<第1回テレビ討論は、トランプの政見を徹底的に叩いたヒラリーが圧勝したように見える。しかしヒラリー自身も、具体的な経済政策はアピールできておらず、現状に不満を抱える層の動向は依然として読み切れない>
米大統領選の第1回テレビ討論は、東部時間の26日午後9時に始まった。まず、登場した両候補の格好に驚かされた。下馬評では「赤」と予想されていたトランプのネクタイの色が「青」、そして白か水色あたりで来ると思われていたヒラリーのパンツスーツは「赤」だったのだ。
アメリカでは、「青」は民主党のカラー、「赤」は共和党のカラーということに一応なっていて、その延長で漠然と「青は穏健的、赤は攻撃的」という受け止め方をされることが多い。そして、トランプという人はこの選挙戦を「赤いネクタイ」で戦い、予備選を勝ち抜いてきたのだ。また、ヒラリー陣営のポスターなどの色は、青で統一されている。
それが今回は正反対になっていた。そこには「中道から左寄りの視聴者を意識して、あえて赤を外してマイルドなイメージに振った」トランプと、「勝負に出た」ヒラリーという勢いの違いが感じられた。多くの視聴者もそう思っただろう。
【参考記事】米テレビ討論、クリントン「二重の負担」で不利
そして、実際に1時間40分の討論についていえば、ヒラリーが圧倒した形になった。序盤戦こそ、トランプはいつもの「悪ガキ口調」で茶々を入れたり、居直ったりしてヒラリーに対抗していたが、途中からはズルズルとリングサイドに追い込まれる局面が多くなっていった。
いくつか決定的な瞬間を数えることができるが、例えば司会のレスター・ホルト(NBCキャスター、アフリカ系の穏健派)がトランプの「毎年の確定申告書(タックス・リターン)の公開」を迫った際に、トランプは「ヒラリーが消去したメールを公開するなら、自分も公開してもいい」と口を滑らせた瞬間がある。
これに対して、ヒラリーは「個人のメールサーバを利用したのは誤りだった」とスパッと謝った上で、「確定申告書を公開したくないというのは、収入が余りにも少なくて恥ずかしいか、寄付をケチっているか、あるいは実は一銭も税金を払っていないことを隠したいかだろう」と突っ込んで「一本」を取っている。
さらに、「イラク戦争に関しては当初は賛成だったのでは?」とホルトから突っ込まれたトランプは、「あれはハワード・スターンの番組だったから」と下ネタ系に強いDJ相手の発言だから不問にしてくれと言わんばかりの狼狽を見せて「自爆」してしまった。
またトランプは、「大統領職にはスタミナが大事」だと繰り返し、ヒラリーにはそれがないと批判したが、実際はこの討論の後半部分で、トランプはかなり「スタミナ切れ」の印象を与えたことは否めない。これに対してヒラリーは、終始堂々と受け答えをし、スタミナだけでなく、余裕の微笑みを浮かべて、トランプを突き放していたと言っていいだろう。
トランプは、トレードマークの「日本叩き」を今回の討論の中でも繰り出し、「自動車をガンガン輸出するくせに、防衛費を払わない」などという嘘八百を並べていたが、まったくインパクトはなかった。それどころか、「日本と韓国に核武装を許す」とした過去の発言を取り上げられて、ヒラリーに「無謀な核戦略は極めて危険」と徹底的に叩かれた。
どうしてここまでの差がついたのだろうか?
おそらくは作戦の問題だと考えられる。トランプ陣営は、これまでは「コアのファン」を中心に好き勝手なことを吠える選挙戦を進めてきた。だが、今回のテレビ討論にあたっては「もしかしたら反トランプかもしれない巨大な中道層」に対して好印象を与えようと、「大統領候補らしい品格」を出そうとしたのではないだろうか。
【参考記事】トランプ当選の可能性はもうゼロではない
例えば、支持者集会では「嘘つきヒラリー」と散々罵倒してきた相手に対して、今回は「前国務長官」であるヒラリーに敬意を払って「クリントン長官」という呼びかけで通していたし、いつもの「罵倒口調」は影を潜めていた。「青のネクタイ」が象徴するように、とにかく「品格」を気にかけていた。それが空回りした印象がある。
一方のヒラリーの戦術は徹底していた。「売られた喧嘩は買う」というスタイルだ。ヒラリーはトランプのことを「ドナルド」と親しげに呼んで、じっくり話を聞くスタイルを取ってはいた。しかし、「言いたいだけ言わせ」た後で、トランプが5つのホラ話をしたのであれば、「おやまあ」と呆れた表情を見せ、5つ全部ではなく2つか3つに絞って辛辣に間違いを指摘する、そんな「喧嘩の買い方」をしていた。
このアプローチは成功しており、1時間40分の長丁場の中で、ヒラリーの受け答えはほぼ完璧に近かった。最後の最後にトランプが「仮にヒラリーが当選したら、全面的に支持する」という発言をしたのはまったく意味不明で、もしかしたら「好人物を印象づけるために準備していた」のかもしれないが、見方によっては「敗北宣言」にも聞こえた。それ位に今回の討論は「勝負あった」と言えるだろう。
では、これでヒラリーが再び勢いをつけて、8月初旬に言われていたような「地滑り的勝利」へ向けて選挙戦をリードできるのだろうか?
