<中国が積極的に国内外のメディアに情報発信をし、国際世論の形成に力を注ぎ始めているのに対し、日本の広報外交はあまりに閉鎖的。国際会議などのニュースの現場で外国プレスに発信しようという戦略がまったくないが、果たしてそれでよいのか。南シナ海問題でも、日本の外交は思い通りにいっていない> (写真:岸田外相〔左〕と中国の王毅外相、8月24日)
筆者は中国メディアのスタッフやシンガポールで研究員として働くにあたり、日本の広報について考えさせられることが多かった。先日、外国プレスの一員として向かったラオスの首都ビエンチャンで改めてこの国の広報戦略再考の必要性を感じた。
7月下旬に開かれたASEAN関係外相会議の1日目夜、日本の外務省が会見を行うと聞いていたので、予定の時間より早く会見室へ向かった。日本に対する注目度を考えるとそれほど驚きではないが、部屋の中には誰もいなかった。同じ日の午後に中国の王毅外相が開いた記者会見とは非常に対照的だった。
お昼過ぎ、この小さな部屋は、中国人記者のみならず、日本や他のアジアの国々、そして欧米から駆けつけた100人近くの記者やカメラマンでごった返していた。中英の通訳と華春瑩報道官を引き連れて現れた王毅は、中国メディアからの当たり障りのない質問にも、欧米メディア記者の鋭い質問にも丁寧に答え、語られた言葉はすぐに世界へ発信されていった。
【参考記事】対中強硬派のベトナムがASEAN諸国を結束させられない理由
夜の話に戻す。それから間も無くして、日本の駐ブルネイ大使館から応援でビエンチャン入りした外務省職員がやってきた。これまでに広報の経験がないとのことで、「プレスセンターはいつ閉まるのか」「他にどれくらい記者が参加しそうか」などと質問してきた。そして、会見を行う予定の報道官と電話でやりとりを重ねていた。
いつまで待っても、記者会見をやるという目処が立たないので、その担当者に名刺を渡し――彼女はもしものときには電子メールでのやりとりが可能だと示唆していた――会見室を後にした。今夜開くにしても開かないにしても、2日目の夜には会見を開くという見通しを伝えてきたので、安心しきっていた。
だが、2日目の夜、同じ時間に会見室に行くとドアに鍵がかかっていた。彼女に電話してみると、今日の会見も中止になり、ブリーフィングができる報道官はすでにビエンチャンを発った、と話す。この対応はいかがなものかと問うと、丁重に謝罪してきたが、「予定ですので」の一点張りで、メールや電話など別の形でのブリーフィングについても無理だという回答だった。
つまり、日本は今回のビエンチャンでの会議で外国プレスに対して全く発信をしていないということだ。1日目の会見場には、日本語ができる外国人記者を含めた3人の記者が最終的に現れていたが、彼らが日本の声を詳しく伝えることはなかっただろう。一方、近年、対外情報発信を重視しはじめた中国は、国際会議参加の際、国内・海外メディア向けに、翻訳付きで記者会見を行うことが慣例となっている。
日本の外務省は国内メディアに対しては細やかに日本語でブリーフィングや記者会見を行っている。しかし、海外メディアに対しては、今回のビエンチャンでの会議のような国際会議において「おまけ」のような対応に終始している。海外プレスについては、むしろ個別インタビューに積極的に応じ、重要だと考えられる海外メディアの記者とは直接会って説明をする方針だという。
南シナ海問題で「ダチョウ倶楽部の上島状態」に
国際会議に参加する中国の高官が率直な意見を話すことはなく、むしろ党の立場を繰り返すことが多い。ただ、ある日本の中国政治学者が言っていたように、中国側が出してくる情報は「プロパガンダだといって馬鹿にできない」十分な効果があり、国際世論の形成に一役買っている。果たして、国際会議で沈黙を守ることは日本にとってよいことなのだろうか?
