<アメリカをアフガニスタン、イラク戦争へと引き込んだ9・11テロから15年が経過した。アメリカでは様々な形で事件が忘れられつつあるが、それとともに中東情勢への関心も失われていることは問題>(画像は今週の追悼式典で遺族が掲げた犠牲者の遺影)
今年も9月11日がやって来ました。アメリカでは「9・11テロ」から15年の節目ということもあって、11日の日曜日には、新聞やTVが大きくこの話題を取り上げました。
しかしその一方で、15年という長い年月が人の記憶を薄めていったのも事実です。全米を揺るがせたこの「9・11」という事件も、「忘れられつつある」のはある意味では避けられないのかもしれません。ですが、「忘れる」のが許されないこともあると思います。
アメリカは「9・11」で自分たちが受けた被害よりも、何倍という大きな影響を「9・11へのリアクション」として世界に投げ返しました。その余波が、今でも続いていることを考えれば、「忘れる」というのはやはり無責任だと思います。では、アメリカはどんな「忘れ方」をしていると言えるのでしょうか。
一つには、アメリカ人の感覚として「今、テロの恐怖はヨーロッパにあるのだから、そこから距離を置けばいい」という感覚が生まれているということがあります。ヨーロッパでは、パリの事件、そしてニース、あるいはブリュッセル、イスタンブールと悪質な事件が続いているので、「ヨーロッパが怖い」とか「ヨーロッパのようになっては困る」という感覚があります。
【参考記事】オバマ政権がイランへ支払った17億ドルの意図とは何か
同時に「ヨーロッパのテロは、やや他人事」という感覚もどこかにあります。例えば、2005年7月のロンドンのテロの時には感覚は違いました。アメリカは、自分のことにように驚き、怒り、恐れたように思います。ですが、その感覚は今はありません。そして、その距離感は、建国以来のアメリカに染み付いている「ヨーロッパのトラブルには巻き込まれたくない」という孤立主義の伝統とシンクロしています。
トランプが「イスラム教徒の入国禁止」などという政策を掲げるのも、それが支持される背景として「向こうで起きていることは、こっちに来ないようにすれば安心」という「距離感」と「孤立主義」から来ているように思います。そして、そうした心理の大前提として「9・11を忘れつつある」ことは否定できません。
二つ目に、キーマンの変心を挙げたいと思います。15年前のニューヨークは大変な状況でした。テロの再発があるかもしれない一方で、ダウンタウンは被災して経済は停滞、何よりも多くの不明者とその家族への対応、負傷者の治療、そして不幸にも落命した人々の葬送などが続き、日々が異常事態でした。危機管理と言うには余りにも人間臭く、そして複雑な状況が続いたのです。
その時にニューヨーク市長として見事に「仕切った」のがルディ・ジュリアーニでした。特に、この人は不明者の家族、犠牲者の遺族から「聖(セイント)ジュリアーニ」と言われるほどの尊敬を受けたのです。事実、その仕切りは実務的に素晴らしく、それゆえに傷ついた人々の琴線にも触れたのでした。
いわば「9・11の象徴」とも言えるジュリアーニ氏は、今はトランプの熱烈な支持者に転じ、今回の慰霊式典では、元市長というよりもトランプの介添え役として登場しました。そのジュリアーニ氏は、演説会では徹底的にヒラリーを攻撃するのを売り物にしており「オバマ=ヒラリーのおかげで、アメリカは史上最悪のテロ脅威に晒されている」などと怒鳴るのです。
まるで「9・11などなかったかのような」このジュリアーニ氏の口ぶりにも、やはり「忘却」という言葉が当てはまるように思います。では、どうしてジュリアーニ氏は「9・11を忘れたかのように振る舞いつつ、トランプを熱烈に支持している」のでしょうか?
