<政治指導者の戦争犯罪や人道に対する罪を裁くICCに訴追されたブルンジが世界で初めて脱退を可決。ヌクルンジザ大統領は暴動に乗じて国民を殺した罪を償なわずに逃げる構え。他の独裁的アフリカ諸国も後に続けば、ICCの権威は地に堕ちる> (写真は、ヌクルンジザが3期目の大統領に就任しようとしたのをきっかけに広がった暴動の様子)
アフリカ中部ブルンジのピエール・ヌクルンジザ大統領は18日、国際社会の異端の道を突き進むべく新たな行動に打って出た。
ブルンジの国会は10月上旬、国際刑事裁判所(ICC)から脱退することを定めた法案を賛成多数で可決、18日にヌクルンジザが署名し成立した。これにより、ブルンジはICCの設立規定を定めた国際条約「ローマ規定」から脱退したことになる。脱退の時期について、ローマ規定は国連事務総長への通知から1年後と定めているが、ブルンジ政府は法律がただちに施行されると発表した。
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ICCは大量虐殺や人道に対する罪を含む重大な犯罪を国際法に基づいて裁く目的で、1998年にオランダのハーグに設立された。今回ブルンジが脱退すれば、初のケースとなる。
対象はアフリカばかり
ICCの主任検察官でガンビア出身のファトゥ・ベンスダは今年4月、ブルンジにおける人権侵害の予備調査に着手した。対象になったのは、ヌルンジザが大統領選への3選出馬を発表した2015年4月以降の状況だ。出馬に抗議する市民に対する治安当局の激しい弾圧や軍幹部によるクーデターの失敗で、多数の死傷者が出た。ベンスダは当初、430人以上が殺害された模様だと述べた。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、衝突が始まってから30万人以上の住民が隣国などへ逃れて難民になった。
【参考記事】スーダン戦犯におもねる国連の機能不全
本格調査に乗り出すというICCの決定は、ヌクルンジザを苛立たせた。さらに国連は9月、ブルンジで2015年4月以降に564件の処刑が実施された事実を立証できたと主張、その多くは治安部隊が反対派とみなした勢力を弾圧するために行なわれたとする報告書を公表した。こうした動きに激怒したブルンジ政府は報告書の受け入れを拒否し、それ以降は国連調査団の受け入れも拒否している。
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ブルンジはICCから脱退する最初の国だが最後の国ではなさそうだ。アフリカの独裁者たちは以前から、ICCが自分たちを標的にしていると不満を抱いてきた。これまで人道に対する罪や戦争犯罪でICCに裁かれ有罪になった4人の被告人は、全員がアフリカ出身だ。9月にはマリ出身のイスラム過激派の元戦闘員アフマド・ファキ・マフディが、西アフリカのマリ北部を一時制圧していた2012年に世界遺産都市トンブクトゥの文化財を破壊した戦争犯罪に問われ、ICCが禁固9年の判決を言い渡した。
6月にはアフリカ中部コンゴ(旧ザイール)の副大統領だったジャンピエール・ベンバが、2002年に中央アフリカに派遣した自身の部隊が犯した戦争犯罪と人道に対する罪で、ICCに禁固18年の量刑を言い渡された。ベンバは判決を不服として上告している。ICCが進行中の3件の裁判すべてにアフリカ出身者が関わっており、裁判に向けて予備調査が進んでいる10件のうち9件もアフリカ諸国に関連する事案だ。
アフリカからの反発が強まる中、ブルンジの次にICCを脱退する可能性があるのはどの国だろうか。
スーダン
ICCの被告人の中でも最高位の指導者といえば、スーダンのオマル・ハッサン・アハメド・バシル大統領だ。ICCは2009年3月、現職の国家元首に対しては初の逮捕状を発行した。ICCが指摘したバシルの容疑は、戦争犯罪や人道に対する罪、ダルフール地方での大量虐殺だ。スーダン西部のダルフールで2003年にアラブ系の中央政府に対抗して黒人の住民が蜂起して始まったダルフール紛争は、死者が数十万人に上ったと推計される。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、スーダン政府軍が住民に対して化学兵器を使用した疑いが強いとする報告書を発表したが、スーダン政府は否定した。
