<10代の若者から80代の老人までが、危険を承知でISISに参加し、イラクやシリアの戦闘地帯に移り住んでいる。抑圧されるウイグル人が中国を去る悲しい動機とは>(写真は14年にウルムチの街頭で治安部隊に抗議するウイグル人の女性)
悪名高きテロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)の戦闘員になった中国人イスラム教徒が少なくとも300人はいる、中国西北部の新疆ウイグル自治区で頻発する暴力行為の責任は過激なイスラム主義思想と、外国のテロ組織に感化された一部住民にある――中国の国営メディアや政府当局は繰り返しそう主張してきた。
一方でアメリカの専門家や人権団体はこうした主張に異議を唱え、中国政府の政治や宗教における抑圧が問題の元凶だと指摘。ISISの戦闘員に加わっているウイグル人はわずかだと主張してきた。
だがISISの離脱者から最近もたらされた情報によれば、実際にかなりの数のウイグル人がISISに志願している可能性が高い。
7月20日に米シンクタンク「ニューアメリカ財団」が公表した報告書は、13年半ばから14年半ばまでにISIS戦闘員に加わった4000人以上の履歴データを検証し、そこに記入された出身国や渡航歴、教育水準、職業などの情報を分析している。
【参考記事】「ドーピング」に首まで浸かった中国という国家
その結果、少なくとも114人のウイグル人が同期間中にISISの支配地域に入っていたことが判明した。
この報告を書いたネイト・ローゼンブラットによれば、戦闘員のデータはシリア現地の情報源から入手したもの。分析の結果、ウイグル人の戦闘員は概して貧しく、教育水準が低く、職業的な技能も建設作業員程度だった。彼らの73%はISISが14年6月にイラク北部の主要都市モスルを制圧した後に加わっている。年齢層は他の民族集団に比べて幅広く、10歳から80歳まで多岐にわたる。彼らは家族ぐるみでISISの支配地域に「移住」しているらしい。
「みんな、ものすごく貧しい」と、ローゼンブラットは言う。「(中国では)職がなく、まともな教育も受けられない。外国へ旅するのも難しく、金銭的、心理的な負担はすごく大きいはずだ。それでも行くのだから、たぶんISISの支配地域に住みたいのだろう」
中国には居場所がない
こうしたウイグル人戦闘員のほとんどは、ジハード(聖戦)に関してまったくの素人だ。ジハードに参加したことがあるかという設問には110人が「なし」と回答し、残る4人も無回答だった。
さらに彼らの70%は、ISISに加わるまで一度も中国から出たことがないと回答した。このことは、彼らが東トルキスタンイスラム運動(ETIM)のような「以前から中国内で活動していたイスラム系分離独立派の組織」とは無関係であることを示唆していると、ローゼンブラットは言う(ちなみにETIMについては、中国だけでなくアメリカもテロ組織と認定している)。
ジハードに無縁でETIMとも関係ないのだとすれば、彼らは他の一般的な外国人戦闘員と比べて宗教色が薄いと考えられる。むしろ「中国内では得られない一種の帰属意識を求めている」のだろうと、ローゼンブラットは指摘する。
ウイグル人は1000年以上前から今の土地に暮らしているが、すんなりと中国(漢民族)の支配を受け入れてきたわけではない。1930年代と40年代にはソ連の後押しで共和国を樹立したし(ただし短命に終わった)、中国共産党の支配下でも小規模な反乱を繰り返してきた。そして中央政府の統制強化と社会・経済的な「漢民族化」の進んだ90年代以降、ウイグル人は対抗手段としてイスラムへの傾斜を強めるようになった。
【参考記事】トルコ政変は世界危機の号砲か
事態が一気に悪化したのは09年以降だ。自治区の区都ウルムチでウイグル人と漢民族の大規模な衝突が発生し、200人近くが犠牲になった。
中国政府はこの事件でイスラム過激派を声高に非難したが、国外の人権団体からは、中国政府の政治的・宗教的な抑圧と漢民族優遇の経済政策がウイグル人の居場所を奪っているとの批判が上がった。当局がイスラムの信仰生活(断食や礼拝、女性のベール着用など)を厳しく規制し、コーランの学習さえ制限してきたからだ。
