<日本に留学したり、亡命したり、情報収集のために来日したり......。中国の20世紀前半の有名人はほとんど日本へやって来ていた。歴史は単なるカレンダーではない。東京で生き生きと暮らした中国留学生たちの息遣いや、日本を追慕しつづけた彼らの「こころ」はどんなものだったのだろうか>
日本生まれの私は子供の頃、東京にある中国人学校で学んだ。よく覚えているのは歴史の授業が苦手だったことだ。とにかく中国史は長くて覚えることが多く、近代史にいたっては複雑すぎて頭がパニックになり、苦手意識をより一層募らせた。
それがふとしたきっかけで、イメージが変わった。
「中国共産党はハンサムな青年と美人ばかりだった」と、父が言ったときだ。
中国革命の激動期に広東省から日本へ渡り、そのまま日本に住み着いた父は、ときどき予想外のことを口にする。
まさか、と私は思った。
毛沢東に代表される中国共産党は、農民運動の末に中華人民共和国を打ち立てた泥臭いいイメージしかない。だが、戦前、中国共産党員だった父が言うのだから、あながち嘘ではないだろう。それで調べてみた。
わかったことは、1921年(大正10年)に第1回全国代表大会を開いて、中国共産党を作ったメンバーは13人いたが、全員が大学卒か在学中の男性で、しかも日本への留学生が4人もいたという事実だった。詳しい状況は拙著『中国共産党を作った13人』(新潮新書)に譲るとして、彼らの平均年齢は27.8歳。これではまるで大学のサークル活動のようだ。とにかく、若さと情熱、希望にあふれた人の顔つきは引き締まって見えるものだから、「ハンサムな青年」という表現もあながち間違ってはいないのだろうと、腑に落ちた。こんなことは歴史教科書には書いてないじゃないか。
彼ら4人だけではない。同時代に日本へ留学したり、亡命したり、情報収集のために来日した中国人がいるわいるわ、中国の20世紀前半の有名人はほとんど日本へやってきているのである。
【参考記事】天安門事件から27年、品性なき国民性は変わらない
明治維新の成功後、日清・日露戦争に勝利してアジアの星となった日本は、中国人の憧れの的だった。多いときには1万人近くの留学生がいた。日本の生活に馴染み、世界の先端知識と最新情報を収集し、帰国後は日本で得た成果をもとに自分の道を切り開いた中国人が多かったのである。いわば当時の日本は「智の宝庫」であり、すこぶる魅力的な国だったわけだ。
歴史は単なるカレンダーではない。年表や人名を覚えるだけでは受験勉強以外に役立たない。そこに生きた人々の「こころ」を知ることこそ、本当の意味で歴史を知ることではないのだろうか。
『帝都東京を中国革命で歩く』には古地図を多数掲載
本郷に住んだ魯迅は夏目漱石に心酔し、コンビーフが好きだった。無鉄砲な蒋介石は2度目の来日でようやく軍人教育の学校へ入学したが、辛亥革命で帰国したとき、日本陸軍の記録に「脱走兵」と記された。周恩来は神田の漢陽楼に通い詰めて空腹を満たしたが、高等学校の受験に失敗し、失意のうちに帰国した。梁啓超は14年に及ぶ亡命生活で、吉田松陰と高杉晋作を崇拝して「吉田晋」と日本名を名乗った。女傑・秋瑾はすこぶるつきの美人だった。早稲田界隈にはチャイナタウンの賑わいがあった等々。
これまで知られてこなかった歴史的発見もあった。文京区湯島の名刹・麟祥院(通称からたち寺)に佇む「中華民国留学生癸亥地震招魂碑」だ。1923年の関東大震災で亡くなった中国留学生の慰霊碑で、これまで建立の経緯が不明だったが、古い希少資料を調べてみると、日中戦争によって忘却の彼方に追いやられた日本の「誠意の象徴」だったことが判明した。
私はこうした東京各地の中国留学生の痕跡をたどって歩き、拙著『帝都東京を中国革命で歩く』(白水社)にまとめた。「早稲田、本郷、神田」の3地区に分類して詳しく紹介しており、東京で生き生きと暮らした彼らの息遣いや、終生日本を追慕しつづけた彼らの「こころ」を感じとっていただけると思う。
いつも見慣れた東京の風景も、カメラの焦点を少し絞ってみれば、まるで違う世界が広がって見えてくる。現代とは少し異なる時代感覚に触れ、少し異なる視点に立ってみれば、今はぎくしゃくしている日中関係にも、より良い未来を築くためのヒントが見つかるかもしれない。
それよりなにより、明治大正時代の古地図を眺めているだけで、帝都東京の情景を想像してロマンが広がり、日頃のストレスを忘れさせてくれるのである。
『帝都東京を中国革命で歩く』
譚璐美 著
白水社
[執筆者]
譚璐美(タン・ロミ)
作家、慶應義塾大学文学部訪問教授。東京生まれ、慶應義塾大学卒業、ニューヨーク在住。日中近代史を主なテーマに、国際政治、経済、文化など幅広く執筆。著書に『中国共産党を作った13人』、『日中百年の群像 革命いまだ成らず』(ともに新潮社)、『中国共産党 葬られた歴史』(文春新書)、『江青に妬まれた女――ファーストレディ王光美の人生』(NHK出版)、『ザッツ・ア・グッド・クエッション!――日米中、笑う経済最前線』(日本経済新聞社)、その他多数。新著は『帝都東京を中国革命で歩く』(白水社)。
