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格差の時代に「ヘリマネ」は日本を救うか

ニューズウィーク日本版 2016年8月9日 15時10分

<ケインズが予言した「働かずとも食える時代」はなぜ到来しなかったか。21世紀のモノ余り社会に必要な政策とは>(写真は会見する日銀の黒田総裁)

 1930年、イギリスの経済学者ケインズ卿はその随筆「孫の世代の経済的可能性」で、面白いことを述べている。100年後の世界では生産性が極度に上がるので、あまり働かなくても皆が平均的に豊かになる。富をどう分配するかという経済問題はなくなる、というのだ。

 ケインズは世界恐慌後の不況から脱出するため、政府が支出を増やして景気を刺激する手法を確立した人物。彼の時代は、大量生産方式が供給を大幅に引き上げたのに需要が足りない時代だった。

 今はロボットや人工知能(AI)の発達で、生産性がさらに上がり、需要が追い付かない点は同じ。経済政策はまだ必要だ。

【参考記事】ヘリコプターマネー論の前に、戦後日本のハイパーインフレを思い出せ

 アベノミクスはその点、どうだろうか。これまでの不調についてはいろいろ言われるが、要は需要が盛り上がらないということだ。膨大な貯金(個人金融資産1700兆円、企業の内部留保360兆円以上)が消費や投資に回らない。

 無理に経済成長をする必要はないと言う人もいるが、社会保障や国防に必要なカネは増えるばかり。成長による税収増は不可欠だ。これまでは国債で貯蓄の一部を借り上げ、公共投資に回して成長を図ったが、今は銀行さえ国債を買うのに慎重になっている。

ポピュリズムに陥る前に

 そこで話題になったのがヘリコプター・マネー(ヘリマネ)。国民一人一人に政府が直接カネを渡せば消費に回り、景気を刺激する。

 サマーズ元米財務長官やバーナンキ前FRB議長が提唱しており、奇想天外に見えるが技術的には可能なやり方だ。年金や児童手当が既にあるし、マイナンバーが普及し、国民の口座管理が容易になれば、ここに毎月政府が数万円ずつ配布できる。

「歯止めが利かなくなる。政治家がヘリマネをむやみに増やし、ハイパーインフレを起こす」と、反対も強い。しかしこの考えは少々硬直している。モノの生産がしっかりしている所では、通貨供給が増えてもインフレは起きにくいからだ。

 ハイパーインフレは、第一次大戦後のドイツ、戦後の日本、そしてソ連崩壊直後のロシアなどで起きているが、これはいずれも生産基盤が崩壊した時代のこと。政治家がヘリマネをむやみに増やすのを止める仕組みは必要だが、ヘリマネ自体を完全に排撃するのはよくない。



 冒頭のケインズの予言から既に86年。世界は経済政策を必要としない時代には至っていない。むしろ新しい現実は、経済学や統計手法の修正を常に求めている。

 例えば業種の分類は崩れてきた。ソフトバンクは通信業なのか投資銀行なのか、自前の工場も持っていない米国のアップルは製造業なのかサービス業なのか。頭脳労働があらゆるものに入り込む今、1次、2次、3次産業といった分類は時代遅れだ。

 筆者は親のために介護サービスを使っているが、ヘルパーを頼むということはこれまで主婦が無料でしていた作業にカネを払う、つまりGDPに反映させることだと痛感する。日本の高齢化は一大産業を生んでいる。

【参考記事】日本銀行の「追加緩和」は官僚的な対応のきわみだ

 他方、若者たちは所得が低くてもカーシェアを使ったり、新生児用品などをリースで済ませたりして、生活水準を維持している。こうなると新品への需要は減るが、1つのモノがリース料という付加価値を長期にわたって生み続けるという意味では、GDPにむしろプラスだ。

 ケインズは随筆で懸念を表明している。働かなくても食える時代が来たとき、特にやりたいこともないたぐいの人たちはどうしたらいいのだろう、と。

 だが、そのような「経済政策の終わり」は、まだ先のこと。生産性は上がっているが、国と国との格差、そして国内の持てる者と持たざる者との格差は広がるばかり。「格差是正」を旗印に、強権に訴える原始的なポピュリズム政治が幅を利かせかねない。

 ケインズの予言とは裏腹に、今こそ新しい現実を見据えた経済政策が必要とされている。

[2016.8. 9号掲載]
河東哲夫(本誌コラムニスト)

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