慶應義塾大学の加茂具樹教授は時事通信社のインタビューに応じ、国際仲裁裁判所による南シナ海の領有権問題に関する判決などについて、見解を示した。内容は次の通り。(インタビューは7月27日、聞き手=時事通信社解説委員 市川文隆、写真はニュース映像センター写真部 河野綾香)
――中国は判決を「紙くず」と表現するなど強い態度に出ました。
加茂具樹・慶大教授 中国の対外行動は、国内に向けたものと国際社会に向けたものとの二つに分けて考えた方が良いと思います。中国政府は、南シナ海にある島々とこの海域における主権と管轄権は長い歴史的な過程で確立してきたと、国内に向けて説明してきたのですから、当然、今回の判決は受け入れられないと言うでしょう。背後に日本や米国が居て、問題を起こしているという説明も予想通りでしょう。「紙くず」という表現は国内向けです。対外的には、中国は安全保障上の問題として南シナ海におけるプレゼンスの維持と拡大を目指すとともに、協議を通じて地域の問題として解決を模索してゆくのでしょう。
――中国は国際法・規範を守らないという意思表示をしているのでしょうか。
加茂氏 そうではないと思います。一方で、中国は自らを遅れてきた大国であり、既存の国際秩序の中にあって、中国が活動できる空間は依然として狭いと考えています。そのため、強い自己主張をしながら既存の秩序の問題点を指摘し、それを改善していこうという試みを続けています。中国は自らの行動を、既存の国際秩序に挑戦するのではなく問題点を改善する、と説明しています。
具体的には、東シナ海における中国の行動がそうです。中国は1992年制定の領海および接続水域法で尖閣諸島を自分の領土だと定めました。その後、中国は国力を増してゆくにつれて主権を主張し始め、また日米同盟の強度を観察するため、そして東シナ海の既存の秩序の問題点を指摘する行動をとってきました。相手の出方を見ながら、隙があれば自分たちの主張を強め、そして自らの望む形に状況を改善していくやり方でしょう。
【参考記事】仲裁裁判がまく南シナ海の火種
――かつての国際協調的な中国が、特に習近平政権になってからはそれを否定する方向にかじを切ってきた印象があります。
加茂氏 中国の「国家の平和と繁栄を実現する」という目標は変わっていません。目標は変わらなくとも、目標を実現するための手段が変わったと言えるかもしれません。中国の方針は「自分たちは弱い。まずは経済発展を追求して国力を高め、覇権国である米国と関係を構築しながら、目標を実現する」というものでした。中国は、冷戦崩壊後静かに状況を見ながら、既存の国際的な経済秩序への参入に努め、また安全保障の秩序を警戒しながらも明示的に対抗することなく、国力発展の道を歩むという方針を選択してきました。中国は、リーマン・ショック後の辺りから、国際社会に力の分布の変化の可能性を見いだし、そこにチャンスがあると考え、自己主張をし始めたのでしょう。
南シナ海に関する主張もそうです。中国の国内で、「南シナ海の島々は中国の歴史的な領土であった。しかしこれまでは、それを主張する実力が無かった。現在はそれができる」という声をよく耳にします。だから中国は「埋め立て」を含めた行動に出ているのだと。中国はこれまで力が無くてできなかったことをしているだけだと言いますが、今、私たちが目にしている中国の活動は、既存の国際秩序に大きな影響を与える行動であり、周辺諸国からは力を背景とした現状の変更です。
日本は中国に対して、戦後70年間の日本の平和と繁栄、そしてアジアを平和と繁栄に導いた秩序との調和を保つよう求め続ける必要があります。中国が今の行動様式を選択し続けるのであれば、中国が支払わなければならないコストは高いのだということを、日本はこれまでと同様に明確に説明する必要があります。ただし問題は「コスト」感覚が同じかどうかです。日本が高いコストだと思っても、中国はそう思わないかもしれません。
プレッシャーと協調使い分けが重要
――エンゲージメント政策が間違っていたのではとの指摘があります。
加茂氏 そう考える必要は無いと思います。日本政府は中国との間に戦略的互恵関係を構築すると言い続ける。その内実は「力を背景にした対話」という、「圧力」と「対話」とを使い分けながら、中国と向き合ってゆくのです。
中国から見れば、安倍晋三首相の言動は対中「包囲」に見えます。4月末に岸田文雄外相が読売国際経済懇話会で行った演説を中国がどう評価しているのか分かりませんが、この演説を通じて透けて見えてくる、中国とともに「共通の規範」のようなものを作ってゆこうという主張は「対話」ということになるのでしょうか。日本と中国は隣国であり、引っ越しをすることはできません。日本の対中政策は、こういう使い分けを粘り強くやり続けてゆくのです。
これは中国国内における外交方針をめぐる二つのグループの存在を考えると、より必要な姿勢だと思います。圧力をかけるだけだと協調派をつぶすことになるし、柔軟な働き掛けだけでもうまくいかない。中国国内における異なる声の存在を意識しながら、状況に応じて政策に硬軟を織り交ぜるというのは適切な戦略だと考えます。
