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ロシア・シリア軍の「蛮行」、アメリカの「奇行」

ニューズウィーク日本版 2016年10月5日 17時20分

<「シリア内戦」をめぐって、9月12日に発効した米露の停戦合意も19日に破綻。そして、停戦が崩壊し、アレッポ東部の被害は甚大となっている。停戦合意、破綻をめぐる米露それぞれの思惑は...>

 アレッポ市に対するロシア・シリア両軍の「蛮行」に厳しい視線が注がれる傍らで、米国の「奇行」がこれまでにも増して目につく。

 きっかけは、9月12日に発効し、19日に破綻した米露による停戦合意だ。この合意は、1. イスラーム国、シャーム・ファトフ戦線(旧シャームの民のヌスラ戦線)などアル=カーイダとつながりのある「テロ組織」と、停戦の適用対象となる「穏健な反体制派」を峻別し、2. シリア軍と「穏健な反体制派」の停戦を7日間維持したうえで、3. 米露が対テロ合同軍事作戦を行うことを骨子としていた(合意の詳細は「シリア・アラブの春顛末期」を参照)。しかし、米露はそれぞれの思惑のもとで合意を解釈、これを反故にしていった。

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アレッポ包囲戦は「シリア内戦」の雌雄を決する戦いに

 シリア第2の都市アレッポは、2012年夏以降分断され、東部の街区を「反体制派」が、西部をシリア政府が、そして北部(シャイフ・マクスード地区)を西クルディスタン移行期民政局(ロジャヴァ)が勢力下に置いていた。

 だが、2016年2月、ロシアの支援を受けたシリア軍と人民防衛部隊(YPG、ロジャヴァの武装部隊)がアレッポ市とトルコのキリス市を結ぶ兵站路を遮断して以降、「反体制派」は劣勢を強いられるようになった。7月には、シリア軍とYPGは、「反体制派」支配地域と外界を結んでいたカースティールー街道を掌握し、アレッポ市東部を包囲、8月にシャーム・ファトフ戦線が主導する「反体制派」がアレッポ市南西部のラームーサ地区方面に進攻し解囲に成功するも、9月にはシリア軍が再びアレッポ市を封鎖し、完全掌握に向けて攻勢を強めた。

 アレッポ市は「反体制派」にとって最大の「解放区」であり、シリア政府にとってもその奪還は火急の課題だった。かくして同市の包囲戦は「シリア内戦」の雌雄を決する戦いと目されるようになった。

【参考記事】オバマが見捨てたアレッポでロシアが焦土作戦

停戦合意をめぐるロシアの狙い

 停戦合意をめぐるロシアの狙いは明白だった。ロシアはシリア政府を「シリア内戦」の「勝者」として位置づけるため、停戦合意を利用し、アレッポ市包囲戦への米国の干渉を抑えようとした。一方、米国は、アレッポ市喪失が避けられないと(おそらく)自覚しつつも、大統領選挙期間中に事態が悪化するのを避けようとしているように見えた。

 こうした思惑の違いゆえに、停戦が持続しないことは発効前から明らかだった。「反体制派」は9月12日に共同声明を出し、シャーム・ファトフ戦線が停戦適用対象から除外されたことに抗議して戦闘停止を拒否(共同声明については「シリア・アラブの春顛末期」を参照)、シリア軍も19日に戦闘再開を宣言し、停戦は崩壊した。

 ロシアとシリア政府は、9月18日に有志連合がダイル・ザウル市郊外のシリア軍部隊を「誤爆」したことを引き合いに出し、「反体制派」だけでなく米国の違反が停戦を瓦解させたと追及した。ただし、米露両軍は、シリア領内での「偶発的衝突」を回避するために連絡調整を行っており、ロシア軍が1時間も続いた「誤爆」を見過ごすとは考えられなかった。



 対する米国は、ロシアがアレッポ市への人道支援を妨害し、合意に違反したと反論した。また、停戦崩壊直後にアレッポ市郊外のアウラム・クブラー村でシリア赤新月社と国連の人道支援チームの車列と施設が攻撃を受けると、ロシアに責任がある(ロシア軍が空爆したとは断定していない)と非難した。しかし、ロシア側が人道支援物資の搬入を認めていなかったとしたら、アウラム・クブラー村にそもそも車列が存在するはずもなく、米国の批判は明らかに自己矛盾をきたしていた。

 しかも、こうした非難の応酬以前の話として、停戦は「テロとの戦い」という戦闘行為を同時並行で進めることが前提となっていた点で「ミッション・インポッシブル」だった。なぜなら、共闘関係にある「穏健な反体制派」と「テロ組織」を峻別することなど、そもそも不可能だったからだ。

 この問題に関して、停戦プロセスの根拠となっている安保理決議第2254号(2015年12月18日)は、米露、サウジアラビア、イラン、トルコなどからなるISSG(国際シリア支援グループ)の総意に基づいて「テロとの戦い」の標的を確定すると定めている。だが、9月の米露による停戦合意では、こうした「玉虫色」の表現から一歩踏み込み、米国がこの峻別を行うことが決定された。つまり、米国は「ミッション・インポッシブル」を科せられたことで、ロシアの術中に嵌り、停戦崩壊の責任を負わされたのである。

停戦が崩壊し、アレッポ東部の被害は甚大に

 これに抗うため、米国はロシア・シリア両軍の攻撃の「非道」を指弾し、アレッポ市東部にある病院や水道供給施設などのインフラへの攻撃が続けば、停戦プロセスにかかわるロシアとのチャンネルを絶つと主張、10月3日にこれを実行した。

