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ドイツ「最強」神話の崩壊

ニューズウィーク日本版 2016年8月17日 16時0分

<難民問題やテロで混沌とするヨーロッパで、唯一政治も経済も安定していたドイツが、極右の台頭に揺さぶられている>(写真は、デュッセルドルフのパレードで登場した、EUと戦争・テロとの板挟みになる難民の姿をモチーフにした山車)

 2022年のフランス大統領選をめぐる混乱を描いた、ミシェル・ウエルベックの近未来小説『服従』(邦訳・河出書房新社)。既存の政党への不信感から、極右勢力と穏健なイスラム政党が伸長し、パリを中心にフランス国内ではテロや銃撃戦が頻発。最終的にはイスラム政党が勝利を収めるのだが......。

 前評判では、『服従』はあまりにも荒唐無稽で挑発的だと批判された。ところがその刊行日である昨年1月7日、くしくもパリではシャルリ・エブド銃撃事件が発生。急に小説の内容がリアルに感じられるようになり、大きな話題を呼んだ。

 ドイツは、そんな混乱とは無縁と考えられてきた。ヨーロッパ経済は危機的状況にあるなか、輸出産業は絶好調。中道派が政権を握り、有権者はナチスの苦い経験から学んだ「政治的冒険主義を避ける」という暗黙のルールを守ってきた。

 移民を社会に融合させるという点でも、ドイツは比較的うまくやってきた。第二次大戦後に大量に受け入れたトルコ人出稼ぎ労働者との関係は今もぎくしゃくしているが、パリやロンドンの郊外にあるような極度に緊張した地区はない。

【参考記事】ドイツの積極的外交政策と難民問題

 このためドイツは、ヨーロッパのどの国よりも移民の統合に成功し、一般市民は多民族的なアイデンティティーを受け入れるかに見えた。つまりウエルベックがフランスで予見する破滅的状況とは無縁に見えた。

 そこに異変が起きた。

 シリア人とイラク人は誰でも歓迎するというアンゲラ・メルケル首相の約束に、国内で不満が拡大。昨年の大みそかに起きたハンブルクやケルンでの移民男性多数による盗みや性犯罪(一部は虚偽)が報じられると、極右政党・ドイツのための選択肢(AfD)の人気が急上昇。3月の統一地方選で大躍進した。

 二大政党(中道右派と中道左派)の支持率は、第二次大戦後初めて計50%を割り込んだ。移民に対する大きな不安、中道政治の弱体化、権威主義的な右派の台頭という、社会不穏を招く「三点セット」がそろった。



 そして先月、ドイツ南部で1週間に4件の流血の惨事が起きた。まず18日、ビュルツブルク付近を走行中の列車内で、アフガニスタン難民の少年が、おので乗客を襲い5人が負傷。22日にはミュンヘンのショッピングセンターで、イラン系ドイツ人の少年が銃を乱射し、9人が死亡、35人以上が負傷している。

 24日には、ロイトリンゲンのバス停で、シリア人の男が、なたで通行人を切りつけ、妊婦1人が死亡し、2人が負傷した。同日夜には、アンスバッハの飲食店で、シリア人の男が自爆して15人が負傷。イスラム原理主義組織によるドイツ初の自爆テロとなった。

 大みそかの事件がAfDの躍進につながったように、今回の事件がAfDなどポピュリストに有利に働くのは間違いない。彼らにしてみれば、一連の事件は「メルケルの移民政策のせいでドイツはテロリストの標的になる」という主張の正当性を(一見したところ)示した。

 今回の事件は、別の意味でもメルケルに打撃を与えている。4件の襲撃事件はいずれもドイツ南部で起きたが、うち3件はバイエルン州で起きた。同州の与党・キリスト教社会同盟(CSU)は、メルケル率いるキリスト教民主同盟(CDU)の地方政党的な存在だ。

【参考記事】オーストリアにEU初の極右政権が生まれる?

 だが、ドイツは歴史的に地方分権が進んでおり、州議会の組織も大きい。そしてCSU党首であるホルスト・ゼーホーファー州首相は、メルケルに最も批判的な1人として知られる。このため政治評論家の間では、CSUがCDUとたもとを分かつのでは、という声も聞かれる。

 現実にはそこまで行かないとの見方が強いが、メルケルが大きな圧力にさらされるのは間違いない。その場合メルケルは、政策を右寄りに軌道修正して党内の不満を封じ込むか、現在の方針を堅持して自らの政治生命を危うくするかの二択を迫られるかもしれない。

銃撃犯は極右政党支持者

 いずれにしろ、メルケルが巧みに国内政治をコントロールできた時代は終わりに近づいている。彼女は政治的な死に抵抗する過去の遺物のようなものだ。しかしメルケルが政治の舞台を去ったら何が起きるかは、誰にも予想がつかない。

 こうした大きな問題を考えると、今回の事件の真相が当初報じられたよりもやや複雑であることは見落とされがちだ。例えばミュンヘンのショッピングセンターの銃撃犯アリ・ダビド・ゾンボリは、イスラム原理主義者ではなくAfDの支持者だと語っている。

 ミュンヘンでイラン人の両親に生まれたゾンボリは、イスラム教徒と「カナーケン(有色人種を指す侮蔑語)」を嫌悪していた。そして5年前にノルウェーで銃乱射事件(死者77人)を起こしたアンネシュ・ブレイビクを崇拝していた。



 その日、ショッピングセンターの隣に住む建設作業員のトマス・ザルベイは、自宅バルコニーからゾンボリを罵って、銃撃の手を緩めさせようとした。

「おまえなんか首を切り落とされちまえ」と、ザルベイが叫ぶ。

「トルコ人は黙ってろ」と、ゾンボリ。

「カナーケンは黙ってろ」と、ザルベイがさらに返す。

 するとゾンボリは、「俺はドイツ人だ」と答えたという。

【参考記事】国民投票とポピュリスト政党、イタリアの危険過ぎるアンサンブル

 ゾンボリは事件を起こした後、現場から離れた場所で自殺したとみられている。ドイツ人として外国人に対する極右テロを起こし、自らは尊厳ある死を選んだつもりらしい。だが、ドイツ国内では、この国になじめなかった移民がドイツ人に鬱憤を晴らした事件だと理解されている。

 だから、この事件がAfDの打撃になることもなさそうだ。ザルベイでさえ、ある新聞とのインタビューで、事件の遠因をつくったのはメルケルだという趣旨の発言をしている。「メルケルはこの国に誰でも受け入れる。『私たちにはできる。できるはずだ』と言ってね」

事実に目をつぶるメディア

 『服従』の主人公は、フランスの新聞がギリシャ神話のカサンドラのようにヨーロッパの政治危機を予言していた、と語る友人を笑う。「カサンドラは、必ず現実になる不幸な予言を示したが、中道左派(の新聞)がやっているのはトロイア市民のように(カサンドラの予言に)目をつぶることだ」

 どうやらウエルベックは、われこそはカサンドラだと思っているようだ。確かにこれまでのところ、彼の「予言」が当たっている部分はある。しかしさすがにフランスにイスラム政権が誕生するとは思えない。

 ドイツでもヨーロッパ全体でも、イスラム教徒の移民にどう対処するべきかという議論はピークに達しつつある。しかしその議論に勝利するのは、人々に服従を要求する者ではなく、人々を統率する者だ。

From Foreign Policy Magazine

[2016.8. 9号掲載]
ヤッシャ・ムンク

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