<長引く経済危機で人々の不満が鬱積するなか、クレムリン公認の野党・共産党が支持を拡大している>(写真は、ソ連時代に設置され今も存続する少年少女組織ピオネール)
ヨシフ・スターリンについて語り始めると、青年の目は興奮に輝いた。
ウラジーミル・オブコフスキーは23歳。物心が付いたときには共産党の一党独裁は終焉を迎えていた。スターリン時代の人々の暮らしなど知る由もない。それでも彼は、クレムリンに再び赤旗が翻る日を夢見ている。
「ロシアがすべての栄光を手にしたのは共産主義時代だけだ」現代版コムソモール(共産主義青年同盟)のリーダーを務める彼はそう力説する。「現政権はソ連時代に築かれたあらゆる制度を破壊した」
共産主義時代への回帰を願うのは彼だけではない。ソ連崩壊から4半世紀余り。手厚い社会保障制度があったソ連時代を懐かしむ人は多く、ロシアでは今も共産主義思想はしぶとく命脈を保っている。長引く経済危機で多くの有権者が貧困層に転落するなか、今月18日の連邦下院選挙を控えて、共産党が急速に支持を伸ばしている。
【参考記事】プーチン謎の娘婿がロシア富豪番付で4位に浮上
今回の選挙に向けて、共産党が掲げるのは弱者救済だ。天然資源やたばこ・アルコール産業の国有化で財源を確保し、社会保障を拡充するという。ウラジーミル・プーチン大統領が01年に導入した13%の一律課税を撤廃して、累進課税を導入するとも公約している。
「最低賃金で働く清掃労働者とオリガルヒ(新興財閥)の税率が同じだなんてひどい話だ」と、共産党の地方議員ゲンナジー・ズブコフは息巻く。
昨年9月、東シベリアのイルクーツク州で行われた知事選決選投票で、共産党候補のセルゲイ・レフチェンコが圧勝し、ロシア政界に大きな衝撃を与えた。
12年に州知事の公選制が復活して以来、プーチンが推す与党の候補者が敗れたのはこのときが初めてだった。
ロシアの選挙では、与党の勝利を確実にするために開票作業で不正操作が行われることは日常茶飯事といわれている。だが、イルクーツクの州知事選ではレフチェンコが与党候補に大差をつけたため、ごまかしが利かなかったのだと、地元の共産党員は誇らしげに説明する。
モスクワの世論調査機関レバダセンターの調査によると、今年4月に15%だった共産党の支持率は、5月には21%に急伸した。同じく今年2月の調査では、ソ連型の計画経済に回帰すべきだと答えた人が50%を上回っている。
欧米人は、昨年凶弾に倒れたボリス・ネムツォフ元第1副首相のような民主派がプーチンを脅かす存在だと思っているが、実情はそうではなさそうだ。プーチンと与党「統一ロシア」に対抗できる政治勢力は議会第2党の共産党だと、ロシアの人々は言う。
共産党はガス抜き役?
