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トランプ、言った者勝ちの怖さ

ニューズウィーク日本版 2016年9月2日 19時40分

<まあまあ友好的にメキシコを訪問してわずか数時間後、アメリカに取って返して「メキシコとの国境に壁を築く」「費用はメキシコ政府に払わせる」と宣言──トランプの二面性がまた露わになった。少し大人しくしていたと思っても、すぐに強硬論に戻る。気づけば誰もが、それがどれほど価値のない暴言かを忘れそうになっている。どんな暴論も繰り返せば人々の思考に変化を及ぼす、そんな言語学の仮説を地で行っているのではないか>

 世界中でベストセラーになったイギリスの脚本家ダグラス・アダムズの小説『銀河ヒッチハイクガイド』には、耳に入れるとどんな言葉も翻訳してくれる「バベルフィッシュ」が登場する。その奇妙な生き物は、異なる人種や文化を持つ人々がコミュニケーションをする際の障害をすべて取り除いてくれるのだが、その結果人々の言葉は丸裸になって対立が表面化する。アダムズは、万能翻訳を可能にするバベルフィッシュは「人類創造以来最も血なまぐさい戦争を引き起こす」と記した。

何度も唱えれば叶う

 大統領選での勝敗は別として、トランプの言葉には目を見張るものがある。恐ろしくもあり、注目すべきことは、アメリカ英語のネイティブスピーカーほど、彼の発言の意味を理解しようと四苦八苦している点だ。アメリカ国民の銃を所持する権利を定めた「合衆国憲法修正第2条」の支持者には「できることがある」と、暗に民主党の大統領候補ヒラリー・クリントンの暗殺をほのめかす。バラク・オバマ大統領は「テロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)の創設者だ」と言い出す。トランプが問題発言をするたびにその真意をめぐって憶測が飛び交い、何日もメディアを賑わす。

【参考記事】銃乱射で勢いづく銃支持派の狂った論理
【参考記事】トランプの選挙戦もこれで終わる?「オバマはISISの創設者」

 だが、トランプの言葉の意味を問うこと自体がナンセンスなのかもしれない。トランプとその支持者たちは、言語が人々の思考や世界の見方に影響を与えると信じる言語学の一派のようだ。事実、トランプに選挙戦を通じて一貫した信念があるとすれば、どれほど現実味がなく論理に欠ける言葉でも、口に出して言い続ければそれが真実になり現実に影響するということだ。

「アメリカを再び偉大にする」というキャッチフレーズを繰り返せば、聴衆の頭に「現在のアメリカは偉大ではない」、今の民主党政権が続いてはならない、という信念をいとも簡単に植え付けることができる。同様に「いかさまヒラリー」や「嘘つきテッド(・クルーズ)」といった発言を連発し言語を巧みに操ることで、誰も予測しなかった大統領選を実現してきた。



 作戦は上手くいくことも裏目に出ることもある。クリントンの不誠実さやアメリカの雇用の弱さを批判したときは上手くいった。だがイラク戦争で息子を失ったイスラム教徒の両親を中傷したり、メキシコからの移民は「レイプ犯」だと決めつけたときは、まったくの逆効果だった。これらの暴言は、彼の大統領としての資質に深刻な疑問を抱かせた。トランプ陣営の失態を見たアメリカ人の多くは、国を動かす政治家はもっと慎重に言葉を選ぶべきだと思い知った。

【参考記事】トランプのメキシコ系判事差別で共和党ドン引き
【参考記事】戦没者遺族に「手を出した」トランプは、アメリカ政治の崩壊を招く

 もちろん、そんなことは世界のどこに行っても常識だ。発言がすぐ世界中に知れ渡るアメリカの政治家はとりわけ慎重でなければならない。容易ではない。なぜなら聞き手は、自分が聞きたい言葉だけに耳を傾け、自分の生活や経験に当てはめて解釈する。それも母国語への翻訳を通じて聞くことになるからだ。

 トランプに最も近いタイプの政治家といえば、イタリアのシルビオ・ベルルスコーニ元首相だろう。醜聞にまみれ、無類の女好きとあって海外では笑い者だったが、国内ではカリスマ性があった。トランプがヨーロッパ諸国の中でもイタリア、それもベルルスコーニ支持者に人気なのは、偶然ではないだろう。

誤訳されないトランプ

 イランのマフムード・アハマディネジャド前大統領も、不用意であいまいな発言で墓穴を掘った過去がある。2011年、彼の発言が「イスラエルを地図から消し去るべきだ」と訳され、国際社会から激しい非難を浴びた。実際にはイスラエル政権は崩壊するか消滅するだと言ったのだが、今でも多くの人々が「消し去る」宣言を批判しているのを見れば、言葉が人間の思考に刷り込まれるという考えにはある程度の妥当性があるといえる。

 もっとも、トランプの暴言が誤訳される心配はないようだ。あまりにシンプルで、誤りようがない。例えばトランプ陣営の公式ホームページには、対中政策をまとめた特設ページがある。その重要目標は「中国に知的財産権を守らせる」「中国政府の輸出補助金を廃止させる」「東シナ海と南シナ海で米軍のプレゼンスを拡大し、中国の海洋進出を思い止まらせる」など。敵対心むき出しで、善意に解釈する余地などない。

 翻訳には、訳す側の解釈が必ずついてまわる。外国語の単語は母国語とは異なる領域の意味を持つため、言葉を訳そうにも近い意味の単語を当てはめるのが精一杯。一対一で全く同じ意味の単語をあてがうのは無理だ。話し手が抽象的で微妙な言葉遣いをするほど、翻訳が複雑で手の込んだ作業になる。



 その点、中国に対する米大統領候補2人の立場はかなり単純だ。クリントンは以前こう述べていた。「私は中国トップの政治家と真っ向からやり合ってきた。私が大統領になればお遊びは終わりだ」

 一方、トランプは公式ホームページでこう表明する。「アメリカには、豊富な資金を盾に脅してくる共産主義の独裁国家に屈服しない大統領が必要だ。低賃金の労働者や公害がはびこる中国に、これ以上アメリカ人から仕事を奪わせない」

 両者、これ以上ないくらい辛辣な言葉を並べている。

 言語学が教えてくれるのは(仮説だが)、言葉には新たな現実を生み出す力があるということ。あらゆる事物が密接に結びつくグローバル社会では、世界中の人々が思い描くアメリカのイメージに、米大統領の言葉が絶大な影響力を及ぼす。次の大統領は、そのことを注意深く心に留めておくべきだ。トランプもクリントンも、大統領になった暁には、バベルフィッシュのように自分の発言がたちまち多言語に翻訳されてしまうのだから。

From Foreign Policy Magazine


クリストファー・リバカリ、ジェフ・ワン

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