そう単純には行かないだろう。
一つには、ヒラリーの経済政策が十分に説明されていないという問題がある。今回のテレビ討論で、ヒラリーはトランプの経済政策について、「富裕層減税を実施して、社会にトリクル・ダウンを起こす」だけでは成長も雇用増も期待できないとバッサリ批判したが、自分の経済政策に関しては「再生エネルギーを巨大産業に」などという抽象論ばかりで要領を得なかった。
とりあえず民主党のコアの支持層向けには、それで許されるのかもしれないが、仮に投票日までの間に景気の不透明感が増していくようだと、こうした「のらりくらり」した姿勢では失速しかねない。自分のマニフェストに書いている「21世紀型のグローバル経済を勝ち抜いていくアメリカ」のビジョンをしっかりアピールすることが求められる。
もう一つの問題点は、「知的労働以外は尊敬されなくなった」アメリカ社会の中で、不満を抱えてトランプに期待を寄せる層は確実に存在する。仮に今回の討論の結果として、支持率のトレンドがヒラリー優位に変わったとしても、この現状不満層のエネルギーが消えるわけではない。残りの選挙戦の中で、その現状不満層の動向はまだまだ予断を許さない。
今回のテレビ討論におけるヒラリー「先勝」の結果が、どのように各州の世論調査に反映するかが注目される。ここまで差のついた討論の場合、従来の選挙戦であれば世論調査に鮮明なかたちで影響が出るのだが、今回のような特殊な選挙戦の場合はどうなるか、まずは慎重に見極めたい。
<ニューストピックス:【2016米大統領選】最新現地リポート>
≪筆者・冷泉彰彦氏の連載コラム「プリンストン発 日本/アメリカ新時代」≫
冷泉彰彦(在米ジャーナリスト)
米大統領選の第1回テレビ討論は、東部時間の26日午後9時に始まった。まず、登場した両候補の格好に驚かされた。下馬評では「赤」と予想されていたトランプのネクタイの色が「青」、そして白か水色あたりで来ると思われていたヒラリーのパンツスーツは「赤」だったのだ。
アメリカでは、「青」は民主党のカラー、「赤」は共和党のカラーということに一応なっていて、その延長で漠然と「青は穏健的、赤は攻撃的」という受け止め方をされることが多い。そして、トランプという人はこの選挙戦を「赤いネクタイ」で戦い、予備選を勝ち抜いてきたのだ。また、ヒラリー陣営のポスターなどの色は、青で統一されている。
それが今回は正反対になっていた。そこには「中道から左寄りの視聴者を意識して、あえて赤を外してマイルドなイメージに振った」トランプと、「勝負に出た」ヒラリーという勢いの違いが感じられた。多くの視聴者もそう思っただろう。
【参考記事】米テレビ討論、クリントン「二重の負担」で不利
そして、実際に1時間40分の討論についていえば、ヒラリーが圧倒した形になった。序盤戦こそ、トランプはいつもの「悪ガキ口調」で茶々を入れたり、居直ったりしてヒラリーに対抗していたが、途中からはズルズルとリングサイドに追い込まれる局面が多くなっていった。
いくつか決定的な瞬間を数えることができるが、例えば司会のレスター・ホルト(NBCキャスター、アフリカ系の穏健派)がトランプの「毎年の確定申告書(タックス・リターン)の公開」を迫った際に、トランプは「ヒラリーが消去したメールを公開するなら、自分も公開してもいい」と口を滑らせた瞬間がある。
これに対して、ヒラリーは「個人のメールサーバを利用したのは誤りだった」とスパッと謝った上で、「確定申告書を公開したくないというのは、収入が余りにも少なくて恥ずかしいか、寄付をケチっているか、あるいは実は一銭も税金を払っていないことを隠したいかだろう」と突っ込んで「一本」を取っている。
さらに、「イラク戦争に関しては当初は賛成だったのでは?」とホルトから突っ込まれたトランプは、「あれはハワード・スターンの番組だったから」と下ネタ系に強いDJ相手の発言だから不問にしてくれと言わんばかりの狼狽を見せて「自爆」してしまった。
またトランプは、「大統領職にはスタミナが大事」だと繰り返し、ヒラリーにはそれがないと批判したが、実際はこの討論の後半部分で、トランプはかなり「スタミナ切れ」の印象を与えたことは否めない。これに対してヒラリーは、終始堂々と受け答えをし、スタミナだけでなく、余裕の微笑みを浮かべて、トランプを突き放していたと言っていいだろう。
トランプは、トレードマークの「日本叩き」を今回の討論の中でも繰り出し、「自動車をガンガン輸出するくせに、防衛費を払わない」などという嘘八百を並べていたが、まったくインパクトはなかった。それどころか、「日本と韓国に核武装を許す」とした過去の発言を取り上げられて、ヒラリーに「無謀な核戦略は極めて危険」と徹底的に叩かれた。
どうしてここまでの差がついたのだろうか?