【参考記事】中国は日本を誤解しているのか
――今回の仲裁判決に対して、中国国内の国際協調派の声が全く聞こえてきません。
加茂氏 そうした声が全く無くなったかというとそうではないと思います。6月に交通事故で亡くなった、かつて駐フランス大使を務め、外交学院院長や全国政治協商会議外事委員会副主任の職にもあった呉建民氏は、中国国内ではハト派の代表的人物として認知されていました。
呉大使は、たとえ中国は発展してきたとはいってもまだまだであって、少なくともなお30年〜50年の時間が必要であり、「『夜郎自大』になってはならない」と3月の外交学院での演説で述べていました。また他の機会では、中国国内のナショナリズムの台頭を批判する発言をしていました。日本からは中国国内の協調派が見えてこないのかもしれませんが、中国において外交実務担当者や研究サークルで活動している人と対話をしていると、「『紙くず』発言は国内世論を活気づけるが、国際社会の中国イメージを損ない、中国は国際秩序に挑戦しようとしているというメッセージを与える」との憂慮もしっかりと聞こえてきます。「埋め立てはどの国もやっているのだとしても、中国はスピードが速過ぎて独善的に見える」ことを懸念しています。問題は、そうした声が実際の政策にどの程度影響を与えているのか、ということです。
安保抜きの共同開発受け入れあり得ず
――中国とフィリピンの交渉は始まるのでしょうか。
加茂氏 中国とフィリピンが領有権を争っているスカボロー礁を、中国の人民解放軍に近い筋が埋め立てて島を造ってゆく作業に着手する用意があると述べた、という香港の報道があります。そうなれば次のステージに入るのでしょう。
中国側は問題の解決にはフィリピンとの対話をすると言っています。中国は、アキノ前大統領は批判するけれども、ドゥテルテ現大統領は批判していません。今回の東南アジア諸国連合(ASEAN)の一連の会合でカンボジアを自陣営に引き入れたように、個別の対応をし続けるのが中国のやり方でしょう。もちろんフィリピンもまた、中国との交渉をめぐって当然に自国の国益で動くはずです。
【参考記事】【ルポ】南シナ海の島に上陸したフィリピンの愛国青年たち
――スカボロー礁周辺の資源の共同開発での合意はあり得ますか。
加茂氏 中国は経済支援や共同開発を提案するでしょう。しかし、フィリピンにも米軍にとっても、スカボロー礁は戦略的要衝ですから、経済協力の深化と安全保障上の譲歩は別次元の話になるのではないでしょうか。フィリピンも米軍も、この海域における中国の軍事的影響力が強くなるような事態を見過ごすことは到底できないでしょう。
――スカボローとパラセル(西沙)、スプラトリー(南沙)のトライアングルができてしまいます。
加茂氏 その三角形の空間が中国の空・海域となる。南シナ海をまたぐ軍事的な影響力の範囲をさらに完全なものにすることが、この海域において中国の安全保障政策が目指しているものでしょうか。
――中国はオバマ大統領の任期が半年余りということも考え、強硬姿勢に出てくるのでは。
加茂氏 一つのチャンスと考えているでしょう。ただし、中国にとってもスカボロー礁はフィリピンと米軍と同様に戦略要衝ですが、ここで埋め立て作業に着手することは、周辺諸国から挑発と受け止められないということを中国は理解しているでしょう。
中国は、フィリピンと米国の同盟関係の強度を観察する材料としてみているのでしょうか。国際社会は、中国がどう出てくるかを測りながら、スカボロー礁がレッドラインであることを明確に伝え、それを越えることによって中国が支払わなければならないコストの高さを示すことが必要でしょう。
――中国が根回しをした結果、ASEAN外相会談の共同声明に仲裁判決に関する文言は盛り込まれなかった。中国の外交勝利でしょうか。
加茂氏 共同声明は、判決には触れずに南シナ海の問題を「国際法に沿った平和的な問題解決」を追求するとしています。2012年にASEAN外相会議は共同声明を出さなかったここと比較して考えれば良いでしょう。一方で、中国の王毅外相は南シナ海における行動規範の策定を17年上半期までに完了することを述べているように、中国はASEANにも配慮をしています。
南シナ海をめぐる問題は、これからもASEAN諸国と中国との間でずっと継続して協議してゆかなければならない課題です。判決の結果、南シナ海にある島々とこの海域における主権と管轄権は長い歴史的な過程で確立してきたという中国の主張は国際場裏では通らないことが明確になり、中国はASEANを中心とする多国間の会議の場で議論してゆかなければならなくなった、というふうに考えるべきではないでしょうか。国際社会のゲームの場に、中国を取り込んだことが重要な意味を持ちます。
【参考記事】逃げ切るのか、中国――カギはフィリピン、そしてアメリカ?