ジュリアーニという人は、2008年の大統領予備選において有力視されていましたが、予備選の序盤で撤退を余儀なくされています。ニューヨーク出身として、共和党候補の中では左派とみなされていた中で、「宗教保守派」などから徹底的に攻撃されて失速したのです。
【参考記事】米大統領候補「アレッポって何?」
どんな攻撃を受けたのかというと、2つありました。一つは、ニューヨーク出身ということで「中絶容認」ではないかという非難を受けた点です。もう一つは、この人は2回離婚して3人目のジュディス夫人と結婚したばかり(入籍は9・11の後)だったのですが、そのことを「家庭破壊者」だとして追及されたのです。
この2点は「保守でなければ予備選には勝てない」という共和党内では、決定的でした。撤退時のジュリアーニ氏は実に悔しそうで、夫妻としては相当な怨念を抱えているというムードでした。
その点で、ニューヨーカーとして「中絶容認」を掲げ、「三度目の結婚」をして胸を張っているトランプが、宗教保守派を含む「共和党の本流」を叩きのめして統一候補の座を射止めたことに、この知的な政治家の奥深いところにある復讐の心理に共鳴する「何か」があるのではないかと思います。
仮にそうだとしても、その結果として「9・11」後の危機管理のキーマンであった人物から、「オバマ=ヒラリーがアメリカを史上最も危険な状態にした」というセリフが飛び出すのは、「9・11を忘れた」言動であることに間違いありません。
このように、「9・11」については、様々な「忘れられ方」が始まっています。そんな世相ですから、例えばテキサス州で「ツインタワー倒壊」をパロディにしたCMが物議を醸したりとか、ほかでもないニューヨークの「9・11慰霊公園」で式典の数日前に「バチュラー(独身最後の)パーティー」と称して「卑猥な悪ふざけ」をやった連中が摘発されたりというような事件も起きるわけです。
しかし、それ以上に罪深いのはアメリカが中東情勢一般に対して関心を失っていることです。この9月12日は、シリア内戦の停戦発効日で、ISISとアルカイダ系以外は戦闘を停止することになっているのですが、この件に関する報道は最低限のものしかありません。また、リビアの情勢も流動的になっているのですが、その報道もほとんどされていません。
もちろんイラク戦争のように、アメリカが介入することで混沌と無秩序を作りだしたことを考えると、アメリカは関与すべきではないという考え方もあるかもしれません。ですが、どう考えても地域の現状に責任があるはずのアメリカで、このように中東への関心が薄れていることは大変な問題だと思います。
今年も9月11日がやって来ました。アメリカでは「9・11テロ」から15年の節目ということもあって、11日の日曜日には、新聞やTVが大きくこの話題を取り上げました。
しかしその一方で、15年という長い年月が人の記憶を薄めていったのも事実です。全米を揺るがせたこの「9・11」という事件も、「忘れられつつある」のはある意味では避けられないのかもしれません。ですが、「忘れる」のが許されないこともあると思います。
アメリカは「9・11」で自分たちが受けた被害よりも、何倍という大きな影響を「9・11へのリアクション」として世界に投げ返しました。その余波が、今でも続いていることを考えれば、「忘れる」というのはやはり無責任だと思います。では、アメリカはどんな「忘れ方」をしていると言えるのでしょうか。
一つには、アメリカ人の感覚として「今、テロの恐怖はヨーロッパにあるのだから、そこから距離を置けばいい」という感覚が生まれているということがあります。ヨーロッパでは、パリの事件、そしてニース、あるいはブリュッセル、イスタンブールと悪質な事件が続いているので、「ヨーロッパが怖い」とか「ヨーロッパのようになっては困る」という感覚があります。
【参考記事】オバマ政権がイランへ支払った17億ドルの意図とは何か
同時に「ヨーロッパのテロは、やや他人事」という感覚もどこかにあります。例えば、2005年7月のロンドンのテロの時には感覚は違いました。アメリカは、自分のことにように驚き、怒り、恐れたように思います。ですが、その感覚は今はありません。そして、その距離感は、建国以来のアメリカに染み付いている「ヨーロッパのトラブルには巻き込まれたくない」という孤立主義の伝統とシンクロしています。
