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アメリカの「ネトウヨ」と「新反動主義」

ニューズウィーク日本版 2016年8月30日 16時50分

<「新反動主義」を含む「ネトウヨ的思想」がアメリカで流行り始めている。シリコンバレーの起業家、ベンチャーキャピタリストにも信奉者がいるようだ。その背景と思想とは...>

ネトウヨ的思想がアメリカで流行り始めている

 このところ「neoreactionism」に興味を持っている。ネオリベラリズムは新自由主義、ネオコンサバティズムは新保守主義と訳されるので、ネオリアクショニズムは新反動主義とでも訳すべきか。略してNRxと書かれることもある。

 最近、新反動主義を含むこの種のネトウヨ的思想がアメリカで流行り始めているようで、まとめてAlt-right(オルタナロックならぬオルタナ右翼とでも称すべきか)と称するのだが、この関係の人脈が米共和党の大統領候補になったドナルド・トランプの陣営にまで潜り込んでいる。

 そのせいもあり、トランプやヒラリー・クリントンの演説でもAlt-rightが大まじめに語られるようになった。少し前まではごく少数の変人だけが興味を持つフリンジ(異端)に過ぎなかったのが、メインストリームのメディアにも取り上げられるようになったわけで、これは大出世と言えよう。率直に言えば、ポリティカル・コレクトネスやラジカル・フェミニズムにうんざりした連中がそれなりの数存在する、ということの反映でもあるように思う。

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 元々の反動主義は、素晴らしい(と多くの場合空想/妄想された)過去の「黄金時代」への逆行ということで、フランス革命を否定して王政復古したいとか、共産主義革命を否定して君主制に戻りたいとか、あるいは戦後の日本を否定して戦前の日本に戻りたいとか、その手の政治的立場のことを指すが、新反動主義が否定するのはフランス革命以来培われてきたリベラルな民主主義そのものである。

 ではどこへ戻りたいかというと、これが封建主義(feudalism)なのですね。今さら封建主義と言われても具体的なイメージが湧かないと思うが、ようは弱肉強食の強者による支配(これを自然秩序(Natural order)と称する)である。

 当然、封建主義のどこが素晴らしいんだという疑問が湧くと思うのだが、これに対しては、例えばアメリカの現状を見ろ、治安の悪化、移民増加による失業や産業の破壊、環境破壊、拡大するばかりの格差、国家債務の爆発的増大、人種対立などを見れば、今より昔のほうが優れていないとは言えないではないか、と強弁する(この現状認識自体どうかしているようにも思われるわけだが、少なからぬ人々に共有されているらしい)。

 昔へ戻ると言うと、なんだか中世の不衛生でばたばた伝染病で死ぬような社会を思い浮かべるわけだが、新反動主義ではテクノロジーや資本主義を否定するわけではない(むしろ技術決定論的というか、技術信仰に近い)という点には注意が必要だ。

 ちなみに昔は強者である領主やら軍閥やらは領土を持っていたわけだが、今だとようするに強者イコール富者、それも遺産を相続したとかではなく、自分の能力でのし上がった人に意思決定を委ねたい、ということのようである。「イーロン・マスクを我らの王に!」みたいな話ですよ。

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民主主義に絶望した自由主義者が新反動主義者になる

 このあたりですでに正気の沙汰ではないと思う人も多いと思うが、私がこの話に興味を持ったのは、新反動主義者の少なからぬ人数が元リバタリアンであり、シリコンバレーを闊歩する技術者や起業家、ベンチャーキャピタリストの類にもそれなりに信奉者がいるらしい(そして、これから増えていく可能性がある)ということである。議論も、LessWrongやRedditのようなサイバーリバタリアンかぶれが集まる掲示板で主に行われている。

 自由と民主はセットのように思い込みがちだが、実のところ、元々リバタリアニズムには民主主義否定の要素があった。宗教や伝統を排して経済的自由と個人的自由を追求するのがリバタリアニズムだが、民主主義は宗教やらと同様衆愚による自由追求への制約と見なされるわけである。歴史上、共産主義に幻滅した人が転向してファシストやらネオコンやらになるということはよくあったわけだが、民主主義に絶望した自由主義者が新反動主義者になるわけだ。

