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メコン川を襲う世界最悪の水危機

ニューズウィーク日本版 2016年8月10日 17時10分

<エルニーニョとダム建設の影響で深刻な水不足に苦しむメコンデルタ地帯。最先端の農業改革と、昔ながらの貯水対策などが同時並行で進められている>(写真はプノンペン付近のメコン川で漁網を張る少年)

 カオ・ユーエンは2本の金属棒の先に目をやった。棒が「反応した」先の地面では、穴の中に濁った水がたまっていた。「これは魔法じゃない」と彼は言う。「生活のために水に関していろいろ実験してるのさ」

 カンボジアのアンコールワットに程近い小さな農村に住むカオがしていることは、世界遺産に負けず劣らず意義深い。ここ数十年の東南アジアで最悪レベルの干ばつが襲うこの地で、生きるために水脈を探索して歩いているのだ。

 彼は2本の金属棒を胸の高さで軽く握り、乾き切った土地に先端を向けて辛抱強く歩き回る。棒の先端が左右に開く場所に、水脈が眠っている(と願っている)からだ。反応がある場所を掘って水が見つかれば、それを作物栽培に利用する。2週間前に韓国のNGOから金属棒の使い方の指導を受けたという。

 この手法に科学的根拠はないし、アジアの水危機の解決策にもなりはしないだろう。「私のおばは金属棒探知を信じるタイプだったけれど、私は穴をいくつか掘るほうがまだましだと思う」と、国際水管理研究所(IWMI)のジェレミー・バード所長は言う。「数カ所で水は見つかるだろうが、何より大事なのはどのくらいの期間それが持つかだ。金属棒探知では分からない」

【参考記事】何もなかった建設予定地、中国-ラオス鉄道が描く不透明な未来

 状況は深刻だ。昨年から今年にかけ、干ばつはカンボジアの62万世帯以上を直撃し、さらにベトナムなど近隣諸国の数百万人に被害を与えている。

 過去最大規模のエルニーニョ現象が猛威を振るい、ここ数年は世界各地で異常気象が起きている。だが気候科学者らはメコン川流域(中国の一部やカンボジア、ベトナム、タイ、ミャンマー、ラオス)が特に危機に瀕していると口をそろえる。

 乾期はより強烈になり、モンスーンの湿度は高まり、洪水や嵐、海面上昇などが深刻化する。ここは「地球上で最も危険にさらされた地域だ」と、米地質調査所(USGS)の科学者バージニア・バケットは言う。

 その上、メコン川とその流域は気候変動の影響にも苦しんでいる。上流の中国で始まり、流域全体で建設の進められたダムの数々も大きな問題だ。

人間の尿をリサイクル

 ダムの潜在的影響はまだはっきりとは分からない。「メコンデルタ地帯が将来も人が住める状態であるのか、作物はどれほど育つのか、予測は困難だ。それでも現在の気候変動とダム開発のペースでいけば、この地域は原形をとどめないほど変わり果てることになる」と、環境団体インターナショナル・リバーズのモーリーン・ハリスは言う。



 変化は川の流れやそこにすむ魚に影響する。水深が浅くなって魚の生息域が奪われ、ダムで多くの動物が移動ルートを妨げられて生存が難しくなる。メコン川に水や食料を依存して生活する6000万人の人々も大打撃を受けるだろう。

 厳密にどんな対策を取ればいいのかもはっきりしないままだ。アジア開発銀行(ADB)の水資源専門家ヤスミン・シディキーによれば、問題は地域の現状について、ごく基本的なデータすら得られていないこと。「予備調査で、対策を取らなければこの地域の4分の3が水不足に直面することが分かった。最初のステップは、流域で誰がどのくらいの水を使っているのか把握すること。今のところ、完全にブラックホールだ」と、シディキーは言う。

 そんななか、状況改善に向けた取り組みも登場している。ADBはベトナムやカンボジアなどの試験地域で衛星を使って水使用の実態を監視するプロジェクトに出資。マクロレベルでは各国全体の水利用状況が計測できるだろう。

 だがシディキーは、むしろミクロレベルの意義に注目する。衛星技術で個別の農地を調査することで、同じかんがいシステムを利用している農家のうちで誰が単位水量当たりの収穫量が多いかを見極めることができる。その農家の手法を探れば、彼らを介してほかの農家にも変革をもたらすことができるだろう。

 その潜在的影響力は計り知れない。アジアでは約80%の水が農業用水として使われているからだ。それも、非効率的に。

【参考記事】都会で育つ植物が季節を勘違いする理由

 衛星監視は現代科学だが、この地域の水問題解決に取り入れられているほかの手法の多くは、金属棒探知と同じくらい原始的な手法にほんのちょっとひねりを加えた程度のものだ。例えば、洪水時に水をためておくための井戸を掘るというもの。洪水の被害を抑えられる上、乾期に備えて水の備蓄もできる。

 年間を通して水をより効率的に使う簡単な方法もある。人間の尿などを利用する試みだ。「尿は栄養に富み、魚の餌にもなる」と、IWMIのペイ・ドレシェルは言う。

 尿のリサイクル法として最も有望なのはウキクサを活用した手法だと、彼は言う。水面に浮かぶウキクサは地球上で最も成長が早い植物の1つで、窒素やカリウムといった尿中の栄養素をタンパク質に変換することができる。これが水を浄化し、ウキクサ自体は尿を養分に成長。魚やほかの動物の餌になる。



カギを握る女性の活躍

 ベトナムのメコンデルタでは今もコメ栽培が主流だから、農業の技術革新は大変革をもたらす可能性がある。現状では干ばつや洪水に加え、海面上昇により海水がデルタの肥沃な土地をむしばむ「塩水浸入」なども、作物栽培を脅かしている。

 研究者らは2~3週間にわたる浸水にも耐えられるコメの品種を開発・実験するなど、対策を講じている。一方で、干ばつや塩水浸入に強い品種も多数、開発が進められている。

 もちろん、今の時代らしいツールもある。「コメ栽培管理アプリ」が農家に肥料などのおすすめ情報を提供。研究者たちは、塩水浸入レベルを警告する機能なども加えようと開発中だ。

 もう1つ、メコン流域の未来に大きな影響を及ぼす21世紀ならではの対策がある。女性の権利向上を進めることだ。「技術革新を進める上で女性の関与は欠かせない」と、シディキーは言う。アジアの農業従事者の40%が女性だが、その立場は弱く、情報や訓練、肥料を得るのですら苦労している。女性が積極的に参加すれば、同地域の年間収穫量は30%上昇すると、国連食糧農業機関は試算する。

【参考記事】ゲリラ豪雨を育てるミクロの粒子

 アンコールワットの近くで農業を営むトング・トロムがいい例だ。彼女はNGOの支援を受け、乾期中の作物栽培の技術を習得した。その1つが、欧米のガーデニングで使用されているグローバッグの中で野菜を栽培するというものだ。

「ほかの女性にもこの手法を教えていこうと思う」と、彼女は言う。「日に日に悪化していく環境が心配でならないから」

[2016.8. 2号掲載]
ジェニファー・リグビー

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