 WHO(世界保健機構)の発表(9月30日)によると、アレッポ市東部では停戦が崩壊した9月19日以降、338人(うち106人が児童)が死亡、846人(うち261人が児童)が負傷しており、同地の被害は筆舌に尽くしがたい。本来であれば、こうした人道危機は、欧米諸国の世論を刺激し、各国政府に何らかの行動を促していたはずである。だが、米国も、EU諸国、サウジアラビア、トルコ、カタールも、実効的な打開策を打とうはしなかった。

 とりわけ、トルコは、以前であれば、武器、資金、兵力の増強を画策し、「反体制派」の反転攻勢を後押した。だが、アレッポ県北部からYPGとイスラーム国を掃討するための進攻作戦を黙認することをロシアに暗に求めるかのように、アレッポ市東部の戦況への不関与を貫いた。

【参考記事】トルコのクーデータ未遂事件後、「シリア内戦」の潮目が変わった

 こうしたなか、米国に残された抵抗手段は、ロシア・シリア両軍が交戦する「反体制派」の活動を阻害しないことぐらいだった。そのためもっとも効率的な策が、停戦の破綻を受け入れ、「穏健な反体制派」と「テロ組織」の峻別という課題を放棄することだった。



「穏健な反体制派」と「テロ組織」がこれまで以上に混然一体に

 米国が停戦プロセスに見切りをつけたことは、イスラーム国とともに「テロとの戦い」の主要な標的として位置づけられてきたシャーム・ファトフ戦線にとって歓迎すべきものだったに違いない。同戦線幹部の一人はドイツ誌『フォーカス』(9月27日付)に対して、米国から対戦車ミサイルの直接供与を受けたと主張、米国との「蜜月」に期待を寄せた。また9月28日には、欧米諸国でのイメージ改善を狙うかのように声明を出し、同戦線に拉致されていたと考えられていたドイツ人女性ジャーナリストを「少数グループ」から救出・解放したと発表した。

 しかし、ロシアやシリア政府の喧伝とは裏腹に、これをもって米国と「テロ組織」が共闘態勢に入った(ないしは共闘の事実が公然化した)とは言い切れない。

 確かに、ジョン・カービー米国務省報道官は9月29日、「過激派はシリア国内の真空に乗じて、作戦を拡大し...ロシアは遺体袋に兵士を入れて帰国させ...、これまで以上に多くのロシアの航空機が打ち落とされるだろう」と発言、ロシアやシリア政府から、米国が「テロ組織」を支援していることの証左だとの非難を浴びた。だが、米国は同時に、「反体制派」のなかに身を隠す「テロ組織」への「テロとの戦い」も強化した。

 米国は9月16日、アル=カーイダに忠誠を誓い、イスラーム国ともつながりがあるとされるジュンド・アクサー機構をSDGT(特別指定国際テロリスト)に新たに指定した。また、10月3日には、イドリブ県西部で空爆を実施し、シャーム・ファトフ戦線の有力幹部アブー・ファラジュ・ミスリー(エジプト人)を殺害した。

 米国がこうした行動で何を意図しているのかは理解に苦しむ。だが、その結果として「穏健な反体制派」と「テロ組織」がこれまで以上に混然一体と化したという事実は看過すべきでない。ジュンド・アクサー機構は、アレッポ市包囲戦が激化した8月末、ハマー県北部の支配地域を拡大する作戦を開始したが、実はこの作戦で共闘した最有力組織の一つが、米国(CIA)の教練を受けたイッザ軍だった。つまり、米国はジュンド・アクサー機構をSDGTに指定することで、自らが支援してきた「穏健な反体制派」を「テロ組織」の共闘者にしてしまったのである。

オバマ政権の対シリア政策の特徴

 8年におよぶオバマ政権の対シリア政策は多重基準を特徴としていたと約言できる。「アラブの春」の追い風のなかで始められた干渉政策は、当初は「人道」を根拠としていた。だが、2013年の化学兵器使用事件を契機に「大量破壊兵器拡散防止」が目的となり、2014年のイスラーム国台頭以降は「テロとの戦い」が主軸となった。この変遷の過程で、体制転換後の政権の受け皿となるはずだった「反体制派」は、イスラーム国と戦う武装集団を指す言葉となった。しかし、この「反体制派」が、「独裁」を打倒することも、イスラーム国を殲滅することもなく、「テロ組織」と「穏健な反体制派」の寄り合い所帯であることはすでに述べた通りだ。

 オバマ政権の対シリア政策は迷走していたと言ってしまえばそれまでだが、多重基準を駆使してシリアの混乱を持続させ、ロシアやイランと駆け引きを続けるのが目的だったとすれば、それはプラグマティックだと評価できるかもしれない。ただし、これはあくまでも米国の立場からの評価であって、シリアの視点に立てば、米国が干渉を続ける限り、「人道」や「テロとの戦い」が結実しないまま、諸外国の主戦場として弄ばれ続けることを意味する。


[筆者]
青山弘之
東京外国語大学教授。1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院修了。1995〜97年、99〜2001年までシリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所(IFPO、旧IFEAD)に所属。JETROアジア経済研究所研究員(1997〜2008年)を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。編著書に『混迷するシリア:歴史と政治構造から読み解く』(岩波書店、2012年)、『「アラブの心臓」に何が起きているのか:現代中東の実像』(岩波書店、2014年)などがある。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」を運営。青山弘之ホームページ

青山弘之(東京外国語大学教授)

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