 最近何かと話題のピーター・ティールは、2009年に「私は、自由と民主が両立するとはもはや思わない」と書いた。ティールは元Googleのエンジニアであるパトリ・フリードマン(「自由のためのメカニズム」を書いたデヴィッドの息子、経済学者ミルトンの孫)と組んで、Seasteading(海上入植)というのを主導しているが、これは民主主義的な体制の下でリバタリアン的な政策が通る可能性は無いので、じゃあ新しく海の上かどこかにリバタリアンのお友達だけが住む国を作ればいいんじゃないの、という話である。

 現在の国家は大きすぎるので、都市くらいの単位の小国家がいくつか出来て、その間で様々な制度を試して住民獲得競争をすればよい、という考え方が背後にある。こうした発想がこじれて変な方向に向かったのが新反動主義と言えそうだ。

 更に、自分の自由追求と他人の自由追求(の手助け)というのは直接的には関係ないわけで、ここにレイシズムが付けいる余地がある。いわゆるAlt-rightは白人至上主義と関連づけられて語られることが多いのだが、私の印象では、新反動主義は白人は白人だから優れている式のトートロジカルなレイシズムではなくて、能力・知能差別に力点を置いている。

 そもそもそれはどうなんだという議論もあるだろうし、結局白人やアジア人よりも黒人やヒスパニックは知能が低いから差別されて当然みたいな遺伝学もどきの優生思想に落ち込んでしまうのでしょうもない話なのだが、しかしある意味でこちらのほうが素朴な宗教的・歴史的白人至上主義よりも悪質と言える。

 というのも、人種差別は優等とされた人種以外に支持を広げるということはあり得ない(し、どのみち白人は減りつつある)が、能力差別であれば技術者等にはそれなりになじみが良く、根強い支持があり、世界に広がる可能性があるからである。IQによる選別という形ならシンガポールなどですでに取り込まれているし、おそらく中国のような社会でも親和性のある考え方なのではないか。



新反動主義はカリフォルニアン・イデオロギーの不出来な息子

 新反動主義の論客(?)としては、とりあえず以下に挙げる二人を押さえておけばよいように思う。

・Mencius Moldbug
 新反動主義の名付け親と目されるのがブロガーのメンシウス・モールドバグである。これはペンネームで、本名はカーティス・ヤーヴィンと言う。Menciusは孟子のことだが、関係はあまり無さそうだ。

 この人は2007年ごろからUnqualified Reservationsというブログで新反動主義についてやたらと長い記事をいっぱい書いた人で、正直私にしても全ては読み切れていないのだが、まあ上で書いたようなことが延々と述べられているのである。

 ちなみにヤーヴィンの本業はシリコンバレー在住のソフトウェア・エンジニアで、Urbitというオープンソース・ソフトウェアを開発し、Tlonというスタートアップをやっている。これにもピーター・ティールが出資しているのだが、ヤーヴィンが関数型プログラミング言語のカンファレンスに呼ばれたところ、彼の特にレイシズムに関する主張を嫌う他の講師がボイコットするということもあったらしい。Haskell使いのはしくれとして、私もなんだかなあと思うわけですが...。ちなみにこのもめ事で主催者側を擁護したのが誰あろう、エリック・レイモンド(編注)ですよ。

・Nick Land
 ニック・ランドは元々ジョルジュ・バタイユなどを研究していた英ウォーリック大学の哲学講師だったらしいのだが、現在は大学を辞して中国・上海に移住し、元の教え子たちを含む信奉者と出版社(?)をやっているようだ。彼が自分のブログに書いたDark Enlightenmentという一連の文章が新反動主義界隈では有名で、Dark EnlightenmentとNeoreactionismを同一視する人もいる。

 私が新反動主義がおもしろいと思うのは、反権威主義、能力主義、自由至上主義などといった道具立ての大半が、昔からあるテクノユートピア的な発想というか、ハッカー思想を生んだカリフォルニアン・イデオロギー的なものとそんなに遠くないように思われるからである。

 カリフォルニアン・イデオロギーをばらばらに分解して組み立て直したら、なんだか変な異形のものになったという気がする。北朝鮮のような収容所国家がマルクスの資本(論)の「利子」だとすれば、新反動主義はカリフォルニアン・イデオロギーの不出来な息子と言えなくもない。


※当記事は「八田真行さんのブログ」からの転載記事です。

八田真行(駿河台大学経済経営学部専任講師、GLOCOM客員研究員)

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