広報担当の経験がある外務省の職員にこの質問をぶつけてみた。彼の回答は「日本は一貫性を重視しており、手堅くやっている。中国は政府高官が別々のことをいうことで混乱がおきやすい」というものだった。また、外国プレスへの対応を変える必要性も特に感じていないようだった。王毅が記者会見で中国の人権問題を問うたカナダ人記者に激高したのは記憶に新しく、中国のやり方が完璧ではないのは確かだろう。
いずれにせよ、南シナ海をめぐる日本の外交は一筋縄ではいっていない。日米のメディアですら、この時の国際会議を中国の外交的勝利と位置づけている。王毅外相は全体会合の前に、東南アジア各国と相次いで2国間会合を開き、南シナ海問題が大きく取り上げられることを避けようとした。会合が終わるたびに国内外のメディアに向けて成果をアピールし、うまく外堀りを埋めてきているように感じた。
それに比べて、フィリピンが中国を訴えた仲裁裁判での判決を背景に、中国に結果の遵守を迫った日本は、フィリピンが新大統領のもとで態度を軟化させたことで、結果的にその主張が当事者国のそれよりも強硬となり、やや浮いた存在だった。それがたとえ東シナ海での領土領海を守るために言わずにはいられないものだったとしても。
会議の内容をよく知るある日本の外交官は、「ダチョウ倶楽部の上島状態だった」と振り返る。事前に周辺海洋諸国と南シナ海問題を取り上げることについて確認していたが、全体会議になると手を挙げたのは日本くらいしかいなかったという意味だ。こういった経緯もあり、続いて中国・杭州で開催されたG20で日本の南シナ海についての立場はトーンダウンした。
【参考記事】ルポ:南シナ海の島に上陸したフィリピンの愛国青年たち
実際、日本の東南アジアでの広報活動は順調満帆ではない。判決を受け、外務省は今夏シンガポールで南シナ海をテーマにしたシンポジウムを開こうとしていたが、実現に至らなかった。そのイベントはこの地域で対中の警戒感を醸成することが目的だったという。フィリピンやインドネシアなどの国では現地の学者に頼み込むなどして同様のシンポジウムを開くのは容易だったが、シンガポールでは話が違った。
それもそのはずだ。国際政治のシンポジウムやセミナーが毎日のように開かれるシンガポールは、外交官や学者が頻繁に訪れるアジアで屈指の情報交換の場になっている。中心的役割を果たす拠点――S.ラジャラトナム国際研究院(RSIS)、東南アジア研究所(ISEAS)やリー・クアンユー公共政策大学院(LKYSPP)など――には数多くの中国人研究者が在籍している。
筆者は2014年にLKYSPPで研究職について以降、日本の政策決定者や学者を招待し、講演を行ってもらえるよう努力した。「日本の存在感がなくなってきている」(日本の元駐シンガポール大使)なかで、日本の声を届けたいと思ったからだ。提案の結果、中尾武彦ADB(アジア開発銀行)総裁や根本洋一 AMRO(ASEAN+3マクロ経済調査事務局)所長(当時)らに来校していただくことができた。
反日デモの最中に「マリモ」からは改善しているが
それ以前、中国メディアのスタッフとして北京で働いていた時代を振り返ってみても、日本大使館の広報方針に疑問を感じることが多かった。2011 年、当時の前原外務大臣がインタビューに応じたメディアは詭弁でナショナリズムを煽ることで有名な、あの『環球時報』だった。その頃、文化広報担当の公使になぜ『環球時報』だったのかと問うと、「それは簡単。『環球時報』は国際問題を専門に扱う新聞だから」と答えられ、唖然とした。
2009年には、すでにオバマ大統領がリベラル系総合誌『南方週末』の独占インタビューに応じている。アメリカは、中国で知識人層に支持されるメディアに積極的に出ていくことの意義を熟知し、独自のコネクションを築いていた。日本は、前出の大臣インタビューからしばらくしてようやく、メディアを選別して露出していくことの重要性に気づき、広報方針をシフトさせていった。
もっとうまい広報の仕方があるのに、とよく思った。2012年の反日デモ以降、日本の要人が少しずつ訪中し始め、関係改善のために動いていた。特に記憶に残っているのが2013年1月に安部首相の親書を携えて公明党の山口代表が北京を訪れた時の光景だ。その日、日本人記者から情報を聞きつけて(通常こうした情報は日本メディアにしか伝わらない)、中国メディアの記者が駆けつけていた。その中にいたフェニックステレビの記者は日本語がわからないので、山口氏の話していることが全くわからなかった。筆者が中国語に訳すのを手伝ってようやく事なきを得た。