ISISの台頭は、新疆ウイグル自治区から中国各地に暴力が拡散していった時期とおおよそ重なる。例えば13年10月には、北京の観光名所・天安門広場近くで車が歩行者の集団に突っ込み、5人を殺害する事件が発生。これについては過激派集団ETIMが動画で犯行声明を出している。
過激派に頼るしかない
14年3月には、大型の刃物を振りかざした覆面姿の男たち(後にウイグル人と判明)が中国南西部にある昆明市の鉄道駅で一般市民を襲撃し、約30人を殺害。無差別テロとして社会に大きな衝撃を与えた。翌年9月には複数の海外メディアが、自治区内の炭鉱が襲撃されて50人が犠牲になったと報じた。この炭鉱は漢民族が運営しており、対立するウイグル人による犯行とみられている。
一連のテロについて、中国政府はイスラム主義者やETIMの関与を主張している。だが情報統制やネット検閲が厳しいために、現地で実際にどのようなことが起こっているのかを確かめるのは難しい。
また、実際に何人のウイグル人が中国を去ってISIS支配地域に渡ったのかを検証するのも困難だ。そもそも国内のウイグル人は移動を制限されており、地域の行政当局が住民のパスポートを没収している。それでも、反体制派やイスラム教徒への当局の締め付けが強化された過去2年間に、相当数のウイグル人が中国を脱出したと考えられる。
一昨年以来、何千人ものウイグル人がトルコに入国しており、その多くは東南アジアの密航斡旋ルートを利用したとされる。
昨年、トルコのイスタンブールで米外交専門誌フォーリン・ポリシーの取材に応じた世界ウイグル会議(在外ウイグル人組織を統括する運動組織で、中国人による新疆支配に反対している)のセイット・トムトルコ副総裁によれば、中国にいるウイグル人の一部は何が何でも脱出したいと考え、万策尽きて過激派の誘いに乗るケースもあるという。
トルコにいるウイグル人難民の1人は昨年、ロイター通信の取材にこう語っている。「私たちがイスラム教徒として生きるのを、中国政府は許さない。礼拝を行うこともできず、コーランは一家に1冊だけ。子供にイスラムを教えることも禁止。自分の全人格を否定されて、それでもそんな場所に住めというのか?」
From Foreign Policy Magazine
[2016.8. 9号掲載]
べサニー・アレン・イブラヒミアン
悪名高きテロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)の戦闘員になった中国人イスラム教徒が少なくとも300人はいる、中国西北部の新疆ウイグル自治区で頻発する暴力行為の責任は過激なイスラム主義思想と、外国のテロ組織に感化された一部住民にある――中国の国営メディアや政府当局は繰り返しそう主張してきた。
一方でアメリカの専門家や人権団体はこうした主張に異議を唱え、中国政府の政治や宗教における抑圧が問題の元凶だと指摘。ISISの戦闘員に加わっているウイグル人はわずかだと主張してきた。
だがISISの離脱者から最近もたらされた情報によれば、実際にかなりの数のウイグル人がISISに志願している可能性が高い。
7月20日に米シンクタンク「ニューアメリカ財団」が公表した報告書は、13年半ばから14年半ばまでにISIS戦闘員に加わった4000人以上の履歴データを検証し、そこに記入された出身国や渡航歴、教育水準、職業などの情報を分析している。
【参考記事】「ドーピング」に首まで浸かった中国という国家
その結果、少なくとも114人のウイグル人が同期間中にISISの支配地域に入っていたことが判明した。
この報告を書いたネイト・ローゼンブラットによれば、戦闘員のデータはシリア現地の情報源から入手したもの。分析の結果、ウイグル人の戦闘員は概して貧しく、教育水準が低く、職業的な技能も建設作業員程度だった。彼らの73%はISISが14年6月にイラク北部の主要都市モスルを制圧した後に加わっている。年齢層は他の民族集団に比べて幅広く、10歳から80歳まで多岐にわたる。彼らは家族ぐるみでISISの支配地域に「移住」しているらしい。
「みんな、ものすごく貧しい」と、ローゼンブラットは言う。「(中国では)職がなく、まともな教育も受けられない。外国へ旅するのも難しく、金銭的、心理的な負担はすごく大きいはずだ。それでも行くのだから、たぶんISISの支配地域に住みたいのだろう」