G20成功に向け現状維持が原則か
――9月には杭州で20カ国・地域(G20)首脳会議が開かれます。中国の外交はどう展開するでしょうか。
加茂氏 この会議は、習政権の外交にとって極めて重要な意味を持つ国際会議です。中国の対外行動の中で最も国際社会から関心を集めている南シナ海をめぐる問題は、こうした国際会議の場で必ず議題として取り上げられ、中国はさまざまな圧力を受けることになります。それぞれ中国との関係や南シナ海に関する利害が異なるASEAN諸国と中国との対話が、この問題の行方に大きく影響してゆくのかもしれません。ですから中国はG20首脳会議までの時間を、南シナ海問題をめぐって関係する諸国との協議を深めるために費やすでしょう。これ以上(悪い方向に)大きく発展しないだろうと思います。
――米大統領選の2候補について、中国はどう見ているでしょうか。ヒラリー・クリントン前国務長官の場合はアジア回帰主義が強まるのでは。
加茂氏 民主党の政策綱領には日米同盟関係の強化が明記されています。共和党の政策綱領にもアジア太平洋地域に積極的に関与することが示されています。「アメリカ・ファースト」という主張をしてきたドナルド・トランプ氏の発言を捉えて、米国の他国への関心・関与が弱まるのではないかという意味では、中国にとっては有利という受け取りがあるかもしれません。
とはいえ、中国の安定と繁栄にとって、民主党の米国であっても共和党の米国であっても米国との関係の調整は最重要な課題であることには変わりありません。英国大使等を務め、現在は全国人民代表大会(全人代)外事委員会主任、中国社会科学院国家グローバル戦略シンクタンクにも所属している傅瑩氏の「米国主導の国際秩序は中国をまだ受け入れていない」という発言にあるように、中国国内には国際社会が中国を認めていないことへの不満の声があります。今後、中国は米国にさまざまな要求を提起し、アメリカを中心とする既存の秩序の問題点を指摘し、その改善の必要性を主張してゆくことには変わりありません。
――日本の南シナ海への関与はどうあるべきでしょうか。具体的には自衛隊の艦船の派遣、航行の自由作戦への参加ですが。
加茂氏 まず、従来通り、この地域の問題をめぐっては、「『法の支配』に基づき平和的に解決することが重要である」ことを繰り返し主張すべきだと思います。中国は、米軍が現在展開している「航行の自由作戦」へ日本の海上自衛隊の艦船が参加することは、日中関係に影響を与える極めて重要な問題であり、かつ中国はそれを望まないというメッセージを一貫して発しています。
中国からすれば、こうした行動が日本による現状の変更の動きだと映るわけです。12年9月に日本政府が尖閣諸島の三つの島の所有権を取得したことを中国は「日本による現状の一方的な変更」と捉え、これを口実に尖閣諸島海域での圧力を一層強めています。南シナ海への日本の関与は、中国による日本に対する一層の圧力を呼ぶことになるでしょう。
――フィリピンのコーストガード(沿岸警備隊)支援は既に行っています。
加茂氏 よく考えなければいけないのは、日本が南シナ海への関与を深めることによって、この海域に関係するアクター間のパワーバランスに影響を与える可能性があるということです。中国の台頭によって揺れているこの地域のパワーバランスを保つために、日本はキャパシティービルディングのための支援をすれば良い、という単純な問題ではないということです。
例えば、日本がフィリピンにコーストガード支援を行うことは台湾の利益と必ずしも一致しません。台湾とフィリピンとの間には、領有権をめぐる対立や漁場や漁民の保護をめぐる対立など、幾つかの複雑な問題が存在しています。日本の支援によってフィリピンの沿岸警備能力が向上することは、台湾にとっては脅威になり得ます。台湾とフィリピンの間の問題は、台湾とフィリピンとの間で調整すべきことです。しかし日本は、南シナ海問題に関係するアクター間の利害関係は複雑であり、日本のこの地域への関与の在り方については、複雑な地域のバランスにどのような影響を与える可能性があるのかをよく考えながら取り組むべきだ、ということです。
集団指導体制からトップの指導力拡大か
――中国の指導部で経済問題をめぐる対立が先鋭しているという見方があります。
加茂氏 経済改革をめぐる大きな意見の相違があるようです。5月に、人民日報紙上で李克強首相が率いる国務院の経済政策を批判する記事が掲載されました。それが習主席と李首相の間で経済政策をめぐる意見の相違があることを示唆しているという見方が提起されています。それが真実かどうかは分かりませんが、中国国内では経済の見通しおよび経済政策の方針をめぐって、議論が展開しています。
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――今年の中央委員会総会では何が見えてくるでしょうか。
加茂氏 17年に5年に1回開催される共産党の全国代表大会が開催されることになっています。この大会では17年から5年間の中国をかじ取りする人事が決まります。これまでの慣例に従えば、そこでは5年だけでなく、さらにその先の10年から15年をかじ取りする指導者、すなわち習総書記の後任を選ぶことになります。ですから、今年の秋に開催される中央委員会総会の辺りから、後任人事をめぐる議論が活発に行われます。「権力の継承」の問題ですから、「誰か」だけでなく、どのように選ばれるのかも重要なポイントです。中国をめぐっては、南シナ海の問題をはじめとする中国外交だけでなく、その国内政治についても多くの関心を集めています。
