<麻薬犯罪に絡んだかもしれない容疑者の殺害を容認し、6月以来3000人を殺させたとされるフィリピンのドゥテルテ大統領は自らも政府職員を射殺していた──ドゥテルテ配下の元暗殺部隊員が証言したが、ドゥテルテ側は、殺人も暗殺部隊が存在したことも容疑者の殺害容認も否定、闇は深まる一方だ>
今年6月の就任以来、フィリピンのドゥテルテ大統領の過激な言動は国際社会でもすっかりおなじみとなった。
バラク・オバマ米大統領や駐フィリピン米大使、ローマ法王(教皇)フランシスコをフィリピン語で「くそ野郎」と侮辱し、国連からの脱退を示唆し、南部のミンダナオ島に駐留する米軍部隊には「出ていけ」と言ったのは既に有名だ。
そこへ、ドゥテルテについて知っておくべき新たな過去が暴露された。ダバオ市長時代、法務省の職員をサブマシンガンで撃ち殺した疑いが浮上したのだ。
【参考記事】アブサヤフのテロに激怒、ドゥテルテ大統領がまた殺害容認か
麻薬犯罪の一掃を掲げたドゥテルテ政権発足後、フィリピンでは3000人以上が司法手続きを経ずに殺害された。その実態を調査するために上院が開いた公聴会で15日、暗殺部隊の元隊員が証言し、1993年にドゥテルテが法務省の職員をイスラエル製短機関銃ウジで射殺したとぶちまけた。
大統領周辺は否定
証言したのはダバオ市で極秘に活動していた元暗殺隊員のエドガー・マトバトだ。彼はテレビ中継された公聴会で、ドゥテルテが関与したとする殺人の状況について語った。それによると、暗殺部隊は自分たちの通行を阻止しようとした法務省の職員らと銃撃戦になり、ジャミソラという名前の職員を負傷させた。現場に駆けつけるなり、まだ息があったジャミソラに向けて弾倉2つ分の銃弾を発射しとどめを刺したのは、当時市長だったドゥテルテだったというのだ。
「我々の任務は麻薬密売者やレイプ犯、強奪犯を殺害することだった」と述べたマトバトは、暗殺部隊の活動期間はドゥテルテが7期にわたりダバオ市長を務めた1988~2013年の間だったと明らかにした。
【参考記事】ドゥテルテ大統領下のフィリピン麻薬戦争、死者の山に口閉ざす人々
ドゥテルテの市長時代に、ダバオ市の犯罪は劇的に減った。だがそれは彼が超法規的なやり方で大量の犯罪者を殺害したからだという批判も根強い。
フィリピンのヴィタリアノ・アギレ司法大臣は、マトバトについて「明らかに嘘をついている」と批判した。
マーティン・アンダナール大統領報道官は、フィリピン政府が過去に調査した結果、暗殺部隊の存在すら確認されておらず、ドゥテルテが暗殺を容認していた事実はなかったと一蹴した。
シボーン・オグレイディ
今年6月の就任以来、フィリピンのドゥテルテ大統領の過激な言動は国際社会でもすっかりおなじみとなった。
バラク・オバマ米大統領や駐フィリピン米大使、ローマ法王(教皇)フランシスコをフィリピン語で「くそ野郎」と侮辱し、国連からの脱退を示唆し、南部のミンダナオ島に駐留する米軍部隊には「出ていけ」と言ったのは既に有名だ。
そこへ、ドゥテルテについて知っておくべき新たな過去が暴露された。ダバオ市長時代、法務省の職員をサブマシンガンで撃ち殺した疑いが浮上したのだ。
【参考記事】アブサヤフのテロに激怒、ドゥテルテ大統領がまた殺害容認か
麻薬犯罪の一掃を掲げたドゥテルテ政権発足後、フィリピンでは3000人以上が司法手続きを経ずに殺害された。その実態を調査するために上院が開いた公聴会で15日、暗殺部隊の元隊員が証言し、1993年にドゥテルテが法務省の職員をイスラエル製短機関銃ウジで射殺したとぶちまけた。
大統領周辺は否定
証言したのはダバオ市で極秘に活動していた元暗殺隊員のエドガー・マトバトだ。彼はテレビ中継された公聴会で、ドゥテルテが関与したとする殺人の状況について語った。それによると、暗殺部隊は自分たちの通行を阻止しようとした法務省の職員らと銃撃戦になり、ジャミソラという名前の職員を負傷させた。現場に駆けつけるなり、まだ息があったジャミソラに向けて弾倉2つ分の銃弾を発射しとどめを刺したのは、当時市長だったドゥテルテだったというのだ。
「我々の任務は麻薬密売者やレイプ犯、強奪犯を殺害することだった」と述べたマトバトは、暗殺部隊の活動期間はドゥテルテが7期にわたりダバオ市長を務めた1988~2013年の間だったと明らかにした。
【参考記事】ドゥテルテ大統領下のフィリピン麻薬戦争、死者の山に口閉ざす人々
ドゥテルテの市長時代に、ダバオ市の犯罪は劇的に減った。だがそれは彼が超法規的なやり方で大量の犯罪者を殺害したからだという批判も根強い。
フィリピンのヴィタリアノ・アギレ司法大臣は、マトバトについて「明らかに嘘をついている」と批判した。
マーティン・アンダナール大統領報道官は、フィリピン政府が過去に調査した結果、暗殺部隊の存在すら確認されておらず、ドゥテルテが暗殺を容認していた事実はなかったと一蹴した。
シボーン・オグレイディ