<投票前最後のテレビ討論は、大統領選に疑義を呈したトランプに批判が集中。一方で対イラク、シリア政策に関してこれまでより一歩踏み込んだヒラリーの発言が注目される>(写真:最後のテレビ討論はこれまでと比較すれば政策論争の体を成していた)
現地時間19日夜、ネバダ州で第3回の大統領選テレビ討論が行われた。今回が最終回で、全米の有権者はここまで3回の討論を参考にして投票行動を決定する。先月26日の第1回討論でヒラリー・クリントン候補が優勢となった後、一連の「女性蔑視発言」スキャンダルが露見したドナルド・トランプ候補は終始劣勢と言われていた。
今月9日の第2回討論でもその傾向は変わらなかったばかりか、その後トランプのスキャンダルは「発言問題」から「不適切な行為」へと疑惑がエスカレートしていた。そこで、ケーブルニュース各局は「トランプにとっては、この3回目が挽回のラストチャンス」と言って、討論の中継を盛り上げていた。
この第3回の討論、司会したFOXニュースのクリス・ワレスはなかなか上手い進行を見せた。全体を6つのパートに分けて、両候補にはそれぞれの部分でテーマに沿った発言をするよう誘導し、話が脱線すると厳しく注意することもあった。
結果として、第1回、第2回と比較すると、政策論争として一応の体を成したということは言える。要点をまとめると、以下のようになる。
【参考記事】非難合戦となった大統領選、共和党キーマンのペンスの役割とは
まず一番話題になっているのは、選挙結果を素直に受け入れるのかという点だ。実は、先週以来トランプは「この選挙は歪められている」と主張して、場合によっては選挙結果に対する異議申し立てをすることも示唆していた。これには、副大統領候補のマイク・ペンス(インディアナ州知事)や、トランプの長女イヴァンカが明快に否定しており、陣営の足並みは揃っていない。
そんな中、「選挙結果を受け入れて相手を祝福し、新政権への協力を誓うのがアメリカの伝統だが、どうか?」というワレスの質問に対して、トランプは「さあ、お楽しみに」("I will keep you in suspense.")と「ふてぶてしく」宣言した。これはアメリカの選挙制度、民主主義を信じないという意味にも取れるわけで、直後からメディアはこの発言への批判一色となっている。
保守色が強く、今回の討論全体としては「トランプが押していた」という評価をするような評論家(例えばFOXのブレット・ヒューム)なども、この発言に関しては「重要であり、極めて問題」だとしているし、CNNなどはこの点への批判一色という感じで直後の「討論分析」を進めている。
おそらく、翌日以降のメディアもこの点への批判を継続することになるだろうし、そうなればトランプの支持率は回復しないばかりか、中道票の獲得は困難になるだろう。
その一方で、一部の保守派などから、内容ではなくディベートの勢いだけを評価する観点で「トランプが優勢だった」と言われているのが、軍事外交に関する討論だ。この部分、ワレスの司会が効果的だったこともあり、確かに中身があったし、表面的にはトランプが押しているように見えた。では、実際はどうだったか?
