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トルコとロシアの新たな蜜月

ニューズウィーク日本版 2016年8月15日 16時0分

<エルドアンを危機から救ったのはプーチンなのか? クーデター未遂で浮かび上がった両国の意外な絆とは>

 クーデター未遂に見舞われたトルコのレジェップ・タイップ・エルドアン大統領を救ったのは、ロシアのスパイ──そんな説が浮上している。

 きっかけはイランの政府系ファルス通信の報道だ。「トルコ軍がクーデターを準備していることを示す、極めて機密度が高い情報と暗号化された無線通信」をロシアの情報機関が傍受し、トルコ側に伝えたという。

 ファルス通信によると、情報を収集したのは、シリア北西部ラタキアにあるロシア空軍基地で、GRU(ロシア軍参謀本部情報総局)の電子偵察部門「第6局」が管轄する通信傍受施設。トルコ軍関係者が「軍用ヘリ数機を、エルドアンが滞在する(トルコ南西部のリゾート地マルマリスの)ホテルへ派遣し、エルドアンを拘束または殺害する計画を話し合う」模様が、ロシア側の耳に入ったとのことだ。

 この説は、トルコ治安当局高官が行った説明の少なくとも一部と符合する。高官によれば、クーデターの動きが起こる数時間前の先月15日午後3時頃、首都アンカラ近郊のギュベルジンリク陸軍飛行場で「異常な活動」がみられると、国家諜報機関(MIT)に報告があった。

 報告の出所は不明なものの、MITのハーカン・フィダン長官は深刻に受け止め、軍のフルシ・アカル参謀総長に警告。パニックに陥ったクーデター勢力は決行を予定より12時間早め、エルドアンは間一髪でマルマリスを脱出することができた。

【参考記事】トルコ政変は世界危機の号砲か

 ロシア当局がMITにクーデター計画を知らせたとの話を、トルコとロシアは公式に否定している。とはいえ専門家の指摘によれば、情報をもたらしたのはロシアの通信傍受施設だというのは、少なくとも技術的な面から言えばあり得ることだ。

 昨年9月末にシリアへの軍事介入に踏み切って以来、ロシア軍はラタキアの基地に最新鋭の電子通信傍受・妨害装置を配備。ロシアはシリアで、自国の軍事テクノロジーを見せつけようとしていると、英王立統合軍事研究所(RUSI)のジャスティン・ブロンク研究員は言う。GRU第6局の特殊部隊オスナズは早くも14年2月の時点で、シリア政府軍を支援すべく各地に通信傍受施設を設置していた。

 イスラエルの政治・軍事分析サイト「デブカファイル」によれば、ロシアはイスラエル、ヨルダン、サウジアラビアとトルコの広範囲を対象とするレーダー・電子情報収集システムをシリアに導入。「中東の状況認識(に役立つ情報)をシリアやイランに提供している」という。

ロシア軍機撃墜を謝罪

 そうだとすれば、トルコのクーデター阻止にロシア情報機関が貢献したという説にも信憑性がある。ただし引っ掛かるのはタイミングだ。



 ロシア側がギュベルジンリクでの動きを傍受した可能性はある。とはいえ「ロシアとトルコの軍情報部門の間に直接的なコミュニケーションルートは存在しない」と、ロシアのリベラル系新聞ノバヤ・ガゼタの軍事専門家、パベル・フェルゲンハウエルは指摘する。

 それだけではない。「トルコ側に警告したとすれば、ロシアには(トルコ軍の)行動や情報を監視する技術的能力があると明かすことになる。そんなことをするのは通常、情報機関にとってタブーだ。大統領レベルの政治的決断なしにはできない」

 しかも両国関係は、昨年11月に起きたトルコ軍の戦闘機によるロシア軍の戦闘爆撃機撃墜事件で悪化し、最近になって改善の兆しが見えてきたばかり。フェルゲンハウエルが指摘するとおり、エルドアン政権にクーデター計画を伝えるという重大な決断が、問題の午後のわずか数分間に下されたとは考えにくい。