民主派の活動家は大都市では支持をつかめても、地方の有権者には彼らのメッセージは浸透しにくい。一方、連邦予算から年間2200万ドル相当の政党交付金を受けている共産党は地方でも活動を展開できる。
例えばモスクワから約800キロ離れた沿ボルガ連邦管区マリ・エル共和国のボルシスク。貧しい共和国では2番目に大きな町だが、社会基盤の老朽化が深刻だ。道路は穴だらけ、公共施設は今にも崩れ落ちそうだ。「あれがこの町の映画館だ」と、下院選に出馬する共産党候補のアンドレイ・カルギンが黒焦げの建物を指さした。「3年前に火災が起きたんだが、資金不足で改修できないらしい」
プーチンの長期政権下でロシアは再び大国になったと与党の支持者は言うが、ボルシスクをはじめ、マリ・エルの町のたたずまいは「大国」のイメージとは程遠い。
【参考記事】トルコとロシアの新たな蜜月
「この15年ほど、ロシア各地で工場が閉鎖され、社会基盤は劣化し、住宅購入は夢のまた夢になった」と、やはり下院選に出馬するマリ・エルの共産党候補セルゲイ・カザンコフは言う。「人々は今でもソ連時代の暮らしを覚えている。国家がアパートを提供し、誰もが職に就けた。そんないい時代の記憶は簡単には色あせない」
共産党員に言わせると、今の惨状を招いたのはプーチン政権の腐敗だ。マリ・エルはロシアでは6番目に貧しい地域で、住民の平均月収は2万2000ルーブル(約3万5000円)。ボルシスクではさらに低い。「月収は5000ルーブルなのに、公共料金の請求が月1万ルーブルも来る」と、パートタイムでスポーツセンターの管理人をしている中年女性スベトラーナ(仮名)は言う。「下院選では共産党に入れる。当然だ。こんな生活で誰が与党候補を支持する気になるだろう」
このところ共産党は汚職に的を絞って政権批判を展開している。公務員の汚職はロシア経済に年間300億ドルの損失をもたらしているとも言われる。共産党はプーチンを直接批判することはないが、プーチンの側近の汚職疑惑は厳しく追及している。
「大統領の側近は特権的な立場を利用して、横領やリベートで私腹を肥やしている」と、共産党モスクワ支部の責任者バレリー・ラシュキンは怒りをあらわにする。「汚職はロシアの体内で増殖するガンのようなもので、切除しなければ命取りになる」
だが、こうした発言の本気度を疑う向きも多い。共産党中央委員会のゲンナジー・ジュガーノフ委員長が多額の政党交付金の見返りとして名目上の野党に甘んじ、人々の不満のガス抜き役に徹しているというのだ。批判派によれば、その証拠に共産党はプーチンの外交政策や市民の自由を抑圧する立法措置を熱狂的に支持している。
「偉大な英雄」を求める
「共産党は長年ゲームのルールを受け入れてきた」と、著名な政治アナリスト、ドミトリー・オレシュキンは言う。「(政権転覆に)つながらないと分かっているから、クレムリンは彼らの政府批判に目をつぶっている。プーチンは交付金を餌に彼らの首根っこを押さえ付けている」
共産党の元党員はもっと手厳しい。「共産党は張りぼてだ。ただの虚像さ」と、07年に起きた党内の大粛清で追放されたアナトリー・バラノフは吐き捨てる。「政策は絵に描いた餅で、はなから実現させる気はない」
共産党幹部はこうした批判に激しく反論する。「総選挙でも地方選挙でも、われわれは赤旗を掲げて闘い、勝利に向けて前進してきた。街頭デモも野党の中で最も活発に行っている」と、ラシュキンは主張した。
【参考記事】ロシアの新たな武力機関「国家親衛軍」はプーチンの親衛隊?
