<8月に入って突然、尖閣諸島をめぐり日中関係が緊迫化している。エスカレートする異常事態に日本政府も危機感を募らせているが、中国はなぜこれほどの強硬姿勢に出ているのか。実は尖閣だけでなく、対韓国、南シナ海でも中国外交は"異例"尽くしの状態。その原因は、河北省の避暑地で行われている"夏休み中の井戸端会議"にある> (写真:後ろから、元総書記の胡錦濤と江沢民、現総書記の習近平、2014年撮影)
2016年8月、尖閣諸島をめぐる情勢が風雲急を告げている。300隻もの中国漁船が尖閣諸島近海に来襲した。その漁船を守るかのように中国公船も多数随行している。今までにない数の襲来に日本政府も態度を硬化、強い抗議を繰り返している。突然の日中関係緊迫は何を背景としているのだろうか。
この間の尖閣情勢については海上保安庁の文書「尖閣諸島周辺海域における中国公船及び中国漁船の活動状況について」(2016年8月9日付)が詳しい。一部を引用しよう(ちなみにその前に出された緊急通達は「Pokemon GO利用者の方々へ」。防波堤を歩いている時や操船中のゲームはやめようという呼びかけである。中国とポケモンという2つの注意喚起が縦並びになっている図はなかなか見られるものではない)。
平成28年8月5日午後1時30 分頃、中国漁船に続いて、中国公船(中国政府に所属する船舶)1隻が尖閣諸島周辺領海に侵入した。その後、8日午後6時までに、最大15隻の中国公船が同時に接続水域に入域、延べ17隻が領海に侵入した。 約200~300 隻の漁船が尖閣諸島周辺の接続水域で操業するなかで、最大15隻という多数の中国公船も同じ海域に集結し、中国漁船に続いて領海侵入を繰り返すといった事象が確認されたのは今回が初めてである。
文書が率直に記すとおり、今回の事態はきわめて"異例"だ。中国は毎年初夏に東シナ海の禁漁期をもうけている。禁漁期あけに大量の漁船が尖閣諸島近海に出没するのはいつものことだが、今年は接続水域にまで接近する漁船が多い。8月5日から8月8日までに日本領海に侵入し退去警告を受けた中国漁船はのべ43隻。2015年通年で70隻だったが、わずか4日間で昨年の半数以上という異常な数を記録している。また、中国公船は尖閣諸島に定期パトロールを行っているが、今回は定期パトロールではなく漁船の随行が目的のようで、領海・接続水域での侵入数は過去に例のないレベルに達している。
この異常事態に日本政府も危機感を募らせている。外務省は怒りの抗議ラッシュを展開。まずは外務省アジア太平洋局長から始まり、次第にポジションを上げながら抗議を行っている。抗議レベルを引き上げていくという外交手法である。もっとも、抗議などどこ吹く風と次々に中国公船が領海に侵入してくるため、レベルは驚くべきペースで上がってきている。
そのスピード感を如実に示すのが8月7日の郭燕・在京大公使への抗議だろう。午前8時29分に外務省の金杉アジア大洋州局長に抗議され、午後2時に滝崎アジア大洋州局審議官から2発目。午後8時10分に石兼総合外交政策局長から3発目。わずか1時間後の午後9時20分には同じく石兼氏から4発目の抗議。そして午後11時15分に朝一で会った金杉氏から5回目の抗議を受けている。仕事だから仕方がないと言えばそれまでだが、朝一から日付が変わる直前まで怒られ続けるのはせつない仕事としか言いようがない。
9日にはついに岸田文雄外相自らが程永華・駐日本中国大使に抗議する事態にいたった。早くもレベルはマックスに到達してしまったわけだ。
尖閣だけではなかった"異例"尽くしの中国外交
尖閣諸島における中国の異常な動きはいったい何を意味しているのだろうか? ついに中国が尖閣諸島の実効支配を奪おうと実力行使に出てきたのか。フィリピンが提訴した国際仲裁裁判所での敗訴を受け、黒幕である日本に報復しているのではないか。はたまた、タカ派として知られる稲田朋美議員の防衛相就任に対する嫌がらせではないか――などなど専門家の間でもさまざまな意見が飛び交っている。
