英政府は9月15日、ヒンクリー・ポイント原発(南西部サマセット州)の建設計画を承認した。総事業費は約180億ポンド(約2兆4000億円)で、主体はフランス電力公社(EDF)だが、中国の原発大手、中国広核集団(CGN)が約3割を出資している。
英国の欧州連合(EU)離脱を決めた6月の国民投票の後に就任したメイ首相は、中国が国家安全保障に関わる原子力政策に関与することになるとの懸念から最終承認を保留していた。ただ、国家間で一度、合意した計画の一方的な破棄はよほどの理由がない限り難しく、当初から選択肢は事実上なかったと言っても過言ではないだろう。
欧州での論調を見ると、中国での歓迎ぶりとは対照的に、計画そのものを前向きに捉えたものはほとんどなく、キャメロン前政権からの負の遺産を引き継がざるを得なかったとの見方が大勢を占める。また、国際的なエネルギー情勢を考慮すると、今後の見通しについても悲観的にならざるを得ないようだ。
メイ氏の政治顧問が疑念
前政権で決まった今回のプロジェクトだが、キャメロン前首相は元来、親中派だったわけではない。2012年5月にはチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談、英中関係は過去最悪と呼ばれるほど悪化した。潮目が変わったのは、保守党内の強硬派の突き上げなどで権力基盤が揺らぎ始めた同年夏のロンドン五輪後だ。
中国通のオズボーン財務相(当時)に導かれる形で親中路線にかじを切り、13年12月に首相自ら訪中して中国企業への門戸開放を大々的にアピール。15年3月には米国の意向を無視する形で、アジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加を表明した。同年10月には、訪英した習近平国家主席を王室まで動員して最大限に歓待。この時に合意されたのが今回のヒンクリー・ポイントを含む、計3件の英中原子力協力だ。
【参考記事】ダライ・ラマ効果を払拭した英中「黄金」の朝貢外交
【参考記事】「誰もが中国に恋をする」─ 中国、原発を使い外交攻勢
当時、メイ首相は治安を担当する内相だったが、右腕とされる政治顧問、ニック・ティモシー氏は、契約締結に関連して「政府は国家安全保障を中国に売り渡そうとしている」と題する意見書を、保守党系のサイトコンサーバティブ・ホーム(15年10月20日)を通じて公表している。
それによると、中国が最も英国に望んでいるのは「人権問題で口をつぐむこと」だとして、その成果が表れた例として、反体制派の芸術家、艾未未(アイ・ウェイウェイ)氏に対し、申請通りの長期ビザを発給しなかった一件を挙げた。また、オズボーン財務相が新疆ウイグル自治区のウルムチを訪問した際、ウイグル人に対する人権弾圧などについて全く触れなかったことにも憤りを示している。
同氏によると、英国企業にサイバー攻撃を仕掛けるなど中国が「英国の国益を損なう行為を続けている」ことは英国の情報機関MI5も確信しており、原発に関しても中国は「発電をストップさせるプログラムを埋め込むのではないか」と警戒。「国家安全保障を危険にさらしてまでビジネスをするべきではない」と結論付けている。
【参考記事】ブレグジット後も、イギリスは核で大国の地位を守る
Brexit決定後の不安定象徴
左派系のガーディアン紙(16年9月15日)に寄稿した作家のジョージ・モンビオット氏は、ヒンクリー・ポイント原発を、タイの国王が飼育に莫大(ばくだい)な費用が掛かる白い象を臣下に贈って破産させた故事を踏まえ、「非常識な白い象」と形容した。同氏は「原発は温室効果ガスの排出を抑制する」と評価する立場だが、同原発は「建設は不可能かもしれない」と予想する。
EDFなどの原発は「欧州加圧水型炉(EPR)」で、既にフィンランドのオルキルオト、仏北部フラマンビルで建設が進められているが、いずれも暗礁に乗り上げている。同氏は複雑すぎる設計が問題として、「大聖堂の中に大聖堂を建築するようなもの」とする原子力専門家の見解を引用。さらに、使用済み核燃料の処理方法が未決定であるといった問題点を列挙した上で、結果的にメイ首相の決断は「英国の原子力産業を葬り去る」かもしれないとの懸念を示した。
保守系のテレグラフ(8月9日)のアンブローズ・エバンス=プリチャード氏は、フランスの与党、社会党までもが「今回のプロジェクトはEDFの経営を危うくする」として反対を表明したことを取り上げ、計画への疑念を呈した。
EDFとCGNに対して、英政府は今後35年間にわたり、現在の電力コストの2倍以上の、1メガワット当たり92.5ポンド(約1万2000円)の価格保証を行った。しかし、ヒンクリー・ポイントの計画そのものは13年、エネルギー価格の大幅下落が始まる以前に合意されており、現在では消費者が最終的に負担する額は60億ポンド(7800億円)から、300億ポンド(3兆9300億円)に膨れ上がったとされる。
さらに、EU離脱決定で英国を取り巻く情勢が不安定さを増している状況を踏まえ、同氏は、「計画は主に政治的な理由で生き永らえている」と批判。「フランスや中国との関係維持のため続行すると言うなら、この一件は外国の国営企業とのビジネスはどれほど危険かという教科書的な例になる」と警告した。