バシルは4月、逮捕状は無効だと一蹴したうえ、ICCは「政治利用された法廷」だと批判した。アフリカ諸国はICCの逮捕状発行を無視するかのように、バシルの自国訪問を歓迎している。最も注目を集めたのは、2015年6月に南アフリカで開催されたアフリカ連合(AU)首脳会議だ。ICC加盟国である南アフリカの裁判所が出国禁止命令を出したにも関わらず、バシルは出国を認められて易々と帰国した。
ケニア
バシル以外の大物では、ケニアのウフル・ケニヤッタ大統領とウィリアム・ルト副大統領がいる。ICCは2010年にケニヤッタ(当時副首相)とルト(当時高等教育相)を含む6人の有力なケニア人を召喚した。2007年12月の大統領選挙の結果をめぐって起こった暴動に乗じて、人道に対する罪を犯した容疑だ。人種間の衝突で、選挙後2カ月の間に1200人以上のケニア人が殺された。
だがICCの検察官は2014年12月にケニヤッタに対する起訴を取り下げた。ケニア政府が重要な証拠の提出を拒んだという。4月にはルトに対する起訴も取り下げられた。それでもケニア人はICCに憎悪を抱いている。ケニアは1月、AU(アフリカ連合)の首脳会議で「アフリカ諸国のICC脱退のための行程表」を作ることを提案し、広い支持を集めた。
ウガンダ
アフリカでも最高齢の指導者であるヨウェリ・ムセベニ大統領は早くからICC脱退を訴えていた。1980年から権力の座にある72歳のケニヤッタは、ICCは欧米がアフリカを狙い撃ちするための道具だと言う。ムセベニは脱退提案を出すことを約束。2014年12月には「そうすればICCは孤立する」と語った。実際、アフリカ諸国が大挙して脱退すればICCは権威は地に堕ちる。ローマ法加盟124カ国のうち34カ国はアフリカで最大勢力だ。
ムセベニはまだ脱退提起に成功していないが、5月の5期目の大統領就任式でICCを「役立たず」と呼んで西側の外交官たちを怒らせた。EUやアメリカ、カナダの政府関係者は就任式を途中退場した。
コナー・ギャフィー
アフリカ中部ブルンジのピエール・ヌクルンジザ大統領は18日、国際社会の異端の道を突き進むべく新たな行動に打って出た。
ブルンジの国会は10月上旬、国際刑事裁判所(ICC)から脱退することを定めた法案を賛成多数で可決、18日にヌクルンジザが署名し成立した。これにより、ブルンジはICCの設立規定を定めた国際条約「ローマ規定」から脱退したことになる。脱退の時期について、ローマ規定は国連事務総長への通知から1年後と定めているが、ブルンジ政府は法律がただちに施行されると発表した。
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ICCは大量虐殺や人道に対する罪を含む重大な犯罪を国際法に基づいて裁く目的で、1998年にオランダのハーグに設立された。今回ブルンジが脱退すれば、初のケースとなる。
対象はアフリカばかり
ICCの主任検察官でガンビア出身のファトゥ・ベンスダは今年4月、ブルンジにおける人権侵害の予備調査に着手した。対象になったのは、ヌルンジザが大統領選への3選出馬を発表した2015年4月以降の状況だ。出馬に抗議する市民に対する治安当局の激しい弾圧や軍幹部によるクーデターの失敗で、多数の死傷者が出た。ベンスダは当初、430人以上が殺害された模様だと述べた。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、衝突が始まってから30万人以上の住民が隣国などへ逃れて難民になった。
【参考記事】スーダン戦犯におもねる国連の機能不全
本格調査に乗り出すというICCの決定は、ヌクルンジザを苛立たせた。さらに国連は9月、ブルンジで2015年4月以降に564件の処刑が実施された事実を立証できたと主張、その多くは治安部隊が反対派とみなした勢力を弾圧するために行なわれたとする報告書を公表した。こうした動きに激怒したブルンジ政府は報告書の受け入れを拒否し、それ以降は国連調査団の受け入れも拒否している。
