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南スーダンで狙われる国連や援助職員

ニューズウィーク日本版 2016年10月12日 19時30分

<日本の自衛隊もPKOに参加する南スーダンでは、国連職員や外交官、援助職員らが政府軍に襲撃される事件が相次いだ>(写真:南スーダンの首都ジュバに国連が設けた避難民キャンプ、7月)

 7月7日、南スーダンのユネスコ(国連教育科学文化機関)職員トップだったサラフ・ハレドは、首都ジュバの繁華街で開かれた自分の送別会に参加していた。すると突如、街の反対側から爆発音と銃声が響いた。政府軍と反政府勢力との間で散発的に行われていた戦闘が首都全体に広がるのではないかと考え、ハレドらは出口へと急いだ。

 エジプト人のハレドは、国連のマークが入った白のトヨタ・ランドクルーザーに乗り込むと、滞在先のエジプト大使館へ急いだ。時刻は午後8時15分を過ぎたところ。外は雨が降っている。大使館へと続く最後のでこぼこ道に入ると、暗闇の中を行き交う歩行者を避けるため、車は速度を落とした。

 大使館の入り口まで約25メートルの地点まで来たとき、通りの向かいのパノラマ・ホテルに設けられた軍検問所から、私服の男が突進してきた。車の助手席側から銃弾が浴びせられ、ドアや窓を貫通する。銃弾4発の欠片がハレドの左脚や腕、手に突き刺さった。

敵も味方もわからない

 アクセルを踏み込み、なんとか大使館の入り口ゲートをくぐり抜けた。車内には割れたガラスが散乱していたが、これでひとまず安全だ。しかしその後2時間、検問所の南スーダン治安部隊はハレドの救護に駆け付けた国連の救急車に銃を向けて追い返したり、PKO部隊がジュバ中心部にある国連施設内の診療所にハレドを運ぼうとするのを妨害した。南スーダンの大統領警護隊が介入し、治安部隊を説得してハレドを診療所に運ばせてくれたのは、夜も10時を過ぎてからだ。

 ハレドが生き延びたのは「奇跡だった」と、ある国連職員は言う。

 この事件は地元メディアで報じられたが、駐米南スーダン大使は知らないと回答。ユネスコは事件の容疑者についての推測を差し控え、調査中だと米フォーリン・ポリシー誌に語った。だが、ある米国務省当局者と国連当局者は、南スーダン政府軍がハレドを銃撃したのは間違いないと述べている。

 7月7日のハレド襲撃は、南スーダン政府軍による一連の外国人襲撃事件の端緒を開いた。1時間後には、南スーダン大統領サルバ・キールの警護隊が、外での食事から戻るところだった米外交官7人と南スーダン人の運転手に向けて発砲。ハレド救護のために検問所の治安部隊と交渉したのと同じ大統領警備隊が、である。



 さらに4日後、80~100人の南スーダン政府軍がジェバのテレイン・ホテルを急襲し、同国のジャーナリスト1人を処刑、5人の援助団体職員を集団レイプした事件があった。アメリカ人が選び出されたという。

 国連安保理の専門家パネルが先月まとめた報告書は、「(テレインでの)襲撃を境に、南スーダン兵士による国際援助団体職員攻撃の残忍さが増した」と結論付けている。「犯人らはよく組織されており、偶発的な暴力・強盗とは考えられない」

 国連にとって厳しい現実を象徴する事件だ。2011年7月にスーダンから分離独立した、世界で最も若い国家である南スーダンが内戦に陥ったのは3年前。以来、国連と南スーダンの関係は日増しに緊迫したものとなってきている。国際援助団体の職員や外交官らが今、まさに南スーダン政府軍の主要な攻撃対象となっているのだ。

 政府軍と反政府勢力との戦闘が再燃し、事態が緊迫化した今夏以降、アメリカなど各国が和平を実現しようとしてきた。しかし紛争当事者である南スーダン政府が外国勢力に敵意を向け、最近ではPKO部隊や外交官を攻撃対象としたことで、戦闘終結は一層困難になっている。

【参考記事】邦人も避難へ、緊迫の南スーダン情勢と国連PKO

 PKO部隊を4000人増派しようというアメリカの計画に基づき、サマンサ・パワー米国連大使らが9月にジュバを訪問、増派受け入れをキールに認めさせた。

大統領より強い部族長老会議

 ところがこの約束は、キールの出身部族であるディンカ族で構成する「ジエング長老評議会」の圧力で、あっという間に反故にされた。同評議会は長年、外国勢力によるいかなる介入にも反対してきた。7月18日にはキールの腹心であるアンブローズ・リーニ・ティークが、PKO部隊の配置は事実上の「宣戦布告であり国家侵略」に等しいと警告した。

