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トルコのクーデータ未遂事件後、「シリア内戦」の潮目が変わった

ニューズウィーク日本版 2016年8月25日 17時30分

 シリア北東部のハサカ市で8月16日、シリア政府を支持する民兵組織「国防隊」と西クルディスタン移行期民政局(ロジャヴァ)の治安警察「アサーイシュ」が交戦状態に入り、同地の緊張が一気に高まった。アレッポ市をめぐるシリア軍と「反体制派」との攻防戦に欧米諸国や日本の関心が集まるなかで突如発生したこの新たな動きは、「シリア内戦」において何を意味するのか?



シリア政府とロジャヴァの武力衝突、そして米軍の威嚇行動

 今回の衝突は、8月に入って激化していた双方の逮捕合戦がきっかけだった。同様の小競り合いはこれまでにも散発していたが、シリア軍とロジャヴァの武装部隊「人民防衛部隊」(YPG)が介入したことで全面衝突に発展した。この戦闘で、シリア軍は市内のロジャヴァ支配地域に対して空爆を加える一方、YPGも重火器を使用し、市内のシリア政府支配地域に進攻した。これにより住民数千人が避難を余儀なくされ、民間人を含む多くの死傷者が出た。

 それだけではなかった。シリア軍の空爆がYPGへの教練・技術支援を行う米特殊部隊の拠点近くに及んだとの理由で、米国が介入し、同軍戦闘機がシリア軍機に対してスクランブル(緊急発進)をかけた。シリア政府とロジャヴァの武力衝突、そして米軍の威嚇行動はいずれも「シリア内戦」下で初めてのことだった。

 両者の対立は、ロシアの仲介によって23日未明に停戦合意が発効することで収束した。その結果、ロジャヴァはハサカ市の90%を掌握、一方のシリア政府は同市からの軍の完全撤退を余儀なくされ、政府関連施設がある中心街を除くすべての支配地域を失った。

存在感を増すクルド民族主義政党の民主統一党(PYD)

 ロジャヴァはシリア北東部や北西部を実効支配する暫定自治機関だが、それを主導するクルド民族主義政党の民主統一党(PYD)は「シリア内戦」において特異な地位を占めてきた。

 PYDはアサド政権打倒を主唱している点で反体制組織ではある。だが、武力ではなく政治プロセスを通じて体制転換をめざすことで、いわゆる「反体制派」とは一線を画してきた。彼らはまた、「イスラーム国」だけでなく、このいわゆる「反体制派」と敵対し、武力衝突を繰り返してきた。ここでいうカッコ「 」付きの「反体制派」とは、アル=カーイダ系の「シャーム・ファトフ戦線」(旧ヌスラ戦線)や「シャーム自由人イスラーム運動」といったイスラーム過激派が主流をなす勢力を指し、この言葉からイメージされる「フリーダム・ファイター」はイスラーム過激派に依存することで延命している周縁的存在に過ぎない。

【参考記事】ヌスラ戦線が、アル=カーイダから離脱を発表。シリアで何が起きているのか

 ロジャヴァの政治姿勢は、「反体制派」をテロリストと断じて「テロとの戦い」を推し進めてきたシリア政府、ロシア、そしてイランとの戦略的連携を可能とした。ロジャヴァは、シリア政府と支配地域の治安対策などをめぐって対立することあったが、ハサカ市、カーミシュリー市を共同分割統治し、アレッポ県北西部のアフリーン市一帯、アレッポ市などで「棲み分け」を行った。

 一方、米国は、アサド政権に武力を行使しないロジャヴァを「反体制派」と認めようとはしなかった。だが、シリア国内でイスラーム国に対する「テロとの戦い」を開始した2014年9月以降、徐々にロジャヴァとの協力を深めていった。翌年9月末、ロシアがシリア領内での空爆を開始すると、米国と偶発的衝突を避けるとの名目でロシアに同調するようになったが、ロジャヴァは、この二カ国、シリア政府、イランからなる奇妙な呉越同舟の結節点となり、存在感を増していった。



敵意を露にするトルコ

 シリア政府とロジャヴァの武力衝突は、米国には、ロジャヴァの「反体制派」への転身という歓迎すべき動きに見えたかもしれない。だが、その台頭を快く思わない当事者がいた。トルコである。

 トルコは、クルディスタン労働者党(PKK)の元メンバーが2003年に結成したPYDをPKKと同じテロ組織とみなしてきた。「シリア内戦」の混乱のなか、トルコは、国境地帯でのロジャヴァの勢力拡大で、PKKの「テロの温床」が創出されるだけでなく、「反体制派」への支援経路が断絶することに警戒、国内でPKKとの戦闘が激化するなか、シリア政府に対する以上にロジャヴァへの敵意を露わにするようになった。

 2015年8月、トルコは米国との合意のもと、ロジャヴァが支配するユーフラテス川以東とアレッポ県北西部のアフリーン市の間に位置する一帯を「安全保障地帯」に設定し、この地域へのロジャヴァの進入が「レッドライン」にあたると主張、米国やロシアの介入を阻止しようとした。しかし、この結果、同地は緩衝地帯と化し、イスラーム国に侵食されてしまった。

 トルコの戦略は、イスラーム国に活動の場を与える「テロ支援」と非難されるべきものではある。だが、同国がイスラーム国ではなくPKKを国家安全保障上最大の脅威として認識していることは承知しておく必要がある。さもなければ、トルコがPKKとの「テロとの戦い」のために、イスラーム国との「テロとの戦い」を猶予している事実は理解できない。