7月26日に開催された中央政治局会議で、今年10月の中央委総会の議題が明らかになりました。それによれば「新しい情勢下の党内政治生活に関する若干の準則」が議論されることになっています。まだ議題となることだけしか発表されていないので、この準則の具体的中身についてはまだよく分かりません。中央委員会や政治局、政治局常務委員会といった、中国政治の中枢を担う機関の構成員の党内の活動の在り方について話し合うことになります。
「党内政治生活に関する若干の準則」というのは、文化大革命の再演をいかにしたら防ぐことができるのかという問題意識を踏まえて、80年につくった党内の権力構造の在り方や人事の在り方に関する方針を定めたものです。この方針を踏まえて、その後、個人への過度の権力の集中を避けるために国家機関の定年制や任期制を導入しました。
これを10月の中央委員会で「新しい情勢」の変化に沿うように変えるというわけです。一部の議論では、習氏の任期の延長、つまり2期10年で終わらないための布石を打つのではないかと言われています。
――より強いリーダー確立のための制度変革でしょうか。
加茂氏 習氏は、中国の一層の発展と安定のためには強い指導部が重要だと信じています。胡錦濤総書記の時代のような集団指導体制よりも核心となる指導者の下で、強いリーダーシップを発揮できる指導部をつくるための制度を確立させてゆくことを目指すのでしょう。ですから、これに先立って開催されるG20首脳会議を成功させることが必至だということになります。
習政権の対外政策は、これまでことごとく失敗してきたという指摘があります。対日、対韓、対米、対東南アジア、対台湾、内政ですが香港がそうです。そうした失敗によって習氏の政権内部における威信が弱くなっているのでは、と見られています。しかし、この秋の党の会議で、今まで30数年以上続いてきた党内の制度を変えることを議題とすることができたということは、習氏には制度を変える政治的権威があると読むことができます。外交の失敗で党内基盤が弱まっているという説明は成り立たないかもしれません。
習政権は、強い指導者による統治という中国政治の形をつくろうとしています。習氏は、就任直後から「中華民族の偉大な復興」という言葉を、それ以前の指導者と比較してより多く使っています。また、以前の指導者は経済の「発展」という言葉をよく使っていましたが、習氏は「党の建設」という言葉を多用しています。
この言及するキーワードの変化は、この単語を発言する人、つまり習氏の問題関心の所在が投影されているのでしょう。今、自らが推進させてきた改革開放政策によって生まれた多元的な社会に向き合っている中国共産党による統治のコストは上昇し、危機に直面している、という意識がとても強いことを意味しているのだと思います。だから内政は強い指導者を求めています。
そして外交は、自分たちの生存空間を確保するために何をするべきかを考え、そうした意識が積極的で強硬な外交政策を必要としています。既存の国際秩序の問題点を改善する好機にあるという意識も、そうした政策を後押ししています。このように内政と外政がリンクしているのです。
――実現すれば皇帝のようになるということですか。
加茂氏 海外の中国研究者の中には「習近平のプーチン化」という指摘があります。「2期10年」という慣例を破って任期の延長が現実になる可能性のことです。どんな組織でもトップの任期は重要です。任期の終わりが見えないということは、その配下にある人たちは、いつまでもそのトップの意向を忖度(そんたく)せざるを得なくなる。権威の強大化です。対外政策にも指導者の国際感覚が大きく反映されるでしょう。
敗北感無い? 中国外交
――先ほど指摘された外交上の失敗は、習氏個人の外交感覚の欠如に起因するのでしょうか。
加茂氏 今の意思決定の形から想像すれば、強く影響しているように思えますが、中国の対外行動が、どの程度、習氏個人の外交感覚を反映したものであるのかはよく分かりません。ただし、中国の外交政策の研究者や外交の実務担当者たちは力のバランスやリアリズムに基づく発想を信じているのではないかと感じます。中国の小国と大国に対する外交の形は違います。
中国の政権指導部自身が、自らの外交を「失敗」と評価しているのかどうか分かりません。仲裁判決の結果は中国に対して厳しいものとなりましたが、東南アジア諸国との関係の構築については、これからのことだと考えているのでしょう。南シナ海における行動は、一つ一つ既成事実の積み重ねです。実効支配を拡大させています。
対日関係は、日本人の視点からすれば、結局のところ日米同盟を強化させてしまいましたから失敗したのではないか、というように思えます。対韓国では高高度防衛ミサイル(THAAD)配備について、配備されることは十分に想定していたはずです。
――今年は日本で日中韓首脳会談が予定されています。
加茂氏 中国政治は権力の継承の時期ですから、中国との対話をたくさん維持し、発展させてゆくことが大切です。日中韓サミットの枠組みは大切です。同時に、今の中国政治の意思決定の構造から言えば、東シナ海な南シナ海をめぐる問題について日中両国間での意思疎通を深めるためには、習主席と安倍首相との会談も必要なのですが、それは難しいのでしょうか。
日本としては中国に対して「法の支配に基づく問題の解決」を繰り返し、また中国と共に「共通の規範」のようなものをつくってゆこうと訴えることが必要でしょう。もちろん中国に対しては「力を背景にした対話」という姿勢が重要です。