大使館の広報担当書記官も会見場に来ていたが、まったく見て見ぬふり。日本について外国メディアに発信してもらおうという戦略的感覚はゼロだ。その体制も整っていないのだろう。例えば、せめて英語の通訳をつけたり、大使館ウェブサイトで会見内容を出したりすれば、いい加減な中国メディアの「誤報」を減らせただろうし、雰囲気醸成に役に立っていただろう。
反日デモの波が中国全土で吹き荒れるなか、在中国日本大使館が呑気にもその微博アカウントでマリモについてつぶやいていた話は駐中国日本人の間でも語り草になっている。当時微博を担当していた館員は、人員が足らないことをぼやいていた。微博に添付する写真はいちいち掲載許可を得なければならなくて大変そうだった。「今は日本の文化を紹介する段階で、ゆくゆくは日中関係についても発信していきたい」と当時の広報担当参事官が語っていたことを思い出す。
その言葉は本当だった。先月11日の朝、尖閣沖で中国漁船が沈没、中国人乗員が救助された件で、中国のメディアがなかなか熱心に伝えようとしないなか、日本大使館は微博と微信のオフィシャルアカウントの両方で、写真付きですぐさまこの件について伝えていた。これは大使館の独自の判断だったということだ。こうした努力は褒められなければならない。
歴史問題などの白熱化を受け、外務省は2015年以降、戦略的に海外へ発信するための予算を200億円から700億円に増額した。シンクタンクとの関係強化、学者招聘、ジャパン・ハウス(日本の魅力を発信することを目的とした海外拠点事業)、青少年交流などに使われているという。
安倍政権になって確かに、外国への訪問が頻繁になり、スピーチライターの谷口智彦氏の活躍により安部首相の海外での演説もずっと印象的なものに変わってきたと感じる。
しかし、海外メディアへの対応について、メディアの時勢を先読みし、相手国の状況に応じて、柔軟に、そして主体的に情報発信を送ることについては、改善点が多いのではないだろうか。日本が「普通の国」になり、難しい問題で合意形成を進めていくためには広報戦略のさらなる強化が必要になってくる。
[筆者]
舛友雄大
2014年から2016年まで、シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院アジア・グローバリゼーション研究所研究員。カリフォルニア大学サンディエゴ校で国際関係学修士号取得後、調査報道を得意とする中国の財新メディアで北東アジアを中心とする国際ニュースを担当し、中国語で記事を執筆。今の研究対象は中国と東南アジアとの関係、アジア太平洋地域のマクロ金融など。これまでに、『東洋経済』、『ザ・ストレイツタイムズ』、『ニッケイ・アジア・レビュー』など多数のメディアに記事を寄稿してきた。
舛友雄大(アジア・ウォッチャー)
筆者は中国メディアのスタッフやシンガポールで研究員として働くにあたり、日本の広報について考えさせられることが多かった。先日、外国プレスの一員として向かったラオスの首都ビエンチャンで改めてこの国の広報戦略再考の必要性を感じた。
7月下旬に開かれたASEAN関係外相会議の1日目夜、日本の外務省が会見を行うと聞いていたので、予定の時間より早く会見室へ向かった。日本に対する注目度を考えるとそれほど驚きではないが、部屋の中には誰もいなかった。同じ日の午後に中国の王毅外相が開いた記者会見とは非常に対照的だった。
お昼過ぎ、この小さな部屋は、中国人記者のみならず、日本や他のアジアの国々、そして欧米から駆けつけた100人近くの記者やカメラマンでごった返していた。中英の通訳と華春瑩報道官を引き連れて現れた王毅は、中国メディアからの当たり障りのない質問にも、欧米メディア記者の鋭い質問にも丁寧に答え、語られた言葉はすぐに世界へ発信されていった。
【参考記事】対中強硬派のベトナムがASEAN諸国を結束させられない理由
夜の話に戻す。それから間も無くして、日本の駐ブルネイ大使館から応援でビエンチャン入りした外務省職員がやってきた。これまでに広報の経験がないとのことで、「プレスセンターはいつ閉まるのか」「他にどれくらい記者が参加しそうか」などと質問してきた。そして、会見を行う予定の報道官と電話でやりとりを重ねていた。
いつまで待っても、記者会見をやるという目処が立たないので、その担当者に名刺を渡し――彼女はもしものときには電子メールでのやりとりが可能だと示唆していた――会見室を後にした。今夜開くにしても開かないにしても、2日目の夜には会見を開くという見通しを伝えてきたので、安心しきっていた。