まず「現在進行形」である米軍が支援し、イラク政府軍が主体となっているモスル奪還作戦についての論戦が交わされた。ISISが占領しているモスルを奪還できるかは、中東地域におけるISISの勢力を駆逐する重要な戦いであると共に、下手をすると60万人という人口が流出して人道危機が発生する懸念もある。
これに関して、ヒラリーは「米軍の地上軍派遣」をキッパリと否定。米軍はあくまで援護的な活動に限定するとして、「イラク政府軍とクルド勢力の連携でISISを敗走させ、さらにシリアでのISISの拠点であるラッカを陥落させる」と述べた。
【参考記事】トランプの妻メラニアが大変身、でも勝負服が裏目に
一方のトランプは、具体策は一切言わず、また米軍の地上軍派遣の是非に関しても何も言わなかった。その一方で「モスルを陥落させると、得するのはイランだけだ」という意味不明の回答に終始していた。要するにイランに近いシーア派主体のイラク政府軍が、ISISを敗走させることは期待しないとでも言いたげな雰囲気を見せた。
次に、シリアが問題となった。「アレッポをどう救うか」というのが話題となり、ここではヒラリーは「飛行禁止区域の設定と人道安全地帯(セーフゾーン)の設置」を主張したのだが、トランプは「シリアの混沌はすべてオバマとヒラリーの責任だ」と吠え立て、では、シリア人は被害者なのかというと「シリア人の難民を受け入れればISISが混じっているのだから、その受け入れを進めるオバマとヒラリーは極悪人だ」と非難した。そして相変わらずアサド政権とロシアを擁護するようなことを言った。
トランプの発言は、ロシアとアサド政権に肩入れする一方で、イランは敵視するという支離滅裂さがあるが、とにかく過去から現在のアメリカにある感情論をパッチワーク式に繋いで、ブッシュからオバマの16年をまとめて全否定し、ついでに危険と思われる話は全部「アメリカから隔離」するというロジックなので、単純と言えば単純だ。
問題はヒラリーの発言で、2つ重要な踏み込みをしている。一つは、これは前々回の討論からも、そしてマニフェストでも一貫して主張していることだが、イラク問題でクルド系との協調ということを強調しているということだ。これは、過去15年のアメリカの軍事外交方針の延長にあるものだが、強く押し出しすぎると、トルコとの対立になる。その一方で、クルド系というスンニ派の勢力を支援することで、イラクとシリアを安定化させるのは、話として筋は通っている。ヒラリーがこの点について、どこまで本気なのか非常に気になるところだ。
もう一つはシリア上空における「飛行禁止区域の設定」という問題だ。現在の情勢では、この設定を実効あるものにするには、アサド政権軍のレーダーなど地上施設の破壊が必要だし、禁止措置を徹底する中で、それが守られない場合は自動的に空中での戦闘に発展する危険性もある。あくまでブラフなのか、それとも「一戦交える覚悟」なのか、注意して見守る必要があるだろう。
核拡散の問題も話題になったが、トランプは依然として、「日本、韓国、サウジ」が自主武装に移行する中で核兵器保有を容認するという主張を繰り返していたし、そこにドイツも加えていた。日米安保条約の再交渉も示唆しており、ここまで一貫して言い続けると、仮に当選した場合には「本当に何かを仕掛けてくる」こともあり得る。いくら議会が歯止めになるにしても、日本としてはあらためて警戒が必要だろう。
【参考記事】なぜビル・クリントンは優れた為政者と評価されているのか
その他、経済問題では相変わらずトランプは富裕層減税によるトリクルダウン経済で成長を、という立場。これに対してヒラリーは「ITなどのニューエコノミー」重視の立場は「テレビ討論では触れず」にいたが、最低賃金アップなどの左派ポピュリスト的な表現で、ミドルクラスの再建による経済成長を、という主張。自由貿易に関しては、トランプは相変わらず反対し、ヒラリーは是々非々という主張だった。