〔加茂具樹氏略歴〕
加茂具樹(かも・ともき)
慶應義塾大学総合政策学部教授。公益財団法人東京財団上席所員、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター客員研究員。専門は現代中国政治外交。
1972年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科博士課程修了。博士(政策・メディア)。駐香港日本国総領事館専門調査員、慶應義塾大学法学部専任講師、准教授を経て、2015年4月より現職。11年3月から12年4月までカリフォルニア大学バークレー校現代中国研究センター訪問研究員。13年2月から7月まで台湾・國立政治大学国際事務学院客員准教授。著書に『現代中国政治と人民代表大会』(単著、慶應義塾大学出版会、06年)、『党国体制の現在-変容する社会と中国共産党の適応』(共編著、慶應義塾大学出版会、12年)。
○当ウェブ連載中コラム「リエンジニアリングCHINA」はこちら
※当記事は時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」からの転載記事です。
市川文隆(時事通信社解説委員)※時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」より転載
――中国は判決を「紙くず」と表現するなど強い態度に出ました。
加茂具樹・慶大教授 中国の対外行動は、国内に向けたものと国際社会に向けたものとの二つに分けて考えた方が良いと思います。中国政府は、南シナ海にある島々とこの海域における主権と管轄権は長い歴史的な過程で確立してきたと、国内に向けて説明してきたのですから、当然、今回の判決は受け入れられないと言うでしょう。背後に日本や米国が居て、問題を起こしているという説明も予想通りでしょう。「紙くず」という表現は国内向けです。対外的には、中国は安全保障上の問題として南シナ海におけるプレゼンスの維持と拡大を目指すとともに、協議を通じて地域の問題として解決を模索してゆくのでしょう。
――中国は国際法・規範を守らないという意思表示をしているのでしょうか。
加茂氏 そうではないと思います。一方で、中国は自らを遅れてきた大国であり、既存の国際秩序の中にあって、中国が活動できる空間は依然として狭いと考えています。そのため、強い自己主張をしながら既存の秩序の問題点を指摘し、それを改善していこうという試みを続けています。中国は自らの行動を、既存の国際秩序に挑戦するのではなく問題点を改善する、と説明しています。
具体的には、東シナ海における中国の行動がそうです。中国は1992年制定の領海および接続水域法で尖閣諸島を自分の領土だと定めました。その後、中国は国力を増してゆくにつれて主権を主張し始め、また日米同盟の強度を観察するため、そして東シナ海の既存の秩序の問題点を指摘する行動をとってきました。相手の出方を見ながら、隙があれば自分たちの主張を強め、そして自らの望む形に状況を改善していくやり方でしょう。
【参考記事】仲裁裁判がまく南シナ海の火種
――かつての国際協調的な中国が、特に習近平政権になってからはそれを否定する方向にかじを切ってきた印象があります。
加茂氏 中国の「国家の平和と繁栄を実現する」という目標は変わっていません。目標は変わらなくとも、目標を実現するための手段が変わったと言えるかもしれません。中国の方針は「自分たちは弱い。まずは経済発展を追求して国力を高め、覇権国である米国と関係を構築しながら、目標を実現する」というものでした。中国は、冷戦崩壊後静かに状況を見ながら、既存の国際的な経済秩序への参入に努め、また安全保障の秩序を警戒しながらも明示的に対抗することなく、国力発展の道を歩むという方針を選択してきました。中国は、リーマン・ショック後の辺りから、国際社会に力の分布の変化の可能性を見いだし、そこにチャンスがあると考え、自己主張をし始めたのでしょう。
南シナ海に関する主張もそうです。中国の国内で、「南シナ海の島々は中国の歴史的な領土であった。しかしこれまでは、それを主張する実力が無かった。現在はそれができる」という声をよく耳にします。だから中国は「埋め立て」を含めた行動に出ているのだと。中国はこれまで力が無くてできなかったことをしているだけだと言いますが、今、私たちが目にしている中国の活動は、既存の国際秩序に大きな影響を与える行動であり、周辺諸国からは力を背景とした現状の変更です。
日本は中国に対して、戦後70年間の日本の平和と繁栄、そしてアジアを平和と繁栄に導いた秩序との調和を保つよう求め続ける必要があります。中国が今の行動様式を選択し続けるのであれば、中国が支払わなければならないコストは高いのだということを、日本はこれまでと同様に明確に説明する必要があります。ただし問題は「コスト」感覚が同じかどうかです。日本が高いコストだと思っても、中国はそう思わないかもしれません。
プレッシャーと協調使い分けが重要
――エンゲージメント政策が間違っていたのではとの指摘があります。
加茂氏 そう考える必要は無いと思います。日本政府は中国との間に戦略的互恵関係を構築すると言い続ける。その内実は「力を背景にした対話」という、「圧力」と「対話」とを使い分けながら、中国と向き合ってゆくのです。
