<南シナ海で対中強硬策を掲げるインドネシアは、中国と互いに船で体当たりしたり威嚇発砲したりと果敢な「ドンパチ」を繰り広げているが、その一方で、中国が権益を主張するインドネシア領ナツナ諸島に、築地市場をモデルにした魚市場を作ろうとしている> (写真は、ナツナ諸島近海でインドネシア海軍の艦船の前を横切る中国海警船)
南シナ海を巡る覇権争いがエスカレートしているが、南沙諸島で領有権を主張しているのは中国、台湾、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイの5カ国1地域である。オランダ・ハーグの仲裁裁判所が7月12日に中国が全海域に及ぶ領有権主張の根拠としている「九段線」内の権益に「法的根拠はない」との判断を下したことで、中国は国際社会を敵に回し「分の悪い闘い」を強いられている。
あまり報道されていないが、実はこの九段線の南端、「舌の先端」に当たる部分がインドネシア領ナツナ諸島の排他的経済水域(EEZ)と重なっていることから、中国の権益主張にインドネシアも対処せざるを得ないという実状がある。インドネシアは特に海洋政策においては対中強硬策を取り続けており、南シナ海の南端では中国漁船とインドネシア海洋治安当局、海軍による仁義なき闘いが繰り広げられている。
ナツナ諸島の位置 Google マップ
【参考記事】南シナ海で暴れる中国船に インドネシアの我慢も限界
拿捕、拘留そして撃沈の強硬策
南シナ海の地図をみてみると、マレー半島とボルネオ島(インドネシア語でカリマンタン島)のほぼ中間にあるナツナ諸島は大小約150の島からなり、北部の大ナツナ島を中心に約7万人が住むインドネシア領である。南シナ海とジャワ海やマラッカ海峡を結ぶ海の大動脈に位置する戦略上きわめて重要な諸島である。
中国はナツナ諸島北方海域を「中国の伝統的な漁場」として海警局艦船を伴った漁船群による違法操業を続けている。なぜ問題かというとナツナ諸島から200海里(約370km)のインドネシアのEEZ内や領海内にまで侵入して違法操業を繰り返しているからだ。この海域は豊かな漁場で中国だけでなくベトナムやタイ、マレーシアの漁船も入り乱れて違法操業を続けている。
その「波高し」の現場で今年3月19日、中国違法漁船を摘発しようとしたインドネシアの海洋取締当局の監視船に対し、中国海警局の船舶がレーザーを照射し、そして体当たりで摘発を妨害するという事態が発生した。こうした非常事態にインドネシアは正規の海軍大型艦艇を現場海域に急派して警戒を強化した。6月17日には違法操業中の中国漁船に対し、海軍艦が警告したもののこれを無視して逃走しようとしたため海軍艦が威嚇発砲して拿捕、乗組員を拘束した。現場にいた中国海警局の船は相手が正規の海軍艦では手が出せなかったという。
こうして拿捕した各国の違法漁船は、インドネシア政府が「みせしめ」として無人状態を確認した後に海上で爆破、撃沈させるという強硬手段をとっている。
【参考記事】中国密漁船を破壊せよ インドネシアの選択
産業振興の目玉は「築地魚市場」
こうした海上での一触即発のバトルの一方で、インドネシアのジョコウィ政権はナツナ諸島の産業振興、開発にも力を入れようとしている。ハーグ仲裁裁判所の裁定を受けて「今後中国がさらに活動を活発化させる懸念がある」として、インドネシアは同諸島海域での軍事力増強と同時に「ナツナを地域の一大漁業拠点とする構想」と硬軟両様の対策を打ち上げたのだった。
具体的には年間漁獲量100万トンを取り扱う巨大市場ゾーンの建設を目玉として、冷凍保存設備が完備し水産加工工場を併設した約1,000平方メートル規模の魚市場を開設、地域の流通拠点にするというものだ。政府の試算では現状では周辺海域の水産資源の約9%しか活用できておらず、これを限りなく向上させる計画だ。
構想を具体的に説明したリザル・ラムリ海事調整相は「ナツナには東京の築地魚市場のような魚市場をつくりたい」と語っており、築地魚市場をモデルにしたナツナ魚市場の誕生が期待されている。
