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変貌する国際都市ダブリンを行く

ニューズウィーク日本版 2016年9月12日 15時0分

<金融危機でどん底に落ちたアイルランドの首都は、世界中の若者が集まる「多文化都市」へと生まれ変わった>(写真はパブでミュージシャンがライブ演奏を聴かせるダブリンの昔ながらの風景)

『シング・ストリート 未来へのうた』は、80年代半ばのダブリンを舞台にしたアイルランド人監督ジョン・カーニーの自伝的音楽映画。プレミア上映に合わせて、このアイルランドの首都を訪れてみた。

 カーニーは上映前、地元の人々の反応が心配だと言った。この作品が描いているのはダブリンのどん底時代。映画自体は魅力的で力強い作品だが、殺風景な街の景観は今と大きく違う。

「80年代のダブリンは、50年代のイギリスみたいだった」と、カーニーは当時を振り返る。「当時の学校は教会に支配されていて、誰もがここから出ていきたいと思った。今のこの街は、多文化の国際都市だ」

 映画の上映が終わると、観客は立ち上がって拍手喝采した。カーニーと若い出演者がステージに上る。ダブリン市民は、この街の変化を改めて見せてもらったことに喜んでいるようだ。

『シング・ストリート』の時代から10年後、アイルランドは「ケルトの虎」の時代を迎えた。EUの投資と住宅価格の急騰を追い風に経済は急成長。ヨーロッパ最貧国の1つから、最も活力のある国の1つに変貌した。

 だが好景気の後には、08年の世界金融危機を引き金とするバブルの崩壊が待っていた。09年1月、アイルランドの政府債務はユーロ圏で最も危険なレベルにまで膨らんだ。

 私はダブリンの変化をこの目で確かめたくて、街に繰り出した。以前にここを訪れたのは11年。格付け機関ムーディーズがアイルランド国債の評価を投資不適格に引き下げた直後で、地元の友人は意気消沈していた。

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 今は違う。アイルランドはヨーロッパのITセンターとなり、ダブリンにはグーグル、フェイスブック、マイクロソフトなどの欧州本部がある。EUやそれ以外の地域から若者たちが大量に移り住んだダブリンは、国際色豊かな都市に生まれ変わった。

 リフィー川北岸のブロードストーン地区を歩いてみると、かつての荒廃した街並みはにぎやかなバーやカフェに姿を変えていた。大半は20代の若者(地元出身者や外国から来た人もいる)が開業した低価格の店だ。

 ケイペル・ストリートの人気店ブラザー・ハバードは値段のわりに質のいい新鮮な食材が売り。トルコ風スクランブルエッグ「メネメン」は、このためだけに訪れる価値がある。

最後の夜はギネスで乾杯

 ここを教えたくれたのは、フランス料理のブロガー兼グルメツアー・ガイドのケティ・エリザベス。彼女は「ケルトの虎」時代にダブリンに移り住んだ。当時の「食事情はひどかった」という。「ファストフードと、値段が高くてお決まりのメニューの高級料理店ばかり。今は新鮮な地元産の食べ物を手頃な値段で出す店が多い」



 以前のケイペル・ストリートは性風俗の街だったが、今では高級料理の中心地に変わりつつある。エリザベスに案内してもらったカメリーノは、ブラザー・ハバードと目と鼻の先にあるケーキとパンの店。イタリア系カナダ人のカリーナ・カメリーノが14年末にオープンした。

「最初は焼いたケーキを週末のマーケットで売っていた」と、カメリーノはカウンター越しに言った。店のケーキとパンはすべて裏の工房で焼いている。

 グルメブームは、観光産業の急激な変化の副産物だ。30年前は観光客の7割がイギリス人がだったが、今は3割に減った。

 かつてアメリカ人観光客の4分の3は友人や親戚を訪ねる人々だったが、今はアイルランドにルーツを持たないアメリカ人が大半を占める。つまり郊外の親戚の家ではなく、ダブリン市内に4万8000軒あるホテルのどこかに宿泊する人々だ。

 ダブリンの観光名所が集中するリフィー川の南に戻り、かつて製革業と毛織物業の中心地だったリバティーズ地区へ向かった。目的はジャック・ティーリングに会うことだ。

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 ダブリンの復活は本物だと確信したティーリングは昨年、市内では125年ぶりとなる新規のウイスキー蒸留所をオープンした。このティーリング・ウイスキー社は、蒸留所であると同時に観光スポットでもある。

 ティーリングによると、開業1年目の見学客は4万人。施設内にはレストランと試飲室に加え、ウイスキーと自社ブランドのTシャツ、エプロン、ママレードを販売するショップもある。

「今のダブリンの象徴になるような事業を始めたかったんだ。おしゃれでハイテクな国際都市のね」と、ティーリングは言う。

 カーニーが『スイング・ストリート』で描いた時代から、ダブリンは劇的な変化を遂げた。その様子を自分の目で確かめることは素晴らしい経験だ。

 それでもダブリン最後の夜は、エンジャー・ストリートのスワンで伝統のギネスビールを味わうことにした。ここは市内で最も古いビクトリア朝風パプの1つ。1杯のギネスは、古いダブリンもまだまだ捨てたものではないことを教えてくれる。

[2016.9. 6号掲載]
グレアム・ボイントン

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