米国もロシアも、トルコの「テロとの戦い」を容認しない

 とはいえ、イスラーム国との「テロとの戦い」を中東政策の基軸に据える米国が、トルコの「テロとの戦い」を尊重するはずもなかった。米国は「シリア民主軍」を名乗る武装連合体に対して、空爆による航空支援や特殊部隊による技術支援を行い、もっとも最近では、アレッポ県東部におけるイスラーム国の拠点の一つマンビジュ市の解放が実現した。だが、シリア民主軍はYPGを主力部隊として構成されており、米国のシリア民主軍支援とは、トルコにしてみれば「テロ支援」に等しかった。

 一方、ロシアにとっても、トルコの「テロとの戦い」は容認できなかった。シリア領内で空爆を開始して以降、ロシアはトルコがイスラーム国やヌスラ戦線を支援していると非難、国境地帯で「反体制派」への空爆を繰り返した。2015年11月のロシア軍戦闘機撃墜事件はこうしたなかで発生、両国関係は一気に冷え込んだ。だが、ロシアの強引なシリア介入策にトルコが抵抗し得るはずもなく、トルコが支援してきた「反体制派」は、シリア軍とYPGの反転攻勢を前に劣勢を強いられるようになった。7月末のシリア軍によるアレッポ市東部包囲はこうした流れのなかで生じたものだった。

トルコのクーデータ未遂事件後、「シリア内戦」の潮目が変わった

 だがここへ来て、「シリア内戦」の潮目が再び変わり始めた。きっかけは、7月のトルコでの軍事クーデタ未遂事件だ。事件を機に、これまでにも増して強権的な支配を強めるようになったエルドアン政権に対し、欧米諸国からは批判的な反応が相次ぐようになった。その一方で、ロシア(そしてイラン)は、事件直後に同政権への支持を表明し、接近を図った。トルコはこれに先だってロシア軍戦闘機撃墜事件について正式に謝罪し、関係改善に向けた布石を打っていたが、8月9日にエルドアン大統領とプーチン大統領の首脳会談が実現、「シリア内戦」に介入を続けてきた諸外国のパワー・バランスに微妙な変化が生じ始めた。

 この変化とは、トルコとロシアがそれぞれ推し進めてきた二つの「テロとの戦い」の擦り合わせをもたらそうとしているかのようである。より明確に言うと、ロジャヴァと「反体制派」への両国の関係見直しの兆しが現れているのだ。ハサカ市での武力衝突とは、おそらくはその予兆を察したロジャヴァとシリア政府のリアクションの一環として起こったと解釈できる。

 二つの「テロとの戦い」の擦り合わせの兆しは他にもある。ロシアは、ジュネーブでの和平協議へのPYDの参加に固執してきた従来の姿勢を軟化させるかのように、2月にモスクワに開設されていたはずのロジャヴァの代表部は存在しないと発表した。また、シリア政府は「愛国的反体制派」と呼んでいたPYDを、トルコに倣ってPKKと名指しし、その行為を厳しく指弾するようになった。



 対するトルコは、国境地帯におけるイスラーム国最後の拠点であるジャラーブルス市をYPGに先んじて掌握すべく、完全武装した「反体制派」戦闘員1,200人を同地に派遣した。20日にトルコ南部のガジアンテップ市でイスラーム国によると思われる爆弾テロ事件が発生すると、トルコはジャラーブルス市一帯を越境砲撃し、地上部隊を進攻させ、「反体制派」による同市制圧を後押しした。「フーフラテスの盾」と名づけられたこの作戦は、イスラーム国の掃討を目的としていたが、トルコ軍が重点的に攻撃したのは、マンビジュ市とジャラーブルス市を結ぶYPGの進路だった。

 なお、ジャラーブルス市を攻略した「反体制派」は「シャーム軍団」、「スルターン・ムラード師団」、「ヌールッディーン・ザンキー運動」など、アレッポ市での攻防戦でアル=カーイダ系組織と共闘する組織ではある。だが、トルコは「反体制派」によるアレッポ市東部の解囲前後から、アル=カーイダ系組織への支援を控えるようになっているとされ、また移行プロセスにおいてアサド政権の役割を認めるといった政府首脳の発言も顕著になっている。

恣意的に解釈される「テロとの戦い」に翻弄されるシリアの市井の人々

 むろん、これらの予兆は、単なる善意の表明に過ぎず、各当事者の対応には根本的な変化は生じていないかもしれない。だが、少なくとも、一連の動きの変化のなかで再認識し得るのは、「シリア内戦」の主人公であるはずのシリアの主要な政治・軍事主体、そして言うまでもなく市井のシリアの人々が、諸外国の利害のもとで恣意的に解釈される「民主化」や「テロとの戦い」に翻弄されるようになって久しいという事実だ。

 「シリア内戦」における「民主化」や「テロとの戦い」という大義は、欧米諸国や日本も含めたすべての当事者にとって実態のないプロパガンダに過ぎず、そうしたプロパガンダのもとで自己正当化されるだけの正義や道徳をもってしては、シリアの現状は到底理解できないのである。


[筆者]
青山弘之
東京外国語大学教授。1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院修了。1995〜97年、99〜2001年までシリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所(IFPO、旧IFEAD)に所属。JETROアジア経済研究所研究員(1997〜2008年)を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。編著書に『混迷するシリア:歴史と政治構造から読み解く』(岩波書店、2012年)、『「アラブの心臓」に何が起きているのか:現代中東の実像』(岩波書店、2014年)などがある。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」を運営。青山弘之ホームページ

青山弘之(東京外国語大学教授)

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