 真に注目すべきは、今回の一件がロシアとトルコの戦略的同盟関係の再強化を示唆している点だ。クーデター未遂事件の結果として、エルドアンは今後、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領に戦略的支援を求める可能性がある。

【参考記事】アメリカは大粛清を進めるトルコと縁を切れ

 エルドアンは6月下旬、ロシア軍機撃墜は「過ち」だったとの謝罪をプーチンに伝えた。その数日後に両者は電話会談を行い、両国関係を正常化することで合意した。

 おかげでロシア人観光客のトルコ渡航制限が解除され、ロシアからトルコを経由する「サウスストリーム」ガスパイプライン計画も再開される見込みだ。クーデター未遂後には、エルドアンがロシアを訪れて今月9日にプーチンと首脳会談を行うことも発表された。

 2人の大統領には共通点が多い。いずれもポピュリズム的独裁主義の先駆けで、アメリカへの根強い不信感を共有している。

 エルドアンはクーデター未遂直後の演説で、「首謀者」であるイスラム指導者フェトフッラー・ギュレンを米政権がかばっていると非難(ギュレンはアメリカで亡命生活を送る)。「トルコの敵をかくまう者はトルコの友人ではあり得ない」と述べた。

クルド人問題が媒介に

 この手の言説は、プーチンが牛耳るロシアのメディアのおはこだ。彼らに言わせれば、アメリカは国家間パートナーシップを説きながら、アメリカの覇権に挑む国の政権を転覆させようとする。プーチンは11年、自らの大統領返り咲きに抗議する大規模デモが起きた際、ヒラリー・クリントン米国務長官(当時)がロシアの反体制派に蜂起の「シグナル」を送っていると非難した。

 2人の統治スタイルも似てくる一方だ。クーデター未遂以降、エルドアンはプーチン式に反体制派を弾圧。既に約6万人が解雇や停職処分を受け、6000人以上が当局に拘束されている。



 トルコとロシアの間には、シリア問題もある。エルドアンはシリアのバシャル・アサド大統領と親密だったが、13年に反政府武装勢力支援に回った。以来、アサド政権を支持するロシアと対立する関係にある。 

 だがここへきて、状況はトルコに不利になり始めた。ロシアの軍事介入でアサドの地盤は固まり、トルコ政府が敵視するシリアのクルド人勢力は、テロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)と戦う仲間としてアメリカの支援を受け、力を増している。

 ロシア軍機撃墜事件後は、プーチン政権もクルド人勢力に肩入れする。クルド人勢力は今年3月、実効支配するシリア北部一帯で連邦制による自治を行うと宣言。トルコ国内のクルド人問題の火に油を注ぎかねない「クルド国家」樹立を阻止するには、エルドアンはプーチンに助けを求めざるを得ない。

【参考記事】あの時、トルコ人はなぜ強権体質のエルドアンを守ったのか

 すべてを考え合わせれば、ロシアとトルコには親密な関係を再開させる強い動機がある。関係強化は両国の多くの人々にとっても喜ばしいことだろう。

 プーチンに影響力を持つとされる極右思想家、アレクサンドル・ドゥーギンはクーデター未遂の当日にトルコで、エルドアンの腹心でアンカラ市長のメリヒ・ギョクチェクと会った。

 ドゥーギンのサイトによれば、ギョクチェクいわくロシア軍機撃墜は米CIAとギュレン支持者の陰謀で、トルコとロシアの仲を裂くことが狙いだった。ギュレン派の脅威を過小評価したのが「トルコの過ちで、今後は過ちを正す。最初の一歩がロシアとの友好関係の回復だ」と、ギョクチェクは話したという。

 エルドアンの命、あるいは政治生命を救ったのがロシアの情報でないとしても、クーデター未遂でエルドアンの欧米不信に拍車が掛かったことは確実だ。独裁志向を強めるエルドアンは自分とよく似た男、プーチンとの絆をひたすら深めている。

[2016.8. 9号掲載]
オーエン・マシューズ(元モスクワ支局長)

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