中国から見れば、安倍晋三首相の言動は対中「包囲」に見えます。4月末に岸田文雄外相が読売国際経済懇話会で行った演説を中国がどう評価しているのか分かりませんが、この演説を通じて透けて見えてくる、中国とともに「共通の規範」のようなものを作ってゆこうという主張は「対話」ということになるのでしょうか。日本と中国は隣国であり、引っ越しをすることはできません。日本の対中政策は、こういう使い分けを粘り強くやり続けてゆくのです。
これは中国国内における外交方針をめぐる二つのグループの存在を考えると、より必要な姿勢だと思います。圧力をかけるだけだと協調派をつぶすことになるし、柔軟な働き掛けだけでもうまくいかない。中国国内における異なる声の存在を意識しながら、状況に応じて政策に硬軟を織り交ぜるというのは適切な戦略だと考えます。
【参考記事】中国は日本を誤解しているのか
――今回の仲裁判決に対して、中国国内の国際協調派の声が全く聞こえてきません。
加茂氏 そうした声が全く無くなったかというとそうではないと思います。6月に交通事故で亡くなった、かつて駐フランス大使を務め、外交学院院長や全国政治協商会議外事委員会副主任の職にもあった呉建民氏は、中国国内ではハト派の代表的人物として認知されていました。
呉大使は、たとえ中国は発展してきたとはいってもまだまだであって、少なくともなお30年〜50年の時間が必要であり、「『夜郎自大』になってはならない」と3月の外交学院での演説で述べていました。また他の機会では、中国国内のナショナリズムの台頭を批判する発言をしていました。日本からは中国国内の協調派が見えてこないのかもしれませんが、中国において外交実務担当者や研究サークルで活動している人と対話をしていると、「『紙くず』発言は国内世論を活気づけるが、国際社会の中国イメージを損ない、中国は国際秩序に挑戦しようとしているというメッセージを与える」との憂慮もしっかりと聞こえてきます。「埋め立てはどの国もやっているのだとしても、中国はスピードが速過ぎて独善的に見える」ことを懸念しています。問題は、そうした声が実際の政策にどの程度影響を与えているのか、ということです。
安保抜きの共同開発受け入れあり得ず
――中国とフィリピンの交渉は始まるのでしょうか。
加茂氏 中国とフィリピンが領有権を争っているスカボロー礁を、中国の人民解放軍に近い筋が埋め立てて島を造ってゆく作業に着手する用意があると述べた、という香港の報道があります。そうなれば次のステージに入るのでしょう。
中国側は問題の解決にはフィリピンとの対話をすると言っています。中国は、アキノ前大統領は批判するけれども、ドゥテルテ現大統領は批判していません。今回の東南アジア諸国連合(ASEAN)の一連の会合でカンボジアを自陣営に引き入れたように、個別の対応をし続けるのが中国のやり方でしょう。もちろんフィリピンもまた、中国との交渉をめぐって当然に自国の国益で動くはずです。
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――スカボロー礁周辺の資源の共同開発での合意はあり得ますか。
加茂氏 中国は経済支援や共同開発を提案するでしょう。しかし、フィリピンにも米軍にとっても、スカボロー礁は戦略的要衝ですから、経済協力の深化と安全保障上の譲歩は別次元の話になるのではないでしょうか。フィリピンも米軍も、この海域における中国の軍事的影響力が強くなるような事態を見過ごすことは到底できないでしょう。
――スカボローとパラセル(西沙)、スプラトリー(南沙)のトライアングルができてしまいます。
加茂氏 その三角形の空間が中国の空・海域となる。南シナ海をまたぐ軍事的な影響力の範囲をさらに完全なものにすることが、この海域において中国の安全保障政策が目指しているものでしょうか。
――中国はオバマ大統領の任期が半年余りということも考え、強硬姿勢に出てくるのでは。
加茂氏 一つのチャンスと考えているでしょう。ただし、中国にとってもスカボロー礁はフィリピンと米軍と同様に戦略要衝ですが、ここで埋め立て作業に着手することは、周辺諸国から挑発と受け止められないということを中国は理解しているでしょう。
中国は、フィリピンと米国の同盟関係の強度を観察する材料としてみているのでしょうか。国際社会は、中国がどう出てくるかを測りながら、スカボロー礁がレッドラインであることを明確に伝え、それを越えることによって中国が支払わなければならないコストの高さを示すことが必要でしょう。
――中国が根回しをした結果、ASEAN外相会談の共同声明に仲裁判決に関する文言は盛り込まれなかった。中国の外交勝利でしょうか。
加茂氏 共同声明は、判決には触れずに南シナ海の問題を「国際法に沿った平和的な問題解決」を追求するとしています。2012年にASEAN外相会議は共同声明を出さなかったここと比較して考えれば良いでしょう。一方で、中国の王毅外相は南シナ海における行動規範の策定を17年上半期までに完了することを述べているように、中国はASEANにも配慮をしています。
南シナ海をめぐる問題は、これからもASEAN諸国と中国との間でずっと継続して協議してゆかなければならない課題です。判決の結果、南シナ海にある島々とこの海域における主権と管轄権は長い歴史的な過程で確立してきたという中国の主張は国際場裏では通らないことが明確になり、中国はASEANを中心とする多国間の会議の場で議論してゆかなければならなくなった、というふうに考えるべきではないでしょうか。国際社会のゲームの場に、中国を取り込んだことが重要な意味を持ちます。
【参考記事】逃げ切るのか、中国――カギはフィリピン、そしてアメリカ?