外国人観光客のビザ発給要件を緩和あるいは撤廃して、2020年の東京五輪を目指して観光振興を進めている日本に中国人に加えて最近は多くのインドネシア人やマレーシア人、タイ人が訪れている。中でも「ツキジ・フィッシュ・マーケット」は東京を訪れる東南アジアからの観光客の人気スポットであることから「モデルとして築地魚市場の名前が出たものとみられる」(在ジャカルタ日本人記者)という。
中国の真の狙いは海底資源
こうした構想実現のためジャワ島周辺で操業する民間漁船の約400隻をナツナ海域に派遣して漁獲高の40%増を目指し、漁民を周辺の島々に移住させることで漁業関連産業の育成やインフラの整備、そして最終的には観光地としての開発も視野に入れているという。
こうしたナツナ総合開発計画とも言うべき構想の背景には、南シナ海全域で国際司法の裁定すら無視して身勝手な主張と危険な行動を続ける中国へのインドネシア政府としての断固とした強硬な姿勢がある。
中国がこの海域に注ぐ関心の最大の理由は、実は世界有数の埋蔵量とも言われる豊かな海底資源にあるのだ。インドネシアが確認している天然ガス田、石油田は16あるが、これまでに生産体制に着手しているのは5鉱区にとどまっている。このためインドネシア政府エネルギー鉱物資源省が国営石油ガス公社プルタミナに対してさらなる資源調査と4つの鉱区での入札準備などの「開発のペースアップ」を指示した。
漁業資源と海底資源が豊かなナツナ諸島周辺での中国の動きに対する警戒を強めながら、インドネシアは着々と自国権益の保護と開発を進めている。「南シナ海」という国際的な呼称の「ナツナ海という名称への変更手続き」、さらに「違法操業からの自国権益保護のため中国を国際司法裁判所へ提訴」などの変化球を交えながら堂々と渡り合っている現状に中国も次第に焦り濃くしており、「波の高い緊張状態」は今も続いている。
[執筆者]
大塚智彦(ジャーナリスト)
PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など
大塚智彦(PanAsiaNews)
南シナ海を巡る覇権争いがエスカレートしているが、南沙諸島で領有権を主張しているのは中国、台湾、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイの5カ国1地域である。オランダ・ハーグの仲裁裁判所が7月12日に中国が全海域に及ぶ領有権主張の根拠としている「九段線」内の権益に「法的根拠はない」との判断を下したことで、中国は国際社会を敵に回し「分の悪い闘い」を強いられている。
あまり報道されていないが、実はこの九段線の南端、「舌の先端」に当たる部分がインドネシア領ナツナ諸島の排他的経済水域(EEZ)と重なっていることから、中国の権益主張にインドネシアも対処せざるを得ないという実状がある。インドネシアは特に海洋政策においては対中強硬策を取り続けており、南シナ海の南端では中国漁船とインドネシア海洋治安当局、海軍による仁義なき闘いが繰り広げられている。
ナツナ諸島の位置 Google マップ
【参考記事】南シナ海で暴れる中国船に インドネシアの我慢も限界
拿捕、拘留そして撃沈の強硬策
南シナ海の地図をみてみると、マレー半島とボルネオ島(インドネシア語でカリマンタン島)のほぼ中間にあるナツナ諸島は大小約150の島からなり、北部の大ナツナ島を中心に約7万人が住むインドネシア領である。南シナ海とジャワ海やマラッカ海峡を結ぶ海の大動脈に位置する戦略上きわめて重要な諸島である。
中国はナツナ諸島北方海域を「中国の伝統的な漁場」として海警局艦船を伴った漁船群による違法操業を続けている。なぜ問題かというとナツナ諸島から200海里(約370km)のインドネシアのEEZ内や領海内にまで侵入して違法操業を繰り返しているからだ。この海域は豊かな漁場で中国だけでなくベトナムやタイ、マレーシアの漁船も入り乱れて違法操業を続けている。