仮に一部の声として「トランプ優勢」という声があるにしても、軍事外交に関しては、以上のようなやり取りであって、決して優勢でも何でもない。トランプの発言が余りにバカバカしいので、ヒラリーはいちいち反論しないまま時間切れになり、そうした印象を与えただけだ。これに加えて「投票結果に疑義も」という発言は、厳しい批判を受ける可能性があり、トランプとして劣勢挽回には失敗したという評価が直後から出ている。討論の勝敗に関するCNNの簡易世論調査でも、52%がヒラリー勝利、トランプ勝利は39%と差がついた。
ということは、そろそろ「ヒラリー政権に備える」ために、日本としては彼女の政策に関して詳しく知っておくことが必要になる。とりわけイラクとシリアへの対応に関して、オバマ政権のような「優柔不断」な態度ではないということなら、では具体的にヒラリーのアメリカはどう動くのか、国際社会として真剣に注視する必要が出てきた。
冷泉彰彦(在米ジャーナリスト)
現地時間19日夜、ネバダ州で第3回の大統領選テレビ討論が行われた。今回が最終回で、全米の有権者はここまで3回の討論を参考にして投票行動を決定する。先月26日の第1回討論でヒラリー・クリントン候補が優勢となった後、一連の「女性蔑視発言」スキャンダルが露見したドナルド・トランプ候補は終始劣勢と言われていた。
今月9日の第2回討論でもその傾向は変わらなかったばかりか、その後トランプのスキャンダルは「発言問題」から「不適切な行為」へと疑惑がエスカレートしていた。そこで、ケーブルニュース各局は「トランプにとっては、この3回目が挽回のラストチャンス」と言って、討論の中継を盛り上げていた。
この第3回の討論、司会したFOXニュースのクリス・ワレスはなかなか上手い進行を見せた。全体を6つのパートに分けて、両候補にはそれぞれの部分でテーマに沿った発言をするよう誘導し、話が脱線すると厳しく注意することもあった。
結果として、第1回、第2回と比較すると、政策論争として一応の体を成したということは言える。要点をまとめると、以下のようになる。
【参考記事】非難合戦となった大統領選、共和党キーマンのペンスの役割とは
まず一番話題になっているのは、選挙結果を素直に受け入れるのかという点だ。実は、先週以来トランプは「この選挙は歪められている」と主張して、場合によっては選挙結果に対する異議申し立てをすることも示唆していた。これには、副大統領候補のマイク・ペンス(インディアナ州知事)や、トランプの長女イヴァンカが明快に否定しており、陣営の足並みは揃っていない。
そんな中、「選挙結果を受け入れて相手を祝福し、新政権への協力を誓うのがアメリカの伝統だが、どうか?」というワレスの質問に対して、トランプは「さあ、お楽しみに」("I will keep you in suspense.")と「ふてぶてしく」宣言した。これはアメリカの選挙制度、民主主義を信じないという意味にも取れるわけで、直後からメディアはこの発言への批判一色となっている。
保守色が強く、今回の討論全体としては「トランプが押していた」という評価をするような評論家(例えばFOXのブレット・ヒューム)なども、この発言に関しては「重要であり、極めて問題」だとしているし、CNNなどはこの点への批判一色という感じで直後の「討論分析」を進めている。
おそらく、翌日以降のメディアもこの点への批判を継続することになるだろうし、そうなればトランプの支持率は回復しないばかりか、中道票の獲得は困難になるだろう。
その一方で、一部の保守派などから、内容ではなくディベートの勢いだけを評価する観点で「トランプが優勢だった」と言われているのが、軍事外交に関する討論だ。この部分、ワレスの司会が効果的だったこともあり、確かに中身があったし、表面的にはトランプが押しているように見えた。では、実際はどうだったか?