中国には居場所がない
こうしたウイグル人戦闘員のほとんどは、ジハード(聖戦)に関してまったくの素人だ。ジハードに参加したことがあるかという設問には110人が「なし」と回答し、残る4人も無回答だった。
さらに彼らの70%は、ISISに加わるまで一度も中国から出たことがないと回答した。このことは、彼らが東トルキスタンイスラム運動(ETIM)のような「以前から中国内で活動していたイスラム系分離独立派の組織」とは無関係であることを示唆していると、ローゼンブラットは言う(ちなみにETIMについては、中国だけでなくアメリカもテロ組織と認定している)。
ジハードに無縁でETIMとも関係ないのだとすれば、彼らは他の一般的な外国人戦闘員と比べて宗教色が薄いと考えられる。むしろ「中国内では得られない一種の帰属意識を求めている」のだろうと、ローゼンブラットは指摘する。
ウイグル人は1000年以上前から今の土地に暮らしているが、すんなりと中国(漢民族)の支配を受け入れてきたわけではない。1930年代と40年代にはソ連の後押しで共和国を樹立したし(ただし短命に終わった)、中国共産党の支配下でも小規模な反乱を繰り返してきた。そして中央政府の統制強化と社会・経済的な「漢民族化」の進んだ90年代以降、ウイグル人は対抗手段としてイスラムへの傾斜を強めるようになった。
【参考記事】トルコ政変は世界危機の号砲か
事態が一気に悪化したのは09年以降だ。自治区の区都ウルムチでウイグル人と漢民族の大規模な衝突が発生し、200人近くが犠牲になった。
中国政府はこの事件でイスラム過激派を声高に非難したが、国外の人権団体からは、中国政府の政治的・宗教的な抑圧と漢民族優遇の経済政策がウイグル人の居場所を奪っているとの批判が上がった。当局がイスラムの信仰生活(断食や礼拝、女性のベール着用など)を厳しく規制し、コーランの学習さえ制限してきたからだ。
ISISの台頭は、新疆ウイグル自治区から中国各地に暴力が拡散していった時期とおおよそ重なる。例えば13年10月には、北京の観光名所・天安門広場近くで車が歩行者の集団に突っ込み、5人を殺害する事件が発生。これについては過激派集団ETIMが動画で犯行声明を出している。
過激派に頼るしかない
14年3月には、大型の刃物を振りかざした覆面姿の男たち(後にウイグル人と判明)が中国南西部にある昆明市の鉄道駅で一般市民を襲撃し、約30人を殺害。無差別テロとして社会に大きな衝撃を与えた。翌年9月には複数の海外メディアが、自治区内の炭鉱が襲撃されて50人が犠牲になったと報じた。この炭鉱は漢民族が運営しており、対立するウイグル人による犯行とみられている。
一連のテロについて、中国政府はイスラム主義者やETIMの関与を主張している。だが情報統制やネット検閲が厳しいために、現地で実際にどのようなことが起こっているのかを確かめるのは難しい。
また、実際に何人のウイグル人が中国を去ってISIS支配地域に渡ったのかを検証するのも困難だ。そもそも国内のウイグル人は移動を制限されており、地域の行政当局が住民のパスポートを没収している。それでも、反体制派やイスラム教徒への当局の締め付けが強化された過去2年間に、相当数のウイグル人が中国を脱出したと考えられる。
一昨年以来、何千人ものウイグル人がトルコに入国しており、その多くは東南アジアの密航斡旋ルートを利用したとされる。
昨年、トルコのイスタンブールで米外交専門誌フォーリン・ポリシーの取材に応じた世界ウイグル会議(在外ウイグル人組織を統括する運動組織で、中国人による新疆支配に反対している)のセイット・トムトルコ副総裁によれば、中国にいるウイグル人の一部は何が何でも脱出したいと考え、万策尽きて過激派の誘いに乗るケースもあるという。
トルコにいるウイグル人難民の1人は昨年、ロイター通信の取材にこう語っている。「私たちがイスラム教徒として生きるのを、中国政府は許さない。礼拝を行うこともできず、コーランは一家に1冊だけ。子供にイスラムを教えることも禁止。自分の全人格を否定されて、それでもそんな場所に住めというのか?」
From Foreign Policy Magazine
[2016.8. 9号掲載]
べサニー・アレン・イブラヒミアン