【参考記事】中国はなぜ尖閣で不可解な挑発行動をエスカレートさせるのか
【参考記事】中国がいま尖閣を狙う、もう一つの理由
尖閣諸島だけを見ていては理解できないというのが私の立場だ。中国を取り巻く環境を見ていると、対日外交以外にも異例の行動を次々と繰り出している。
まずは韓国に対する「韓流禁止令」だ。7月13日、韓国政府は在韓米軍のTHAAD(高高度防衛ミサイル)配備を認める方針を公表した。THAADに付随する高性能レーダーが人民解放軍を丸裸にしかねないと中国は撤回を求めてきたが、8月に入って韓流スターのイベント中止といった具体策的な報復策に出ている。韓国に行く中国旅行ツアーの中止が始まったとの情報もある。こうした報復そのものは中国ではよくあることだが、配備発表から半月以上が過ぎてから行動開始は不可解きわまりない。
そして南シナ海。8月6日、中国人民解放軍空軍広報官は南シナ海での「戦闘巡行」が始まったことを宣言した。今後は戦闘機や爆撃機、偵察機、空中給油機からなる編隊が定期的に南シナ海をパトロールするという。尖閣諸島近海でも船舶と航空機による定期的な巡行(パトロール)を実施している中国だが、わざわざ「戦闘」という挑発的な言葉をつけ、爆撃機まで飛ばすというのは"異例"としか言いようがない。
そう、8月に入って尖閣諸島、韓国、南シナ海という3つのスポットにおいて、中国は"異例"の強硬姿勢を見せているのだ。
原因は政治の季節、大国になりきれない中国
中国外交は本来、きわめて柔軟だ。7月24日から26日にかけて開催されたASEAN関連外相会議ではその真価を発揮し、経済援助をちらつかせたかと思えば、一方的な行動を取り締まる南シナ海行動準規範の早期制定に言及するなど精力的な外交を展開。ASEAN外相会議の共同声明から中国批判の文言を削除するという成果を手に入れている。
うまく批判を回避したというのに、そこで「戦闘巡行」などと言い始めれば、せっかくの成果はおじゃん。国際社会の批判は必然だ。これまでの外交努力を無駄にするような強硬姿勢は、外交よりも優先される論理があることを意味している。
その論理とは国内政局にほかならない。中国は今、"政治の季節"を迎えているのだ。中国の大事を決める北戴河会議が7月末から始まっている。避暑地として知られる河北省秦皇島市北戴河区で毎年夏に開催される秘密会議だ。会議の位置づけについて明確な規定はないが、この政治指導者と長老たちによる夏休み中の井戸端会議は政策、人事に決定的な役割を果たす。来年には次期政権最高指導陣を決める第19回中国共産党全国代表大会(十九大)が開催されるとあって例年以上に重要だ。
しかも習近平は党大会で"異例"の人事を狙っている。江沢民、胡錦濤と2代続いた「総書記2期10年」という枠組みを覆し、習近平体制を3期15年に延長すること。この戦略が次第に有力視されるようになってきた。"異例"の人事を成功させるためには反対派に一切の批判材料を渡してはならない。そのための"異例"の強硬外交が一気に展開されたのだろう。
このように読み解けば中国の動機は理解できるのだが、しかし国内政治を優先させるあまり外交をしっちゃかめっちゃかにしても構わないというのはいかがなものか。中国の国際的影響力が弱かった時代ならばいざしらず、だ。国際政治に責任を持ち大人の姿勢を見せるのが大国である。
中国が大国として振る舞うよう、国際社会のネットワークに引き込むというのが米オバマ政権の戦略だったが、そろそろ任期は時間切れだ。そしてオバマ大統領の後釜になりかねないのが、国内政局のためならば外交は平気でないがしろにするドナルド・トランプ氏だ。トランプ氏が勝利した場合、「中国を大人にする」試みが失敗し、「米国が中国にあわせてお子様になる」という悲劇的な転換点となるだろう。
[筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。
高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)
2016年8月、尖閣諸島をめぐる情勢が風雲急を告げている。300隻もの中国漁船が尖閣諸島近海に来襲した。その漁船を守るかのように中国公船も多数随行している。今までにない数の襲来に日本政府も態度を硬化、強い抗議を繰り返している。突然の日中関係緊迫は何を背景としているのだろうか。
この間の尖閣情勢については海上保安庁の文書「尖閣諸島周辺海域における中国公船及び中国漁船の活動状況について」(2016年8月9日付)が詳しい。一部を引用しよう(ちなみにその前に出された緊急通達は「Pokemon GO利用者の方々へ」。防波堤を歩いている時や操船中のゲームはやめようという呼びかけである。中国とポケモンという2つの注意喚起が縦並びになっている図はなかなか見られるものではない)。
平成28年8月5日午後1時30 分頃、中国漁船に続いて、中国公船(中国政府に所属する船舶)1隻が尖閣諸島周辺領海に侵入した。その後、8日午後6時までに、最大15隻の中国公船が同時に接続水域に入域、延べ17隻が領海に侵入した。 約200~300 隻の漁船が尖閣諸島周辺の接続水域で操業するなかで、最大15隻という多数の中国公船も同じ海域に集結し、中国漁船に続いて領海侵入を繰り返すといった事象が確認されたのは今回が初めてである。
文書が率直に記すとおり、今回の事態はきわめて"異例"だ。中国は毎年初夏に東シナ海の禁漁期をもうけている。禁漁期あけに大量の漁船が尖閣諸島近海に出没するのはいつものことだが、今年は接続水域にまで接近する漁船が多い。8月5日から8月8日までに日本領海に侵入し退去警告を受けた中国漁船はのべ43隻。2015年通年で70隻だったが、わずか4日間で昨年の半数以上という異常な数を記録している。また、中国公船は尖閣諸島に定期パトロールを行っているが、今回は定期パトロールではなく漁船の随行が目的のようで、領海・接続水域での侵入数は過去に例のないレベルに達している。
この異常事態に日本政府も危機感を募らせている。外務省は怒りの抗議ラッシュを展開。まずは外務省アジア太平洋局長から始まり、次第にポジションを上げながら抗議を行っている。抗議レベルを引き上げていくという外交手法である。もっとも、抗議などどこ吹く風と次々に中国公船が領海に侵入してくるため、レベルは驚くべきペースで上がってきている。
そのスピード感を如実に示すのが8月7日の郭燕・在京大公使への抗議だろう。午前8時29分に外務省の金杉アジア大洋州局長に抗議され、午後2時に滝崎アジア大洋州局審議官から2発目。午後8時10分に石兼総合外交政策局長から3発目。わずか1時間後の午後9時20分には同じく石兼氏から4発目の抗議。そして午後11時15分に朝一で会った金杉氏から5回目の抗議を受けている。仕事だから仕方がないと言えばそれまでだが、朝一から日付が変わる直前まで怒られ続けるのはせつない仕事としか言いようがない。
9日にはついに岸田文雄外相自らが程永華・駐日本中国大使に抗議する事態にいたった。早くもレベルはマックスに到達してしまったわけだ。
尖閣だけではなかった"異例"尽くしの中国外交
尖閣諸島における中国の異常な動きはいったい何を意味しているのだろうか? ついに中国が尖閣諸島の実効支配を奪おうと実力行使に出てきたのか。フィリピンが提訴した国際仲裁裁判所での敗訴を受け、黒幕である日本に報復しているのではないか。はたまた、タカ派として知られる稲田朋美議員の防衛相就任に対する嫌がらせではないか――などなど専門家の間でもさまざまな意見が飛び交っている。
【参考記事】中国はなぜ尖閣で不可解な挑発行動をエスカレートさせるのか
【参考記事】中国がいま尖閣を狙う、もう一つの理由