G20成功に向け現状維持が原則か
――9月には杭州で20カ国・地域(G20)首脳会議が開かれます。中国の外交はどう展開するでしょうか。
加茂氏 この会議は、習政権の外交にとって極めて重要な意味を持つ国際会議です。中国の対外行動の中で最も国際社会から関心を集めている南シナ海をめぐる問題は、こうした国際会議の場で必ず議題として取り上げられ、中国はさまざまな圧力を受けることになります。それぞれ中国との関係や南シナ海に関する利害が異なるASEAN諸国と中国との対話が、この問題の行方に大きく影響してゆくのかもしれません。ですから中国はG20首脳会議までの時間を、南シナ海問題をめぐって関係する諸国との協議を深めるために費やすでしょう。これ以上(悪い方向に)大きく発展しないだろうと思います。
――米大統領選の2候補について、中国はどう見ているでしょうか。ヒラリー・クリントン前国務長官の場合はアジア回帰主義が強まるのでは。
加茂氏 民主党の政策綱領には日米同盟関係の強化が明記されています。共和党の政策綱領にもアジア太平洋地域に積極的に関与することが示されています。「アメリカ・ファースト」という主張をしてきたドナルド・トランプ氏の発言を捉えて、米国の他国への関心・関与が弱まるのではないかという意味では、中国にとっては有利という受け取りがあるかもしれません。
とはいえ、中国の安定と繁栄にとって、民主党の米国であっても共和党の米国であっても米国との関係の調整は最重要な課題であることには変わりありません。英国大使等を務め、現在は全国人民代表大会(全人代)外事委員会主任、中国社会科学院国家グローバル戦略シンクタンクにも所属している傅瑩氏の「米国主導の国際秩序は中国をまだ受け入れていない」という発言にあるように、中国国内には国際社会が中国を認めていないことへの不満の声があります。今後、中国は米国にさまざまな要求を提起し、アメリカを中心とする既存の秩序の問題点を指摘し、その改善の必要性を主張してゆくことには変わりありません。
――日本の南シナ海への関与はどうあるべきでしょうか。具体的には自衛隊の艦船の派遣、航行の自由作戦への参加ですが。
加茂氏 まず、従来通り、この地域の問題をめぐっては、「『法の支配』に基づき平和的に解決することが重要である」ことを繰り返し主張すべきだと思います。中国は、米軍が現在展開している「航行の自由作戦」へ日本の海上自衛隊の艦船が参加することは、日中関係に影響を与える極めて重要な問題であり、かつ中国はそれを望まないというメッセージを一貫して発しています。
中国からすれば、こうした行動が日本による現状の変更の動きだと映るわけです。12年9月に日本政府が尖閣諸島の三つの島の所有権を取得したことを中国は「日本による現状の一方的な変更」と捉え、これを口実に尖閣諸島海域での圧力を一層強めています。南シナ海への日本の関与は、中国による日本に対する一層の圧力を呼ぶことになるでしょう。
――フィリピンのコーストガード(沿岸警備隊)支援は既に行っています。
加茂氏 よく考えなければいけないのは、日本が南シナ海への関与を深めることによって、この海域に関係するアクター間のパワーバランスに影響を与える可能性があるということです。中国の台頭によって揺れているこの地域のパワーバランスを保つために、日本はキャパシティービルディングのための支援をすれば良い、という単純な問題ではないということです。
例えば、日本がフィリピンにコーストガード支援を行うことは台湾の利益と必ずしも一致しません。台湾とフィリピンとの間には、領有権をめぐる対立や漁場や漁民の保護をめぐる対立など、幾つかの複雑な問題が存在しています。日本の支援によってフィリピンの沿岸警備能力が向上することは、台湾にとっては脅威になり得ます。台湾とフィリピンの間の問題は、台湾とフィリピンとの間で調整すべきことです。しかし日本は、南シナ海問題に関係するアクター間の利害関係は複雑であり、日本のこの地域への関与の在り方については、複雑な地域のバランスにどのような影響を与える可能性があるのかをよく考えながら取り組むべきだ、ということです。
集団指導体制からトップの指導力拡大か
――中国の指導部で経済問題をめぐる対立が先鋭しているという見方があります。
加茂氏 経済改革をめぐる大きな意見の相違があるようです。5月に、人民日報紙上で李克強首相が率いる国務院の経済政策を批判する記事が掲載されました。それが習主席と李首相の間で経済政策をめぐる意見の相違があることを示唆しているという見方が提起されています。それが真実かどうかは分かりませんが、中国国内では経済の見通しおよび経済政策の方針をめぐって、議論が展開しています。
【参考記事】中国政治の暑い夏と対日外交
――今年の中央委員会総会では何が見えてくるでしょうか。
加茂氏 17年に5年に1回開催される共産党の全国代表大会が開催されることになっています。この大会では17年から5年間の中国をかじ取りする人事が決まります。これまでの慣例に従えば、そこでは5年だけでなく、さらにその先の10年から15年をかじ取りする指導者、すなわち習総書記の後任を選ぶことになります。ですから、今年の秋に開催される中央委員会総会の辺りから、後任人事をめぐる議論が活発に行われます。「権力の継承」の問題ですから、「誰か」だけでなく、どのように選ばれるのかも重要なポイントです。中国をめぐっては、南シナ海の問題をはじめとする中国外交だけでなく、その国内政治についても多くの関心を集めています。
7月26日に開催された中央政治局会議で、今年10月の中央委総会の議題が明らかになりました。それによれば「新しい情勢下の党内政治生活に関する若干の準則」が議論されることになっています。まだ議題となることだけしか発表されていないので、この準則の具体的中身についてはまだよく分かりません。中央委員会や政治局、政治局常務委員会といった、中国政治の中枢を担う機関の構成員の党内の活動の在り方について話し合うことになります。
「党内政治生活に関する若干の準則」というのは、文化大革命の再演をいかにしたら防ぐことができるのかという問題意識を踏まえて、80年につくった党内の権力構造の在り方や人事の在り方に関する方針を定めたものです。この方針を踏まえて、その後、個人への過度の権力の集中を避けるために国家機関の定年制や任期制を導入しました。
