<地震後には完璧な対応を見せるイタリアだが、本当に必要なのは地震対策の強化だ>(ペスカーラ・デル・トロントの被災現場での救助活動)
なぜイタリアでは、数年おきに発生する大地震でこれほど多くの死者が出るのだろう。
8月24日未明にイタリア中部を襲ったマグニチュード6・2の地震。震源地に近く甚大な被害を受けたアマトリーチェを中心に、300人近い命が失われた。行方不明者も多く、死者数はさらに増える見通しだ。
「困難なときにイタリア人は何をすべきか知っている」とレンツィ首相が語ったように、すぐさま救助活動が開始され、食料やテントが運び込まれ、輸血も準備された。緊急対応は完璧だ。それもそのはず、イタリアはこうした事態を十分過ぎるほど何度も経験してきたのだから。
【参考記事】国民投票とポピュリスト政党、イタリアの危険過ぎるアンサンブル
イタリアには多数の活断層がある。アフリカプレートによって北向きに絶えず押された状態で、アペニン山脈の下を走る大きな活断層がリグリア州からウンブリア州を貫いている。それより小さい活断層がアルプス山脈の下を走り、ここでも地震が起きる。
確かにイタリアは地震の頻発地帯だ。しかし世界には、今回のイタリア中部地震と同じくらいの大きさの地震が起きても、これほど多数の死者を出さずに済んでいる国は多い。日本で同じ規模の地震が起きても、うっかり閉め忘れた戸棚からコップが落ちて割れる程度だろう。
ところがイタリアは、豊かで科学技術も進んだヨーロッパにありながら、少し大きめの地震が来たらいつも大惨事だ。地震対策がなっておらず、どこから手を付けたらいいか分からないほど問題が多過ぎる。
耐震補強後のはずなのに
長い歴史を持つ国ゆえの問題はあるだろう。人口6000万人のうち、2200万人が暮らす地域の建築物は、イタリアで耐震建築の基準が定められた74年以前のもの。学校や病院などの公共施設を除けば、それらはほとんどが耐震補強されていない。多数の犠牲者が出るのは建物の古さと、古代建築への愛着のせいと言えなくもない。
だが今回アマトリーチェで、12年に78万3000ドルをかけて耐震工事した小学校が倒壊した理由はどう説明するのか。崩れ落ちた町の病院や、近くの町アックーモリの鐘塔も新基準に沿って改築されたはずだった。
こうした被害はいつもの原因、つまり政治家の無能と腐敗によって引き起こされたのではないのか。耐震工事に手抜きはなかったか? 建築業者や検査職員に見落としはなかったか? アマトリーチェの市役所では、記録の証拠隠滅がないよう警察が見張っている。
数カ月後、怒りの矛先はきちんと正しい相手に向けられているだろうか。それとも300人以上の死者を出した09年のラクイラ地震の時のように、地震予知に失敗したとして科学者たちを起訴したりするのだろうか。
【参考記事】熊本地震で発揮された電力会社の災害対応力は今後も維持できるか
地震ばかりか浸水にも悩まされてきたイタリアにはかつて、自然の力を制御する知恵があった。常に洪水と戦ってきたベネチアでは1593年、ガリレオ・ガリレイが画期的な排水ポンプを議会で発表した。この技術はオランダとも共有された。
こうした対策が概して、経済的な動機を持って進められた点は注目に値する。海を埋め立て、人を住まわせ、課税する。金のかかる土木工事に、欲と皮肉は付き物だ。
私利私欲と公共の利益に折り合いをつけるためには、何をすべきなのか。ヨーロッパだけでなく、世界でも活躍したいと考えるイタリアなら知っていなければならない。今のところ、どうも怪しいが。
From Foreign Policy Magazine
[2016.9.13号掲載]
アレッシオ・コロンネリ
なぜイタリアでは、数年おきに発生する大地震でこれほど多くの死者が出るのだろう。
8月24日未明にイタリア中部を襲ったマグニチュード6・2の地震。震源地に近く甚大な被害を受けたアマトリーチェを中心に、300人近い命が失われた。行方不明者も多く、死者数はさらに増える見通しだ。
「困難なときにイタリア人は何をすべきか知っている」とレンツィ首相が語ったように、すぐさま救助活動が開始され、食料やテントが運び込まれ、輸血も準備された。緊急対応は完璧だ。それもそのはず、イタリアはこうした事態を十分過ぎるほど何度も経験してきたのだから。
【参考記事】国民投票とポピュリスト政党、イタリアの危険過ぎるアンサンブル
イタリアには多数の活断層がある。アフリカプレートによって北向きに絶えず押された状態で、アペニン山脈の下を走る大きな活断層がリグリア州からウンブリア州を貫いている。それより小さい活断層がアルプス山脈の下を走り、ここでも地震が起きる。
確かにイタリアは地震の頻発地帯だ。しかし世界には、今回のイタリア中部地震と同じくらいの大きさの地震が起きても、これほど多数の死者を出さずに済んでいる国は多い。日本で同じ規模の地震が起きても、うっかり閉め忘れた戸棚からコップが落ちて割れる程度だろう。
ところがイタリアは、豊かで科学技術も進んだヨーロッパにありながら、少し大きめの地震が来たらいつも大惨事だ。地震対策がなっておらず、どこから手を付けたらいいか分からないほど問題が多過ぎる。
耐震補強後のはずなのに
長い歴史を持つ国ゆえの問題はあるだろう。人口6000万人のうち、2200万人が暮らす地域の建築物は、イタリアで耐震建築の基準が定められた74年以前のもの。学校や病院などの公共施設を除けば、それらはほとんどが耐震補強されていない。多数の犠牲者が出るのは建物の古さと、古代建築への愛着のせいと言えなくもない。
だが今回アマトリーチェで、12年に78万3000ドルをかけて耐震工事した小学校が倒壊した理由はどう説明するのか。崩れ落ちた町の病院や、近くの町アックーモリの鐘塔も新基準に沿って改築されたはずだった。
こうした被害はいつもの原因、つまり政治家の無能と腐敗によって引き起こされたのではないのか。耐震工事に手抜きはなかったか? 建築業者や検査職員に見落としはなかったか? アマトリーチェの市役所では、記録の証拠隠滅がないよう警察が見張っている。
数カ月後、怒りの矛先はきちんと正しい相手に向けられているだろうか。それとも300人以上の死者を出した09年のラクイラ地震の時のように、地震予知に失敗したとして科学者たちを起訴したりするのだろうか。
【参考記事】熊本地震で発揮された電力会社の災害対応力は今後も維持できるか
地震ばかりか浸水にも悩まされてきたイタリアにはかつて、自然の力を制御する知恵があった。常に洪水と戦ってきたベネチアでは1593年、ガリレオ・ガリレイが画期的な排水ポンプを議会で発表した。この技術はオランダとも共有された。
こうした対策が概して、経済的な動機を持って進められた点は注目に値する。海を埋め立て、人を住まわせ、課税する。金のかかる土木工事に、欲と皮肉は付き物だ。
私利私欲と公共の利益に折り合いをつけるためには、何をすべきなのか。ヨーロッパだけでなく、世界でも活躍したいと考えるイタリアなら知っていなければならない。今のところ、どうも怪しいが。
From Foreign Policy Magazine
[2016.9.13号掲載]
アレッシオ・コロンネリ