だが、2日目の夜、同じ時間に会見室に行くとドアに鍵がかかっていた。彼女に電話してみると、今日の会見も中止になり、ブリーフィングができる報道官はすでにビエンチャンを発った、と話す。この対応はいかがなものかと問うと、丁重に謝罪してきたが、「予定ですので」の一点張りで、メールや電話など別の形でのブリーフィングについても無理だという回答だった。
つまり、日本は今回のビエンチャンでの会議で外国プレスに対して全く発信をしていないということだ。1日目の会見場には、日本語ができる外国人記者を含めた3人の記者が最終的に現れていたが、彼らが日本の声を詳しく伝えることはなかっただろう。一方、近年、対外情報発信を重視しはじめた中国は、国際会議参加の際、国内・海外メディア向けに、翻訳付きで記者会見を行うことが慣例となっている。
日本の外務省は国内メディアに対しては細やかに日本語でブリーフィングや記者会見を行っている。しかし、海外メディアに対しては、今回のビエンチャンでの会議のような国際会議において「おまけ」のような対応に終始している。海外プレスについては、むしろ個別インタビューに積極的に応じ、重要だと考えられる海外メディアの記者とは直接会って説明をする方針だという。
南シナ海問題で「ダチョウ倶楽部の上島状態」に
国際会議に参加する中国の高官が率直な意見を話すことはなく、むしろ党の立場を繰り返すことが多い。ただ、ある日本の中国政治学者が言っていたように、中国側が出してくる情報は「プロパガンダだといって馬鹿にできない」十分な効果があり、国際世論の形成に一役買っている。果たして、国際会議で沈黙を守ることは日本にとってよいことなのだろうか?
広報担当の経験がある外務省の職員にこの質問をぶつけてみた。彼の回答は「日本は一貫性を重視しており、手堅くやっている。中国は政府高官が別々のことをいうことで混乱がおきやすい」というものだった。また、外国プレスへの対応を変える必要性も特に感じていないようだった。王毅が記者会見で中国の人権問題を問うたカナダ人記者に激高したのは記憶に新しく、中国のやり方が完璧ではないのは確かだろう。
いずれにせよ、南シナ海をめぐる日本の外交は一筋縄ではいっていない。日米のメディアですら、この時の国際会議を中国の外交的勝利と位置づけている。王毅外相は全体会合の前に、東南アジア各国と相次いで2国間会合を開き、南シナ海問題が大きく取り上げられることを避けようとした。会合が終わるたびに国内外のメディアに向けて成果をアピールし、うまく外堀りを埋めてきているように感じた。
それに比べて、フィリピンが中国を訴えた仲裁裁判での判決を背景に、中国に結果の遵守を迫った日本は、フィリピンが新大統領のもとで態度を軟化させたことで、結果的にその主張が当事者国のそれよりも強硬となり、やや浮いた存在だった。それがたとえ東シナ海での領土領海を守るために言わずにはいられないものだったとしても。
会議の内容をよく知るある日本の外交官は、「ダチョウ倶楽部の上島状態だった」と振り返る。事前に周辺海洋諸国と南シナ海問題を取り上げることについて確認していたが、全体会議になると手を挙げたのは日本くらいしかいなかったという意味だ。こういった経緯もあり、続いて中国・杭州で開催されたG20で日本の南シナ海についての立場はトーンダウンした。
【参考記事】ルポ:南シナ海の島に上陸したフィリピンの愛国青年たち
実際、日本の東南アジアでの広報活動は順調満帆ではない。判決を受け、外務省は今夏シンガポールで南シナ海をテーマにしたシンポジウムを開こうとしていたが、実現に至らなかった。そのイベントはこの地域で対中の警戒感を醸成することが目的だったという。フィリピンやインドネシアなどの国では現地の学者に頼み込むなどして同様のシンポジウムを開くのは容易だったが、シンガポールでは話が違った。
それもそのはずだ。国際政治のシンポジウムやセミナーが毎日のように開かれるシンガポールは、外交官や学者が頻繁に訪れるアジアで屈指の情報交換の場になっている。中心的役割を果たす拠点――S.ラジャラトナム国際研究院(RSIS)、東南アジア研究所(ISEAS)やリー・クアンユー公共政策大学院(LKYSPP)など――には数多くの中国人研究者が在籍している。
筆者は2014年にLKYSPPで研究職について以降、日本の政策決定者や学者を招待し、講演を行ってもらえるよう努力した。「日本の存在感がなくなってきている」(日本の元駐シンガポール大使)なかで、日本の声を届けたいと思ったからだ。提案の結果、中尾武彦ADB(アジア開発銀行)総裁や根本洋一 AMRO(ASEAN+3マクロ経済調査事務局)所長(当時)らに来校していただくことができた。