外資導入に制限か
フランスの左派系高級紙ル・モンド(9月15日)で、エリック・アルベール記者とジャンミッシェル・ベザ記者は、計画が承認されなければ、フランスの原子力産業に致命的な影響が出かねず、決定はEDFなどの経営陣を安堵(あんど)させたはずだとする。その上で、両記者はメイ首相が、最終承認に当たってヒンクリー・ポイント原発の持ち分売却に制限を設けたことを取り上げた。
EPR型についてはヒンクリー・ポイントに引き続き、サイズウェル(英南東部サフォーク州)にも2基を建設する予定だが、さらにブラッドウェル(南東部エセックス州)での100%中国製の原発建設も合意されている。メイ首相はブラッドウェルを念頭に、国家安全保障に関わるインフラへの外資導入に一定の制限をかけたとみている。
リベラル系の南ドイツ新聞(9月15日)のビヨルン・フィンケ記者は、今回の原発を「福島第1原発の事故以来、EU加盟国が建設する最初のもの」と位置付けた。その上で、英政府の電力買い取り保証について、オーストリアとドイツのエネルギー10社、およびオーストリア政府が15年、EUが合法的な補助金と認定したことに反発、欧州裁判所に提訴したことを紹介している。記事には「太陽、風力など代替エネルギーが普及し始めた現在、原子力は商業的に不要な存在で、英国の措置は電力市場の価格形成をゆがめる」とする提訴サイドの見解が引用されている。 ドイツ、オーストリアと同様に脱原発を推進するイタリアでは、中道左派系のラ・スタンパ紙(9月15日)がヒンクリー・ポイント原発を「前首相による中英の蜜月時代の象徴」などと揶揄(やゆ)。また、経済紙コリエレ・デラ・セラ(9月16日)は、中国原発の承認に合わせて、英タイムズ紙などが報じた「ロンドン市内の監視カメラ、CCTVの大半が中国政府の支配下にあるハイクビジョン社の製品」という記事を引用。中国に安全保障が脅かされるという懸念が英国で広がっていることを伝えている。
[執筆者]
加藤雅之(かとう・まさゆき)
ジャーナリスト
1987年時事通信社入社。経済部、ジュネーブ特派員などを経て2011年よりフリー。16年5月、5年間滞在した英国から帰国。著書に「イタリアは素晴らしい、ただし仕事さえしなければ」(平凡社新書)。
※当記事は時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」からの転載記事です。
加藤雅之(ジャーナリスト)※時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」より転載
英国の欧州連合(EU)離脱を決めた6月の国民投票の後に就任したメイ首相は、中国が国家安全保障に関わる原子力政策に関与することになるとの懸念から最終承認を保留していた。ただ、国家間で一度、合意した計画の一方的な破棄はよほどの理由がない限り難しく、当初から選択肢は事実上なかったと言っても過言ではないだろう。
欧州での論調を見ると、中国での歓迎ぶりとは対照的に、計画そのものを前向きに捉えたものはほとんどなく、キャメロン前政権からの負の遺産を引き継がざるを得なかったとの見方が大勢を占める。また、国際的なエネルギー情勢を考慮すると、今後の見通しについても悲観的にならざるを得ないようだ。
メイ氏の政治顧問が疑念
前政権で決まった今回のプロジェクトだが、キャメロン前首相は元来、親中派だったわけではない。2012年5月にはチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談、英中関係は過去最悪と呼ばれるほど悪化した。潮目が変わったのは、保守党内の強硬派の突き上げなどで権力基盤が揺らぎ始めた同年夏のロンドン五輪後だ。
中国通のオズボーン財務相(当時)に導かれる形で親中路線にかじを切り、13年12月に首相自ら訪中して中国企業への門戸開放を大々的にアピール。15年3月には米国の意向を無視する形で、アジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加を表明した。同年10月には、訪英した習近平国家主席を王室まで動員して最大限に歓待。この時に合意されたのが今回のヒンクリー・ポイントを含む、計3件の英中原子力協力だ。
【参考記事】ダライ・ラマ効果を払拭した英中「黄金」の朝貢外交
【参考記事】「誰もが中国に恋をする」─ 中国、原発を使い外交攻勢
当時、メイ首相は治安を担当する内相だったが、右腕とされる政治顧問、ニック・ティモシー氏は、契約締結に関連して「政府は国家安全保障を中国に売り渡そうとしている」と題する意見書を、保守党系のサイトコンサーバティブ・ホーム(15年10月20日)を通じて公表している。
それによると、中国が最も英国に望んでいるのは「人権問題で口をつぐむこと」だとして、その成果が表れた例として、反体制派の芸術家、艾未未(アイ・ウェイウェイ)氏に対し、申請通りの長期ビザを発給しなかった一件を挙げた。また、オズボーン財務相が新疆ウイグル自治区のウルムチを訪問した際、ウイグル人に対する人権弾圧などについて全く触れなかったことにも憤りを示している。