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ブルンジはICCから脱退する最初の国だが最後の国ではなさそうだ。アフリカの独裁者たちは以前から、ICCが自分たちを標的にしていると不満を抱いてきた。これまで人道に対する罪や戦争犯罪でICCに裁かれ有罪になった4人の被告人は、全員がアフリカ出身だ。9月にはマリ出身のイスラム過激派の元戦闘員アフマド・ファキ・マフディが、西アフリカのマリ北部を一時制圧していた2012年に世界遺産都市トンブクトゥの文化財を破壊した戦争犯罪に問われ、ICCが禁固9年の判決を言い渡した。
6月にはアフリカ中部コンゴ(旧ザイール)の副大統領だったジャンピエール・ベンバが、2002年に中央アフリカに派遣した自身の部隊が犯した戦争犯罪と人道に対する罪で、ICCに禁固18年の量刑を言い渡された。ベンバは判決を不服として上告している。ICCが進行中の3件の裁判すべてにアフリカ出身者が関わっており、裁判に向けて予備調査が進んでいる10件のうち9件もアフリカ諸国に関連する事案だ。
アフリカからの反発が強まる中、ブルンジの次にICCを脱退する可能性があるのはどの国だろうか。
スーダン
ICCの被告人の中でも最高位の指導者といえば、スーダンのオマル・ハッサン・アハメド・バシル大統領だ。ICCは2009年3月、現職の国家元首に対しては初の逮捕状を発行した。ICCが指摘したバシルの容疑は、戦争犯罪や人道に対する罪、ダルフール地方での大量虐殺だ。スーダン西部のダルフールで2003年にアラブ系の中央政府に対抗して黒人の住民が蜂起して始まったダルフール紛争は、死者が数十万人に上ったと推計される。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、スーダン政府軍が住民に対して化学兵器を使用した疑いが強いとする報告書を発表したが、スーダン政府は否定した。
バシルは4月、逮捕状は無効だと一蹴したうえ、ICCは「政治利用された法廷」だと批判した。アフリカ諸国はICCの逮捕状発行を無視するかのように、バシルの自国訪問を歓迎している。最も注目を集めたのは、2015年6月に南アフリカで開催されたアフリカ連合(AU)首脳会議だ。ICC加盟国である南アフリカの裁判所が出国禁止命令を出したにも関わらず、バシルは出国を認められて易々と帰国した。
ケニア
バシル以外の大物では、ケニアのウフル・ケニヤッタ大統領とウィリアム・ルト副大統領がいる。ICCは2010年にケニヤッタ(当時副首相)とルト(当時高等教育相)を含む6人の有力なケニア人を召喚した。2007年12月の大統領選挙の結果をめぐって起こった暴動に乗じて、人道に対する罪を犯した容疑だ。人種間の衝突で、選挙後2カ月の間に1200人以上のケニア人が殺された。
だがICCの検察官は2014年12月にケニヤッタに対する起訴を取り下げた。ケニア政府が重要な証拠の提出を拒んだという。4月にはルトに対する起訴も取り下げられた。それでもケニア人はICCに憎悪を抱いている。ケニアは1月、AU(アフリカ連合)の首脳会議で「アフリカ諸国のICC脱退のための行程表」を作ることを提案し、広い支持を集めた。
ウガンダ
アフリカでも最高齢の指導者であるヨウェリ・ムセベニ大統領は早くからICC脱退を訴えていた。1980年から権力の座にある72歳のケニヤッタは、ICCは欧米がアフリカを狙い撃ちするための道具だと言う。ムセベニは脱退提案を出すことを約束。2014年12月には「そうすればICCは孤立する」と語った。実際、アフリカ諸国が大挙して脱退すればICCは権威は地に堕ちる。ローマ法加盟124カ国のうち34カ国はアフリカで最大勢力だ。
ムセベニはまだ脱退提起に成功していないが、5月の5期目の大統領就任式でICCを「役立たず」と呼んで西側の外交官たちを怒らせた。EUやアメリカ、カナダの政府関係者は就任式を途中退場した。
コナー・ギャフィー