これを10月の中央委員会で「新しい情勢」の変化に沿うように変えるというわけです。一部の議論では、習氏の任期の延長、つまり2期10年で終わらないための布石を打つのではないかと言われています。
――より強いリーダー確立のための制度変革でしょうか。
加茂氏 習氏は、中国の一層の発展と安定のためには強い指導部が重要だと信じています。胡錦濤総書記の時代のような集団指導体制よりも核心となる指導者の下で、強いリーダーシップを発揮できる指導部をつくるための制度を確立させてゆくことを目指すのでしょう。ですから、これに先立って開催されるG20首脳会議を成功させることが必至だということになります。
習政権の対外政策は、これまでことごとく失敗してきたという指摘があります。対日、対韓、対米、対東南アジア、対台湾、内政ですが香港がそうです。そうした失敗によって習氏の政権内部における威信が弱くなっているのでは、と見られています。しかし、この秋の党の会議で、今まで30数年以上続いてきた党内の制度を変えることを議題とすることができたということは、習氏には制度を変える政治的権威があると読むことができます。外交の失敗で党内基盤が弱まっているという説明は成り立たないかもしれません。
習政権は、強い指導者による統治という中国政治の形をつくろうとしています。習氏は、就任直後から「中華民族の偉大な復興」という言葉を、それ以前の指導者と比較してより多く使っています。また、以前の指導者は経済の「発展」という言葉をよく使っていましたが、習氏は「党の建設」という言葉を多用しています。
この言及するキーワードの変化は、この単語を発言する人、つまり習氏の問題関心の所在が投影されているのでしょう。今、自らが推進させてきた改革開放政策によって生まれた多元的な社会に向き合っている中国共産党による統治のコストは上昇し、危機に直面している、という意識がとても強いことを意味しているのだと思います。だから内政は強い指導者を求めています。
そして外交は、自分たちの生存空間を確保するために何をするべきかを考え、そうした意識が積極的で強硬な外交政策を必要としています。既存の国際秩序の問題点を改善する好機にあるという意識も、そうした政策を後押ししています。このように内政と外政がリンクしているのです。
――実現すれば皇帝のようになるということですか。
加茂氏 海外の中国研究者の中には「習近平のプーチン化」という指摘があります。「2期10年」という慣例を破って任期の延長が現実になる可能性のことです。どんな組織でもトップの任期は重要です。任期の終わりが見えないということは、その配下にある人たちは、いつまでもそのトップの意向を忖度(そんたく)せざるを得なくなる。権威の強大化です。対外政策にも指導者の国際感覚が大きく反映されるでしょう。
敗北感無い? 中国外交
――先ほど指摘された外交上の失敗は、習氏個人の外交感覚の欠如に起因するのでしょうか。
加茂氏 今の意思決定の形から想像すれば、強く影響しているように思えますが、中国の対外行動が、どの程度、習氏個人の外交感覚を反映したものであるのかはよく分かりません。ただし、中国の外交政策の研究者や外交の実務担当者たちは力のバランスやリアリズムに基づく発想を信じているのではないかと感じます。中国の小国と大国に対する外交の形は違います。
中国の政権指導部自身が、自らの外交を「失敗」と評価しているのかどうか分かりません。仲裁判決の結果は中国に対して厳しいものとなりましたが、東南アジア諸国との関係の構築については、これからのことだと考えているのでしょう。南シナ海における行動は、一つ一つ既成事実の積み重ねです。実効支配を拡大させています。
対日関係は、日本人の視点からすれば、結局のところ日米同盟を強化させてしまいましたから失敗したのではないか、というように思えます。対韓国では高高度防衛ミサイル(THAAD)配備について、配備されることは十分に想定していたはずです。
――今年は日本で日中韓首脳会談が予定されています。
加茂氏 中国政治は権力の継承の時期ですから、中国との対話をたくさん維持し、発展させてゆくことが大切です。日中韓サミットの枠組みは大切です。同時に、今の中国政治の意思決定の構造から言えば、東シナ海な南シナ海をめぐる問題について日中両国間での意思疎通を深めるためには、習主席と安倍首相との会談も必要なのですが、それは難しいのでしょうか。
日本としては中国に対して「法の支配に基づく問題の解決」を繰り返し、また中国と共に「共通の規範」のようなものをつくってゆこうと訴えることが必要でしょう。もちろん中国に対しては「力を背景にした対話」という姿勢が重要です。
〔加茂具樹氏略歴〕
加茂具樹(かも・ともき)
慶應義塾大学総合政策学部教授。公益財団法人東京財団上席所員、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター客員研究員。専門は現代中国政治外交。
1972年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科博士課程修了。博士(政策・メディア)。駐香港日本国総領事館専門調査員、慶應義塾大学法学部専任講師、准教授を経て、2015年4月より現職。11年3月から12年4月までカリフォルニア大学バークレー校現代中国研究センター訪問研究員。13年2月から7月まで台湾・國立政治大学国際事務学院客員准教授。著書に『現代中国政治と人民代表大会』(単著、慶應義塾大学出版会、06年)、『党国体制の現在-変容する社会と中国共産党の適応』(共編著、慶應義塾大学出版会、12年)。
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※当記事は時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」からの転載記事です。
市川文隆(時事通信社解説委員)※時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」より転載