まず「現在進行形」である米軍が支援し、イラク政府軍が主体となっているモスル奪還作戦についての論戦が交わされた。ISISが占領しているモスルを奪還できるかは、中東地域におけるISISの勢力を駆逐する重要な戦いであると共に、下手をすると60万人という人口が流出して人道危機が発生する懸念もある。
これに関して、ヒラリーは「米軍の地上軍派遣」をキッパリと否定。米軍はあくまで援護的な活動に限定するとして、「イラク政府軍とクルド勢力の連携でISISを敗走させ、さらにシリアでのISISの拠点であるラッカを陥落させる」と述べた。
【参考記事】トランプの妻メラニアが大変身、でも勝負服が裏目に
一方のトランプは、具体策は一切言わず、また米軍の地上軍派遣の是非に関しても何も言わなかった。その一方で「モスルを陥落させると、得するのはイランだけだ」という意味不明の回答に終始していた。要するにイランに近いシーア派主体のイラク政府軍が、ISISを敗走させることは期待しないとでも言いたげな雰囲気を見せた。
次に、シリアが問題となった。「アレッポをどう救うか」というのが話題となり、ここではヒラリーは「飛行禁止区域の設定と人道安全地帯(セーフゾーン)の設置」を主張したのだが、トランプは「シリアの混沌はすべてオバマとヒラリーの責任だ」と吠え立て、では、シリア人は被害者なのかというと「シリア人の難民を受け入れればISISが混じっているのだから、その受け入れを進めるオバマとヒラリーは極悪人だ」と非難した。そして相変わらずアサド政権とロシアを擁護するようなことを言った。
トランプの発言は、ロシアとアサド政権に肩入れする一方で、イランは敵視するという支離滅裂さがあるが、とにかく過去から現在のアメリカにある感情論をパッチワーク式に繋いで、ブッシュからオバマの16年をまとめて全否定し、ついでに危険と思われる話は全部「アメリカから隔離」するというロジックなので、単純と言えば単純だ。
問題はヒラリーの発言で、2つ重要な踏み込みをしている。一つは、これは前々回の討論からも、そしてマニフェストでも一貫して主張していることだが、イラク問題でクルド系との協調ということを強調しているということだ。これは、過去15年のアメリカの軍事外交方針の延長にあるものだが、強く押し出しすぎると、トルコとの対立になる。その一方で、クルド系というスンニ派の勢力を支援することで、イラクとシリアを安定化させるのは、話として筋は通っている。ヒラリーがこの点について、どこまで本気なのか非常に気になるところだ。
もう一つはシリア上空における「飛行禁止区域の設定」という問題だ。現在の情勢では、この設定を実効あるものにするには、アサド政権軍のレーダーなど地上施設の破壊が必要だし、禁止措置を徹底する中で、それが守られない場合は自動的に空中での戦闘に発展する危険性もある。あくまでブラフなのか、それとも「一戦交える覚悟」なのか、注意して見守る必要があるだろう。
核拡散の問題も話題になったが、トランプは依然として、「日本、韓国、サウジ」が自主武装に移行する中で核兵器保有を容認するという主張を繰り返していたし、そこにドイツも加えていた。日米安保条約の再交渉も示唆しており、ここまで一貫して言い続けると、仮に当選した場合には「本当に何かを仕掛けてくる」こともあり得る。いくら議会が歯止めになるにしても、日本としてはあらためて警戒が必要だろう。
【参考記事】なぜビル・クリントンは優れた為政者と評価されているのか
その他、経済問題では相変わらずトランプは富裕層減税によるトリクルダウン経済で成長を、という立場。これに対してヒラリーは「ITなどのニューエコノミー」重視の立場は「テレビ討論では触れず」にいたが、最低賃金アップなどの左派ポピュリスト的な表現で、ミドルクラスの再建による経済成長を、という主張。自由貿易に関しては、トランプは相変わらず反対し、ヒラリーは是々非々という主張だった。
仮に一部の声として「トランプ優勢」という声があるにしても、軍事外交に関しては、以上のようなやり取りであって、決して優勢でも何でもない。トランプの発言が余りにバカバカしいので、ヒラリーはいちいち反論しないまま時間切れになり、そうした印象を与えただけだ。これに加えて「投票結果に疑義も」という発言は、厳しい批判を受ける可能性があり、トランプとして劣勢挽回には失敗したという評価が直後から出ている。討論の勝敗に関するCNNの簡易世論調査でも、52%がヒラリー勝利、トランプ勝利は39%と差がついた。
ということは、そろそろ「ヒラリー政権に備える」ために、日本としては彼女の政策に関して詳しく知っておくことが必要になる。とりわけイラクとシリアへの対応に関して、オバマ政権のような「優柔不断」な態度ではないということなら、では具体的にヒラリーのアメリカはどう動くのか、国際社会として真剣に注視する必要が出てきた。
冷泉彰彦(在米ジャーナリスト)