旧東欧諸国の左翼政党は冷戦後、イメージを刷新し、社会民主主義を取り入れてきた。だがロシアの共産党は企業寄りになり、ロシア正教を認めたことを除けば、旧態依然の体質を変えていない。党本部の壁や垂れ幕などにはレーニンとスターリンの肖像があふれているし、党の公式のシンボルマークはソ連時代と同じ鎌と槌(つち)だ。「スターリン、レーニンなどソ連時代の英雄の名を今後も広めていく」と、ラシュキンは言う。
この方針は今の世論の動向にマッチしているようだ。ウクライナとシリア問題をめぐってロシアと西側の緊張が高まるなか、多くのロシア人がスターリンを偉大な英雄と見なすようになった。今年の世論調査では程度の差はあれ、スターリンの強権支配を好意的に評価した回答が52%を占めた。
「ロシアには勝者が正義だということわざがある。スターリンは勝者だ。政敵ばかりか、時代にも、自分の死にも打ち勝った。だから僕らはスターリンの旗を高々と掲げるんだ」と、冒頭に紹介したオブコフスキーは言う。
ロシアは来年、ボリシェビキ革命100周年を迎える。共産党は歴史を味方に付けて一気に党勢を拡大する構えだ。取材の最後にオブコフスキーはこう断言した。「遅かれ早かれ、どんな手段を取るにせよ、共産党は必ず政権を奪還する」
[2016.9.13号掲載]
マーク・ベネッツ
ヨシフ・スターリンについて語り始めると、青年の目は興奮に輝いた。
ウラジーミル・オブコフスキーは23歳。物心が付いたときには共産党の一党独裁は終焉を迎えていた。スターリン時代の人々の暮らしなど知る由もない。それでも彼は、クレムリンに再び赤旗が翻る日を夢見ている。
「ロシアがすべての栄光を手にしたのは共産主義時代だけだ」現代版コムソモール(共産主義青年同盟)のリーダーを務める彼はそう力説する。「現政権はソ連時代に築かれたあらゆる制度を破壊した」
共産主義時代への回帰を願うのは彼だけではない。ソ連崩壊から4半世紀余り。手厚い社会保障制度があったソ連時代を懐かしむ人は多く、ロシアでは今も共産主義思想はしぶとく命脈を保っている。長引く経済危機で多くの有権者が貧困層に転落するなか、今月18日の連邦下院選挙を控えて、共産党が急速に支持を伸ばしている。
【参考記事】プーチン謎の娘婿がロシア富豪番付で4位に浮上
今回の選挙に向けて、共産党が掲げるのは弱者救済だ。天然資源やたばこ・アルコール産業の国有化で財源を確保し、社会保障を拡充するという。ウラジーミル・プーチン大統領が01年に導入した13%の一律課税を撤廃して、累進課税を導入するとも公約している。
「最低賃金で働く清掃労働者とオリガルヒ(新興財閥)の税率が同じだなんてひどい話だ」と、共産党の地方議員ゲンナジー・ズブコフは息巻く。
昨年9月、東シベリアのイルクーツク州で行われた知事選決選投票で、共産党候補のセルゲイ・レフチェンコが圧勝し、ロシア政界に大きな衝撃を与えた。
12年に州知事の公選制が復活して以来、プーチンが推す与党の候補者が敗れたのはこのときが初めてだった。
ロシアの選挙では、与党の勝利を確実にするために開票作業で不正操作が行われることは日常茶飯事といわれている。だが、イルクーツクの州知事選ではレフチェンコが与党候補に大差をつけたため、ごまかしが利かなかったのだと、地元の共産党員は誇らしげに説明する。
モスクワの世論調査機関レバダセンターの調査によると、今年4月に15%だった共産党の支持率は、5月には21%に急伸した。同じく今年2月の調査では、ソ連型の計画経済に回帰すべきだと答えた人が50%を上回っている。
欧米人は、昨年凶弾に倒れたボリス・ネムツォフ元第1副首相のような民主派がプーチンを脅かす存在だと思っているが、実情はそうではなさそうだ。プーチンと与党「統一ロシア」に対抗できる政治勢力は議会第2党の共産党だと、ロシアの人々は言う。
共産党はガス抜き役?
