Infoseek 楽天

ビル・クリントンの人種観と複雑な幼少期の家庭環境

ニューズウィーク日本版 2016年10月21日 12時4分

<女性スキャンダルで弾劾裁判にまで追い込まれたにもかかわらず、為政者として高く評価され、今なお絶大な人気を誇るビル・クリントンの半生(2)> (写真は1998年、17~18世紀に奴隷貿易の拠点として栄えたセネガルのゴレ島を訪れたビル・クリントン)

 いよいよ11月8日、米大統領選の投票が行われる。このままいけば共和党のドナルド・トランプを破り、民主党のヒラリー・クリントンが勝利するだろう。そうなれば来年1月、第42代大統領を務めたビル・クリントンが、再びホワイトハウスの住人となる。

【参考記事】最後のテレビ討論の勝敗は? そしてその先のアメリカは?

 日本では今も、ビル・クリントンといえば「モニカ・ルインスキー事件」を思い起こす人が少なくないだろう。確かに、次々とスキャンダルが持ち上がり、最終的には弾劾裁判にまで追い込まれた大統領だった。しかし彼は、アメリカを再び繁栄に導いた大統領として高く評価されており、今なお国民の間で絶大な人気を誇っている。特に黒人の間で人気が高いことはよく知られている。

 西川賢・津田塾大学学芸学部国際関係学科准教授は『ビル・クリントン――停滞するアメリカをいかに建て直したか』(中公新書)の「はじめに」にこう記す。「クリントンは決してスキャンダルを起こしただけの政治家ではなく、内政・外交両面で後世に語り継がれる功績をあげ、アメリカを新世紀へと架橋した優れた為政者であったと認められている」

 本書『ビル・クリントン』は、250ページ超とコンパクトだが、来年にはアメリカ初の「ファースト・ハズバンド」になる可能性のある男の業績と、現在につながる評価がよくわかる一冊となっている。

 ここでは本書から一部を抜粋し、4回に分けて掲載する。第2回は「第1章 深南部での青年期――苦難な環境と人格形成」より。人種差別がそこかしこに残るアーカンソー州の小さな町で、複雑な家庭に生まれ育ったビル・クリントンは、自身が生まれる前に自動車事故で実父を亡くした。祖父ジェームズは黒人居住区で食料品店を経営していたが、人種にこだわらず顧客には公平に接していたという。そしてビルが4歳になる前、母バージニアは再婚する――。


『ビル・クリントン――停滞するアメリカをいかに建て直したか』
 西川 賢 著
 中公新書


※シリーズ第1回:なぜビル・クリントンは優れた為政者と評価されているのか

◇ ◇ ◇

黒人たちへの意識

 クリントンが大統領に就任した1993年にノーベル文学賞を受賞した、現代アメリカを代表する黒人女性作家トニ・モリスンがクリントンを「アメリカ史上初の黒人大統領」と表現したことはアメリカで広く知られている。人種分離が残っていた南部アーカンソー州で、幼少期に黒人と親しく交わった経験がクリントンの人種観に影響を与え、大統領就任後には黒人からの根強い支持を獲得することにつながったと見る者は多い。

 こんなエピソードがある。アーカンソー州議員も務めた黒人法律家リチャード・メイズは、あるとき若い黒人女性が主催するパーティに招かれた。そこで、当時32歳で州司法長官だったクリントンを偶然見かけた。白人の招待客はクリントン1人だったが、ぎこちない様子などもなく、ほかの黒人の来客と普段通り談笑していた。メイズはクリントンの自然な振る舞いに感心したという。

 バージニアは1950年6月19日、母エディスの強い反対を押し切って、自動車のセールスマンだったロジャー・クリントンと再婚した。ビルが4歳になる少し前である。

 バージニアの再婚時よりビルは継父の姓を名乗るが、正式にブライズからクリントンへと法的改姓手続きを取ったのは15歳になってからである。



 ビルが正式な改姓をためらったのは、継父が重度のアルコール依存症であり、母・異父弟ともども継父に虐待された経験があったからだ。夫婦喧嘩で激高したロジャーがバージニアに向けて発砲し、弾丸は危うく近くにいたビルに命中しそうになったこともあったという。

 継父は洒落者でユーモアにあふれ、ハンサムだった。だが、彼は女癖が悪く、バージニアと結婚する前に2度の離婚歴があった。前妻アイナ・メイ・マーフィーもまた彼にひどい暴力を振るわれたと話していた。

 ロジャーには深刻な飲酒癖に加えて賭博癖もあり、乱痴気騒ぎを好む欠点もあった。ビルが改姓をためらったのは、だらしない継父への抵抗でもあった。

継父と母の離婚、再婚

 1953年、クリントン一家はホープを離れ、温泉保養地やカジノで有名な同じアーカンソー州のホット・スプリングス市近郊に農場を購入し移住した。だが、継父は農場での暮らしに適応することができず、一家は早々に農場を去ってホット・スプリングスの市街地に再度引っ越している。

 ビルがまもなく10歳になるとき、継父と母の間にビルの異父弟となるロジャー・クリントン2世が誕生する。だが、甲斐性がなく泥酔しては暴力をふるう亭主にバージニアは愛想を尽かしつつあった。1962年、バージニアはついに息子2人を連れて家を飛び出し、離婚する。

 しかし、ロジャーは更生する機会を与えてほしい、よりを戻してほしいと必死に懇願する。ロジャーは別れた妻子に復縁を迫って執拗に付きまとった。情にほだされ、バージニアはロジャーと再度結婚する決意を固める。

 だが、ビルはバージニアの決断に懐疑的だった。

耐え難い重荷

 ビルは仕事で不在がちな母親に代わって、異父弟の面倒をよく見た。ビルは周囲の子どもよりも常に大人びて見えたという。また、ビルは小学校のときにクラリネットの演奏をはじめ、その後サックスを吹くようになった。

 兄に比べ、ロジャー2世が虐待によって負った心の傷は深く、彼はのちに賭博や薬物に手を染め、薬物の違法売買で逮捕され、収監された。

 アメリカの有名政治雑誌『ポリティコ』の編集長で、クリントンの伝記を書いたこともあるジョン・ハリスは、この複雑な幼少期の家庭環境こそ、クリントンが私生活のトラブルや自分の思惑を包み隠し、利害の異なるものの間で仲介役としてうまく立ち回ろうとする政治家としての原体験であったと分析する。

 他方、幼少期の経験はクリントンの人格形成に暗い影を落とすことにもなり、後年クリントンが女性スキャンダルを引き起こす一因になったのではないかと考える者は多い。

 クリントン自身は、継父による家族の虐待について相談する者はなく、自身の内面深くに隠し持ってきた暗い秘密であり、耐え難い重荷であったとも述懐している。

 孤独と絶えず向き合うことがクリントンのアイデンティティ形成で重要な役割を果たしたと思われるが、半面、継父との歪んだ親子関係がクリントンの心理を複雑で葛藤に満ちたものにしたことは否定できないであろう。

※シリーズ第3回:93年、米国を救ったクリントン「経済再生計画」の攻防


『ビル・クリントン――停滞するアメリカをいかに建て直したか』
 西川 賢 著
 中公新書



ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

この記事の関連ニュース