同氏によると、英国企業にサイバー攻撃を仕掛けるなど中国が「英国の国益を損なう行為を続けている」ことは英国の情報機関MI5も確信しており、原発に関しても中国は「発電をストップさせるプログラムを埋め込むのではないか」と警戒。「国家安全保障を危険にさらしてまでビジネスをするべきではない」と結論付けている。
【参考記事】ブレグジット後も、イギリスは核で大国の地位を守る
Brexit決定後の不安定象徴
左派系のガーディアン紙(16年9月15日)に寄稿した作家のジョージ・モンビオット氏は、ヒンクリー・ポイント原発を、タイの国王が飼育に莫大(ばくだい)な費用が掛かる白い象を臣下に贈って破産させた故事を踏まえ、「非常識な白い象」と形容した。同氏は「原発は温室効果ガスの排出を抑制する」と評価する立場だが、同原発は「建設は不可能かもしれない」と予想する。
EDFなどの原発は「欧州加圧水型炉(EPR)」で、既にフィンランドのオルキルオト、仏北部フラマンビルで建設が進められているが、いずれも暗礁に乗り上げている。同氏は複雑すぎる設計が問題として、「大聖堂の中に大聖堂を建築するようなもの」とする原子力専門家の見解を引用。さらに、使用済み核燃料の処理方法が未決定であるといった問題点を列挙した上で、結果的にメイ首相の決断は「英国の原子力産業を葬り去る」かもしれないとの懸念を示した。
保守系のテレグラフ(8月9日)のアンブローズ・エバンス=プリチャード氏は、フランスの与党、社会党までもが「今回のプロジェクトはEDFの経営を危うくする」として反対を表明したことを取り上げ、計画への疑念を呈した。
EDFとCGNに対して、英政府は今後35年間にわたり、現在の電力コストの2倍以上の、1メガワット当たり92.5ポンド(約1万2000円)の価格保証を行った。しかし、ヒンクリー・ポイントの計画そのものは13年、エネルギー価格の大幅下落が始まる以前に合意されており、現在では消費者が最終的に負担する額は60億ポンド(7800億円)から、300億ポンド(3兆9300億円)に膨れ上がったとされる。
さらに、EU離脱決定で英国を取り巻く情勢が不安定さを増している状況を踏まえ、同氏は、「計画は主に政治的な理由で生き永らえている」と批判。「フランスや中国との関係維持のため続行すると言うなら、この一件は外国の国営企業とのビジネスはどれほど危険かという教科書的な例になる」と警告した。
外資導入に制限か
フランスの左派系高級紙ル・モンド(9月15日)で、エリック・アルベール記者とジャンミッシェル・ベザ記者は、計画が承認されなければ、フランスの原子力産業に致命的な影響が出かねず、決定はEDFなどの経営陣を安堵(あんど)させたはずだとする。その上で、両記者はメイ首相が、最終承認に当たってヒンクリー・ポイント原発の持ち分売却に制限を設けたことを取り上げた。
EPR型についてはヒンクリー・ポイントに引き続き、サイズウェル(英南東部サフォーク州)にも2基を建設する予定だが、さらにブラッドウェル(南東部エセックス州)での100%中国製の原発建設も合意されている。メイ首相はブラッドウェルを念頭に、国家安全保障に関わるインフラへの外資導入に一定の制限をかけたとみている。
リベラル系の南ドイツ新聞(9月15日)のビヨルン・フィンケ記者は、今回の原発を「福島第1原発の事故以来、EU加盟国が建設する最初のもの」と位置付けた。その上で、英政府の電力買い取り保証について、オーストリアとドイツのエネルギー10社、およびオーストリア政府が15年、EUが合法的な補助金と認定したことに反発、欧州裁判所に提訴したことを紹介している。記事には「太陽、風力など代替エネルギーが普及し始めた現在、原子力は商業的に不要な存在で、英国の措置は電力市場の価格形成をゆがめる」とする提訴サイドの見解が引用されている。 ドイツ、オーストリアと同様に脱原発を推進するイタリアでは、中道左派系のラ・スタンパ紙(9月15日)がヒンクリー・ポイント原発を「前首相による中英の蜜月時代の象徴」などと揶揄(やゆ)。また、経済紙コリエレ・デラ・セラ(9月16日)は、中国原発の承認に合わせて、英タイムズ紙などが報じた「ロンドン市内の監視カメラ、CCTVの大半が中国政府の支配下にあるハイクビジョン社の製品」という記事を引用。中国に安全保障が脅かされるという懸念が英国で広がっていることを伝えている。
[執筆者]
加藤雅之(かとう・まさゆき)
ジャーナリスト
1987年時事通信社入社。経済部、ジュネーブ特派員などを経て2011年よりフリー。16年5月、5年間滞在した英国から帰国。著書に「イタリアは素晴らしい、ただし仕事さえしなければ」(平凡社新書)。
※当記事は時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」からの転載記事です。
加藤雅之(ジャーナリスト)※時事通信社発行の電子書籍「e-World Premium」より転載