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『ハドソン川の奇跡』 英雄は過ちを犯したのか

ニューズウィーク日本版 2016年9月30日 10時0分

<ニューヨークのハドソン川に旅客機を不時着させて、155人の命を救った機長の、その後の戦いを見せる話題作>(写真:操縦不能になった旅客機を不時着に導いたサリー機長〔トム・ハンクス〕だったが・・・・・・)

 舞台は旅客機のコックピット。ニューヨークのマンハッタン上空で操縦不能に陥り、機体が急降下し、ビル群がぐんぐん近づいてくる。機長の懸命な努力もむなしく、旅客機は高層ビルに激突して炎上する。あの9・11テロのように――。

 映画の冒頭で冷や汗をかいて悪夢から目覚めるのは、チェスリー・サレンバーガー(サリー)機長。実際には、操縦不能の旅客機をハドソン川に不時着させて乗員乗客の命を守り、ニューヨークを大惨事から救い、ヒーローとたたえられた人物だ。

 クリント・イーストウッド監督の最新作『ハドソン川の奇跡』は、09年1月に起きたUSエアウェイズ1549便の不時着事故を基にしている。どうせ安っぽい愛国映画だろうという私の予想は見事に裏切られた。感動の涙を流した場面すらあった。空から眺めるニューヨークの街並みも息をのむほど美しい。

NYへの「ラブレター」

 この映画はニューヨークという町、そして危険を顧みずに救助活動に当たった警察官や沿岸警備隊員たちへのラブレターだ。1月の寒空の下、彼らは24分の間に155人の乗員乗客すべてを救助した。

 ニューヨークの町と人命救助に携わるニューヨーカーをたたえるのは、9・11テロ後の映画の定番だが、『ハドソン川の奇跡』は、事故の真相究明のプロセスを追った作品でもある。

【参考記事】デンマーク軍兵士がアフガンで関与した平和維持という戦争の姿

 国家運輸安全委員会(NTSB)の官僚たちは、不時着が本当に必要だったのかを調べ始めた。トラブルの原因は、鳥がエンジンに飛び込むバードストライクだったが、その後の機長の判断に問題はなかったのか。それは乗客を無用の危険にさらす暴挙だったのではないか。サリーは厳しい取り調べを受ける。

 この映画での官僚の描き方には、そこはかとなく共和党的な色合いがある。それは、イーストウッドが共和党支持者であることを考えれば意外でない。

 ストーリーの核は、トム・ハンクス演じるサリーと、顔の見えない官僚機構のせめぎ合いだ。ハドソン川に不時着させなくても近くの空港までたどり着けたはずだというのが、NTSBによるコンピューター・シミュレーションの結論だった。

 イーストウッドはあるインタビューで、この作品に政治的意味合いがあるのかと尋ねられて言葉を濁した。「分からない。考えたことがない」

 それでも、官僚たちを敵役と位置付けていることは認めた。「いつもそうだからね」と、イーストウッドは述べた。「誰かが正しいことをしようとすると、官僚機構に邪魔される。そこで、正しいことをするために創意工夫が必要になる」



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単なる愛国映画を超えて

 巨大都市ニューヨークで、ましてや9・11後のニューヨークでヒーローとして生きるのは生やさしいことではない。サリーがいてつく夜のマンハッタンでジョギングする場面がある。事故と取り調べによる心の傷を振り払うためだ。

 タイムズスクエアのバーでは、ヒーローに気付いたバーテンダーから一杯おごられる。「グレイグース」という鳥の名前が付いたウオツカに、水を注いでシェークする。その名も「サリー」。バードストライクに遭った旅客機を、サリーが川に不時着させたことにちなんだネーミングだ。

 サリーはちっとも愉快でないと思ったが、礼儀正しくグラスを受け取る。ハンクスは、事故のショックから抜け出せない機長の表情の中に、不安と恐怖と優しさの入り交じった感情を見事に表現している。

 調査の過程でサリーが主張したのは、意思決定に与えられた時間の短さを考慮に入れてほしいという点だった。

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 コンピューター・シミュレーションでは、エンジンが数分後に止まると初めから分かっているので、トラブルに即座に対処できた。しかし、サリーと副操縦士のジェフ・スカイルズ(アーロン・エッカート)は、何の前触れもなく異常事態に放り込まれたのだ。

 その主張を受け、機長が判断を下す時間を35秒遅らせてシミュレーションをやり直したところ、近くの空港にたどり着くのは不可能だったという結論になった。旅客機は人口密集地帯のクイーンズ区や近郊のニュージャージー州のどこかに墜落していても不思議ではない。結局、サリーの責任は問われないことになった。

 ハンクスは本誌のインタビューで、NTSBの官僚たちに敬意を持っているし、彼らの立場は理解できると述べている。「それが彼らの仕事だ。真相究明のための機関なんだから」と、ハンクスは言う。「彼らの名誉のために言うと、すべて正しい行動だった」

 映画の中でハンクスが最も感情を揺さぶられたシーンは、ニューヨークの高層ビルの会議室に集まったスーツ姿の男女が窓の外を見ると、空低く飛ぶ旅客機が接近してくる場面だという。俳優たちは大げさな演技を避け、静かで重たい空気が流れる。「そのとき、彼らの脳裏に何がよぎっただろう」

 イーストウッドは筋金入りの保守派だ。しかし近年手掛けた作品の多くと同様、単純化された愛国映画になりかねない『ハドソン川の奇跡』にも繊細さを織り込んでみせた。

≪映画情報≫
SULLY
『ハドソン川の奇跡』
――――
監督/クリント・イーストウッド
主演/トム・ハンクス
   アーロン・エッカート
日本公開中



[2016.10. 4号掲載]
ニーナ・バーリー

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