譚璐美(作家、慶應義塾大学文学部訪問教授)
日本生まれの私は子供の頃、東京にある中国人学校で学んだ。よく覚えているのは歴史の授業が苦手だったことだ。とにかく中国史は長くて覚えることが多く、近代史にいたっては複雑すぎて頭がパニックになり、苦手意識をより一層募らせた。
それがふとしたきっかけで、イメージが変わった。
「中国共産党はハンサムな青年と美人ばかりだった」と、父が言ったときだ。
中国革命の激動期に広東省から日本へ渡り、そのまま日本に住み着いた父は、ときどき予想外のことを口にする。
まさか、と私は思った。
毛沢東に代表される中国共産党は、農民運動の末に中華人民共和国を打ち立てた泥臭いいイメージしかない。だが、戦前、中国共産党員だった父が言うのだから、あながち嘘ではないだろう。それで調べてみた。
わかったことは、1921年(大正10年)に第1回全国代表大会を開いて、中国共産党を作ったメンバーは13人いたが、全員が大学卒か在学中の男性で、しかも日本への留学生が4人もいたという事実だった。詳しい状況は拙著『中国共産党を作った13人』(新潮新書)に譲るとして、彼らの平均年齢は27.8歳。これではまるで大学のサークル活動のようだ。とにかく、若さと情熱、希望にあふれた人の顔つきは引き締まって見えるものだから、「ハンサムな青年」という表現もあながち間違ってはいないのだろうと、腑に落ちた。こんなことは歴史教科書には書いてないじゃないか。
彼ら4人だけではない。同時代に日本へ留学したり、亡命したり、情報収集のために来日した中国人がいるわいるわ、中国の20世紀前半の有名人はほとんど日本へやってきているのである。
【参考記事】天安門事件から27年、品性なき国民性は変わらない
明治維新の成功後、日清・日露戦争に勝利してアジアの星となった日本は、中国人の憧れの的だった。多いときには1万人近くの留学生がいた。日本の生活に馴染み、世界の先端知識と最新情報を収集し、帰国後は日本で得た成果をもとに自分の道を切り開いた中国人が多かったのである。いわば当時の日本は「智の宝庫」であり、すこぶる魅力的な国だったわけだ。
歴史は単なるカレンダーではない。年表や人名を覚えるだけでは受験勉強以外に役立たない。そこに生きた人々の「こころ」を知ることこそ、本当の意味で歴史を知ることではないのだろうか。
『帝都東京を中国革命で歩く』には古地図を多数掲載
本郷に住んだ魯迅は夏目漱石に心酔し、コンビーフが好きだった。無鉄砲な蒋介石は2度目の来日でようやく軍人教育の学校へ入学したが、辛亥革命で帰国したとき、日本陸軍の記録に「脱走兵」と記された。周恩来は神田の漢陽楼に通い詰めて空腹を満たしたが、高等学校の受験に失敗し、失意のうちに帰国した。梁啓超は14年に及ぶ亡命生活で、吉田松陰と高杉晋作を崇拝して「吉田晋」と日本名を名乗った。女傑・秋瑾はすこぶるつきの美人だった。早稲田界隈にはチャイナタウンの賑わいがあった等々。
これまで知られてこなかった歴史的発見もあった。文京区湯島の名刹・麟祥院(通称からたち寺)に佇む「中華民国留学生癸亥地震招魂碑」だ。1923年の関東大震災で亡くなった中国留学生の慰霊碑で、これまで建立の経緯が不明だったが、古い希少資料を調べてみると、日中戦争によって忘却の彼方に追いやられた日本の「誠意の象徴」だったことが判明した。
私はこうした東京各地の中国留学生の痕跡をたどって歩き、拙著『帝都東京を中国革命で歩く』(白水社)にまとめた。「早稲田、本郷、神田」の3地区に分類して詳しく紹介しており、東京で生き生きと暮らした彼らの息遣いや、終生日本を追慕しつづけた彼らの「こころ」を感じとっていただけると思う。
いつも見慣れた東京の風景も、カメラの焦点を少し絞ってみれば、まるで違う世界が広がって見えてくる。現代とは少し異なる時代感覚に触れ、少し異なる視点に立ってみれば、今はぎくしゃくしている日中関係にも、より良い未来を築くためのヒントが見つかるかもしれない。
それよりなにより、明治大正時代の古地図を眺めているだけで、帝都東京の情景を想像してロマンが広がり、日頃のストレスを忘れさせてくれるのである。
『帝都東京を中国革命で歩く』
譚璐美 著
白水社
[執筆者]
譚璐美(タン・ロミ)
作家、慶應義塾大学文学部訪問教授。東京生まれ、慶應義塾大学卒業、ニューヨーク在住。日中近代史を主なテーマに、国際政治、経済、文化など幅広く執筆。著書に『中国共産党を作った13人』、『日中百年の群像 革命いまだ成らず』(ともに新潮社)、『中国共産党 葬られた歴史』(文春新書)、『江青に妬まれた女――ファーストレディ王光美の人生』(NHK出版)、『ザッツ・ア・グッド・クエッション!――日米中、笑う経済最前線』(日本経済新聞社)、その他多数。新著は『帝都東京を中国革命で歩く』(白水社)。
譚璐美(作家、慶應義塾大学文学部訪問教授)