おそらくは作戦の問題だと考えられる。トランプ陣営は、これまでは「コアのファン」を中心に好き勝手なことを吠える選挙戦を進めてきた。だが、今回のテレビ討論にあたっては「もしかしたら反トランプかもしれない巨大な中道層」に対して好印象を与えようと、「大統領候補らしい品格」を出そうとしたのではないだろうか。
【参考記事】トランプ当選の可能性はもうゼロではない
例えば、支持者集会では「嘘つきヒラリー」と散々罵倒してきた相手に対して、今回は「前国務長官」であるヒラリーに敬意を払って「クリントン長官」という呼びかけで通していたし、いつもの「罵倒口調」は影を潜めていた。「青のネクタイ」が象徴するように、とにかく「品格」を気にかけていた。それが空回りした印象がある。
一方のヒラリーの戦術は徹底していた。「売られた喧嘩は買う」というスタイルだ。ヒラリーはトランプのことを「ドナルド」と親しげに呼んで、じっくり話を聞くスタイルを取ってはいた。しかし、「言いたいだけ言わせ」た後で、トランプが5つのホラ話をしたのであれば、「おやまあ」と呆れた表情を見せ、5つ全部ではなく2つか3つに絞って辛辣に間違いを指摘する、そんな「喧嘩の買い方」をしていた。
このアプローチは成功しており、1時間40分の長丁場の中で、ヒラリーの受け答えはほぼ完璧に近かった。最後の最後にトランプが「仮にヒラリーが当選したら、全面的に支持する」という発言をしたのはまったく意味不明で、もしかしたら「好人物を印象づけるために準備していた」のかもしれないが、見方によっては「敗北宣言」にも聞こえた。それ位に今回の討論は「勝負あった」と言えるだろう。
では、これでヒラリーが再び勢いをつけて、8月初旬に言われていたような「地滑り的勝利」へ向けて選挙戦をリードできるのだろうか?
そう単純には行かないだろう。
一つには、ヒラリーの経済政策が十分に説明されていないという問題がある。今回のテレビ討論で、ヒラリーはトランプの経済政策について、「富裕層減税を実施して、社会にトリクル・ダウンを起こす」だけでは成長も雇用増も期待できないとバッサリ批判したが、自分の経済政策に関しては「再生エネルギーを巨大産業に」などという抽象論ばかりで要領を得なかった。
とりあえず民主党のコアの支持層向けには、それで許されるのかもしれないが、仮に投票日までの間に景気の不透明感が増していくようだと、こうした「のらりくらり」した姿勢では失速しかねない。自分のマニフェストに書いている「21世紀型のグローバル経済を勝ち抜いていくアメリカ」のビジョンをしっかりアピールすることが求められる。
もう一つの問題点は、「知的労働以外は尊敬されなくなった」アメリカ社会の中で、不満を抱えてトランプに期待を寄せる層は確実に存在する。仮に今回の討論の結果として、支持率のトレンドがヒラリー優位に変わったとしても、この現状不満層のエネルギーが消えるわけではない。残りの選挙戦の中で、その現状不満層の動向はまだまだ予断を許さない。
今回のテレビ討論におけるヒラリー「先勝」の結果が、どのように各州の世論調査に反映するかが注目される。ここまで差のついた討論の場合、従来の選挙戦であれば世論調査に鮮明なかたちで影響が出るのだが、今回のような特殊な選挙戦の場合はどうなるか、まずは慎重に見極めたい。
<ニューストピックス:【2016米大統領選】最新現地リポート>
≪筆者・冷泉彰彦氏の連載コラム「プリンストン発 日本/アメリカ新時代」≫
冷泉彰彦(在米ジャーナリスト)