反日デモの最中に「マリモ」からは改善しているが
それ以前、中国メディアのスタッフとして北京で働いていた時代を振り返ってみても、日本大使館の広報方針に疑問を感じることが多かった。2011 年、当時の前原外務大臣がインタビューに応じたメディアは詭弁でナショナリズムを煽ることで有名な、あの『環球時報』だった。その頃、文化広報担当の公使になぜ『環球時報』だったのかと問うと、「それは簡単。『環球時報』は国際問題を専門に扱う新聞だから」と答えられ、唖然とした。
2009年には、すでにオバマ大統領がリベラル系総合誌『南方週末』の独占インタビューに応じている。アメリカは、中国で知識人層に支持されるメディアに積極的に出ていくことの意義を熟知し、独自のコネクションを築いていた。日本は、前出の大臣インタビューからしばらくしてようやく、メディアを選別して露出していくことの重要性に気づき、広報方針をシフトさせていった。
もっとうまい広報の仕方があるのに、とよく思った。2012年の反日デモ以降、日本の要人が少しずつ訪中し始め、関係改善のために動いていた。特に記憶に残っているのが2013年1月に安部首相の親書を携えて公明党の山口代表が北京を訪れた時の光景だ。その日、日本人記者から情報を聞きつけて(通常こうした情報は日本メディアにしか伝わらない)、中国メディアの記者が駆けつけていた。その中にいたフェニックステレビの記者は日本語がわからないので、山口氏の話していることが全くわからなかった。筆者が中国語に訳すのを手伝ってようやく事なきを得た。
大使館の広報担当書記官も会見場に来ていたが、まったく見て見ぬふり。日本について外国メディアに発信してもらおうという戦略的感覚はゼロだ。その体制も整っていないのだろう。例えば、せめて英語の通訳をつけたり、大使館ウェブサイトで会見内容を出したりすれば、いい加減な中国メディアの「誤報」を減らせただろうし、雰囲気醸成に役に立っていただろう。
反日デモの波が中国全土で吹き荒れるなか、在中国日本大使館が呑気にもその微博アカウントでマリモについてつぶやいていた話は駐中国日本人の間でも語り草になっている。当時微博を担当していた館員は、人員が足らないことをぼやいていた。微博に添付する写真はいちいち掲載許可を得なければならなくて大変そうだった。「今は日本の文化を紹介する段階で、ゆくゆくは日中関係についても発信していきたい」と当時の広報担当参事官が語っていたことを思い出す。
その言葉は本当だった。先月11日の朝、尖閣沖で中国漁船が沈没、中国人乗員が救助された件で、中国のメディアがなかなか熱心に伝えようとしないなか、日本大使館は微博と微信のオフィシャルアカウントの両方で、写真付きですぐさまこの件について伝えていた。これは大使館の独自の判断だったということだ。こうした努力は褒められなければならない。
歴史問題などの白熱化を受け、外務省は2015年以降、戦略的に海外へ発信するための予算を200億円から700億円に増額した。シンクタンクとの関係強化、学者招聘、ジャパン・ハウス(日本の魅力を発信することを目的とした海外拠点事業)、青少年交流などに使われているという。
安倍政権になって確かに、外国への訪問が頻繁になり、スピーチライターの谷口智彦氏の活躍により安部首相の海外での演説もずっと印象的なものに変わってきたと感じる。
しかし、海外メディアへの対応について、メディアの時勢を先読みし、相手国の状況に応じて、柔軟に、そして主体的に情報発信を送ることについては、改善点が多いのではないだろうか。日本が「普通の国」になり、難しい問題で合意形成を進めていくためには広報戦略のさらなる強化が必要になってくる。
[筆者]
舛友雄大
2014年から2016年まで、シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院アジア・グローバリゼーション研究所研究員。カリフォルニア大学サンディエゴ校で国際関係学修士号取得後、調査報道を得意とする中国の財新メディアで北東アジアを中心とする国際ニュースを担当し、中国語で記事を執筆。今の研究対象は中国と東南アジアとの関係、アジア太平洋地域のマクロ金融など。これまでに、『東洋経済』、『ザ・ストレイツタイムズ』、『ニッケイ・アジア・レビュー』など多数のメディアに記事を寄稿してきた。
舛友雄大(アジア・ウォッチャー)