 さらに翌19~20日には、ケニア、ウガンダ、エチオピアから新たに部隊を派遣するという国連の計画に反対するため、長老評議会が抗議集会を組織。ジュバから北方200キロに位置する都市ボルでは、国連南スーダン派遣団(UNMISS)施設付近で、4名の国連職員が抗議に参加した数人の若者から刃物で襲撃された。

 安保理の専門家パネルは、キール陣営が故意に市民の間に排外感情をかき立てた結果、一連の武力衝突に発展したと指摘した。

「危険の及ぶ範囲が国連や国際機関で人道支援を行う職員まで広がり、被害件数も増加。暴力の度合いも増している。サルバ・キールを含む南スーダン政府の高官は、国連や国際社会に対して民衆の敵愾心を煽るレトリックを強めている」



 ここ数カ月、国連職員は政府軍の検問所で殴られ、拳銃で撃つと脅されるなど、日常的に虐待行為に遭っている。戦闘が再燃した7月には、政府軍の兵士が国連世界食糧計画(WFP)の物流拠点で22万人の1カ月分に相当する食料を略奪し、被害額は3000万ドルに上った。

 8月2日には出産間近の妊婦を搬送していた国連の救急車が、15カ所の政府軍の検問所で次々に足止めされ、医療施設への到着が当初予定より2時間も遅れた。国連の機密報告書によると、「赤ん坊は生まれた時すでに死亡していた」。AP通信が最初に伝えた。

 その3日後には、自動小銃を持った南スーダン政府軍兵士が国連施設の外で車両を止め、2人の外国人職員に「言いがかりをつけて激しく暴行」、殺すと脅した。8月16日にも南スーダン兵が国連の事務所近くに設置された検問所で、国連車両に乗っていた運転手を電気コードで打ちすえたうえ、解放のために賄賂をよこせと脅迫した。

「7月にジュバで戦闘が起きて以来、国連職員を標的にした襲撃は、残虐さも、暴力が及ぶ範囲もエスカレートしている」と、国連の専門家パネルは報告書で指摘した。

中国のPKO隊員も犠牲に

 もっとも当の国連も、武力衝突が起きた最中に市民の保護を怠ったとして、痛烈な批判を浴びている。7月に大規模な武力衝突が起きた際、中国のPKO部隊は数千人の市民が避難していた国連の保護施設の持ち場を放棄して逃走した。

【参考記事】住民に催涙弾、敵前逃亡、レイプ傍観──国連の失態相次ぐ南スーダン

 7月にテレイン・ホテルで援助職員が南スーダン兵士に襲撃された事件では、現場から何度も救助要請を受けたにも関わらず、中国とエチオピアのPKO部隊が出動を拒んだ。南スーダンにおける国連の活動状況について調査した米NGO「紛争地域民間人センター(CIVIC)」が、今月5日に公表した調査報告書で明らかにした。

 南スーダンは、キール大統領派と当時のリヤク・マシャール副大統領派の内戦が4月に収まったばかりだったが、7月には早くも戦闘が再燃した。

 7月10日には、国連が保有する装甲車の近くで対戦車用兵器グレネードRPGが爆発し、数人の隊員が負傷、中国のPKO隊員2人が死亡した。CIVICの報告書によると、1人の中国人の死因は出血多量だった。重傷者の処置のため現場から16キロ離れた国連の医療施設へ搬送したいと要請したが、政府軍が拒んだためだ。

 送別会に出ていたハレドが聞いた銃声はグデレという町のもの。反政府勢力が政府の検問所を銃撃、少なくとも4人の政府軍兵士を殺した。



 2日後、キールの部隊は戦車、大砲、攻撃用ヘリなどの重火器を持ち出して反撃。300人以上の市民が死んだ。うち数十人は助けを求めて国連施設に逃げてきた住民だった。キールの部隊はマシャールを国外へ追い出した。

 米政府も国連も、アメリカ人やPKO隊員が襲撃されたことについてはあまり南スーダンを責めたがらない。数万人の国内難民を保護し国づくりを支援するため、PKOを増員させて欲しいと頼む立場だからだ。ある国務省高官は、7月の襲撃は訓練の行き届かない兵士が戦闘に乗じて暴走したもの、と言う。

 南スーダンは、外国人に対する襲撃や嫌がらせがあったことを否定している。駐米南スーダン大使のガラン・ディン・アクオンはフォーリン・ポリシーに対しこうコメントした。「我が政府が国連の活動を妨害しているとか、人道援助を邪魔しているというのはウソだ」

From Foreign Policy Magazine



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