民主派の活動家は大都市では支持をつかめても、地方の有権者には彼らのメッセージは浸透しにくい。一方、連邦予算から年間2200万ドル相当の政党交付金を受けている共産党は地方でも活動を展開できる。
例えばモスクワから約800キロ離れた沿ボルガ連邦管区マリ・エル共和国のボルシスク。貧しい共和国では2番目に大きな町だが、社会基盤の老朽化が深刻だ。道路は穴だらけ、公共施設は今にも崩れ落ちそうだ。「あれがこの町の映画館だ」と、下院選に出馬する共産党候補のアンドレイ・カルギンが黒焦げの建物を指さした。「3年前に火災が起きたんだが、資金不足で改修できないらしい」
プーチンの長期政権下でロシアは再び大国になったと与党の支持者は言うが、ボルシスクをはじめ、マリ・エルの町のたたずまいは「大国」のイメージとは程遠い。
【参考記事】トルコとロシアの新たな蜜月
「この15年ほど、ロシア各地で工場が閉鎖され、社会基盤は劣化し、住宅購入は夢のまた夢になった」と、やはり下院選に出馬するマリ・エルの共産党候補セルゲイ・カザンコフは言う。「人々は今でもソ連時代の暮らしを覚えている。国家がアパートを提供し、誰もが職に就けた。そんないい時代の記憶は簡単には色あせない」
共産党員に言わせると、今の惨状を招いたのはプーチン政権の腐敗だ。マリ・エルはロシアでは6番目に貧しい地域で、住民の平均月収は2万2000ルーブル(約3万5000円)。ボルシスクではさらに低い。「月収は5000ルーブルなのに、公共料金の請求が月1万ルーブルも来る」と、パートタイムでスポーツセンターの管理人をしている中年女性スベトラーナ(仮名)は言う。「下院選では共産党に入れる。当然だ。こんな生活で誰が与党候補を支持する気になるだろう」
このところ共産党は汚職に的を絞って政権批判を展開している。公務員の汚職はロシア経済に年間300億ドルの損失をもたらしているとも言われる。共産党はプーチンを直接批判することはないが、プーチンの側近の汚職疑惑は厳しく追及している。
「大統領の側近は特権的な立場を利用して、横領やリベートで私腹を肥やしている」と、共産党モスクワ支部の責任者バレリー・ラシュキンは怒りをあらわにする。「汚職はロシアの体内で増殖するガンのようなもので、切除しなければ命取りになる」
だが、こうした発言の本気度を疑う向きも多い。共産党中央委員会のゲンナジー・ジュガーノフ委員長が多額の政党交付金の見返りとして名目上の野党に甘んじ、人々の不満のガス抜き役に徹しているというのだ。批判派によれば、その証拠に共産党はプーチンの外交政策や市民の自由を抑圧する立法措置を熱狂的に支持している。
「偉大な英雄」を求める
「共産党は長年ゲームのルールを受け入れてきた」と、著名な政治アナリスト、ドミトリー・オレシュキンは言う。「(政権転覆に)つながらないと分かっているから、クレムリンは彼らの政府批判に目をつぶっている。プーチンは交付金を餌に彼らの首根っこを押さえ付けている」
共産党の元党員はもっと手厳しい。「共産党は張りぼてだ。ただの虚像さ」と、07年に起きた党内の大粛清で追放されたアナトリー・バラノフは吐き捨てる。「政策は絵に描いた餅で、はなから実現させる気はない」
共産党幹部はこうした批判に激しく反論する。「総選挙でも地方選挙でも、われわれは赤旗を掲げて闘い、勝利に向けて前進してきた。街頭デモも野党の中で最も活発に行っている」と、ラシュキンは主張した。
【参考記事】ロシアの新たな武力機関「国家親衛軍」はプーチンの親衛隊?
旧東欧諸国の左翼政党は冷戦後、イメージを刷新し、社会民主主義を取り入れてきた。だがロシアの共産党は企業寄りになり、ロシア正教を認めたことを除けば、旧態依然の体質を変えていない。党本部の壁や垂れ幕などにはレーニンとスターリンの肖像があふれているし、党の公式のシンボルマークはソ連時代と同じ鎌と槌(つち)だ。「スターリン、レーニンなどソ連時代の英雄の名を今後も広めていく」と、ラシュキンは言う。
この方針は今の世論の動向にマッチしているようだ。ウクライナとシリア問題をめぐってロシアと西側の緊張が高まるなか、多くのロシア人がスターリンを偉大な英雄と見なすようになった。今年の世論調査では程度の差はあれ、スターリンの強権支配を好意的に評価した回答が52%を占めた。
「ロシアには勝者が正義だということわざがある。スターリンは勝者だ。政敵ばかりか、時代にも、自分の死にも打ち勝った。だから僕らはスターリンの旗を高々と掲げるんだ」と、冒頭に紹介したオブコフスキーは言う。
ロシアは来年、ボリシェビキ革命100周年を迎える。共産党は歴史を味方に付けて一気に党勢を拡大する構えだ。取材の最後にオブコフスキーはこう断言した。「遅かれ早かれ、どんな手段を取るにせよ、共産党は必ず政権を奪還する」
[2016.9.13号掲載]
マーク・ベネッツ