その「波高し」の現場で今年3月19日、中国違法漁船を摘発しようとしたインドネシアの海洋取締当局の監視船に対し、中国海警局の船舶がレーザーを照射し、そして体当たりで摘発を妨害するという事態が発生した。こうした非常事態にインドネシアは正規の海軍大型艦艇を現場海域に急派して警戒を強化した。6月17日には違法操業中の中国漁船に対し、海軍艦が警告したもののこれを無視して逃走しようとしたため海軍艦が威嚇発砲して拿捕、乗組員を拘束した。現場にいた中国海警局の船は相手が正規の海軍艦では手が出せなかったという。
こうして拿捕した各国の違法漁船は、インドネシア政府が「みせしめ」として無人状態を確認した後に海上で爆破、撃沈させるという強硬手段をとっている。
【参考記事】中国密漁船を破壊せよ インドネシアの選択
産業振興の目玉は「築地魚市場」
こうした海上での一触即発のバトルの一方で、インドネシアのジョコウィ政権はナツナ諸島の産業振興、開発にも力を入れようとしている。ハーグ仲裁裁判所の裁定を受けて「今後中国がさらに活動を活発化させる懸念がある」として、インドネシアは同諸島海域での軍事力増強と同時に「ナツナを地域の一大漁業拠点とする構想」と硬軟両様の対策を打ち上げたのだった。
具体的には年間漁獲量100万トンを取り扱う巨大市場ゾーンの建設を目玉として、冷凍保存設備が完備し水産加工工場を併設した約1,000平方メートル規模の魚市場を開設、地域の流通拠点にするというものだ。政府の試算では現状では周辺海域の水産資源の約9%しか活用できておらず、これを限りなく向上させる計画だ。
構想を具体的に説明したリザル・ラムリ海事調整相は「ナツナには東京の築地魚市場のような魚市場をつくりたい」と語っており、築地魚市場をモデルにしたナツナ魚市場の誕生が期待されている。
外国人観光客のビザ発給要件を緩和あるいは撤廃して、2020年の東京五輪を目指して観光振興を進めている日本に中国人に加えて最近は多くのインドネシア人やマレーシア人、タイ人が訪れている。中でも「ツキジ・フィッシュ・マーケット」は東京を訪れる東南アジアからの観光客の人気スポットであることから「モデルとして築地魚市場の名前が出たものとみられる」(在ジャカルタ日本人記者)という。
中国の真の狙いは海底資源
こうした構想実現のためジャワ島周辺で操業する民間漁船の約400隻をナツナ海域に派遣して漁獲高の40%増を目指し、漁民を周辺の島々に移住させることで漁業関連産業の育成やインフラの整備、そして最終的には観光地としての開発も視野に入れているという。
こうしたナツナ総合開発計画とも言うべき構想の背景には、南シナ海全域で国際司法の裁定すら無視して身勝手な主張と危険な行動を続ける中国へのインドネシア政府としての断固とした強硬な姿勢がある。
中国がこの海域に注ぐ関心の最大の理由は、実は世界有数の埋蔵量とも言われる豊かな海底資源にあるのだ。インドネシアが確認している天然ガス田、石油田は16あるが、これまでに生産体制に着手しているのは5鉱区にとどまっている。このためインドネシア政府エネルギー鉱物資源省が国営石油ガス公社プルタミナに対してさらなる資源調査と4つの鉱区での入札準備などの「開発のペースアップ」を指示した。
漁業資源と海底資源が豊かなナツナ諸島周辺での中国の動きに対する警戒を強めながら、インドネシアは着々と自国権益の保護と開発を進めている。「南シナ海」という国際的な呼称の「ナツナ海という名称への変更手続き」、さらに「違法操業からの自国権益保護のため中国を国際司法裁判所へ提訴」などの変化球を交えながら堂々と渡り合っている現状に中国も次第に焦り濃くしており、「波の高い緊張状態」は今も続いている。
[執筆者]
大塚智彦(ジャーナリスト)
PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など
大塚智彦(PanAsiaNews)