さぶられ、運動にのめり込むようになった。

 3日目の昼にパガサ島に着いた。アンドレ(34)は船から降りると、足元にサンゴ礁の死骸があることに気づいた。中国が近くで人工島を造っていて、化学物質が流れ出てきたからではないかと推測した。中国はパガサ島周辺の魚を死滅させて食料を奪うことによって、島民が島から離れさせようとしているのだ、と思った。

わずか20キロ先に中国が実効支配するスビ礁

 西フィリピン海に浮かぶ島々を管轄するカラヤン町政府は、政策としてパガサ島への移住を奨励してきた。しかし、予算不足の地元政府が提供できる食料には限界があるため、島民は120人以下にとどまっている。時々本島に帰る人もいるので、島に住民が90人ほどしかいない時もある。

 パガサ島から西へわずか11海里(約20キロ)にあるスビ礁。中国側が実効支配するこの場所で、2010年には灯台が出現し、その翌年には直径20メートルのドーム状の建築物が登場した。さらに、中国は2014年から急ピッチで埋め立てを行い、その面積はすでに395万平方メートルに達している。



 ユーヘニオ・ビトオノン・カラヤン町長は筆者との書面インタビューで、「昼間、水平線がクリアであれば、(パガサ島からスビ礁が)はっきりと見える。夜になるとスビ礁はさらに良く見える。建築物がライトアップされているし、灯台が強く光っているからだ」と回答した。中国やベトナムの漁船がやってくるのは日常茶飯事で、これらの国のパトロール船や沿岸警備船が来ることもある、とのことだ。

 オフィスで話を聞いた際、グループでリーダー的な役割を果たすジョイという女性は、平均的なフィリピン人よりはずっと南シナ海問題を深刻に捉えていた。中国が現在実行支配しているフィエリークロス礁、スビ礁そしてミスチーフ礁を結んでできる三角形で「大量破壊兵器貯蔵のトライアングル」を作ろうと企んでいるという。彼女はさらにこう叫んだ。「チベットと台湾で何が起きた? パラワン島もあっという間に中国に取られるわ。そして私たちは中国の一つの省になるの」

 団体メンバーがパガサ島に着いたのは奇しくもクリスマスの次の日だった。カトリック教徒が大多数を占めるフィリピンにおいて、クリスマスは最も重要な記念日の一つだ。そのお祝いはなんと9月から始まる。パーティーが毎日のように続き、クリスマス当日は家族で集まるのが習慣だ。それにもかかわらず、50人の若者たちはこの島を目指すことを選んだ。

 その代わり、彼らはパガサ島で一風変わった遅めのクリスマスを祝うことになった。フィリピンでは、この時期に子供達が家々を訪ね、クリスマスソングを歌ってはコインやお菓子を集める「キャロリング」という風習がある。だが、この島では逆のことが起きた。メンバーみんなで各家庭を回り、島の子供達にジュースとドーナツを配った。子供達の歓声が響いた。多くの子供にとって、ドーナツというものを手にするのは初めてのことだった。

 アンドレによると、ある母親は「みんな、ここに来てくれてありがとう」 と呟き、涙をあふれさせた。いつもは孤立しているんだろうな、と理解した。その女性の涙が伝わるようにして、自分たちの目も潤んできた。ジングルベル、ジョイ・トゥー・ザ・ワールド、そしてタガログ語のクリスマスソングを歌ってあげると、子供達が歌声に加わって大合唱になった。

 フィリピンの若者達が体験した大冒険を通して、この領有権紛争の奥にひそんだある像がくっきりと見えた気がする。それは、巨大な隣国に対して経済的に劣った自国が、その領土すら自国単独では守れないという現実への絶望にも似た苛立ちと焦りだった。

[筆者]
舛友雄大
シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院アジア・グローバリゼーション研究所研究員。カリフォルニア大学サンディエゴ校で国際関係学修士号取得後、調査報道を得意とする中国の財新メディアで北東アジアを中心とする国際ニュースを担当し、中国語で記事を執筆。今の研究対象は中国と東南アジアとの関係、アジア太平洋地域のマクロ金融など。これまでに、『東洋経済』、『ザ・ストレイツタイムズ』、『ニッケイ・アジア・レビュー』など多数のメディアに記事を寄稿してきた。


舛友雄大(シンガポール国立大学アジア・グローバリゼーション研究所研究員)

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