尖閣諸島だけを見ていては理解できないというのが私の立場だ。中国を取り巻く環境を見ていると、対日外交以外にも異例の行動を次々と繰り出している。
まずは韓国に対する「韓流禁止令」だ。7月13日、韓国政府は在韓米軍のTHAAD(高高度防衛ミサイル)配備を認める方針を公表した。THAADに付随する高性能レーダーが人民解放軍を丸裸にしかねないと中国は撤回を求めてきたが、8月に入って韓流スターのイベント中止といった具体策的な報復策に出ている。韓国に行く中国旅行ツアーの中止が始まったとの情報もある。こうした報復そのものは中国ではよくあることだが、配備発表から半月以上が過ぎてから行動開始は不可解きわまりない。
そして南シナ海。8月6日、中国人民解放軍空軍広報官は南シナ海での「戦闘巡行」が始まったことを宣言した。今後は戦闘機や爆撃機、偵察機、空中給油機からなる編隊が定期的に南シナ海をパトロールするという。尖閣諸島近海でも船舶と航空機による定期的な巡行(パトロール)を実施している中国だが、わざわざ「戦闘」という挑発的な言葉をつけ、爆撃機まで飛ばすというのは"異例"としか言いようがない。
そう、8月に入って尖閣諸島、韓国、南シナ海という3つのスポットにおいて、中国は"異例"の強硬姿勢を見せているのだ。
原因は政治の季節、大国になりきれない中国
中国外交は本来、きわめて柔軟だ。7月24日から26日にかけて開催されたASEAN関連外相会議ではその真価を発揮し、経済援助をちらつかせたかと思えば、一方的な行動を取り締まる南シナ海行動準規範の早期制定に言及するなど精力的な外交を展開。ASEAN外相会議の共同声明から中国批判の文言を削除するという成果を手に入れている。
うまく批判を回避したというのに、そこで「戦闘巡行」などと言い始めれば、せっかくの成果はおじゃん。国際社会の批判は必然だ。これまでの外交努力を無駄にするような強硬姿勢は、外交よりも優先される論理があることを意味している。
その論理とは国内政局にほかならない。中国は今、"政治の季節"を迎えているのだ。中国の大事を決める北戴河会議が7月末から始まっている。避暑地として知られる河北省秦皇島市北戴河区で毎年夏に開催される秘密会議だ。会議の位置づけについて明確な規定はないが、この政治指導者と長老たちによる夏休み中の井戸端会議は政策、人事に決定的な役割を果たす。来年には次期政権最高指導陣を決める第19回中国共産党全国代表大会(十九大)が開催されるとあって例年以上に重要だ。
しかも習近平は党大会で"異例"の人事を狙っている。江沢民、胡錦濤と2代続いた「総書記2期10年」という枠組みを覆し、習近平体制を3期15年に延長すること。この戦略が次第に有力視されるようになってきた。"異例"の人事を成功させるためには反対派に一切の批判材料を渡してはならない。そのための"異例"の強硬外交が一気に展開されたのだろう。
このように読み解けば中国の動機は理解できるのだが、しかし国内政治を優先させるあまり外交をしっちゃかめっちゃかにしても構わないというのはいかがなものか。中国の国際的影響力が弱かった時代ならばいざしらず、だ。国際政治に責任を持ち大人の姿勢を見せるのが大国である。
中国が大国として振る舞うよう、国際社会のネットワークに引き込むというのが米オバマ政権の戦略だったが、そろそろ任期は時間切れだ。そしてオバマ大統領の後釜になりかねないのが、国内政局のためならば外交は平気でないがしろにするドナルド・トランプ氏だ。トランプ氏が勝利した場合、「中国を大人にする」試みが失敗し、「米国が中国にあわせてお子様になる」という悲劇的な転換点となるだろう。
[筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。
高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)