トランプが「イスラム教徒の入国禁止」などという政策を掲げるのも、それが支持される背景として「向こうで起きていることは、こっちに来ないようにすれば安心」という「距離感」と「孤立主義」から来ているように思います。そして、そうした心理の大前提として「9・11を忘れつつある」ことは否定できません。
二つ目に、キーマンの変心を挙げたいと思います。15年前のニューヨークは大変な状況でした。テロの再発があるかもしれない一方で、ダウンタウンは被災して経済は停滞、何よりも多くの不明者とその家族への対応、負傷者の治療、そして不幸にも落命した人々の葬送などが続き、日々が異常事態でした。危機管理と言うには余りにも人間臭く、そして複雑な状況が続いたのです。
その時にニューヨーク市長として見事に「仕切った」のがルディ・ジュリアーニでした。特に、この人は不明者の家族、犠牲者の遺族から「聖(セイント)ジュリアーニ」と言われるほどの尊敬を受けたのです。事実、その仕切りは実務的に素晴らしく、それゆえに傷ついた人々の琴線にも触れたのでした。
いわば「9・11の象徴」とも言えるジュリアーニ氏は、今はトランプの熱烈な支持者に転じ、今回の慰霊式典では、元市長というよりもトランプの介添え役として登場しました。そのジュリアーニ氏は、演説会では徹底的にヒラリーを攻撃するのを売り物にしており「オバマ=ヒラリーのおかげで、アメリカは史上最悪のテロ脅威に晒されている」などと怒鳴るのです。
まるで「9・11などなかったかのような」このジュリアーニ氏の口ぶりにも、やはり「忘却」という言葉が当てはまるように思います。では、どうしてジュリアーニ氏は「9・11を忘れたかのように振る舞いつつ、トランプを熱烈に支持している」のでしょうか?
ジュリアーニという人は、2008年の大統領予備選において有力視されていましたが、予備選の序盤で撤退を余儀なくされています。ニューヨーク出身として、共和党候補の中では左派とみなされていた中で、「宗教保守派」などから徹底的に攻撃されて失速したのです。
【参考記事】米大統領候補「アレッポって何?」
どんな攻撃を受けたのかというと、2つありました。一つは、ニューヨーク出身ということで「中絶容認」ではないかという非難を受けた点です。もう一つは、この人は2回離婚して3人目のジュディス夫人と結婚したばかり(入籍は9・11の後)だったのですが、そのことを「家庭破壊者」だとして追及されたのです。
この2点は「保守でなければ予備選には勝てない」という共和党内では、決定的でした。撤退時のジュリアーニ氏は実に悔しそうで、夫妻としては相当な怨念を抱えているというムードでした。
その点で、ニューヨーカーとして「中絶容認」を掲げ、「三度目の結婚」をして胸を張っているトランプが、宗教保守派を含む「共和党の本流」を叩きのめして統一候補の座を射止めたことに、この知的な政治家の奥深いところにある復讐の心理に共鳴する「何か」があるのではないかと思います。
仮にそうだとしても、その結果として「9・11」後の危機管理のキーマンであった人物から、「オバマ=ヒラリーがアメリカを史上最も危険な状態にした」というセリフが飛び出すのは、「9・11を忘れた」言動であることに間違いありません。
このように、「9・11」については、様々な「忘れられ方」が始まっています。そんな世相ですから、例えばテキサス州で「ツインタワー倒壊」をパロディにしたCMが物議を醸したりとか、ほかでもないニューヨークの「9・11慰霊公園」で式典の数日前に「バチュラー(独身最後の)パーティー」と称して「卑猥な悪ふざけ」をやった連中が摘発されたりというような事件も起きるわけです。
しかし、それ以上に罪深いのはアメリカが中東情勢一般に対して関心を失っていることです。この9月12日は、シリア内戦の停戦発効日で、ISISとアルカイダ系以外は戦闘を停止することになっているのですが、この件に関する報道は最低限のものしかありません。また、リビアの情勢も流動的になっているのですが、その報道もほとんどされていません。
もちろんイラク戦争のように、アメリカが介入することで混沌と無秩序を作りだしたことを考えると、アメリカは関与すべきではないという考え方もあるかもしれません。ですが、どう考えても地域の現状に責任があるはずのアメリカで、このように中東への関心が薄れていることは大変な問題だと思います。